6・頼み事と企み事
モーさんに弾き飛ばされた黒妖精は、ギャギャギャギャ! と鳴き喚くと、まるで脱兎のごとく小屋を飛び出して行ってしまった。
モーさんはその黒妖精を追う事はなく、ただやってやったぜとばかりに、満足そうにモーっと鳴いた。
黒妖精は聖なる白い牛と対になっている。
今頃になってルーが教えてくれた黒妖精の情報を思い出し、サトルは安堵のため息を吐いた。
病人の症状はキンちゃんたちの治癒で治せることを確認した後、サトルはモーさんとプリンちゃんチームをオキザリスに託し、ガランガル屋敷に帰った。
息せきかけて帰ってきたサトルとヒースに、一体何があったのかと慌てる面々。
ニゲラ、アロエ、モリーユ、セイボリーの四人を除き全員屋敷にいたらしく、サトルは残りの皆をそれぞれの部屋を回り、リビングに呼び集めた。
「頼みがある。君たちを頼りたい」
皆が集まったのを確認するや、早々にサトルが口にした助力を乞う言葉に、ルーたちは驚く。
サトルが自分から助けてほしいという事は、ルーがそれを言う事と同じくらい珍しい。
真っ先にルーが、何か困ったことがあったのかと、心配そうに問う。
「何があったんですかサトルさん」
「……黒妖精が出現した。それをどうにかしたい」
黒妖精と聞きルーは驚く。あの大雨の日に確かにサトルはダンジョンの妖精が黒妖精を倒したとルーに話した。その時の会話を覚えていたのだろう、ルーは「まさか本当に……」と呟く。
「どうにかってどうするんです? ダンジョンの崩落で捕らわれていた黒妖精が出てくるなんて、今まで無かったことです。対処の仕方も分かりません。それに妖精を私たちは視認できないんです、役に立てるかどうか」
ダンジョンの研究をしているルーだからこそ、それがどれほど特異で、かつ危険な状態であるのかを理解したのだろう。
人を死に至らしめる病の妖精。それがダンジョンから出てきたという事は、このガランガルダンジョン下町に黒妖精による死病が流行るかもしれないという事だ。
ルー以外は黒妖精という言葉にそれほど危機感を抱いていないようだが、それでもサトルがわざわざ助けを求めるほどなのかと、身構え話に耳を向ける。
「待ってくれまだ続きがあるんだ。俺がその黒妖精を見たのは水害の後の貧民窟やスラムで家をなくした人たちの避難所だった。その避難所の運営にはバーベナたちが携わっている」
バーベナの名を出した途端、クレソンが尾を立て威嚇するように歯を剥いた。
「おいまさかお前」
サトルはそれを一瞥するだけにとどめ、言葉を続ける。
彼らはルーがすでにバーベナと和解していることを知らない。だからこそこの態度は何の問題も無い。
ただサトルの行動理由を明確にしておかなければ、そのバーベナへの反発がサトルに向く可能性もあるので、はっきりと、バーベナのためではないと言い置く。
「避難者の支援をしたい。ルーを裏切るつもりはない。バーベナたちの行動理由についても俺なりに納得のいく説明を受けた。避難所は彼女たちのホームだ。彼女たちと協力しなくては避難者たちは救えないと思っている。だから……頼む、人の命がかかってるんだ」
人の命と聞いて、オリーブはそれなら仕方が無いのかもしれないと、苦い表情。マレインは呆れたとばかりに肩を竦めている。その横で、ワームウッドは酷く痛そうな顔をしていた。
クレソンとバレリアンは、バーベナというよりも、オキザリスに近付きたくないと考えているのだろう。二人はすぐに揃って拒否を宣言した。
「それを俺たちに協力しろって? 無理だろ、クソくらえだ」
「僕もごめんですね」
しかし、サトルはそれは駄目だと、二人の拒否を却下する。
「ああ、クレソンとバレリアンは強制で手伝え。罪滅ぼしだ」
