第二十二話 ◯◯が村にやって来た
132
「それじゃあ行ってくるよ秀彦、先輩、コルテーゼさん、グレコさん。あ、あと、ついでにおっちゃん」
「皇帝だ」
「行ってくるぜおっちゃん」
「……皇帝陛下だ」
「増えんのかよ!」
「うるせえ、なんで俺が一番ぞんざいな感じなんだ。王様だぞ?」
僕らは今、疫病吐きの襲撃をうけた農村を望む丘の上にいた。遮蔽物が少ないため、村の全容を眺めることはできるけど、それなりに距離はあるらしい。ここからだと村の全容を見ることが出来る。
「あの村を遠巻きに包囲してる人垣は何? 盗賊には見えないけれど」
「アレはうちの騎士団だ。疫病は封じ込めないとならないからな。不本意ながら村人の脱走防止、或いは……って訳だ」
「そっか……」
おっちゃんの表情から言わなかった部分も想像がつく。自分が守るべき国民を手に掛ける命令を下すのはどんな気分なのだろう。そしてそれを実行する騎士の皆さんも……
「これは責任重大だね。よし、気合入れて行ってくるよ!」
両手で頬を叩き気合を入れる。足元でマウスくんも真似をしているけど、顔を洗っている仕草にしか見えない。かわいい……
ここから徒歩で向かっては時間がかかりすぎて犠牲者を治療するどころではない。なので馬を一頭お借りする事になった。どうやら疫病吐きが撒き散らす疫病は、動物や魔物には感染しないらしい。
つまり、これから村に向かうのは僕とマウスくんの一人と一匹。普通の病気だったらマウスくんを連れて行くのは以ての外だけど、今回の件に関しては全くの無問題。これは嬉しい誤算だった、流石に一人で向かうのは心細いからね。
「ナツメ様……どうぞお気をつけて。あまり無茶をしてはいけませんよ?」
そう言いながらコルテーゼさんが僕を抱きしめてくれる。
「井戸水はできれば煮沸してお飲みください。道に落ちているものを拾って食べてはいけませんよ。知らない人について行ったり、暗い夜道に一人で入って行ってはいけません。それから……」
「ス、ストップストップ、コルテーゼさん。いくら僕でもそんな事しないよ!? 心配しすぎだよ!」
「いや、今のはコルテーゼさんが正しい」
「秀彦!?」
「棗君だからねえ。注意してしすぎるって事はないだろうねえ。あ、野生動物を食べるときはちゃんと火を通すんだよ。淡水魚はお刺し身にしちゃだめだからね? あと泥んこになって遊んだあとはちゃんと足を拭いてからお家に……」
「先輩まで!?」
「……お前、本当に聖女なのか?」
「見ての通り聖女だよっ!!」
全く失礼な人たちだ。まるで僕がいつも問題起こしてるみたいじゃないか。
「いや、棗君はいつも行った先々で問題起こしてるでしょ?」
「心読むのはやめてくれるかな!?」
確かに今までは色々不幸な行き違いや事故はあったけど、今回は大丈夫。女神様からもらった病気避けのローブもあるし、優秀なブレインとしてアメちゃんも持っている。問題になるのは時間だけなのだ。
「それじゃあ、患者さんが待ってるから僕は行くよ。全部終わったら狼煙を上げるから迎えに来てね!」
僕は鐙に足をかけ、グレコ隊から借りてきた栗毛の軍馬にまたがる。
「ハイヨーッ!」
僕の合図で早足で駆け出す軍馬。流石グレコさんがお勧めしてくれた子だ。凄く従順で扱いやすい。この子なら僕でも難なく乗りこなせそうだ。
「おいおい、普通に馬に跨ってったぞ。本当にあいつ聖女なのか?」
「棗くんこっちに来て馬を見てから、ずっと乗馬練習してたからね。本当にそう言うところは男の子だよねえ」
「あいつ、隙あらば城から抜け出してああ言う事してるよな。気がつくと練兵場で木剣片手に練習参加してたりするしな……」
