9・美しい毒
リズがサトルを引っ張っていったのは、元々ジスタ教の協会が管理していたという廟だった。なんでも水にまつわる聖人を祭っていた場所だったそうだが、数十年前に今回ほどではないにせよ水害があった際別の場所に移転され、ダンジョン石で作った丈夫な建物だけ残されたという場所だが、屋根は半分ほどが失われ、壁も場所によっては上半分が崩れ落ちていた。
雨風がしのげればそれでいいからという事で、貧民窟内でも比較的若く健康的な者達は、それぞれ座る場所を確保するのがせいぜいなそこで夜を過ごすという。
最も、そんなに若さや健康があるのなら、このガランガルダンジョン下町には危険だが未入りのいい仕事や、純粋な労働力、単純作業を請け負うだけで食っていける程度の仕事は有るのだとかで、そういった者達は昼間の今ははほとんどいないらしい。
残っているのは、水害で逃げる際に負傷した者や、目の離せない年齢の子を持つ親などが何人か。
そんな者達は多くが避難所の運営の手伝いをしているのだとかで、病の周辺はせわしなく人が行き交っていた。
その中に見知った顔を見つけ、サトルたちは驚く。
特にオリーブは垂れた耳を持ち上げ目を丸く見開きその人物の名を呼ぶ。
「何故ここにいるんだ! アロエ! モリーユ!」
両手いっぱいに布を抱えたアロエとモリーユが、見つかったと首を竦める。
その布には見覚えのある繕い跡。ガランガル屋敷にあったはずの、ニゲラに教えてもらいながらサトルが繕った古いシーツだ。
かなりのぼろだったので人様に使わせるわけにはいかないが、布が現代日本よりも貴重である世界なので、何かに使うため用にと、倉庫室に置いてあったはずなのだが。
ちらっと横目でルーを見ると、ルーは露骨に顔を逸らした。
アロエはそのやり取りを見て、あははと笑って舌を出す。
「あー……バレた」
悪気はなさそうだが気まずそうなアロエと、ただただ顔を青ざめさせているモリーユ。とりあえず小柄なモリーユが持つには少々重たすぎるように感じたので、サトルはモリーユの手からシーツを取り上げた。
小さく有難うというモリーユに、サトルはモリーユが委縮しないよう、笑顔を作りどういたしましてと返す。
「で、これをどこに持って行く?」
当たり前のように手伝おうとするサトルに、アロエはあっちの室内でいいよと示す。しかしその表情は酷く困惑しているようだった。
サトルはすこし苦笑して答える。
「うーん、怒るというよりも、なぜあの時二人がらしくない行動をしてたのかって、疑問に答えが出た。アロエとモリーユは結構前からはベラドンナたちの協力者なんだろ?」
「まあそんなところー、何で分かったの?」
アロエはしらばっくれるのも面倒だと言わんばかりに、あっさりと認める。
それを聞いてオリーブと、ついでにオキザリスも驚愕をした。
ルーはそうだったのかと少し驚いているだけだったので、シーツをアロエたちに下げ渡したのは、単純に避難者への人道支援のつもりだったのだろう。
「どういうことだサトル殿、二人は、その……ベラドンナを嫌悪していたのでは?」
「以前からこの子たちはベラとは何度も口喧嘩の様な事をしていたのよ、なのにどうして?」
オリーブとカレンデュラは交互にサトルに問う。
サトルも実際アロエとベラドンナたちの言い争いに胃を痛くしたのだが、今思うとあの時の口喧嘩の内容は、サトルの知らない情報を補完するのに必要な情報がいくつか含まれていた。
そもそもサトルはベラドンナたちがタチバナの葬儀をボイコットしたことも知らなかった。本当は知っているが、遺体がどうなったかも知らないはずだった。
珍しくモリーユが口にしていた、ボスと先生が怒っていいるという話も、故人が葬式をボイコットされて怒るというのは、まあ納得できなくもないが、なぜわざわざローゼルを名指ししたのか、というのも気にかかっていた。
思い返してみればだが、あれはサトルにある程度の情法を、怪しまれないように提供する意味もあったのではないだろうか。
「いや、そう見えるように態と喧嘩腰だったんじゃないかな。筋書き書いたのはベラだと思う……」
これはベラドンナを過大評価しすぎだろうか。しかしあのローゼルの弟子なのだしと、サトルはアロエに確認する。
「そういうのも分かるの?」
そうアロエが驚くという事は、やはりベラドンナの筋書きで間違いないのかもしれない。
「あてずっぽう。あとリズとビビにはちょっと難しい気がするし、リズがこう驚いてるの見ると、やっぱりベラだったんじゃないかと」
