スタリ・モスト
「メテム、ボスニア・ヘルツェゴビナへ行ってみない?」
ドゥブロヴニクのある朝、僕は朝食を取りながらそう切り出した。
「ボスニア・ヘルツェゴビナ?」
口一杯にチーズオムレツを頬張りながらメテムが答える。
「うん、この近くにある国で、そこのモスタルっていう街へ行きたいんだ」
「何かあるの?」
「メテムはさ、この世界の歴史のことを知らないと思うけど、今から二十年ほど前に酷い紛争があった国なのよ。でそのモスタルって街には象徴としてスタリ・モストという橋があるの。それを見てみたくてさ」
「ふーん、まあいいけど」
分かってはいたけれどあまり興味がなさそうだ。
「で、そのモスタルって街にはどうやって行くの?」
「ここからバスが出てるんだって。片道三時間強で着くみたい」
「そか。んじゃこれ食べたら行ってみようか。今日はどうせ暇だしな」
そう言うとメテムは残っていたチーズオムレツを掻き込むようにして食べ、仕上げとばかりにコーヒーを飲み干した。
先に説明した通り、モスタルへはバスが出ている。
が、どうやら本数があまり無いようで、その上所々で止まるもんだから使い勝手が良くないようだ。
そこで今回はモスタルへ向かう現地ツアーに潜り込む事にした。
一人辺り六千円程。
若干高めだが、ノンストップで向かってくれる上に、乗り降りが楽なのが嬉しい。
本音を言うと場所が場所なので慎重になっている、というのもある。
今は平和だろうけれど、僕にはメテムという守らなければならない女の子もいるんだし。
バスに乗る指定場所はドゥブロヴニクの旧市街の中だった。
簡単な荷物だけを持って早速乗り込む。
バスは海外で良く目にする至って普通の内装で、トイレが着いてたのが嬉しい。
おやつに買っていたチョコを口にしながら、ユラリユラリとしていると意外に早くバスが止まった。
モスタルなのかと半信半疑だったが、周りのツアー客が皆降りていったので、どうやらそのようだ。
僕たちも後に続く。
運転手にここがモスタルなのを確認し、帰りの時間を聞いた後、僕たちは早速街の中心部へと向かった。
モスタル。
勿論時代背景から決して華やかな街では無いとは思っていたが、実際に着いてみると改めてそう感じる。
街自体にあまり色が無く、人々も何となくだが内向的な雰囲気を感じ取れた。
「やっぱり寂しい街だねえ」
メテムも同じことを思ったんだろう。
何の気なしに呟く。
「そうだね、つい最近まで紛争があったみたいだし、仕方ないね」
「ああ、でもお店がある……ってお土産屋さんか」
「まあ商売しないと生活できないからね」
「お、あれなんだろ」
そう言うとメテムはお土産屋さんの一角を指差した。
「どれ?」
「あれ、あの岩」
メテムの指し示す先をよく見てみると、入り口に小さな岩が置いてあるのが分かった。
そしてそこには青い文字でこう書いてあった。
「ドント フォゲット ナインティースリー(九十三年を忘れるな)」
「……うーん、メテム、あれだね。やっぱりこういうのを見るとさ、まだ人々の心に根強く引きずってるのが分かるねえ」
「そうだなあ。まあでもあれだ、実際にここで生きる人はさ、それでも前を向いて進まないといけないからな」
「メテムの世界にも戦争はあったの?」
「そりゃあるさ、国家間の派閥戦争から、平行世界からの侵略者、魔界からの軍団までゴマンとね。結局どこの世界でもそこら辺は同じだよ。完全な平和なんて無いさ」
「それで傷つくのは結局国民なんだからやるせないよね」
「まあね……」
そんな事を話していると、目の前に小さな見張り台のような物が近づいてきた。
そしてその下には橋が見える。
「お、ユウキ、あれじゃない? なんたらマストだっけ」
「スタリ・モスト。でも確かにあれっぽいね。行ってみよう」
そう言いながら向かう。
近づいてみると石で出来た素朴な橋だと言うのが分かった。
正直時代背景さえ知らなければ何もなく通り過ぎていただろう。
「これが街の象徴かあ」
「みたいだね。何だか紛争の時に一度壊されたんだって。それを再建したんだってさ」
「へー。それだけ大切なのかね」
「だろうねえ」
「でもぶっちゃけ普通の橋だな」
「そうだね、僕もそう思ってたよ」
「ちょっと先まで道が続いてるから、奥見てみよう」
僕たちは橋を渡り、その先へと進んだ。
奥の路地には両脇にお土産屋さんが並んでいた。
中を伺っては見たけれど、マグネットやらポストカードなどお決まりのものばかりで、お店それぞれにあまり個性は感じられなかった。