「どんな聖女だよ。お転婆ってレベルじゃねえだろ。ちなみに俺と出会ったのは場末の酒場だぞ……」
「その件につきまして、詳しいお話をお聞かせ願えますでしょうか皇帝陛下?」
(あ……すまん聖女。これ、秘密だったのか……)
遠くで何を話しているのか聞き取れないけれど、何故か僕の背中に冷たい汗が流れていた……
……――――
――……side 村の自警団 トミイ
――始まりは、村の畑に現れた野犬退治だった。イノシシやゴブリンと違って、長物の一本もあれば容易く対処できる仕事に、お調子者のカイルが意気揚々と出かけて行った。見ろ、魔物を討ち取ったぞ! などと嘯くカイルを皆で茶化していたのはつい先日の話。
まさか”アレ”が本当に魔物だったとは。それから二日で平和だった村は地獄の様相を呈した。まず発症したのは当然魔物を討ち取ったカイルだった。
風邪をひいたかもしれないと言いながら家に帰ったカイルが、次の日に出勤しなかった。
風邪で倒れているのだろうと心配した同僚がカイルの家を訪ねたところ、すでにカイルの病状は内蔵を破壊し始めるところまで進行していた。カイルは最早歩くことも出来ず寝床で吐血をしながら苦しんでいたという。村には医者が居なかった為、早速伝書鳥に手紙をくくりつけベルウスィアへと飛ばした。
程なくして帰ってきた返事は、俺たちを絶望のどん底に叩き落すような内容だった。
”疫病吐きの疑い在り。罹患者を隔離の後、接触は厳禁。無事な者も村から出ることを禁ずる”
同僚から手紙の内容を報告された俺は、眼の前が真っ暗になった。
”疫病吐き”
こんな寂れた農村に住む俺でも知っている最悪の魔物。戦場付近の村や街を幾つも滅ぼした恐ろしい災厄の名前……
これをみんなにどう伝えればいい? しかも事態は一刻を争う。まさかこんなにもない小さな農村に現れるなんて。
俺は覚悟を決めて事実を皆に伝えて廻った。泣き崩れる人や怒り狂う人、稀に暴力的になる人も居たが、とにかく俺は走った。
結果……村人は半数どころか八割が発病。残りの二割は自分もいつ罹患するのか分からないという恐怖で震え上がっていた。数名の若者が今すぐ村を出ようと提案したが、村を遠巻きに囲む騎士の姿を目にした時全てを悟った。
ああ、俺たちはもう、国からも見捨てられたのだと。
おそらく村のどこから脱出したとしても、騎士に近づくことも出来ずに射殺されるのだろう。そういった話は聞いたことがある。俺達に出来ることは、ただただ自分が発病しないことを祈りながら、病人が死んでいくのを眺めていること。
――カイルが発病してから更に二日が経過した。比較的病状の軽い病人が重病人の看護をしつつ、本人も日に日に弱っていくという地獄のような光景を遠巻きに眺める。食料はなんとか受け渡せているが、近くに置くことは出来ないので今動いている罹患者が行動できないほどに弱った時にどうすることもできなくなる。
幸い……幸いか? 俺自身は発病の兆しもなく無意味に村の門番をやっている。だが、こんな状態の村に来る人間などいるわけもなく、何もしていないのと変わらない。顔見知りや友人が血まみれになっている姿を見たくないのでここから動く気も起きない。
「ここで生き残ったからって……村はもう駄目だよな……」
あれから二日で更に罹患者は増えてしまった。もう無事な村人は一割も居ない。これでは疫病騒ぎが終わったとて、残った俺達だけで村を再生するのは不可能だ。
そんな事を考えていると、背後から小さな足音が近づいてくることに気がついた。
「……トミイ」
「ん、なんだデボラばあさんか」
姿を表したのはデボラばあさん。村の最年長で、ある意味村長より尊敬されている人物。すでに八十を超える高齢ではあるが、この村の誰よりも頼りになる婆さんだ。だが、こんな場所にいるのは珍しい。俺は何かあったのかとデボラ婆さんに訪ねた。
