10・優しい人と狡い人
アニスにクッキーのレシピを伝えタイムに礼を言った後、奥の席に戻ってみれば、すっかり憑き物が落ちたような顔をした五人に迎えられた。
「随分さっぱりしてる」
何を話したのかは知らないが、五人が五人ともスッキリとした顔をしていたので、サトルは小さく笑った。
ルーはそんなサトルの表情を指さして、そちらも同じだと返した。
「サトルさんこそ」
「否定はしないな」
お互いに人に頼るのが苦手な者同士、ルーとサトルはお互い笑みを交わした。
その足元で、モーさんとその背に乗った妖精たちが、実にいい仕事をしたと言わんばかりの、清々しい笑顔だったのは、きっとサトルの気のせいではないだろう。
話を聞くと、三人はどうやら今後もルーへの直接の面会は控えるらしいこと、オキザリスだけはサトルを気に入ったという名目で、ちょくちょくサトルの元を訪れるつもりでいる事、今後の三人の生活はアンジェリカが支援をすることなどが決まったらしい。
やはり三人は今あまり裕福ではなく、困窮こそしていないが、それでも活動に余裕が無いという。
それと、オキザリスの女装は本人の趣味の範囲なので、今後の支援にアンジェリカからの衣装提供があるということに、サトルは若干驚いた。
アンジェリカ曰く「元からこの子は私の同好の士なのよ」とのこと。
クレソンとバレリアンを仲たがいさせたことに関しては、確かにクレソンやバレリアンにやたら構ってほしがって絡んでいった事は有るが、元々あの二人は喧嘩友達のような関係性もあり、勝手に自滅しただけだとオキザリスは言った。
あの二人ならあり得そうだと、サトルもルーたちも納得した。
マレインはどうやら何度かあの二人に「注意」という名の折檻をしたことがあるらしいので、二人のもめごとに関してはオキザリスだけのせいではないと思われた。
ある程度話を済ませ、サトルは切り出した。
「今後のことは……また近いうちに詰めよう。今日は三人に一緒に行ってほしい所があるんだ」
銀の馬蹄亭を出た後、サトルはさっそく目的の場所へと向かった。
場所はマーシュとマロウの鍛冶金物を扱う店。基本は武器屋らしいが、鍋や包丁、剃刀などの日用的に使う金属製品も扱っているので、サトルとしてはかなり重宝している店だ。
サトルについて歩きながら、ルーは何故その店なのかと問う。
「マロウさんのお店で何をするんです?」
ニゲラに言われたから、とは言えないので、サトルは軽く誤魔化す。
「うーん、それが、多分タチバナが何か残してるはず、っていうことくらいしか分からなくて」
それを聞いてオキザリスは拗ねたように顔をしかめ、サトルの腰に背中から抱き着いた。
「どうせルーにでしょ」
オキザリスは意地悪のつもりなのか、態と足を動かさず、サトルに引きずらせる。拗ねて甘えてじゃれついているのだろうと、サトルはオキザリスの奇行を受け止める。
「いやそれが、ルーにではないっぽいんだけど……歩きにくいよ、俺そんなに力持ちじゃないんだから、重いって」
「重くないよ」
確かにオキザリスはヒースと変わらぬ年代の少年にしては軽いだろうが、それでも四十以上キロはあるのは確実なので、サトルはじりじりと前のめりになっていく。
「重いですよ、ほら、もう離れて、サトルさんが先ほどから亀の歩みです」
見かねてルーがオキザリスの腰を取り引っ張るが、それは逆効果で、必死にサトルにしがみつくオキザリスのせいで、サトルは歩みが止まってしまった。
固まってもぞもぞ動く三人を見て、アンジェリカが呆れたと肩をすくめる。
「三人とも何をしているのかしらね」
ベラドンナはそんな様子を見て、むしろ良いことだわと満足気。
「いいのではなくて? リズが久々に楽しそうだわ」
とりあえず引き離してあげた方がいいのでは、と、小さい声でバーベナが言うが、それは聞こえていないようだ。
そんなぐだぐだな歩みの末、サトルたち六人はなんとかマーシュとマロウの武器屋にたどり着いた。
店内に入れば、すぐに店の中央の作業台で金物を研いでいたマーシュが気が付く。
「いらっしゃ……ああ、凄いな、サトル」
サトルが後ろに連れていた五人を目にし、マロウは感動したように呟いた。
マロウはサトルが連れて来た五人の関係性を知っていたのだろう。
そう言えば、マロウがタチバナとどういう関係の人物だったのかは聞いたことは無かったが、ニゲラがこの店のことを知っていたという事は、タチバナの生前から交流があったという事だろう。
「どうも。凄いって?」
サトルの時に、マロウは手入れをしていた手を止めて、丁寧に道具を仕舞いながら言葉を返す。
「うん……ずっと、気にしてたんだ。君らの事」
マロウが道具を仕舞うという事は、彼はルーたち、もしくはその後ろのバーベナたちと長く話をしたいと考えているのだろう。
サトルはそう思い少しマロウの視線から外れる場所に避けた。
マロウが穏やかに笑みを向ける先で、バーベナ、ベラドンナ、オキザリスがそれぞれ挨拶をする。
「お久しぶりです」
「ご無沙汰しています」
「まさか覚えられてるって思わなかった」
オキザリスの天邪鬼な言葉に、マロウは変わらないなと苦笑すると、不自由な足を引きずるようにオキザリスの方へと歩いて行く。
「覚えてるよ……それに、タチバナから相談もされていたから」
オキザリスは少し迷ったのち、マロウが無理に自分の方会出歩いてこなくても良いようにと、傍へ駆け寄り腰に抱き着き体を支えた。
サトルはそれを見て、何故オキザリスに抱き着き癖があるのかを理解した。
「相談って? 先生何を話してたの?」
マロウを支えながら、オキザリスはマロウが行きたい方へと付いて行く。
「奥にあるから、少し手伝ってくれるかい? リズ」
「いいよ、別に暇だし」
口から出る言葉はひねくれているが、流石にルーたちの弟分なだけあって、困っている人間を見捨てることは無いらしいオキザリス。
ニゲラがここに三人を連れて行くように言った理由の半分は、これなのではないかと思えた。
「どれくらいここを訪れていなかった?」
サトルはバーベナとベラドンナに尋ねる。
二人はマロウを支えるオキザリスを見ながら、泣きそうに顔をゆがめる。
「先生が亡くなってから、一度も訪れていませんでした」
「以前は、リズが大好きな場所だったから頻繁に来ていたのですけど」
オキザリスが大好きな場所。その理由はきっと彼でも支えてあげられる人間がいるからだろう。
自己証人欲求の強いオキザリスは、自分が誰かに頼ってもらえる人間でありたいと思っているようだった。
サトルに頼みごとをされたときの生き生きとした表情は、ヒースがサトルに質問を受けて答えを返す時の物に似ていた。
またサトル自身も、誰かに頼ってもらいたいと必死になる気持ちを持っている人間だったので、オキザリスの気持ちはよく分かった。
マロウはそんなオキザリスの欲求に気が付き、あえてオキザリスを頼っているのだろう。オキザリスに向ける視線のやさしさからサトルはそう考える。
そんな大事にされた人間関係を、半年も断つほどに、彼女たちはルーのために必死になっていた。
サトルはあらためて、タチバナの死を利用しているだろうローゼルに強い不信を感じていた。