ドゥブロヴニク
「浪漫があるよね、浪漫が」
そう言うと僕はメテムの可愛らしい頬をつまんだ。
「何が?」
僕の手を鬱陶しそうにときながらメテムが答える。
「いやさ、アドリア海」
「アドリア海?」
不思議そうにメテムが聞き返す。
「これから行く場所の海の名前が、さ」
「それのどこが浪漫なの?」
「アドリア海の男たちってのは勇敢なんだよ」
「へー」
「有名な豚もいるし」
「豚?」
「うん、飛べる豚」
「ふーん……」
そう言うとメテムはあまり興味無さそうに飛行機の窓に顔をつけた。
僕たちはスロヴェニアを離れて、陸路でクロアチアの首都ザグレブへと向かった。
それから行き先を考え、プリトヴィツェ湖群国立公園へいくかどうするか悩んだが、結局はかの有名なドゥブロヴニクに行くことにした。
すぐに飛行機のチケットを手配すると、幸運なことに次の飛行機はすぐ来るらしく、慌てて飛行機に乗り込んだ。
ガタンゴトンと随分な揺れを感じるフライトだったが、一時間弱でドゥブロヴニクの空港へと着いた。
それから今度はシャトルバスへと乗り換え、また数十分かけて街へ向かった。
途中メテムの肩越しに外の景色を見ると、少しずつ風景が変わってきたのが分かる。
空港のあるエリアは田舎のような雰囲気だったが、海沿いを進むと、ところどころに街が見えてきたのだ。
さらに先へ行くと、ようやく写真で見かける風景が出てきた。
あそこがお目当てのドゥブロヴニクだろう。
「メテム、ほら、あそこ!」
そう言うと僕は街を指差した。
「ん、あれが目的地?」
「そう、ドゥブロヴニク!」
メテムはあまりピンとこないようだが、僕は目的地に近づいてきたので少しずつ興奮していた。
シャトルバスが到着すると、目の前にはドゥブロヴニクを囲む城壁がそびえ立っていた。
「うわー、なんだか雰囲気があるねえ」
中世の雰囲気を感じ取りながら僕たちは足早に中へ入った。
ドゥブロヴニク旧市街は、ヨーロッパの所謂古き良き街並みだった。
城壁内は狭く、おそらく端から直線上で進むと5分もかからない程のようだ。
その分コンパクトに小奇麗にまとめられた印象がある。
すぐに見て回りたい衝動を抑えて僕たちは当面の拠点へと向かった。
今回泊まるのはホテルではなくアパートメントだ。
出来るならホテルのほうが安心するのだが、生憎旧市街にホテルはなく、離れた場所に幾つかあるだけのようだ。
可能な限り旧市街にいたかったのでアパートメントにしたのだが、着いてみるとなかなか当たりのようだ。
部屋は一部屋に台所という間取りだったが、結構広く、清潔な風呂やトイレは勿論、ネット回線も完備だった。
荷物を置いて少しだけ休むと、僕たちはすぐに外へ出た。
最初に向かったのは旧市街を取り囲む城壁。
ここを登ってグルっと回ることにしたのだ。
幾つかあるらしい登り口の一つへ向かう。
すると警備員が立っており、何やら入るには一人辺り二千円程かかるとのことだった。
流石に東欧きっての観光地。
ココらへんはしっかりしている。
悩んでもしょうがないので二人分払い僕たちは登ることにした。
階段を上がり、城壁に出る。
するとそこには見事なアドリア海が広がっていた。
「うわー、見事な海だねえ」
思わず僕は声を上げた。
そして隣に立っているメテムに目を向ける。
メテムは腰につけたマスクを抑えながら海を眺めていた。
「ね、結構素敵でしょ」
「うん、まあ悪くないね」
海を眺めていながら、後ろを振り返る。
するとこちらも見事な景観だった。
太陽に照らされた街、その赤茶色の屋根と白い壁が見事なコントラストを作る。
僕は写真を何枚か撮ったが、すぐに止めた。
目の前の景色は、とても写真では収まりきれないと気づいたからだ。
しばらく僕たちはそこに立ち止まった。
たっぷりと眺めた後、僕たちは城壁を歩き始めた。
「お、ユウキ、隣見てみろよ」
城壁にもたれかかっているとメテムがそういった。
促されるまま隣を見ると、すぐ目の前にカモメがいた。
本当に手を伸ばせば頭に触れる距離だ。よほど慣れているのだろう。
「どうしたの、メテム。食べるの?」
「んなわけねーだろ」
そう言いながら僕たちは笑いながら歩いた。
しばらく城壁を進むと、角にちょっとした休憩スペースが出来ているのが見えた。
近づいてみると、何やら飲み物まで手に入るみたいだ。
「お兄さん、オレンジジュース飲まない?」
中から可愛い女の子の店員が現れ、僕らにそう話しかけた。
「メテム、どうする?」
「ん、ちょっと喉が乾いた。二人で一杯飲もう」
