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コウジマチサトルのダンジョン生活2  作者: 森野熊三
第九話「コウジマチサトルは戦えない」
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12・大敗

 音の衝撃にふらつきつつ何とか振り返るサトル目掛け、大量の水が降り注いだ。生臭い泥の匂いがする水は、どう考えても川を流れるあの濁流。

 降り注ぐ水のせいで視界は塞がれたが、ドウドウと唸るような水音と、なおも続く何かが砕けるようなバキ、ビシビシ、ビキビキビキイ! という不穏な音から、何が起こったのか想像ができた。

 サトルは降り注ぐ水の方向へと向かい足を踏み出した。


「堰が!」


「しまった! まだ伏兵がいたんだ!」


 オリーブとマレインの声が聞こえた。目や口に水が入らぬよう腕で顔を庇いつつ、サトルは背後にいるだろう者たちに呼びかける。


「とにかく一人でも多く助け出す! ニゲラ! オリーブ! マレイン!そいつらを逃がしてやってくれ! オキザリス! ルー! 君らは避難誘導を!」


 マレインがすぐにできるわけがないと怒鳴り返す。


「馬鹿なことを! こいつら助けている余裕なんてあるものか!」


「それでも殺したくない! マレイン達の安全の方が優先だってのは分かる、でもできれば、そこの氷の檻のやつらは逃がしてやってくれ!」


 言いながらサトルは、足もとに転がっていたイグサを引きずり上げ、無理やり顔を水から出して、覆いかぶさるようにして降りかかる水から助けてやる。

 身動き取れずに噴き出す水で溺れかけていたイグサは、サトルの陰でガハガハとせき込み、飲み込んだ泥水を吐き出す。どんなに敵対していても、サトルの目には自分と同じ人間にしか見えない。この人間を見殺しにするなんてできるはずが無かった。


 誰もサトルの顔を見てはいないが、サトルの顔面からは完全に血の気が引いていた。

 サトルは耳の奥に心臓を入れられたかのように、どくどくと激しく脈打つ音が脳髄に反響し、頭痛を伴う耳鳴りや眩暈で立っているのもやっとだった。

 親や友人たちを亡くしたあの洪水を思い出し、恐怖が体の自由を奪うよう。


 それでもサトルは、掴んだイグサの服に魔法をかける。


「ベルナルド、この氷を溶かしてくれ」


 サトルの頼みを聞き、ベルナルドはイグサを拘束する氷を溶かす。とたんイグサはサトルを突き飛ばし、転がる様に逃げ出した。


「クソ! 君って奴はとんだ大馬鹿だな!」


 マレインの叱責に、サトルは分かってるよと答える。


「自分の馬鹿さ加減はよく知ってる! それでも助ける! 絶対にだ!」


 大切な人を失ったあの日、サトルは大量の水が人を、家を、学校を飲み込むのを見た。恐ろしくて震えていたサトルを突き動かしたのは、それでも助けなければいけない人がいたからだ。

