10・小夜鳴き鳥の決起集会
避難所にいた人間を一通り確かめ、咳の症状のある者には例のクッキーを、手足に炎症が発生している人間には妖精たちの力で回復を、それ以上の高熱や身体の腐敗が始まっている者にはサトルの魔力も使う回復を行った。
結果、そこには黒妖精はいなかった。
ただサトルの目には、腐敗が始まっている者にのみ、その腐敗カ所に火花が散っているように見えていた。その火花はサトルの左の手で払うと消えたので、間違いなく黒妖精の残滓だったのだろう。
一通りの対処が終わり、サトルは避難所から離れ、人気の少ない場所でルーやオリーブたちに話しをした。その場には当たり前のようにオキザリスが付いて来ていたが、サトルは別に聞かせても構わないだろうと、一緒にいることを許可した。
回りはすっかり薄暮の様子。人気無い場所での密談にはうってつけの様に見えた。
「それで、サトル、君はこれからどうするつもりだい?」
議長、というわけではないは、話しの進行はマレインがしてくれるらしい。クレソンとバレリアンに余計なことを言わせないつもりなのだろう。ずっと笑顔だが珍しく始終尾が立っているので、怒っているのだと分かった。
「まず第一の目標は、黒妖精による病をできる限り無くす。死人は出したくない。これが最重要だ」
「具体的には?」
「あとで説明する。目標その二、黒妖精を探して退治する。これは探すこと自体が俺にしかできないと思う。けど黒妖精は病人の中にいるから、そこが手がかりだ」
それにはオキザリスが待ったをかける。
「でもこの避難所の病気の人、サトルが全部治したよ」
確かにサトルとキンちゃんたちで、避難所内の黒妖精の影響を受けた人間の治療は済ませた。しかし、それだけではないのだとサトルは言う。
「黒妖精の被害、多分避難所だけじゃないと思うんだ」
「というと?」
「冒険者の中にも咳の症状が出てる人間がいるだろ? まずはその人たちを探したい」
サトルの言葉にざわりと一同の緊張が高まった。まさかここ最近の冒険者たちの間の流感を、黒妖精のせいとは思っていなかったのだろう。
「彼らの症状は咳だけのはずだが?」
マレインの言葉に同意して、アロエもまた口を開く。
「あたしもかかったけど、アレ黒妖精のせいだったの?」
「たぶん。ほら、咳だけの症状を見ただろ? 痰が絡むとか、鼻水が出るとかは無くて、肺の方から痛みを伴うような咳をしてた。あれが喘息って言って……ええっと、まあ生まれ持っての肺や気管支の病気の症状と似てるんだ。空咳っていうのかな? 空気だけを出すような咳で、特徴的だなと思った。他にもこの病気の特徴として発熱も、咳の後に現れるとかあったろ」
サトルの説明にルーがいち早くたしかにそうだと納得する。
「あ、そうですね、風邪の症状は急激に高熱が出るものや、咳よりも嚏に現れる物もありますもんね。確かに冒険者の間で流行っているのも、風邪かもしくは肺の病気ではないかと言っていましたし、確かに特徴は一致しています。炎症は……その症状が出ていたら、ジスタ教会に行っているかもしれませんね。冒険者の方は傷口の可能があると、だいたい薬草で治すかジスタ教会の治療院です」
この世界での「風邪」という病気について、サトルはルーに話を聞いていた。
ルーも「風邪」と俗に呼ばれる気管支系の感染症については詳しくなかったが、サトルの疑問にこたえるべく、ルーなりに調べていた。
結果、何処かでサトルの世界の知識が流入していたらしく、ほぼ現代日本で言われる風邪と同じように、気管支に炎症を起こす感染症全体を「風邪」と呼ぶことが判明した。
つまり、日本で言う所の風邪と同じように、絶対的な治療法が確立されているものではなく、ガランガルダンジョン下町以外の町では、かなり致死率の高い病気である事も分かった。
だからこそのこの納得の速さ。風邪と呼ばれる病気にも種類があると聞いて、オリーブやマレインでさえ初めて聞いたという反応だった。
「だからサトル殿は避難者たちの症状を聞いていたのか」
「ああ、病気はモンスターと同じで、対処がそれぞれ違う。もしあれが黒妖精のもたらす病気で無かったなら、別の対処法を探すべきだったなと思って」
その例えでようやくクレソンやバレリアンも納得したらしく、それなら確かにと頷く。