「そうだね、じゃ、一つもらえる?」
そう告げると、お姉さんは嬉しそうにその場でオレンジを機械で絞り始めた。
そしてジュースが出来ると笑顔でこちらに差し出した。
「はい、オレンジジュース。十ユーロでいいわ」
そう言うと先程の笑顔を一切崩すことなく僕達からお金を受け取った。
「……おい、ユウキ」
オレンジジュースを手に、少し離れた位置に腰掛けるとメテムがすぐに声を上げた。
「うん、分かってる……」
「凄いな、あの女の子。一切悪びれること無く、至極当然のように十ユーロって言ってたぞ」
「そうだね。というか本当に物価のインフレがやばいなあ」
「これが十ユーロか……」
僕たちは丁寧に味わうようにしてオレンジジュースを飲んだのだった(味は何ら変わり映えするものではなかった)。
それからもしばらく城壁を回る。
当然のようだが位置を変えれば、また景色も変わってくる。
ただ歩く、それだけなのに本当に楽しい。
海を眺めながら全身で潮風を感じ、旧市街を眺めながらどこかノスタルジーな感覚を味わった。
「ユウキ、あそこに面白いものがあるぞ」
メテムが城壁から身を乗り出しながら言った。
「何があるの? というかそんな体を出すと危ないよ」
僕はメテムの後ろから腰を掴み、抱きかかえながら外を眺めた。
すると、城壁の外側、海に面して小さな崖があるのが分かる。
そしてそこにはパラソルが並び、人々が優雅にコーヒーを飲んでいた。
「お、いいとこ発見したね」
僕は思わずメテムを褒める。
「そうだろう、そうだろう」
得意げにメテムが答える。
「んじゃさ、街をたっぷり歩いた後に行こうよ」
「いいね。でもあれだな」
「ん?」
「コーヒー一杯二十ユーロとか言われても私は知らないからな」
「あはは、ありそうで怖い」
僕はひきつりながら答えた。
城壁を一周すると、僕たちは下に降りて今度は城壁の外へと向かった。
「ユウキ、中見るんじゃないの?」
不思議そうに聞くメテムに、僕は待ってましたと言わんばかりに答える。
「ふふふ、メテム、今度はアレに乗るんだよ」
「あれって、どれよ」
答える代わりに裏山へと登る道を指す。
「じゃーん、ケーブルカー!」
そう、ドゥブロヴニクが一望出来る山へはケーブルカーがあるようなのだ。
「お、あれはいいね、面白そうだ」
二人共楽しみにしながら乗り場へと向かった。
「メテム、メテム!」
ケーブルカーから降りると、メテムの手を引っ張りながら僕は少し下へ降りた。
「分かった、分かった。分かったから興奮するなって」
「見て見て、ここ凄く有名な風景なんだよ」
「んなこと言われても私は知らないからなあ」
「んもー!」
「でも確かに景色がいいな。旧市街が一望できる」
「でしょでしょ」
そう言いながら僕たちは腰を下ろした。
目の前にはメディアでよく見る構図のドゥブロヴニクが広がる。
「うはー、本当にポストカードみたいな景色。来たかったんだよ、ここ」
興奮しっぱなしで僕は一人で喋った。
「ふーん」
隣ではメテムがやや落ち着きながら眺めていた。
「ふふふ、そして、メテム、なんとここに袋がありまして……」
そう言うと僕は用意していた袋をガサガサと漁る。
不思議そうに見つめるメテム。
「この袋の中には、なんと! 丸型サングラスと付け髭が!」
「なんでやねーん!」
大仰なメテムの突っ込みを無視して続ける。
「そしてこれをメテムにつけまして、と」
「うわっばか、やめろ」
「はいメテム、後ろを向いてー」
「ん?」
「記念に一枚、と」
パシャリ。
「おい、ユウキ、あそこにヤギがいるぞ」
マッタリしているとメテムが少し下の方を見ていった。
思わず目を向けるとたしかにヤギの群れがいる。
「なんでこんな所にいるんだろうね」
「さあねえ。まあ呼んでみるか」
そう言うとメテムは口に指をハメ、ピューッと小気味よい音を立てた。
するとそれに気がついたのかヤギがこちらに顔を向ける。
それからメテムが続けて指笛を鳴らすと何匹かのヤギが寄ってきた。
手元までヤギを引き寄せると、メテムがヤギの耳元で何やら囁く。
すると、ヤギがメテムの横で体を横たえた。
「え? メテム、もしや話せるの?」
不思議になり思わず問いかける。
「ん? そういうわけじゃないけど、扱い慣れてるからな」
そう言うとヤギをなでながら、フカフカのお腹に頭を持たれかけた。
「いいなあ、いいなあ」
メテムが羨ましくなり僕も近くのヤギに手招きをした。
が、何度呼んでも、口笛を鳴らしても一向に近づく気配がない。
むしろメテムの体に甘えるようにくっついていた。
