9・敵陣へ
アーケードにたどり着く前からサトルは嫌な予感がしていた。
普段であるならば、アーケード内部へは普通に誰でも出入りできるはずなのに、なぜか入り口の周辺で人がたまり先に進めなくなっていた。
しかもその人垣の向こうからは、聞き覚えのあるモーモーと激しく鳴く声や、子供の悲鳴のようなギャーギャーという声が聞こえてきている。
人垣からも怯えたようなどよめきが上がり、もう何が起こっているのか見なくても想像がつく状態だった。
サトルはニゲラとルーとマレインに待っていいるように言い、一人で人垣に割り入ろうとしたが、三人は「だからそれが駄目なんです」とサトルを引き留めた。
「ならどうする? あの中に入っていかなくちゃ、何が起こっているか分からないだろ」
サトルがそう三人に抗議をしていると、人垣からはじき出されるように、ヒースが飛び出してきた。どうやら騒ぎの中心近くにいたらしいが、サトルたちの声を聞き出てきたらしい。
「ヒース!」
アーケードに聞き込みに来て、この現場に居合わせたのだろう。サトルの姿を見付けるや、ヒースは慌てたように駆け寄りその手を掴んだ。
「サトル大変! モーさんたちが変な小さいモンスターと戦ってる! 頭にとんがりが二つくっついてるやつで、モーさんはそのモンスターから人間を守ってるよ!」
早くモーさんを助けてやってとサトルの手を引くヒース。
「それ黒妖精だ!」
ヒースの説明に、それこそが倒すべき相手だとサトルは答える。しかしヒースは黒妖精の大型固体を見ていたので、まるで見た目の違うそれを黒妖精だと思っていなかったらしい。
「あれが?」
「集合すると大きな固体になるんだよ。モーさんが襲われてるのが見えるってことは、モーさんに接触してるんだな?」
妖精たちが通常光の粒のようにしか見えず、モーさんに接触している間だけはサトルが見え人形かぬいぐるみの様な姿に見えるというのは、すでにヒースたちも知っていた。
ヒースはそれならとサトルの言葉に納得し答える。
「群がられてる」
群がられている、そう聞いてサトルが思い出したのは、モーさんとの初邂逅。
益々嫌な予感がしつつ、サトルはヒースに引かれながら人垣の奥へと進んだ。ニゲラたちももちろんついてくる。
人垣の奥はぽっかり開けたようになっており、ヒースの言う通りその中心辺りでモーさんが黒っぽい小さな妖精たちに群がられていた。
サイズは大型犬ほどのモーさんが、後ろ脚を蹴り上げるような、激しい動きで跳ねまわると、その見に集っていた黒い妖精たちがギャーギャーと鳴いて振り落とされると、モーさんは時に地面を転がり、時に足を激しく踏み鳴らし、黒妖精たちを潰していく。そのたびにモーさんの足下で火花が散るが、モーさんの身体に群がる黒妖精の数は簡単には減ってくれないようだ。
「あれか……」
「父さん凄く嫌そうな顔してます」
苦虫を噛み潰したかのようなサトルの表情をニゲラが指摘すると、マレインもサトルと同じように苦々しい顔で仕方ないさと肩を竦める。
何せモーさんは蟻に集られた砂糖の塊のような状況だ。
「いやあ、あれは精神的にダメージがある……それにあんなに暴れて、近付くのも難しいだろう」
簡単に手出しはできないねと言うマレインに対して、サトルは問題無いとモーさんへ向けて駆け出した。
「いや大丈夫だ、すぐに助けて」
助けてやる、そうサトルが皆まで言う前に、サトルのジャケットの内側から、クリスちゃんが飛び出した。
「クリスちゃん!」
驚き叫ぶサトルの眼前で、クリスちゃんの身体は強い緑の光を放った。
その光は一瞬でモーさんの全身に纏わりついた黒妖精たちを吹き払う。黒妖精たちは強風にあおられたように、ギャーギャーと鳴きながらバラバラと散っていった。
黒妖精から解放されたモーさんは、苦し気に膝を折る。
サトルはモーさんの横に屈みこみ、左手でモーさんの背を撫でた。サトルの左手の甲が僅かに発光し、サトルの身体か少しだけ力が抜ける。
「一瞬でしたね」
「今のは……一体?」
「父さん! 無茶はしないでって」
ルー、マレイン、ニゲラが口々に言いながら人垣を抜けサトルに近付いていく中、一人ヒースだけが、その場に立ったまま叫んだ。
「サトルまた来た! あの黒い靄みたいなのがモーさんに触れると急に変なモンスターになるんだ」
吹き飛ばされ、アーケードの天井に張り付いていた黒妖精たちが、一斉にサトルたちに向かってなだれ込んできていた。
小さな黒妖精にニゲラが激しく拳を振るった。
でたらめな腕の振りでもそこは竜。その衝撃に今度こそ黒妖精たちは無数の火花となってはじけ飛んだ。
「倒せました!」
小さな黒妖精の火花では火傷も負わないらしいニゲラが、けろりとした顔で報告する。
「凄いな……ニゲラ、よくやった」
サトルに褒められ、ニゲラは上機嫌に胸を張る。