サトルの使った罪滅ぼしという言葉に、自分たちの迂闊な行動でサトルの誹謗中傷を広める原因になった事へ償いをしろと言われたと感じたのだろう。バレリアンは言葉に詰まり、クレソンはもう罪滅ぼしは終わったと吼えた。
「はあ? 何言ってんだてめえ! 最近ちょっと調子に乗ってんなよ! もう俺は働いたろうが!」
しかし吼えてくるクレソンに、サトルは努めて冷たい声になる様に気を付けながら言い返す。
「まだだろ。オキザリスから話は聞いた。喧嘩の言い訳に使って、泥を被せたな? あいつ別にお前たちを態と仲違いさせたことはないって」
その言葉に、クレソンの後ろでマレインの耳が僅かに震え、尾が持ち上がる。
気づかないクレソンは、露骨に慌てて尾を丸めるように体に巻き付け、首を振る。
「何言って……そんなわけねえだろ」
言い訳をしようとするクレソンの肩に、マレインの手が伸びる。そして、オリーブの手も。
「それは興味深いな。私も詳しく聞きたいのだが」
さらにマレインの手は、じりじりと逃げに入っていたバレリアンの方へも伸びて、総毛立ち膨れていたバレリアンの尾をがっしりと掴んだ。
ギャッと悲鳴を上げるバレリアンに向け、呆れたようにため息を吐きながら、サトルはさらに続ける。
「単純にお前らの喧嘩のだしに子供を使ったんだよな? ヒースにも確認したぞ。お前ら時々ヒースにどっちが強そうかとか、格好良いか、ってのを訪ねてるんだよな? そのたびにヒースが答えるのは、セイボリーさんの方が格好いい、だろ?」
その言葉にヒースがうんうんと頷く。もちろんマレインとオリーブも目視でそれを確認する。
「答えにくかった」
ヒースはタチバナが亡くなる以前からタチバナや師と仰ぐワームウッドとの交流はあったが、実際にガランガル屋敷に住むようになったのはタチバナが亡くなった後。対してオキザリスはタチバナが亡くなる少し前にガランガル屋敷を出て、ローゼルの元で本格的に修行を始めたばかりだったという。
時折ヒースは屋敷に出入りしていたものの、オキザリスが昼は師であるローゼルの所へ詰めていることがほとんどだったので、オキザリスが一方的にヒースを知るのみ、だったらしい。
だからバレないと思ったのだろう。この屋敷を出たオキザリスが、まさか今更当時の事を話すとは思っていなかったようだ。
「ああ、うん、ええっと、あれはだな、別にそういうつもりだったんじゃなくて、あいつがその俺たちのどっちにもいい顔をしようとするから、でな」
確かにオキザリスは気に入った人間に対し、サトルが距離感がおかしいと感じるほどに親密な態度を見せる。しかしそこに裏表があったとはサトルは思えなかった。そうサトルが言うよりも先に、バレリアンが両手を上げて謝罪の言葉を口にした。
「すみませんでした」
「あ、てめ、何謝ってんだよ! それだと俺たちが悪いみたいじゃねえか!」
裏切り者とバレリアンを罵るクレソン。
サトルは悪いに決まっているとクレソンを睨みつけた。
「悪いだろ、まずはヒースに謝れ。喧嘩のだしに他人を使うな! ましてや自分に好意的な人間を、裏切るような真似をして恥ずかしくないのか」
「んだよ……恥ずかしいって、別に……そりゃ、ちょっとは悪いかとは思ったけどよお」
「軽率だったと思います。卑怯な真似だと……そうですよね、相当卑怯なことをしました」
サトルの叱責に、二人はしょんぼりと耳や尾をしおれさせる。
その二人の反応に、サトルは顔に出さないように、内心ほくそ笑んだ。
二人がそうやって気に病んでくれることこそが、サトルがオキザリスの話を出した目的だった。
この二人はもうオキザリスを助けることに否を言えないだろう。
「……もしそれが本当だとしたら、僕たちは結構拙いことをしたのかもしれないな」
マレインが呟いたその言葉に、オリーブとカレンデュラは、揃って息を詰まらせた。