サトルは以前海外旅行をした先で、文字の読み書きができないと、人生で得られる情報は新聞一紙分程度だと聞いたことがあった。ルーとの反応の速さを見るに、あの話は本当だったのだなと実感することができた。
それはつまり、これから病気というものを根本的に理解していない、もしくは幼子程度の認識しか持っていない彼らに、病気に対して対応する術を、素人であるサトルが説かなくてはいけないかもしれないという事。
サトルは面倒なことになったかもしれないと、ため息を吐く。
「どうされたんです? サトルさん?」
サトルの苦々しいため息の理由をルーが問う。
「いや……フローレンス・ナイチンゲールに思いをはせてただけ」
「どちら様です?」
気のせいでなければ、サトルの口から女性の名が出たとたん、ルーの瞳孔が縦に蘇即狭まった。
サトルはそれに少し気押されながら答える。
「俺の国の近くにあった国で、戦時中に負傷兵の病院を改革した歴史上の女傑。今俺が一番に見習わなきゃいけない人だな」
白衣の天使のイメージも強いナイチンゲールだが、実際の功績はもっと論理的で、医療衛生の大改革を行い、統計を用い情報の視覚化のために蜘蛛の巣チャートを作った人物でもある。
そう考えて、サトルはふと思いつくことがあった。
「ルー! 君やバーベナは、衛生についての重要性は理解できるか?」
ルーは突然の質問に、驚きつつもすぐに答える。
「え、ああはい、出来ます出来ます」
「なら、この避難所にとって衛生が大事だってのも?」
続く質問で、何かを納得したらしく、頷きアロエを示す。
「もちろんです! だからこそアロエにあの古いシーツを託しました」
「だよな。よし、ならここの衛生管理はルーが監督してやってくれ。バーベナと協力して、ここを運営するんだ。君は綺麗な水を作り出すことができただろ? 火種もだ。いくらでも必要だと思う」
衛生を理解している、そう豪語するだけあって、ルーはサトルが何を求めているのかをすぐに理解したようだった。
「あ、はいそうですね、傷口洗うのにも、身体を拭くのにも必要ですね。煮沸もできますし」
「よし、それじゃあ」
ルーに任せる、そう言いかけたサトルの袖を、オキザリスが引いた。
「ねえ、衛生だったら僕も分かるよ。僕必要な物も分かるし、人数の把握もしてるから、必要な量も分かるんだけど」
だから僕にも頼りなよと、尻尾をパタパタ振ってオキザリスは主張する。
オキザリスから、必要な物、と聞いて確かにこの避難所は必要な物資が足りていないのだろうなと、サトルは考える。
古いシーツをルーが寄付した。建物はどうやらこの周辺の住人が突貫で作った物らしい。もっと衛生的な場所を用意するにしても、このままでは無理だろう。
「だったらそうだな、必要物資の調達についてはリズに一任するよ。一号モーさん、二号モーさん、君たちリズを手手伝ってくれ」
連れてきていたモーさんたちが、一号、二号と呼ばれるたびに、任せろと言うように、モーっと鳴いた。
オキザリスは白い牛サイズのモーさんを見て不思議そうに問う。
「イヌみたいな子は? それともこの子たちは全部があの子?」
イヌみたいな子、とはサトルが先ほどまで連れていたモーさんだろう。
答えながらサトルは持ってきていた財布をオキザリスに差し出す。
「ああそうだ。モーさんは皆同一だけどバラバラになれる。こっちが一号、こっちが二号。それとコレ、とりあえずの分だが、必要なら全部使ってくれても構わない。今後もいくらか融通する」
財布の中身はサトルが一度ガランガル屋敷に戻った時に、必要になるだろうと持ち出してきた金で、ガランガル屋敷に下宿している人間を一ヶ月養える程度の金額が入っていた。
明らかに重さのある袋に、オキザリスは身じろぐが、すぐに受け取りしっかりと握りしめた。
「分かった。必ず全部ここのために使う」
頼んだぞとオキザリスを撫でるサトルに、マレインが気を見てそろそろ説明をしてくれと口を挟んだ。
「おいおい、サトル、僕らに説明も無いのかい?」
「俺は学者先生じゃない。弟子も取ったことが無い。教育に関してもしろうだ。だからこれからやる事の意味や理由を理解させるまでが面倒だし難しいんだよ。だからバラバラにできるだろうことを頼んでいく。少し待ってくれ。病気に対処するのはルーとリズに任せたいんだ。マレイン達には実際の症状を見てもらったし、冒険者の中にどれだけ似たような病気の人間がいたかを探ってほしい」