「ユウキ、お前には無理だよ」
メテムが声を上げる。
「うぅ、羨ましい。羨ましい……」
そう言うと、見かねたのかメテムが体を上げた。
「しょうがないなあ。ヤギ召喚してやるよ。それなら懐くからさ」
「そんなの出来るの?」
「うん。まあ出るか分からないけど」
「え? どゆこと?」
その問には答えず、メテムは魔法書を手にとってブツブツ呟いた。
「ヤギでろよ、ヤギ。サモンクリエイチャー!」
そう言うと目の前に何かが現れた。
ガラガラの皮、大きな口、そして平べったい体。
「こ、これは……ワニだー!」
「ぬー、流石に一発では出ないか」
「ちょっと、メテム、流石にこれは誰かに見られたらまずいんじゃ……」
慌てて辺りを警戒する。
「大丈夫大丈夫、すぐ消えるから」
「すぐ消えるって……、ちょっと、噛まないでよ! メテム、このワニ噛んでくるんだけど!」
「よし、次。ヤギでろよ、ヤギ。サモンクリエイチャー!」
次に現れたモノ。
大きい鼻に、白い肌。そしてこの匂い。
「ちょっとー、ブタじゃん! ヤギじゃなくてこれブタじゃん!」
「ちっ、また外れか。よし、次! ヤギでろよ、ヤギ。サモンクリエイチャー!」
大きながま口に、巨大な目。
「今度はカエル。しかもデカイ!」
「ジャイアントトードだな、それ。よし次、ワニでろよ、ワニ!」
「って、もう目的がワニになってるし! そしてやっぱりまたワニだああああ」
ワニ、ブタ、カエルに囲まれた僕の悲鳴が辺り一面に響くのだった……。
「さて、ユウキ。そろそろ日も落ちてきたし、さっきのカフェ行こう」
しばらくゆっくりしていると、メテムが呟いた。
そして、スッと立ち上がる。
確かに辺りを見回すと、夕焼けに染まりはじめていた。
「いいね、今なら落ち着けそうだ」
メテムの後を追うようにして立ち上がり、僕たちは旧市街へと戻った。
旧市街を歩く。
目的は城壁外にあるテラスだ。
が、どこにあるのか、そしてどの道を進めばいいのか、何一つとして分からない。
しかし、知らない街、しかもこんなキレイな街を歩くのは大歓迎だ。
右へ進んだり左へ進んだり、時には階段を登りながら歩く。
一つ一つ曲がる度に新しい発見がある。
時折通り過ぎる旅行者も、同じ感覚を楽しんでいるようだった。
そして城壁を沿って進んでしばらくしたところで、一箇所城壁に扉がついているのを見つけた。
「ここかな?」
少し自信なくメテムに言う。
というのもこの扉、とても古めかしく、それでいて看板も何一つ無い。
本当に開くのかどうかすら怪しいところだ。
「開けてみたら?」
そう言われて仕方なくノブに手をかけた。
カチャリ。
軽い音がしたと思ったら、予想に反して簡単に開いた。
そして中を覗いてみると……そこにはアドリア海にそびえ立つ見事なテラスカフェがあった。
「うはー、こりゃ見事だ」
後ろからメテムの声が聞こえる。
僕はといえばあまりに見事なので、しばし立ちすくしていた。
するとメテムが後ろからするりと抜けていき、手身近な席に腰を落とした。
「ユウキ、こっちこっち」
手招きに誘われて僕も隣に座る。
するとどこかからかすぐにウェイターが訪れてきた。
手早くスパークリングウォーターを二人分頼む。
「何というか優雅なもんだねえ」
メテムの伸びやかな声が聞こえる。
「メテムのいた世界にもこういうところはあったの?」
「ん? まあ似たようなのはあるよ。でもそれはそれとして、こういう所で休むのはいつも楽しいね」
「そうだね。どう? メテム」
「ん?」
「気に入った? ドゥブロヴニク」
「そうね、まあ今までのところは良い、って感じかな」
「それは嬉しいね」
「まあ、後は今後次第。どうよ、そこら辺期待できるの?」
「それはもうね」
僕は自信たっぷりに答える。
「ほうほう?」
「こじんまりとしてるけれど、ドゥブロヴニクは港町だからね。魚介が美味しいよ。シーフードリゾットにイカスミリゾット、それにオクトパスサラダなんてのもあるかな」
「いいじゃんいいじゃん。それはかなり響きがいいねえ」
「そうだね、ちょうどお腹もすき始めたし、一休みしたら食べにいかない?」
「いいね、そう思ったとこ!」
そういうと自分の声に釣られるようにしてメテムが手を空に上げた。
シーフードリゾットにイカスミリゾット、考えるだけでヨダレが出そうだ。
グルメがメインのこの旅。
これは間違いなくハイライトの一つになるぞ。
そう思うと、僕は自然に笑みが溢れた。
ドゥブロヴニクの楽しみはまだまだ続く。




