2・敵が人とは限らない
何故モーさんを必要とするのか、そう問うサトルに、タイムは焦った様子で説明をする。
「とにかく大量の土を運ぶんだよ。土嚢って知ってっか?」
土嚢はもちろん知っている。袋の中に大量の土を詰めて作る重しのことだ。サトルのいた世界では主に水害が起こりそうなときに、対処するために使う資材でもある。
川が溢れないように川岸の左右を地表面より持ち上げ造成した堤防が崩れないように補強したり、玄関に水が入ってきそうなときに、水の流れを堰き止めたりすることに使う。
ちょっとした水を堰き止めるくらいならば、人間の手で運べばいいだろう。この世界には車輪の付いた手押しの荷車が存在していることはすでに分かっている。
しかしそれでは足りないと思う程の量の土嚢を運ぶ必要が有るのだとタイムが言うのなら、きっと「ちょっとの水」ではないのだろう。
サトルは自分の心臓が不規則に強く脈打つのを感じた。
「何処か河川が決壊しそうなんだな?」
サトルの問いにタイムは間髪入れずに答える。
「ああ、下の町の貧民窟の方で」
「あそこかあ、そりゃあまずいな、ビワのいるとこじゃねえか」
タイムのノックの音を聞いて出てきたのだろう、クレソンはそう言うと、すぐに踵を返して自分の部屋へと帰っていく。
サトルは近寄ったことは無かったが、この町にも貧民窟と呼ばれるような、貧しい人間が集中して住む場所がある。
場所は一応ガランガルダンジョン下町の城壁内ではあるものの、ヤロウ山脈側にある場所なので日当たりが悪く、ガランガルダンジョンが乗っかる大きな岩盤からは外れており、土地が低いのでこの時期はいつも水があふれていると聞いていた。
大きな道の舗装は一応してはあるが、補修はしていないのでがたがたで、人が良く通る道は凹んで水が溜まり、日当たりが悪いせいで不衛生とも。
サトルが地図で確認した時には、ガランガルダンジョン下町内を流れている川の蛇行跡、いわゆる三日月湖が干上がった後のような形をしていると思ったことがあった。
もし本当に川の蛇行跡だとすれば、そこはさらに周辺よりも一段低い土地なのは間違いないうえ、もう一度川の蛇行が起こり川の流れがその場所に戻ることが無いとは言えない。
水害が起きた際、水没の危険が何よりも高い場所だろう。
タイムの店がある場所からはそれなりに離れているはずなのだが、なぜそこをタイムが気にしているのだろうか。
気にはなったが、助けない理由にはならないので、サトルはあえて問わずにタイムへの助力を約束する。
「分かった、すぐに用意をする」
サトルはルーの家の中に向かって叫んだ。
「モーさん、全員集合! 俺に力を貸してくれ」
サトルの声に応えて、無数のモーさんたちが家の中から這い出してきた。
サトル以外には妖精はほぼ光の粒にしか見えないはずだが、その場にいたルーやクレソンたちも何かを察して足下に流れてくる光の粒に目を落とす。足元を埋め尽くすほどの大量のモーさんたちの声が響き渡る。
「モモモモモー!」
二階建ての建物より頭一つ大きい巨大なモーさんが高く嘶いた。
「何かでけえしいつもより声はっきりしてるしこっわ!」
モーさんの足の下でタイムが叫び、何だこれはと目を白黒させ巨大モーさんを見上げる。
「モーさん三体分裂! サイズは牛! 残りは分裂してそれぞれ随行してきてほしい」
さらにサトルが指示を出すと、モーさんは答えるように鳴く。
「モモモモモー!」
三体の真っ白な牛が現れ、その周辺には神秘的な光の粒が浮遊していた。
サトルの目にはその浮遊する粒は、は虫のような羽をはやしたモーさんたちに見えるので、若干精神的に来るものがあるのだが、それはまあ仕方がない。
「お、おお……なんかよくわかんないけど、頼もしそうだな!」
とりあえずタイムは理解できないことは理解できないで放置して、モーさんが増えたという事を喜んだ。
「一号モーさんは俺に、二号モーさんはヒース、三号モーさんはワームウッドについて行ってくれ」
サトルはヒース以外にもワームウッドが騒ぎに気が付き出てきていることを確認して指示を出す。
ワームウッドは少しだけ不機嫌そうに唇を尖らせ、尾を上下にくゆらせるが、最終的には仕方ないかと肩をすくめる。