自分ならばサトルに苦労させずに黒妖精を倒すことができると気が付いたようで、饒舌に簡単だったと語るニゲラ。
「今ので分かりました、小さい黒妖精はそんなに強くはないです。だから僕が警戒するべきは、黒妖精が自爆覚悟で来たときくらいですね。だったら集合しちゃう前に倒しちゃいましょう、黒妖精」
ニゲラは早く黒妖精を倒すために探そうと提案するが、それよりサトルは黒妖精に襲われたモーさんの方が心配だと返す。
「ああ、けど……黒妖精より先に他のモーさんを探そう」
三匹いたはずの内の一匹しかここにはいない。他の二匹も黒妖精に襲われている可能性があった。
サトルの言葉にルーもそうした方がいいだろうと頷く。
「モーさんたちは集合すると力も強くなりますしね……黒妖精もそうなのだとしたら、モーさんたちを助けるためにも、早く探しましょう」
黒妖精を探すよりも、モーさんを探す方が先決と、サトルたちは今だざわつく人垣を抜けようと、アーケードの奥へ行く道へと向かった。
そんなサトルたちの背に駆けられる聞き覚えの無い声があった。
「おい、あんた! そこの白い頭のヒュムス!」
声に振り返ってみれば、ぼさぼさの灰色の毛並みのシャムジャの若い男と、並んでワームウッドがサトルたちの元に駆け寄ってくるところだった。
「あんた、誰だ?」
突然呼び止められたことに警戒をし、サトルは男に問う。
男は自分が誰かはどうでもいいと、サトルの質問にろくに答えないまま、自分の言いたい事だけを言う。
「俺の顔は知らないはずだ、それはいい。今白い牛を助けていたな? あの黒い靄の出所を俺たちは知っている。問答しているつもりはない。いいからこちらへ来い」
あまりにも横柄なその態度に、サトルは露骨に顔をしかめるが、その横でニヤニヤとワームウッドが笑って、信用してやれというのを聞いて、サトルはその理由に思い至る。
「信用してもいいんじゃない?」
「あー、そういう事か」
「どういうことですか?」
サトルが何に納得しているのかわからないとニゲラが首をかしげる。
サトルは男について歩きだしながらそれに答える。
「俺が顔を知らない相手で、俺のことを知っているってことなら、以前世話になった顔役の所の人間だろ。まだあの一回しかこのアーケードに来たことは無いし。監視されてるなとは思ってたが、思ったより若かったな」
「バレていたのか」
男はぎょっとしたように振り返る。
それを見てワームウッドはけらけらと声に出し笑った。
「バレバレだったんじゃない? 言ったでしょ、サトルは気の抜けた顔をしてるけど、疲れてる時以外気を抜かないって。意外と寝首も掻きにくいみたい」
ワームウッドの言葉は若干不穏だが、サトルは聞かないふりをする。
「疲れさせればいいのか」
男がワームウッドに、分かったと頷く。
「師匠たちはサトルを油断させて何がしたいの?」
「んー、まあ色々かな」
男とワームウッドの会話に混じってヒースも気軽に口を挟むところから、多分顔見知りなのだろうと分かった。
ルーやマレインもこの男については何も言わない辺り、知っている相手なのかもしれない。
「それで、黒妖精はどこにいるのか、話してはくれないのかい?」
ワームウッドに任せていると話が進まないと思ったのか、マレインが口を挟んで場所を問う。
「裏手、黒椿と潮の花の向こう」
マレインの問いに男は短く答える。その言葉は隠語なのか、それとも自動翻訳のミスなのか、サトルには全く意味が分からなかったが、聞いたとたんマレインが酷く顔をしかめたので、あまり良い場所ではないのだろう。
「何があるっていうんだ?」
問うサトルに、今度はワームウッドが答える。
「墓地さ」
「それはまたおあつらえ向きだ」
人を死に至らしめる黒妖精の住処としては、なかなかに向いている場所だなとサトルは苦笑する。
大昔から墓は病の蔓延する場所だった。特にサトルの住んでいた日本の様な適度に高温多湿の場所では、ただそこに腐敗した肉があるだけで、万病を呼び込む可能性があった。
だからこそ日本は遺体を燃やし、ツボに入れ、土の下に閉じ込め、葬儀の際には清い水や塩で身を清めた。
黒妖精は実際のところ何匹いるのかもわからない。どれほどの数がどのようにこの町に潜伏しているのかも不明だ。しかし、サトルのような特殊な人間でなくても近くできるだけの数がいる場所となれば、それは相当な数がいると考えていいだろう。
「支度をする時間は?」
これから戦わねばならないのならと、サトルが男に問う。
「無い、急いでくれ、白い牛たちがそこでも襲われている」
どうやらモーさんもそこにいるらしい。たちというのだから先行させた残り二匹だろう。
準備を整える時間も無いのなら仕方がないなとサトルは腹をくくる。
しかし墓地にたどり着く前に、サトルにはやっておきたいことがあった。
「分かった……ただ、これだけはさせてほしい」
そう言ってサトルは黒い鱗を懐から取り出した。