悪どいこと、と言うと語弊があるかもしれないが、ベラドンナは必要とあれば十分に手を汚す覚悟のある人間だと、サトルは知っている。
平気で薬を盛り、平気で人の感情を誘導する香を使い、平気で人をだまそうとする。
必要とあれば悪いことに躊躇いが無いが、基本的な思考は善人より。サトルも似たようなところがあるので、むしろ一連の流れになおさら納得がいったほど。
「やっぱり詐欺師みたいです」
と、ルーが呟くのは、いっそ褒め言葉だと思っておこうと、サトルは苦笑いした。
「色々言いたい事は有るだろうけど、まずはちょっとこれを置いてくる。その間にオリーブたちも、マレイン達も、もう一度話し合うなり状況の確認でもしておいてくれ。俺は君らを頼りにしてるから、できるならこの後も手伝ってほしいし、あとそれから……穏便にね」
オリーブとしてはアロエたちに問い詰めたいこともあるだろうし、後は冒険者チームを組んでいる者同士で話をしてくれと、サトルは自分の持っていたシーツをモーさんに託した。
ちなみにモーさんは力仕事のみならず、きっと黒妖精対策にもなるだろうと思い、全員連れてきている。
サトルがアロエからもシーツを受けとり、あっちと言われた廟まで運ぶと、オキザリスが顔を真っ赤にしながら追ってきた。
「姉さんに騙された!」
目に見えて分かり易く怒るオキザリスに、サトルはそんな言い方はしない方がいいと諭す。
「二人はリズのことも守ってあげたかったんだよ」
ワームウッドやアンジェリカが話していた、ベラドンナ、バーベナ、オキザリスの評価を思い出す。
二人はオキザリスやバーベナを警戒するべきと評していたが、実のところ一番作詞だったのはベラドンナだったのかもしれない。
廟の入り口にシーツを置いて、サトルはオキザリスに向き直る。
「で、大変な事って?」
そうだったとオキザリスは毛を逆立たせ叫んだ。
「増えてるの! あの変な病気の人が! さっきの今で!」
オキザリスがサトルたちを案内したのは、廟の傍にあった別の掘立小屋。
こちらは壁が二面しかななく、適当なボロイ布や板が敷かれており、少々悪臭がする場所だった。
そこには数人の男女が座ってサトルたちを待っていた。
皆怪我人のようだ。
バーベナが一人の包帯を取り換えながら、傷の具合を確かめていた。
「あ、私も手伝います!」
「俺も」
ルーとヒースが率先してバーベナの手伝いを始めると、やはり終始無言だったワームウッドも、その後ろに続く。何をしたいのかはわからないが、どうやらワームウッドはこの場所の人たちを見捨てられないと思っているらしいことはうかがえた。
オキザリスは事前にサトルを連れてくると説明していたようで、そのけが人の中の一人をサトルたちの前に呼んだ。
地面に敷いた布の上に膝を突き、サトルは足を怪我している四十代ほどの男の手を見せてもらう。
オリーブとマレインも確かめるようにその手を覗き込む。
「これが?」
「霜焼けみたいだね……」
手は赤くパンパンに腫れていた。男は軽く何度か咳をすると、その腫れが先ほど突然現れたと話した。
「他には?」
サトルはオキザリスに確認する。
「今この小屋にいる人全員。さっき急に具合が悪くなった人ばっかり」
「熱や痛みは?」
今度は男に尋ねる。男は咳をしながら答える。
「熱、というのは……息苦しいのと、あとずっと針に刺されるような痛みが」
咳をして、熱は分からないが痛みがある。見た目からして炎症を起こしているのは確か。話に聞いていた症状そのまま。
このまま放置すれば、その内この炎症部分が腐るという事だろうか。
さすがにそれは阻止せねばと、サトルはキンちゃんに頼む。
「キンちゃん、治してやってくれ」
キンちゃんは短くフォンと答えると、男の手ではなく、胸元へと振れた。
サトルの左手の甲の九曜紋が強く光る。しかしサトルは、いつもの様な体力を奪われる感覚を覚えなかった。
不思議に思いつつも、効果があったのかどうかを確かめる。
「どうです?」
男は目を見開いて驚く。
男の手の甲はすっかり腫れが引いていた。咳もうしていないようだ。
男は自分の手をまじまじと見ると、驚き叫んだ。
「ああ、凄い、痛くない、痛くないですよ!」
サトルは大きくため息を吐くと、服の内ポケットの中のドラゴナイトアゲートを確かめる。体力を奪われた感覚は無かった。
やはりキンちゃんはサトルの体力や魔力を使わずに、今の病状を回復させてみせたのだ。