12・まだ籠の中
笛の登録はその場で、ルー、バーベナ、オキザリスの三人分の血を使って行った。マロウの言うような複雑な登録にはせず、一律に三人の血を使ったのは、自分たちに何一つ隠し事は無いという証明のためだった。
箱の管理は防犯も考えルーがし、笛はそれぞれ、ルー、サトル、バーベナ、ベラドンナ、オキザリスが持つことになった。
アンジェリカが自分の分をサトルに譲った理由は、アンジェリカには耳こそないものの遠隔の「目」がある事、この中で誰よりもローゼルに近い位置にいることから、自分が持つよりもサトルが持つ方が有効に使えるはずだと、アンジェリカ自信が主張して。
マーシュとマロウの店から出て、サトルはもう一度アンジェリカに尋ねた。
「君の……その、いいのか? タチバナの遺産だろうに」
「確かに遺してくれたのはタチバナなのでしょうけど、私はサトルがいることで思い出せるタチバナの思いでの方がありがたいからいいのよ……貴方の役に立てて頂戴」
アンジェリカは誰よりもタチバナの死を乗り越えているのか、むしろサトルのためになるならその方がいいと笑う。そんなアンジェリカの言葉に、ルーが挙手をし賛同した。
「あ! 私も! 私もです! サトルさんといると先生のこと思い出せてとっても嬉しいです!」
その言葉の勢いからも本心だと分かるが、何よりルーはサトルと出会ったばかりの頃に、無茶をする理由として、タチバナを忘れてほしくないから、と言っていた。
今思うとそれはルーの杞憂だったのだろうが、それほどまでにルーは当時自分や周囲を顧みる余裕が無かったのだろう。サトルはそんなルーが今は前向きにタチバナを思い返せる余裕があるのだと分かり、自然と嬉しく思えた。
「だったら、こちらこそ有難いな」
オキザリスがそこまでタチバナっぽいだろうかと、サトルをまじまじと見ながら首をかしげる。
顔立ちは民族的に同じであることから多少は同じ印象を受けるかもしれない程度。今のサトルの髪は白で、タチバナは明るい茶色だったそうなので、パッと見た印象は似ていないはずだ。
「そんなに先生のこと思い出すの? サトルで?」
バーベナも不思議そうにサトルを見やるが、オキザリスとは違い、疑うというよりも何処がそうなのだろうと探るような目だ。
「ルーとアンが言うのなら、そうなのでしょうけど」
「日本語読み書きできるからかな?」
サトルは自分がタチバナの記録を読むことができるからだろうと言うが、そこではないとアンジェリカは少し意地悪っぽく笑う。
「そうじゃなくて、この人結構お母さんっぽいのよ」
そう言われて、とたんベラドンナとオキザリスが納得し頷く。バーベナだけは苦笑いだ。
「ああ」
「わかるー」
分かると言いながらサトルの腰に抱き着き、体重をかけるオキザリス。
あっさり納得されてサトルはガクリと肩を落とした。
「分からないでくれ納得しないでくれ、それとオキザリスはことある毎に抱き着かない」
「いいじゃん、別に重くないでしょ」
「だから重いって。俺の非力を舐めないでくれ。たぶんアームレスリングしたら君に負ける」
オキザリスを引きずりながら、サトルは実に情けない言葉を堂々と口にする。
アームレスリングという言葉は通じるのだろう、サトルの発言に、オキザリスの目がきらりと光り、垂れた耳が持ち上がる。
「しよう!」
「しない!」
サトルの間髪入れない却下に、オキザリスは頬を膨らませる。
「弱虫」
「だって弱いから」
「ずるいよー、弱いって分かってて挑戦しないと、弱いまんまだってクレソン言ってたよ? 強くなりたいならやろうよアームレスリング」
笑いながらねだるオキザリスに、サトルは勘弁してくれと天を仰ぐ。
じゃれつくオキザリスの楽しそうな様子に、バーベナが感慨深く呟く。
「……リズが、あんなに笑うのって久しぶりです」
その気持ちわかるわと深々とうなずくアンジェリカ。
「良かったじゃない。ルーも似たような感じだったわ。彼が来てから……最近本当に良く笑ってくれるの」
しかし僅かにその表情に悲しい色が浮かんだ。
「駄目ねえ。他人の方がよほど親身になれるのだわ」
その言葉にバーベナとベラドンナは同時に「ああ……」と声を上げる。
ずっと気にかけていた弟を笑顔にしたのが、自分たちでないという不甲斐なさを、彼女たちも感じているのだろう。サトルはオキザリスとじゃれながらも聞こえていたその会話に、嘴を突っ込むように話を奪う。
「君らが根っこを支えてくれてるからだろ。俺は寧ろ上辺だけ甘やかしてるに過ぎないって。君らがいなきゃルーもオキザリスも笑えないよ」
自分だけがいたところでと、謙遜ではなく本心からそう思い、サトルはアンジェリカたちに自信を持つように言う。
ルーとオキザリスはサトルの言葉を肯定するように頷く。
そんな二人を羨ましいわとアンジェリカは言う。それにベラドンナが乗った。
「あら、でしたら私たちのことも甘やかしてくださる?」
ちょっとした軽口のつもりだったのだろうが、ベラドンナが言ったその言葉に、サトルはもちろんだと即答した。
