4・顧慮配慮思慮
まずサトルが始めたのは情報収集から。
病人と言えばということで、ジスタ教の治療院にこっそりと裏口から入り、アニスに話しを聞きに行く。
アニスは忙しくしているようだったが、基本的に昼食の時間などは休みを貰えるらしく、一人で使える控室を持っていた。それほどアニスは治療士として重要な扱いなのだろう。
手土産としてここ最近作った物でとりわけ評判が良かったクッキーを一通り持って行くと、ちょうど良かったと言って、アニスはデイルのハーブティーを淹れた。
クッキーとハーブティーで昼食の代わりとしながら、サトルは黒妖精について、ここ最近の出来事共にアニスに語って聞かせた。
アニスはいくつかの質問をしながらサトルの話を聞き終えると、大きくため息を吐いた。
「黒妖精ね……それがここ最近の面倒ごとの原因なわけね。分かったわ、どうしてあんなに治療がしにくかったのか」
どうやら黒妖精によってもたらされる病は、アニスの使う治癒の魔法では治療がしにくいらしい。
「ダンジョンの悪素の除去と似ているわ……けど、それよりもっと頑固な汚れみたいな感じよ……そうね、固まった油まみれの食べ残しと、長年の油が固まったフライパンみたいな感じかしら?」
よくわからない例えをされたが、確かに長年の油がこびりついたフライパンを洗うのは手間だなと、サトルは頷いておく。
アニスに黒妖精について話したのは、このジスタ教の治療院に町で襲われた被害者が運ばれたと聞いたからというのもあったのだが、どうやらアニスが治癒を終えていたらしい。
「今までに無い感じだったけど、サトルのおかげでちょっと慣れてたから上手くできたわよ」
そう揶揄するのは、サトルがたびたびダンジョンで倒れては運び込まれるからだろう。意地悪な事を言うなと眉をしかめるサトルに、アニスはくすくすと笑ってごめんなさいと謝った。
「けど、本当にサトルのおかげもあったのよ……最近貴方のダンジョンの悪素を取り除く治療をしたばっかりだったから、すぐにただの傷口の炎症とは違うな、って分かったの」
何事も経験ねと、アニスは一人で納得して頷く。
黒妖精の病がダンジョンの悪素に似ているというのは、サトルにとっても新しい情報だった。
サトルは何度かダンジョンの悪素を持つ蜂に刺されているが、その悪素はジスタ教会で治療してもらうしかない、と聞かされていた。しかし、黒妖精の病と似ているというのなら、妖精たちの力でも悪素は除去できるのではないだろうか。
サトルは自分が飲んでいたカップに目を落とす。このデイルや、デイルの希少な変種であるホリーデイルも、少なからずダンジョンの悪素の治療に使われる物だ。もしかしたらこちらも有効に使えるかもしれないとサトルは考える。
他にも話を聞けないかと、サトルはアニスに尋ねる。
「他にここには重症化してる人はいないのか?」
アニスは苦笑交じりで答える。
「ええ、お陰様で。咳などの症状が出ている人たちは、サトルの持ってきてくれた薬草と、あとはクッキーで全て解決してるわ」
自分の齧っていたクッキーをかざすように持ち上げ、アニスは感慨深そうに語る。
「あのクッキー本当に凄いのね……他の形であのにがーいニガヨモギを食べられるようにしようとしてみたのだけど、効果が残ってる状態で、あの苦さを克復することができなかったわ」
「何をしたんだよ?」
サトルはあのニガヨモギの味を思い出し眉間に深い皺を作る。
実のところアニスと同じく、サトルとタイムも、クッキー以外で何か使えないかとやってみたことがあったのだが、どうにも苦さ自体を消すことは難しく、辛うじてクッキーという形にすることで、バターや砂糖が苦さを隠す役割をしてくれているらしかった。