「こんなところになんの用だい?」
「……あそこにいる騎士様に、何とか若いもんだけでも避難させてやってくれないかと、直談判にでも行こうかと思ってのう」
「やめとけよ、声が届く距離に辿り着く前に矢が飛んでくるぜ」
「それでもよぅ。ひょっとしたらババア一人で近づいたら騎士様も話くらいは聞いてくれるかもしれねえじゃろ?」
「無理だ無理。騎士様にそんな人情はねえよ」
「駄目なときは、明日死ぬかもしれねえババアが今日死ぬだけだ。大してかわらねえよぅ」
呵呵と笑ってはいるが、死ぬのが平気な人間がいるわけがない。無駄死にしようとする顔見知りを行かせるほど俺も薄情者ではないし、ゆっくり村の外に出ようとするばあさんに声をかけようとした。
――その時、特の騎士団の人が気に少し動きが見えた。
一瞬婆さんが外に出ようとしたことに反応したのかと思ったが、どうも様子がおかしい。騎士がこっちを向いていないのだ。
「なんだぁ? 裸馬が一頭こっちに駆けてきてんなぁ?」
「いや、あれは……」
一見、裸馬が鞍だけ載せてこちらに駆けてきているように見えるが、よく見ると鐙に足が乗っている。どうやら小柄な人物を乗せている様だ。こんな状態の村にあんな小さな人物が何の用だ? なんだか嫌な予感がする……
「まさか……魔術師? 村を直接焼くつもりか?」
「よく見えねえが、杖も背負ってんなぁ……」
とうとう騎士団が自分達を殺しに来た。そんな可能性を考えつつも、自分でも驚くほどに心が動かない。
そうか。俺は、もう死にたがっていたのかも知れない。国も騎士も俺たちの味方ではない。もう俺たちに残された道は病気で死ぬか、国に殺されるかの二つに一つだ。ならばいっそ……
「はは、もうどうでもいいや……」
「トミイ……」
乾いた笑いが出る俺を、デボラ婆さんのシワシワな顔場見上げる。婆さんの顔は皺が深すぎて表情が読みづらいが、悲しそうな声から何を想っているのかは伝わってきた。でも俺達はまだ幸せなのかも知れない。病に苦しまずに逝けるのだから。
最後に一緒にいる相手としちゃ、ちょっと華やかさや若さはねえけど、まあ顔見知りと一緒なら一人で死ぬよりはよほど心強い。ああ、死ぬ前に、せめて嫁さんぐらいは欲しかったなあ……
そんな事を考えているうちに、件の馬はもう声が届くような距離まで接近していた。さて、最後の人仕事でもしましょうかね。
「止まれ! この村に何のようだ!」
最後の仕事なので大声を出す。すると馬上の人物は我々に引導を渡しに来た人物とは思えないほどに慌て始めた。
「お、お待ち下さい、私は怪しいものではありません。どうか槍を下げてくださいませ」
驚いた。場上から響く声は透き通るように綺麗な女性、いや、少女の声だった。
「私は王国から派遣されてきました、聖女棗ともうします」
「聖女? 王国? 何を言っている。そんな与太話を信じろと?」
「あ、すいません馬上にいるのは失礼ですね。今降りますので。
安心してください、私が来たからには必ず皆さまを救ってみせますから」
言いながら聖女を名乗る女が馬上から飛び降りた。丁寧な言葉づかいと美しい声からは想像の付かない身のこなしだ。見事な着地を決めた彼女の白銀の髪がサラサラと風に流れていく。あまりの美しさと、行動の大胆さに気を取られ固まっていると、彼女は着地の体勢から器用な身体操作でカーテシーに移行しこちらに顔を向けた。
「改めまして。お初にお目にかかります私、サンクトゥース王国の聖女ナツ……」
「ウオワアアアア!? バケモノ!?」
俺たちの前に邪悪な仮面をつけた魔術師が降り立った。
じゅじゅつし が あらわれた