そして数分ブラブラ進むだけで、もう大通りも突き当りのようだった。
「なんだ、もう終わりか」
横でメテムがつまらなそうに呟く。
「一大観光地ってわけでもないからこんなもんかもね」
「ユウキ、ちょっと外れて遠くの方まで行ってみない?」
「いいけど治安とか大丈夫かな」
「平気平気、いざとなっても魔法でどうとでもなるさ」
そう言うとメテムは魔法書を掲げ、大通りから外れた方向へと進んだ。
一本道をそれると、やはりと言うかそこはもう閑散としていた。
人も歩いていなく、ますますもって色が街から失われているのを感じる。
所々にある草すらも、緑がなかった。
僕は進むことすら躊躇していたが、メテムはというとそんなことはお構いなしに進んでいった。
「あんまり離れないほうがいいんじゃない?」
たまらず僕はメテムに伝えた。
「ん、まあいいさね。というかここらへんまでドンパチやってたんだな。あそこ見てみろよ」
そう言うメテムの視線の先を追うと、崩壊された家屋が並んでいた。
どの家も屋根が崩れ、壁は穴だらけだった。
「こういうのを見るとさ、僕のいる日本ってのは平和だと感じるよ」
「お前の国は平和すぎるよ。皆こういう世界のことを小説の中の出来事と捉えてるからなあ」
「そうだねえ……」
僕は一息ついて改めて周りを見渡した。
この荒れ果てた街は本当に僕が普段いる街と同一線上にあるのだろうか。
もしかして気づかないうちにメテムの魔法で異世界へきてしまったんじゃないか。
そんな事を考えていたが、時折通る車や元気のない人々を見ると、ここは地球なんだと否が応でも感じてしまう。
目をそむけること無く、見据えていかなければならない現実なのだ。
僕はメテムとしばらく街をさまよい歩いた。
「メテム、そろそろ戻らない?」
しばらく歩いた頃、僕はメテムにそう言った。
「ん?」
「ほら、もうだいぶ歩いたしさ、治安が良いってわけでもなさそうだし、そろそろ街へ戻って何か食べよう」
「それもいっか。お腹空いたしな」
「うん、貧しい国だけど、名物とかあるんじゃないかな」
「それはあんま期待できないけどな。……まあ戻るか」
僕たちは今来た道を戻り、大通りへと向かった。
大通りに着くとすぐに、スタリ・モストに人だかりが出来ているのに気付いた。
なんだろう、揉め事でもあったのだろうか。
警戒しながらメテムと遠巻きに眺めた。
すると何やらスタリ・モストの上で一人の男が皆に語りかけているのが分かった。
とりあえず危険は無いらしい。
少し安心したことで近づいてみることにした。
「さぁ、さぁ、幾らでもいい。俺の勇姿を皆で応援してくれ!」
そんなセリフが聞こえてくる。
勇姿? どういうことだろう。
気になってしばらく眺めていると、何やらこの男はこれからスタリ・モストから下に流れる川に向かって飛び込むらしい。
それに対してチップをくれということのようだ。
「なんであいつが川に飛び込むのに金やらにゃならんの?」
不思議がるメテムに、僕も同意するしかなかった。
「まあさ、一種の余興なんじゃない?」
「余興……ねえ。こんなもんが余興になるのかね」
苦笑しながら眺めていると、男は僕たちの方にも近づいてきて声をかけてきた。
「そこの新婚さん、俺の飛び込みっぷりを見てみたいだろ? 街に代々伝わるこの儀式、どうだい?」
そう言いながら差し出す帽子の中には、何枚かの紙幣と僅かなコインが入れられていた。
何人かの奇特な人間もいるにはいるということか。
僕がお金をいれるのを躊躇していると、隣に立っていた白人の老婆がコインをいれたようだ。
「お、ありがとな、ばあちゃん。あんた良いことあるよ。あんたの為に飛ぶからな。しっかり見ててくれ」
そう破顔の笑みを浮かべる男。
それを見てみると、不思議に僕も少しならチップを上げてもいいような気になってくる。
勿論自分自身のためというのはあるだろうが、街の伝統芸を継承し、こうやって披露しているのだ。
それに街の復興の為にお金を落とすのも悪いことではないだろう。
メテムに顔を向けると、「好きにしたら?」というような表情を見せた。
「お兄さん」
僕は男に近づいて、紙幣を何枚か見せた。
するとまたしても大きな笑顔を見せて帽子を差し出してくる。
その中に紙幣を入れ、こちらも笑みを返す。
「あんちゃん、これからの人生、幸せなことがあるぜ。嫁さんにも坊主が授かるかもしれねえ。楽しく生きな」
楽しく生きな、か。