「ああいいとも。手始めに、タチバナのレシピの再現をした物をいくつか用意するから、三日後に銀の馬蹄亭に、今日行った時間くらいで待ち合わせで」
ぎょっとするベラドンナに、サトルは約束したからなと念を押し、次にルーとアンジェリカにも話を振る。
「ルーとアンジェリカも、時間空けといてくれ」
ルーは時間なら作れると了承するが、それでも疑問は残るようでどうしてなのかと尋ねる。
「それは構わないのですが、どうしていきなり」
サトルはタチバナの料理を作ること自体はいきなりでないと説明をする。
「元々タイムと約束してるんだよ、その時間にタチバナのレシピの再現手伝ってもらうって。味見係は多い方がいい」
その味見役としてルーたちを呼ぶことは確かに今いきなり決めた事だった。元々サトルはその席に、ニゲラを呼びたいと思っていたのだ。
だからサトルはそれをルーたちに伝える。
「ああそうだ、その時ニゲラも一緒でいいかな? 最近あまりかまってやってないから、ちょっと元気が無くて」
「あ、はい、ニゲラさんでしたら問題ないです」
ニゲラはルーの認識では、最もタチバナと関係のない人物で、しがらみも無い。これがワームウッドだったりしたら、流石にしがらみが多いとルーも拒否した事だろう。
オキザリスは初めて聞く名前に素直にサトルへと問う。
「誰?」
「息子」
端的に帰ってきた答えに、オキザリスは顔をしかめてサトルを指さしアンジェリカを見る。
こいつ息子なんている歳なの? って言うかその息子って赤ちゃん? 幼児? 何? と、顔に描いて有るかのようだ。
アンジェリカは苦笑し違うわよと首を振る。
「自称よ。なんでも……言っていいのかしら?」
説明しようとして、確かにニゲラの存在は説明がしにくいことに気が付くアンジェリカ。横でルーもどう説明するのがいいのでしょうかと、口元に手を当てて考える。
ニゲラが竜である、という事は一応一部の人間にだけ伝えている話だ。
「信用してもらえるか分からないけどどうぞ。秘密にするほどのことでもないだろ」
秘密にしなくてはいけない人物と聞いてか、バーベナがやや身構える。
「どういうことですか?」
アンジェリカは下手に隠して不安にする必要もないかと、ニゲラについて包み隠さず、と本人は思っている話をした。
「竜らしいわ。特殊な竜で、サトルの血を舐めて人の姿に変身できるようになったそうよ」
「はあ? 何それお伽噺の世界じゃん!」
信じられないのだろう、思わず叫ぶオキザリスの足下で、ずっとついて来ていた「聖なる白い牛」ことモーさんが抗議の声をモモーッと上げた。
「あ……」
確かにお伽噺の世界だ。しかし、そのお伽噺が実在する。その生きた証拠がモーさんであり、その上でフォンフォンと鳴くキンちゃんたちだ。
「……そっか、そうだよね、こんなのお伽噺の世界だ」
その場でしゃがみ込み、オキザリスはモーさんの頭を撫でた。気持ちよさそうにモーと鳴くモーさん。モーさんはルーに懐くのも早かったが、どうやらオキザリスのこともすっかり気に入っているらしい。
モーさんはまるで何かを問いかけるように、オキザリスに向かって二度、モー、モーと鳴いた。
オキザリスはそんなモーさんに向かって、そうだよね、と頷くと、すっくと立ちあがってサトルへと向き直る。
「……サトル、疑ってごめんね、あんたたぶん本物の勇者だと思う」
そんな真剣に宣言されるべきことなのかと、サトルは困ったように後ろ頭を掻く。
「……今まで疑ってたのか」
「だって弱いし、ひょろいし、ただのお人好しだし……でもスッゴイ悪い奴みたいな噂立ってたし」
その噂については、サトルも憂慮していたことだったのだが、やはりそれでサトルの人柄は疑われていたのだろう。
「まだ疑ってる? 俺が悪人だって」
オキザリスは首を横に振る。
「噂を立ててた奴らがどんな思惑だったのか、全部調べたからね、今更疑わないよ。それにあんたが死ぬほどお人好しで、本当に死にそうになったのもこの目で見たもん。そこまでして疑わない」
あの雨の日に、サトルが自分の魔力の全てをかけてやったことを、どうやらオキザリスはお人好し故の善行だと思ったらしい。
サトルは違うんだけどな、と言いかけて、あえて飲み込んだ。
バーベナ、ベラドンナ、オキザリスの三人に信用されるのは必要不可欠だ、ここでそれを全否定してはいけない。
サトルはそこまでお人好しじゃないさと、軽い謙遜をするにとどまった。
その日のガランガル屋敷でのこと。
サトルはニゲラに興会ったことを全て話した。
ニゲラはサトルの話を聞き、目に見えてホッとした様子だった。
そしてサトルは、三日後に三人と食事をする約束をしたことを伝えた。
「というわけで、皆と一緒の食事、付き合ってくれるかな?」
ニゲラは言葉が出ないのか、ボロボロと涙をこぼし、サトルに抱き着き声を殺して泣いた。
ニゲラはタチバナではない、それでもタチバナの記憶がそうさせるのだろう。
この子もまた、タチバナの死というモノに捕らわれているのだとサトルは気が付いた。