4・戦場は
下の町ではすでに道路上に水が溢れ、足を持ち上げるのも難儀する様なありさまだった。
元々こちらの町は上の町ほど排水がスムーズにはいかないから、雨が強いとこんなものだとタイムは言うが、サトルはそれだけではないだろうと思っていた。
川の堤防が決壊しかかっているという場所には、タイムの父親をはじめ、幾人もの人間が集まっていた。数にしておよそ三十人以上。他にも人がいるのか、指示が飛び交う様子から、別に動いている人間がいることも分かった。
叫ぶようにタイムが父親を呼ぶ。
「悪い親父! 遅くなった! 助っ人連れて来た!」
「まだ向こうにいくらでもあるんだ、早く運べ!」
「分かってるよ!」
タイムの父親がサトルたちの傍へと駆け寄ってきた。
「すまんね、サトルさん。あんたの所の牛を使わせてほしい。人が運ぶとどうやっても時間がかかるうえ、この雷だ、馬もろく言う事を聞かんのよ」
タイムの父親の言う通り、豪雨に見合う激しい雷が時折空を白く染めていた。
落ちるタイミング次第では、いくつもの雷が繰り返し、確かにこの状況では臆病な馬は使えないだろうと思えた。
「いいえ、俺で力になれるならいくらでも呼んでください」
タイムがサトルを呼びに言った理由はほぼモーさんの力を借りたかった、に尽きるらしい。モーさんように荷車まで用意してあった。
「ただ……」
「白い牛は一匹じゃないのか!」
サトルの背後に続くモーさんたちを見て、タイムの父親たちは驚き、それに対してモーさんたちはモー! と力強く肯定する。
「ありがたいが、よし、分かったすぐに他に車を」
「繋げるか分からんよ、白い牛は体格が良すぎる」
「他に牛用の腹帯はあったか?」
サトルへの窓口はタイムの父親が仕切るらしく、サトルに向かって荷車をすぐに用意すると伝えるが、他の者が取り付けられるか分からないと進言する。
「大丈夫です。モーさんはある程度自分の体の形を変えることができるんで、どんな荷車でも大丈夫です。滅多な事じゃ体が傷つくという事も無いので、道具がなければ荒縄で無理やり括りつけても平気です」
モーさんが任された荷物を落とすことが無いというのは、サトルが何度か運んでもらった経験から、間違いなく大丈夫だと言い切る事が出来た。
荒縄と聞いてさすがに驚かれたが、それならすぐに用意できるだろうと、荷車を調達しに何人かの男たちが走って行った。
サトルはそれを確認すると、クレソンとバレリアンの腕を引き、ここは人手が足りていると伝える。
「クレソン、バレリアンお前たちは孤児院を回って子供らをなだめてやってくれ」
言ってサトルはニゲラに持たせていた肩掛けのカバンを受け取ると中身を漁る。
ニゲラはサトルにカバンを返すと、事前に言われていたこともあり、人目を避ける場所へと駆けていくと、人に見られないように背に翼をはやして上空へと向かった。
「はあ? 何言ってんだ、俺たちは」
抗議しようと口を開いたクレソンの手に、カバンから取り出した陶器のジャーを二つ押し付け、絶対に落とすなよと念を押す。
「中身は全部やる。けどその瓶割れやすいから大事に扱えよ。気に入ってるんだ」
思わず受け取り、クレソンはジャーをしっかり抱え戸惑うようにサトルに問う。
「これ何だよ」
「俺がちまちま集めてた飴とシュガースケイル。こんな大雨だ、雷もなってるし、怯えた子供を落ち着かせるのに使えるなら使え。もしかしたら避難誘導が必要になるかもしれない。あと、雨に濡れて体温が下がってる時にも舐めとけ」
サトルの答えにバレリアンが苦笑する。
「何か支度をしてると思ったら」
クレソンが孤児院にいる妹を気にしてから下支度がこれだというのだから、最初からサトルはクレソンたちを孤児院に向かわせるつもりだったのだと分かった。
「必要なのはモーさんであって、人手じゃないならお前らはいいだろ。適材適所だ、俺は場所を知らないし、頼みたいんだ。いいだろタイム?」
サトルに話を振られ、父親と情報を確認しあっていたタイムは、もちろん構わないと答える。
「ああそれがいいかもな。サトルの話だと、もしかしたらこの雨続くかもしれないんだろ? だったら避難誘導のできる奴必要だしな」
「そうだな、子供は足が遅い、すぐに動けるように準備をしてもらっておいた方がいいか」
タイムの父親迄同意をするので、クレソンはますます言葉を失う。
「そうだよ。っと、ついでにシーちゃん、クレソンとバレリアンについて行って照らしてやってくれ。光が欲しいと言われたら、照らしてやってほしい」
クレソンやバレリアンの部屋で明かりの代わりとして働いていたシーちゃんは、任せてくれとばかりにフォフォーンと強く鳴いた。
その声が聞こえたのか、クレソンは自分の目の前に漂う光に向かって、ありがとうなと声をかけた。
例え日が暮れても、道を先導する明かりも問題ない。子供たちの身の安全を守るという名目の元、自分を妹の元に送り出そうとするサトルに、クレソンはもう一度頭を下げる。
「恩に着る」
「違う、俺が頼んだんだ。お前に任せた」
「ああ、分かった」
「必ずや信頼に応えますよ」
サトルにそう返すと、二人は競うように走り出した。クレソンはサトルから渡されたジャーを、しっかりと抱きしめていた。
二人を見送っている間にモーさんたちの支度はできたらしく、さっそくヒースが先に行くよと土嚢を積みこみに向かった。
「サトル、こっちはどうする?」
ま脱以下の荷車は来ていなかったが、モーさんの首から肩回りには、すでに荷車を取り付けられるようロープがめぐらされている。モーさんは早く使ってくれと言わんばかりに、それを誇らしげに胸を反らしてサトルに見せる。
「ああそうか、悪い、タイムが先導してやってくれ、俺はもうちょっとここで様子を見る」
まだニゲラがもどってきていない。話を聞かなくてはいけないのにと、サトルは目元を庇いながら天を見上げる。
視界が悪く、ニゲラの姿は確認できない。
仕方がないのでもうしばらく荷車を待つかと視線を降ろすと、それを待っていたかのようにマレインがサトルに声をかけた。
「サトル……先ほどクレソンたちに言っていたことなんだけれどね、避難誘導ってことは、君は川の氾濫は避けられないと思ってるのかい?」
できるならサトルの杞憂であってほしい、そう思っているのだろう。硬いマレインの声。しかしサトルはそれを一蹴する。
「当たり前だ。ガランガルダンジョン下町は石を敷いてる。路上の水は全部川に流れ込む。その石畳の上がすでに川だ。なら婆の堤防の向こうは、推して知るべしだろ」
足を絡めとり重く感じるほどの水がすでに石畳の上を流れていた。
マレインは自分の足を持ち上げ、ため息を吐く。
「そう言われてみればそうだな」
最悪な事態も想定するべきだというサトルに、マレインは頷くしかない。
「ニゲラの情報待ちだが、今日中に雨が上がらない限り、遅かれ早かれ被害は出るんじゃないかと思ってる」
噂をすれば影が差すというわけではないが、サトルがニゲラの名を口に出したところで、地上に降りてきたニゲラがサトルの元へと戻ってきた。
「父さん! 見てきました! 雲はかなり遠くまで続いています。寄る迄降り続くのは確実で、それ以降も降るかもしれません」
ニゲラのもたらした情報に、サトルは分かったと単調な声で答えた。