「ああ、まあ確かに……病か、こうして聞くと厄介だな。傷口を洗うだけでは駄目だというなら、僕たちには無理があるだろうね」
マレインの問いに、サトルは自分の頭じゃ説明ができないんだよと不満そうに答える。
マレインとしても、自分たちが怪我をした時にする対処ともまた違う、サトルの言う衛生について、理解が完全には及ばないからと、それには納得を示した。
次にサトルは、当面先立つが物必要だなと考える。
「俺はここに支援のために金と、ダンジョン内で採れる薬草を用意する必要が有りそうだ。その為にちょっとダンジョンに潜りたいんだ。手伝ってくれる奴はいるか? もちろん戦利品は山分けにする。けど病気や黒妖精の対応があるから、浅い所に潜ってはすぐに返るを繰り返すことになるから、手間ばかりかかると思うけど、いいだろうか?」
これに対して、それまでだんまりを決め込んでいたワームウッドが、自分がと手を挙げる。
「はーい、僕とヒースが一緒に行くよ。ここよりよほどまし」
不機嫌そうな表情のままだったが、その尾はやる気を隠そうともせずぱたぱたと振れている。
名指しされたヒースも、高く尾を上げてくゆらせ、いつでも準備万端とばかりに拳を握っている。
「……分かった、ならダンジョンに潜る際にはワームウッドとヒースの力を借りる」
サトルの決定に、自分も一緒に行かせてくれとクレソンも口を開いた。
「俺も、ダンジョンの方に付き合わせてくれないか? 分け前はいい、通常の依頼料もいらねえ、準備金も自分で負担する。頼む……ここ、あいつも世話になってんだよ」
あいつ、というのはクレソンの妹と思われる少女の事だろう。
サトルはこの数日間の間で、クレソンに対する人間性への信頼が薄れていた。それでも身内のために働きたいというその心情までは否定で気なかった。代わりに確かめる。
「かなりこき使うぞ、いいか?」
「ああ、そうしてくれ」
「分かった」
クレソンが苦労を望んでいるのなら、それを受け止めようと決め、サトルは次にバレリアンに問う。
「リアンはどうする?」
「僕は冒険者の方を。咳の症状に心当たりがあるので」
「分かった」
バレリアンはクレソンよりも冷静なのか、クレソンとともに行動しない方がいいだろうと気が付いているようだった。
冒険者同士で話を聞くのならと、マレインもバレリアンと一緒に行動すると手を挙げた。
次に発言の機会を待っていたように、アロエとモリーユはこの避難所の手伝いをするよと宣言する。
「うちとモリーユはここの手伝いするよー。ベラに頼まれてるし」
「そうだな、それが良いと思う。なら、アンジェリカは?」
これはそれぞれ行動を聞いた方がいいなと、サトルはアンジェリカに話しをふる。
「そう、なら私もこちらで……と言いたいところだけど、私は私で布や衛生を保てるように衣類を探してみようかしら? よろしくて、リズ?」
衣類について、確かにアンジェリカだったら古着を用立てることもできるだろう。
アンジェリカの問いに物資担当のオキザリスは、尾を激しく降ってもちろんだよと答えた。
それぞれの行動が決まっていく中、カレンデュラはオリーブに問う。
「私たちはどうしようかしら、ねえオリーブ?」
「そうだな……ならば、私は、ボスに助力を願えないか聞いてこよう。こういう時のために組織に尽くしているんだ。一方的に使われるだけでは気が済まないな」
やや怒気を孕んだ声で、オリーブが答える。そのいつになく不機嫌な様子は、一連の話から、ローゼルへの不信を持ったからだろう。
不振があるからこそ、サトルは大丈夫だろうかと眉を顰める。
「手を貸してもらえるだろうか?」
「問題は無いだろう。冒険者の中にも被害が出ているかもしれない。今後ダンジョンに潜る際のリスクにもなり得る。それに元々貧民窟は家や血筋での職業も無いからか、冒険者を輩出することが多い。この貧民窟出の者も、うちの互助会には多いからな。ここを助けることはボスにとってもメリットはある」
あの人はメリットが無ければ動かないからなと、オリーブは苦笑交じりに吐き出した。
たしかにとサトルは頷く。
ローゼルはメリットが無いと動かない、その言葉が全てだろう。