男が僕に言うのも変な感じがするが、まあその幸せを祈り合う心が無いと、戦地から立ち上がるのは難しいのかもしれない。
僕がそれからじっくりと見てると、男はもう誰もくれないと判断したのか、ダイビングスーツを着始めた。
そして準備が終わると橋の縁に立ち、もう一度最後に皆に帽子を向け、それから一気に川に向かって飛び込んだ。
静かに音を立てる事なく、直線に進み、男の体が川に入る。
それからすぐに川から再び男が顔を出した。
僕は思わず手を叩きそうになった。
が、辺りの雰囲気は何故か一向に盛り上がる様子を見せない。
囃し立てるものもいなければ、口笛を鳴らす人もいなかった。
僕も出していた手を思わず引っ込めた。
それから男は川岸からこちらへ顔を向けた。
が、興奮が無い状況を感じ取ったのか、ゆっくりとどこかへ去っていった。
スタリ・モストでも男の相棒が帽子を回収し、そしてまた大通りへと姿を消えていった。
「何というか国民性を見たね」
僕は隣にいたメテムに伝えた。
「そうだねえ。もっと拍手喝采盛り上がると思ったんだけど」
「うんうん、ここがさ、違うもっとノリの良い国だと大騒ぎになるんだけどね。そんな気持ちにすらなれないのかな」
「まあ単に面白くなかったって事もあるけどな」
「まあねえ。でも伝統行事、見れて良かったといえば良かったね」
「思い出にはなるね」
「うんうん」
「よし、ユウキ、余興もみたし、飯でも食べよう」
「そうだね、お腹空いたよ」
「この地の名物は何かな?」
「うーん、そもそもレストランすらあるのかな。ちょっと聞いてみるよ」
そう言うと僕は大通りに面したお土産屋の前に立つ店主に話しかけた。
「すいませーん、お腹が空いてるんですが、ここらへんにレストランってあります? 何かこの地方の伝統料理でもあれば食べたいと思ってるんですけど」
「レストランなら、橋を渡った反対側にあるな。でも伝統料理なんてものはこの街にはないよ」
「そうなんですか?」
「ああ、誰もがそんなの意識したことはない。あ、でもあれがあるか」
「あれ?」
「そう、スタリ・モストの下を流れるネレトヴァ川の魚を焼いたやつ」
「焼き魚?」
「そうそう、それぐらいかなあ」
「……あ、ありがとうございます」
それだけ聞くと僕たちは店主にお礼を言ってその場を離れた。
「ユウキ」
「なになに?」
「焼き魚ってなんだよ焼き魚って」
「しょうがないでしょ」
「お前ねえ、焼き魚なんて今日日川さえあればどこでも食べれるっつーの」
「もー、だって名物料理無いっていうんだもん」
「やれやれ……」
教えてもらったレストランへと向かう。
もしかしたらめちゃ雰囲気の良いレストランでメテムの機嫌が直るかと期待したが、そのレストランは看板すらなく、注意していなければ民家として過ぎ去っていくような趣だった。
中に入っても変わらず、幾つか机と椅子が並べられているだけだった。
ウェイター(と言うかおそらくコックも兼ねている)に話しかけ、念のためオススメを聞いたが、やはりそんなものは無いとのことだった。
その為焼き魚のことを切り出すと、まあメニューの中では一番のオススメではある、らしかった。
念のためメテムにも確認をしたが、もうあまり期待をしていないようで、僕は焼き魚のセットを二人分頼んだ。
注文を終えると、二人共特に会話をすること無く料理を待った。
何となくだが、周りの景色的にワイワイと騒ぐ風にはならないのだ。
程なくしてウェイターが料理を持ってきた。
白い皿に盛られたそれは、魚が二匹分並んでいて、付け合せにはポテトやキノコ等が並んでいた。
「まあ普通の焼き魚だね」
僕は極力暗い雰囲気を出さないようにしてメテムに言った。
するとメテムは言葉を返すまでもなく、机の上に置いてあった塩コショウを少し焼き魚へふりかけ、そのまま口に運んだ。
「どう?」
少し顔色を伺いながら僕はメテムに聞いた。
「ん、お前はこれを見てその質問をするか? 何の変哲も無い焼き魚に決まってるだろ」
「まあ、我慢してよ」
「別にいいさ。そもそももう期待してなかったから」
そう言いながら焼き魚をバリバリと食べる。
おそらく骨があると思うのだが、あんなに勢い良く食べて大丈夫なんだろうか。
不思議に思いながらも僕も焼き魚を口に運んだ。
口に素朴な魚の味が広がる。
メテムの言うとおり何も変わらない焼き魚だ。
「単なる焼き魚が名物、か。まあでもそれでも普通に食べれるだけ幸せってことかな」
僕はそんな事を思いながら、遠い空を眺めた……。