「潰したり絞ったりミルクに入れたりパンに練り込んだりね。ある程度甘くしなきゃダメだったわ。絞ったあとの搾りかすにはほとんど効果は無かったし、しぼり汁は苦過ぎてミルクと砂糖と併せても駄目だった。加熱は良いけど絞るのは駄目ね。お酒に漬けてみたんだけど、成分が染み出すまでは時間がかかるみたいで、今の所は実験中よ。試作段階ではかなり苦いけど、しぼり汁よりはましらしいわ……」
アニスの答えも、サトルたちの行きついたところと同じ物で、サトルははははと乾いた笑いで相槌を打つ。
しかもまだ実験は続けているというのだから、かなり意欲的だ。アニスの言い方では誰か別の人物がという事らしいが。
「誰がそんな実験してるんだ?」
「チェルノブイリっていう子なんだけど、たぶんサトルは知らないわ。でも面白い子よ。ニガヨモギの亜種の食用実験もだけど、他にもいろいろ、観察と実験が得意なの。今度治療の方の経過の観察報告を借りてくるわね」
経過の観察報告書はありがたいなと、サトルはアニスの言葉に甘えることにする。
「ああよろしく頼む。それで、早期対処で病気の方は完治できるんだよな」
「多分そうね」
手にしていたクッキーを齧り、アニスは少し考えて答える。
「手足の先に痒みや痛みとかを訴える人もいたけど、それもグレニドレで良くなったわ」
考えた割に帰ってきた答えはシンプルで、何がそう引っかかったのかとサトルはすこし首をかしげる。
アニスは少しばかり声を落として、気まずそうに続ける。
「けど、グレニドレが数が少なくなってきたのよ。また採取してくる事ってできそう? 黒妖精の方で忙しいかな?」
今日は情報収集という名目があったから、時間を貰いアニスに会いに来たが、この後サトルは先行して黒妖精を探しているオリーブやセイボリー達同様、町中に潜伏してるかもしれない黒妖精を探しに行く予定だった。
「そうだな、すぐには採ってこれないと思う」
「そっか、そうよね……しかも今手に入りにくいって聞くし……」
ここ最近の咳や肺炎の症状を伴う風邪の流行のせいで、グレニドレの今の市場価値は高騰しているらしい。
そんなグレニドレを用意してくれと頼むのは、ずうずうしすぎたかとアニスは肩を落とす。
しかし以前採取した物を寄付した時から考えると、ニガヨモギのクッキーなども使って対処しているのなら、それほどすぐになくなる量ではなかったはずだ。
「相当な患者数がいたってことだよな」
ジスタ教の治療院はあくまでも商売では無いという体だが、グレニドレはニガヨモギのクッキーでもすぐに回復の難しい患者か、金を多く寄進する人間に融通しているらしい。
ニガヨモギのクッキーでも回復の難しい患者が増えたか、金を多く寄進してでも病気を治したいと思う人間が増えたか、どちらにしろ数日前よりも確実に風邪の患者は増えたのではないだろうか。
「うん……ここ最近急に増えたわ。前は冒険者が主だったけど、最近は普通に町の人の間にも、咳が苦しくてって、訴えてくる人も出てきたの」
その普通の町人が主にグレニドレを欲しがるらしい。
冒険者が普通の町人に風邪をうつしたのか、それともダンジョンの異変がガランガルダンジョン下町に影響を及ぼしたのかわからないが、サトルが思っていたよりも黒妖精のもたらす病は流行しているようだった。
普通の町人は冒険者よりも体力の取る者も多く、特に年寄りや女子供のように、自力で回復するのを促すらしいニガヨモギのクッキーでは、すぐには回復できないとのこと。
子供が感染していると聞き、サトルはすぐに分かったとアニスに返す。
「今すぐにはダンジョンに潜る事はないけど、うちにいくらか残ってる分を今度持ってくる」
しかしそれに対して、アニスは少しばかり不安そうに返す。
「残してるってことは、利用する予定があったんじゃないの?」
