8・熟考一考苦慮深慮
サトルはその光には既視感があった。
「あー、ウランガラス」
サトルが思わず呟くと、ルーが不思議そうに問う、
「何ですそれ?」
「いや、うん、こっちの国にある光るガラス……じゃなくて、この光の色は、アニスが使う治癒の魔法の色と同じだ」
ウランガラスの説明をしても、きっとルーには理解できないだろうと思い、サトルはまた別の物を例えに出した。
すると目の前の緑に光る妖精は、答えるように嬉し気な声で、チリリンと鳴いた。
「治癒、得意なのかな?」
妖精に向かってサトルが問えば、妖精はまたチリリンと返す。
「……名前、付けてもいいかな?」
チリリン。
「なら……ガラス、グラス……クリスちゃんでどうだろう?」
チリリン。
どうやらサトルの付けた名前は気に入ってくれたらしい。
クリスちゃんはサトルの左手に飛んでいくと、他の妖精たちと同じように、勇者の印らしい九曜紋に嬉しそうにすり寄った。
サトルの手にすり寄る妖精を覗き込もうと、ルーはやや前かがみになるが、やはり背が痛むのか、息を詰まらせる。
「っ……私たちの目にはホタルの光の様に見えるのですが、その珍しい色の子もダンジョンの妖精なんですか?」
ルーの辛そうな様子に、サトルはたった今命名したばかりのクリスちゃんに頼む。
「ああ、らしい……そうだ、ルーの背中を治療してくれるかな?」
もちろん構わないと、クリスちゃんはルーの肩へと飛んでいく。すると、クリスちゃんが発していた緑の光が、ルーの身体にまとわりつくように広がった。
「あ! 凄いですよサトルさん、一瞬で痛みが消えました」
嬉しそうに声を上げるルー。しかしサトルは、わずかに眉をしかめ返した。
「こっちは一瞬で何か力が抜けました……どうやら人を治癒するときに、俺の力を使うのは変わらないのか。でも治療する速度が段違いだ」
ルーの怪我の度合いがどれほどだったのかはわからない。力が抜けるとサトルは言ったが、普段の妖精たちに魔力や体力を消費される時ほど持っていかれる、とは感じなかった。
これがクリスちゃん特有の事なのか、それとも違いは治療の速度だけなのか、はっきりとはしない。
サトルのジャケットの内側で、お株を奪われたと感じているのか、キンちゃんは不満そうにフォンフォンと鳴いている。
ルーはすっかり傷が癒え、問題はなさそうだったので、サトルは立ち上がりルーの傍を離れた。
「ニゲラの方も治療してくれるか?」
とにかくクリスチャンの能力を見極めるため、そして黒妖精を倒したことで負傷しただろうニゲラを助けるため、サトルはクリスちゃんを連れて、ニゲラの傍へと駆け寄った。
「ニゲラ、遅くなって済まない。痛むよな、すぐに治してもらうから」
サトルは地面に膝を突き、マレインにもたれかかって座り込むニゲラの腕を取る。
持ち上げたニゲラの手は、人の皮膚がやけどをした時と同じように焼けただれていた。
一瞬とはいえ金属を劣化させるほどの高温にさらされてこの程度で済んでいるのは、ニゲラが竜だからだろう。
「お願いしますー、すごく痛くて辛いです」
情けない声でニゲラは泣いているが、ただ痛いで済ませていい問題なのだろうかと、サトルは苦く顔をしかめた。
先ほどかニゲラは指先どころか肘や肩すら動かしていない。痛いだけでなく、もしかしたら筋肉や骨にもダメージがある、手の機能が失われるほどの火傷なのではないだろうか。
サトルはニゲラの皮膚を失った手の甲に触れてみるが、ニゲラは特にその触れられた場所を痛がる様子はなかった。
「クリスちゃん、頼む」
クリスちゃんはリリンと答えて、ニゲラの胸にすり寄る。すぐに緑色の光がニゲラを取り巻き、赤くただれ肉が見えていた腕が、まるで嘘であったかのようにつるりとした肌に戻った。
「あ、痛くないです! 凄いです新しい母さん!」
痛みが無くなったからだろう、ニゲラは腕を振り上げて嬉しそうに笑う。
「すごいな、どう見ても重度の火傷だったのに、一瞬だ」
マレインは瞬時にニゲラの傷が治る様を目にし、信じられないと首を振る。
「以前サトルさんが腕を火傷された時よりも、ずっと治りが早いですね」
いつの間にかルーもニゲラの傍に来ていたようで、サトルの後ろからニゲラの治療の様子を覗き込み、驚きに声を上げる。
確かにサトルは以前ギンちゃんの出す酸性の液体で皮膚が溶ける化学火傷を負ったことがあった。その時サトルの手は皮膚や肉の表面付近はダメージを受けていたが、指の先まで痛みはしっかりと感じていた。しかし今回のニゲラは、明らかにサトルが傷口を触っても、そこが痛いとは言わなかった。
火傷は重度になるほど表面の神経は焼け、痛覚が機能しないという。ならばニゲラの火傷は声すら上げられず痛みに蹲ったサトルの時の比ではなかったのだろう。