 たった一人にしか手が伸びなかったあのころとは違う。サトルの手は二本しかなくても、サトルに手を貸してくれる人はいっぱいいる。

 その手を借りて何が悪い! 借りるべきは今なんだ、頼るべきは今なんだ! そうサトルは自分を鼓舞する。


「頼むマレイン! みんなを助ける力を貸してほしい!」


 答えは返らない。それでもきっとマレインならばやってくれるだろうと、サトルは考える。彼は身内には甘い男なのだ。そんなこととっくに知っている。


 サトルは自分の震える膝を殴りつける。

 水は尚もドウドウと音を立ててサトルの上に降り続けている。堰に入った罅は徐々に大きくなっているのか、流れ出し、サトルに降りかかる水の量も多くなっていく。

 サトルは水に押し流されないように一歩一歩堰に向かって進んでいく。

 背後で誰かが呼ぶ声を聞いた気がしたが、それらは全て水に流れた。

 きっと彼らはサトルのことを心配している。だが彼らはサトルと違って勇気もあり賢くたくましい。だからきっと、サトルの頼みを聞いてくれるはずだ。

 サトルは口の端に笑みを浮かべる。


 サトルの伸ばした手が堰の表面に触れた。


「ベルナルド! 凍らせろ! 堰のこの穴の部分だけでも!」


 降りかかる水を飲みながらも、必死にサトルはベルナルドへと命じる。


「ドラゴナイトアゲートも、俺の魔力と体力も尽きるギリギリまで使い切ってかまわない! この水を止めてくれ!」




 目が覚めれば見知った天井。サトルはぼんやりと自分に何が起きたのかを思い出そうとした。


 しかし記憶があるのは、下の町のスラムでごろつきめいた男たちと戦ったところまで。

 なぜ自分がジスタ教会の治療院に運び込まれたのかは思い出せなかった。


 キンちゃんたちは全員ではないが、サトルの傍にいてフォンフォンと心配そうに鳴いている。中にはテカちゃんやエールちゃん、プクちゃんなども交じっていた。


「また無茶をしたのよ、覚えてないでしょ?」


 ベッドの横に置かれたスツールに腰を下ろし、アニスが心底呆れたと言わんばかりの声でそう言った。

 声は呆れたと言わんばかりだが、その表情は今にも泣きだしそうに見えて、サトルは思わず手を伸ばす。

 酷く腕が重かったが、なんとかアニスの膝に手が届いた。なだめるようにポンポンと軽く叩く。


「心配かけてごめん、な」


「本当ね! 悪いと思っているならゆっくりしてなさいな!」


 泣き顔は泣きそうな怒り顔になり、アニスはそれだけを言うと、怒った様子のままサトルの手を掴み、ベッドの上に戻した。


 アニスは感情が素直だがとても頭の良い子だ。サトルを心配していたと泣いて怒っているが、サトルが無茶したこと自体を責めない。サトルが無茶をすべきだったと理解しているからだろう。


 アニスの反応を見ながら、サトルはじわりじわりと木を失う前のことを思い出していた。

 掌の向こうで強い魔力が動いて、堰に走った罅の隙間を氷が埋めていくのを感じていた。流れる水すらも凍らせる強力な力を使ったサトルは、堰から漏れる水が止まったのを確認してから気を失ったのだ。


「……氷は、溶けたよな」


 サトルの呟きを拾い、もちろんだとアニスは頷く。


「ええ、溶けたそうよ。でも二時間はもったそうだから」


 それだけの時間があれば、避難誘導もできたはず。十分とは言えないが、最悪なことにはなっていないと思いたい。


「ああでも、残念だけど死者は出てるらしいわ。逃がせない人もいたの……あのあたりには、住んでいる事すら記録に無い人もいるから、全員に避難勧告もできなかったし、仕方ないわね」


 淡々と、サトルが知りたかったことを話すアニス。まるで最初から話すことを決めていたかのようだ。


「……俺は、何日寝ていた?」


 問われてアニスは、ああと深々と息を吐く。あまりにもサトルがいつもの調子だったせいで、すっかり伝え損ねていたらしい。


「そうね、最初にそれを言うべきだったわ。三日よ。ずっと意識が戻らなくて……心音も呼吸も安定してたから、多分大丈夫だと思っていたけど、やっぱっり……いつ死んじゃうんじゃないかって、みんな心配してたから」


 みんな、と言う事は、アニスはルーたちと話をしたのだろう。

 だとしたら、アニスがわざわざサトルが知りたかったが、聞いて気を落とすような情報を口にしたのは、きっとあいつの差し金だろうとサトルは苦い物を噛んだような顔をする。


「君に情報を伝えるように頼んだのは、ワームウッド?」


 アニスは少し驚き肯定した。


「ええ、何でそう思ったの」


「意地の悪い情報の伝え方だと思ったから」


 サトルが水害で人が死んだと聞いて落ち込むことは分かっていただろう。そんな情報を、後で聞いて落ち込むくらいならと言わんばかりに、目覚めて一発目に伝えるように頼むのはワームウッドくらいに違いない。

 ルーであればあえて隠し、マレインであれば必要ない情報だと聞かれるまで答えなかったはずだ。


 ワームウッドは意地悪だ。しかしその意地悪は自分が思う通りに行動できないジレンマの裏返しであることもよくあった。

 だからワームウッドがこの情報をサトルに伝えさせて、何を訴えよとしているのかもわかった。


 サトルは口元を押さえ呻くように吐き出す。


「まあ……もれなく掬うなんて、人間にはできっこないことくらいわかってる……それでも、助けたかったんだ」


 聞き取れなかったのだろう、アニスが前かがみになりサトルに耳を寄せる。


「何でもない、独り言だ」


「そう、なら私はいない方がいい? 聞かせたくないんだったら、聞かないわ」


 そう訊ねるアニスに、サトルはそうして欲しいと頷く。

 アニスはすぐにスツールから腰を上げ、少しだけ考えるように首を傾げた。


「……そうね、次の鐘が鳴ったら、私はルーたちに貴方が起きたことを伝えに行くわ。だから、それまで一人っきりにするわね」


「ああ、ありがとう」


 今が時刻の何時頃か分からないが、鐘が鳴ってからルーがいるだろうガランガル屋敷に行くのだとすれば、サトルが気持ちの整理をする時間としては十分だろう。

 アニスが完全に部屋から出ていくのを見届け、サトルは一人静かに泣きだした。


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