しかしそれは問題無いと、サトルはすこしおかしそうに笑って返す。
「ニゲラが好んで食べるから、余分に保持してただけ。あいつは子供が困ってる時に自分だけ好物食べて喜べる性格じゃないから、大丈夫。話をしてアニスに分けてやってくれってたのむよ」
そんなやり取りがあったのだと、ニゲラに話をした途端、サトルの予想道理ニゲラは二つ返事で「いいですよ!」と返した。
「むしろ全部アニスにあげてください! 僕は他になんだって食べられるんです! 困ってるのならアニスを助けてやってください!」
ふんすふんすと鼻息を荒くするニゲラに、サトルは苦笑する。
場所はダンジョン前広場。
サトルがジスタ教会の治療院から出てくるのを一緒に待っていたマレインは、ニゲラの様子に面白いねと感心する。
「以前から思っていたが、ニゲラはどことなくタチバナに似ているな。いや、うん、どことなくというか……考え方というか、興奮する理由が」
その言葉にサトルはわずかに身を強張らせ、絞られるように痛んだ胃に手を当てるように胸を押さえた。
性別も違えばその言動で最重要としていることが違ううえ、本人曰くタチバナよりもずっと子供っぽい自覚があるらしいニゲラ。そんなニゲラの言動が、まさかタチバナと似ているかもしれないと、サトルは考えてもいなかった。
もしこれでニゲラがタチバナの遺体を使ってダンジョンの妖精に作られたキメラだと知れたら……サトルは考えたくも無いと首を振る。
「……タチバナって、こんなに騒がしい人だったのか? その、こんな?」
明らかに挙動がおかしくなっただろう自分をごまかすために、サトルは当たり障りのない話題を探して、もう一人、一緒について来ていたルーに振った。
「あ、確かにちょっと似てますね。ただニゲラさんの方が圧倒的に興奮しやすいですし、騒がしいですよ」
案外とアッサリ答えたルーの返事、サトルは内心胸をなでおろす。
似ていると感じる部分はある程度、なのだろう。
当のニゲラは特に自分の言葉を特に問題だとも思ってなかったようで、ふんすふんすと鼻息の荒いままサトルに話を振る。
「子供が犠牲になっていると聞いて、放っておけないのは僕もですけど、たぶん父さんもですよ! ね、父さん!」
「あ、そうですね、そうです、私としてはサトルさんと一緒にいる時の方が、先生を思い出しますよ。リズの相手をしてる時とか、すごーく」
ニゲラの言葉に同意をして、ルーは嬉しそうに手を叩く。それにはマレインも同意すると頷く。
「確かにそうだね。基本的にサトルもタチバナも自分たちより弱い存在、特に子供は将来があるのだから助けられるべき、という思想を持っているように思うよ。そう考えると……うん、ニゲラは君の影響で同じような考えなのだろうか?」
「だと思います!」
マレインの言葉に、ニゲラとても満足げに頷く。
マレインの言葉に、子供の権利はサトルの世界でも先進国の人間がより主張する価値観だったことを、サトルはふと思い出した。
ガランガルダンジョン下町でも、家業を継ぐ以外の職業選択は、基本的に子供の内から丁稚奉公の様な形で就職先の世話になるか、冒険者をするか、もしくは単純な肉体労働の担い手として働くか、など幅が狭いらしい。
サトルはこの世界にすっかり馴染んでいるつもりだったが、どうやらまだ自分の経験や知識の及ばない「基本的価値観の違い」というものがあるなと改めて実感した。
子供は将来があるのだから助けられるべき、やはりそれがあったからこそ、タチバナは多くの子供たちを引き取って、弟子として育ててきたのだろうか。
「だとしたらルーは……」
サトルは誰にも聞こえないほど小さく呟く。
タチバナがどんな気持ちでルーを育ててきたのか、サトルには到底想像もできなかった。