「何で僕が当たり前のように……まあ、いいけどね」
「師匠サトルに信頼されてるんだよ」
ヒースはモーさんを任せてもらうということが嬉しいらしく、はしゃいだような笑顔。不謹慎だよと唇を尖らせたワームウッドに尻尾を掴まれ、ギャッと驚き飛び上がった。
サトルが指示を出している間に、ぞろぞろと騒ぎに顔を出す下宿人たち。
もちろんニゲラも出てくると、サトルに向かって元気よく宣言をする。
「父さん僕も手伝いたいです!」
ニゲラにははなから手伝ってもらうつもりだったよと、サトルは元気よく手を挙げるニゲラの頭を撫でる。
「土嚢を積むって仕事は確実に力仕事だ、助かるよ。ニゲラは俺について来てくれ。ちょっと荷物を用意するから、それも持ってくれ」
「はい! 分かりました」
そう言ってサトルは支度とやらをするために屋内に戻っていく。その後ろ姿を見ながらルーは不思議そうに首をかしげる。
雨が苦手、雨によって引き起こされる水害にトラウマがあると公言していたはずのサトルが、何故よりによって災害が起きるかもというこの時にここまできびきびと動くのか、不思議でならないとルーは唸る。
「何だか何もしてないときより元気じゃないですか?」
様子を見に来たアンジェリカが、むしろ納得だと説明する。
「サトルだからでしょう。彼、一番苦手なのはただ何もできないことのようだし、気分が塞ぐ理由は、考えたくもない最悪を考える癖があるからのようよ。だから行動ができる方が楽なのだと思うわ。ルーが川に落ちた時もそうだったわよ、ねえモリーユ、ヒース」
以前ダンジョン内でルーが川に落ちて流されかけた時、確かにサトルは苦手なはずの水の中に躊躇いも無く飛び込んでいたように見えた。
モリーユとヒースはその時サトルと一緒に行動していたので、傍から見た感じでは確かに一瞬の躊躇いすらなかったようだったと同意する。
「そういう物なんでしょうか? サトルさん……無理をなさってないといいんですが」
心配するルーとは対照的に、アロエが寧ろいいことじゃないかとけらけらと笑う。
「いいじゃん、いいじゃん。サトルは考えるよりも動く方が向いてるんだよ。心配ならうちらもついてってみよっか?」
アロエの提案にやはり様子を見に来たカレンデュラとオリーブが賛同する。
「良いわね、私は賛成よ」
「ああ、もちろんそのつもりだ。サトル殿のこともだが、タイムにもいつも世話になっている」
オリーブの助力はありがたいとタイムは手放しで喜ぶ。
「あざっす、姐さんがいるなら百人力ですよ」
オリーブたちが付いて行くことは確定事項らしい。
心配ならついて行く、実に単純な話だが、確かにただ心配するよりは建設的だろう。
「そうですね……微力ながら手伝います。少し支度をしてきますね」
大粒の雨は降り止まず、このままスカートで繰り出しても明らかに移動の妨げになるだけ。ルーは着替えてくると部屋に戻った。
サトルたちが支度を整えエントランスに戻ると、そこには軽装ながらもしっかりと身支度を整えたクレソンたちがいた。
撥水性のある革のコートを上に着込み、普段手にしている武器の代わりに、ロープや土を掘り返すのに使うのだろうシャベルを手にしている。
「……俺も行く」
クレソンはサトルに詰め寄ると、問答無用で着いて行くと宣言をし、不機嫌に黙り込んだ。代わりにバレリアンが理由を口にする。
「僕らも付いて行きます。ビワちゃんのことも心配ですしね」
聞いたことのない名前だが、そう言えば先程もクレソンが口にしていた名前だったとサトルは首をかしげる。
「ビワって誰?」
クレソンが答えない代わりに、マレインが補足する。
「クレソンの妹かも知れない少女だそうだよ。貧民窟の傍には、そこで産まれて育ててもらえなかった子供を収容する施設がある。たぶんそこにいるのだろうね」
子供。その言葉にサトルは眉をしかめる。
「……分かった、なおさら助ける」
低く、力強く宣言するサトルに、マレインは「そういうだろうと思った」と満足気。
「さすがは我らの親愛なる勇者殿。では我々もしっかりと君のために働こうか」
その言葉がどこまで本気かはわからないが、とても頼もしい言葉だとサトルは苦笑した。