「傷の程度が酷い割に……それほど疲れる感覚も無い。少し魔力を消費したくらいか……上位互換、で済ますにはとんでも無く高性能な治癒の力か」
サトルの独り言を、クリスちゃんは自分への褒め言葉と受け取ったのか、上機嫌にリリンチリリンと鳴いた。
それに共鳴するように、キンちゃんやニコちゃんたちも、フォンフォンと騒がしく鳴いた。
「サトルさん? どうされたんですか?」
考え込むようなサトルの様子に気が付き、何かあったのかと、ルーは心配そうにサトルの顔を覗き込んだ。
いつまでもじっとしているわけにはいかないからと、サトルたちはアーケードに向かい歩いた。
走らない理由は、サトルが三人に聞かせたい話があった事と、出来る限り急ぎつつも体力を温存したかったから。
想像できなくはないが、何故黒い竜の鱗にクリスちゃんが閉じ込められていたのかはわからない。しかし、クリスちゃんの助力があれば、もしかしたら黒妖精をもっとスムーズに倒すことができるかもしれない。
ダンジョンの悪素の一端があの黒妖精だとするならば、ダンジョンの悪素を取り除くことも可能なアニスの治癒の魔法と同じを性質かも知れないクリスちゃんは、黒妖精にとって切り札になり得るかもしれない。
かもしれないばかりだったが、試してみる価値はありそうだと、サトルは自分が見ている光景を三人に話した。
二人はしばらくサトルの話を神妙に聞いていたが、渋い顔で不確かなことに頼るべきでは無いと返した。
「僕たちにはそれが見えない、だからはっきり賛同はできない。だが、はっきり否定するのはそれが理由ではないよ」
「サトルさん、ここで私たちが賛同したら、喜々として無茶をしますよね? 高性能の治癒の能力があるなら、手の一本や二本無くしても何とかなるかも、みたいな勢いで」
マレインは実にいい笑顔で、ルーは酷く渋い顔で、絶対にクリスチャン頼りの無茶をするに決まっていると、サトルの行動を断言する。
二人よりはサトルの無茶に付き合うニゲラですら、激しく首を上下に振って同意する。
まさかここまで強く反対されるとは思ってなかったなと、サトルは困ったように後ろ頭を掻いた。
「手足くらいだったら、千切れてもってのはうちの社長だよ。俺はせいぜい腹に穴が開くくらいまでしか許容は」
だからまだ自分の方が真面なはず、という、まったくもって真面じゃないことを言い出したサトルに、ルーは瞳孔を開き毛を逆立て叱りつけた。
「それがおかしいんですって! 普通の人はそもそも怪我の一つも嫌がります!」
ニゲラもまた目の色怒りと興奮で金色に染めながら、サトルの考えは一般的では無いと言い切る。
「父さんも社長さん変ですよ! 本当に父さん何の仕事してたんですか? あり得ないですからね、絶対に!」
この世界の常識を知ってるルーにも、サトルの元居た世界の常識を知っているニゲラにも否定され、サトルは悄然と肩を落とした。
「仕方ないだろ、俺は弱いんだから、誰かを守るためには無茶が必要なんだよ」
サトルはそう言いかえしたかったが、それを言ってしまったらきっと火に油を注ぐことになりかねないだろう。
サトルとてべつに無茶をすることが常識的な行為だとは思っていない。しかし、身の安全を蔑ろにし、無茶をしないとサトルには何かを成す力が無いのだと、そう思っていた。
「無茶をしたいときは、一回深呼吸して、三秒くらい考え直す時間を取ってみてはどうかな? 少なくとも、その三秒があれば、僕らも手助けする時間があるかもしれないからね」
項垂れるサトルの肩を叩き、マレインが慰める。
元々飲食において趣味の合う相手ではあったが、わざわざ慰めや擁護をしてくれる相手だとは思っていなかったので、サトルは不気味そうに目をすがめる。
「最近マレインが妙に優しい気がして不気味なんだが?」
マレインは苦笑でそれを受け止め、もちろんただで慰めてるわけでは無いと返す。
「君僕の事なんだと思ってたんだ。言っておくが打算があってのことだよ。君が名実ともに勇者として認められるようになれば、それに協力した人間の名声も上がる。僕らには今その名声が必要かもしれないんでね」
笑顔で近付いてくる人間には、良くも悪くも思惑がある。ここ最近ずっと思い出す旅の心得で、サトルの持論だったが、その思惑をこうして開示されると、それに納得して受け入れるのも簡単だった。
「……あの二人の事か」
「そう。それと後は……可愛い親戚と妹のため、かな」
クレソンとバレリアンの名誉回復と、親戚アマンドへの貢献や故郷に残してきた妹に名が伝わるように、マレインはサトルを助けるという。
「ただの善意より、その方が安心して頼れるな。分かった、三秒、考えて動くことにしてみるよ」
だからサトルはマレインの提案を受け入れた。たとえその三秒の一考で何か変わることが無いとしても。