1 超インパクト客 前
とある場所の十五年以上前のことだ。
木々がまばらな林の中を二人の男が歩いている。一人は三十手前で、もう一人は二十を少し過ぎたくらいか。
頭上からは木の葉や枝を通った光が注ぎ地面を照らしているため薄暗いといったことはない。藪などがところどころにあるが、そう多くはないため見通しが悪いといったこともなく、二人は歩きづらそうな様子を見せていない。
二人の男は厚手のシャツの上に硬革製の鎧を着こみ、手には一メートルを超す槍を持つ。
なにかを探している様子で常に周囲へと視線を向けている。
「どこにいるんかねー」
「ここに入っていくのを見た人が何人もいるから、ここを拠点にしてるはずなんだけどな」
「探し始めてもう三日目だぜ? いない可能性も考えた方がいいんじゃないか」
「かもしれんが、いないと判断にするには情報がたりないからな。もう少し探す必要がある」
「めんどうだなー」
二人が探しているのは猪だ。畑を荒らす獣がいるというので、それの討伐依頼を受けたのだ。猪の数は多くても五頭ほどと見られており、軍ではなく民間に依頼が出された。二十頭ほどの群れだったら軍が出張ることになっていただろう。
「次の依頼は境界向こうのものにしないか? そろそろあっちに行っても大丈夫だと思うんだ」
「そうだなー、俺も一度は行ってみたかったからいいかもしれんな。魔物が手に負えそうにないなら国内の依頼に戻ればいいしな」
「よっしゃ決まりだな。あとはさっさと猪ぶっころそーぜ!」
どこにいるかと視線をあちこちに向け始めたとき、二人は異様な気配を感じ取った。
それは強烈の一言で言い表すことができ、鳥や虫も瞬時に息を潜めるほどの危険性を感じるものだ。
風に揺れる木の葉の音のみという静かな林の中で、鳥肌を立てた二人は一分ほど固まっていたが、いつまでのこうしてはいられず無言のまま顔を見合わせる。そのとき互いの目が不安に揺れているのが見えた。
どうする? 行ってみるか? と無言のまま意思を交わし静かに気配の方向へと歩き出す。いつもの三倍ほど時間をかけて歩いてもなお慎重さが足りないのではと思いながら進むと、木々の向こうに白い物体が見えた。
また無言で顔を見合わせる。あれ知っているか? いや知らない、お前は? とアイコンタクトで会話し、全容を見るためもう少しだけ進む。
男たちは木陰から顔を覗かせ同時に思う。なんだあれは、と。
それは白く大きな四足獣だった。しかしそれを動物と言うには頷けないものがあった。体毛はなく、しわと傷一つない真っ白な肌。大きさは二人の身長をはるかに超え、顔から尻まで五メートルを超す。顔に目はなく、口も穴があるだけで歯はない。足にも爪はない。まるで動物になりそこなった白い物体だ。
押し潰そうかとする存在感がなければ彫刻家の失敗作といって納得しただろう。
「どうする?」
小声で問う。自分よりも経験豊富なもう一人ならばなにかしらの考えがあるかと。問われた方はその期待には応えられない。どうすればいいのかなど自分が聞きたかったのだ。それでも一つわかることがある。
「手を出したらやばい」
これだけは自信をもって断言できた。本能があれは危ないものだと警告を発しているのだ。かつて一度見たことのある魔物、それよりも危険なものだと確信に近い予想を持つ。
「見つからないように静かに帰って軍に報告だ」
いいなと告げられ頷き、ほんの少しのミスもしないよう慎重に動き出す。
たっぷりと時間をかけて林を抜けた二人はいっきに走り出し、町を目指す。
二人の報告を受けた役所はそれを疑いながらも二人の必死さから、町から一日ほど離れた場所を国内警邏していた軍の小隊に情報を送る。
情報を受けた小隊も、魔物が出没する国境から離れたこの場所に魔物がいることに不思議がりながら発見場所に向かう。そして周辺を探索し白い四足獣を見る。
この発見が、昔から起こることが確定していた世界危機が表面化した日だった。
これを発見した二人も軍も理解していない。自分たちが見たものが世界危機を引き起こすものなのだと。
◆
時は二十一世紀、場所は日本。
風にまだ冷たいものは混ざるが、梅の花はもう盛りを過ぎて春の訪れが近くに感じられている季節。
今日は土曜日、午前中で学校が終わり、帰る前に近年実用化されてきている大型ロボットについて話した後、のんびりと帰宅している少年がいる。とくに目立ったところのない平凡な容姿で、肉体も鍛えられているということない。高校生としては当たり前どこにでもいる、そんな少年だ。
名前は二島蒼太、雲一つないよく晴れた日に生まれ、その空の蒼さが印象的だったので名前に蒼の字が入った。あとは空のように広い心を持ってくれればと願いが込められたが、そこまで寛容な心は持てずに育った。
帰ったらなにするかなと考えながら、蒼太は家に近づき駐車場に家のものではないセダンが止まっているのに気づく。
「ピッカピカの車だな」
駐車場に止められている車は磨き抜かれていて、黒いボディが陽光を綺麗に反射していた。
少し車を眺めて蒼太はエンブレムからベンツだと気づく。
同時に親戚にこんな高級車を乗り回せる人がいたかと首を傾げた。自分の家も親戚も貧乏ではないが裕福というわけでもない。車にお金をかけるような人はいなかったはずで両親の客の車かなと思いつつ玄関へと歩く。
玄関を開けて、ただいまと声をかける前に勢いよくリビングの引き戸が開く。勢いをつけすぎてガターンと大きな音を立てている。
「なにしてんの母さん」
普段の様子からは想像もつかない機敏さと乱暴さで姿を見せた母に蒼太は呆れた視線を向ける。
声をかけられた母は少しひきつった表情で口を開く。
「蒼太にお客さんよ」
「……俺に客? 誰?」
友達ならば母がこのような様子を見せることはないし、そもそも友達が遊びに来る予定もない。
「お偉いさん」
「……PTAとか教育委員会とか? 問題起こした覚えってないんだけど」
「そっちじゃないわ。もっとすごい人たち」
「なんでそんな人が俺に会いにきたのさ」
「……先に説明は受けたんだけど、私の口から説明するよりは直接聞いた方がいいわ」
上手く説明できる自信がないと言って、蒼太の手を取りリビングに入れる。
中にはスーツ姿の男二人に女一人がいて、座布団に座り蒼太を見ていた。男たちは日本人と一目でわかる。日に焼けた大柄な男と真面目そうな顔つきの細身の男だ。女の方は外国出身なのか顔立ちが日本人のものではない。金に近い茶髪をポニーテールにしている凛々しい美人だ。男たちは三十才を超えているだろう、女の方は二十前半のように蒼太には見えた。
「えっと、どうも?」
三人の視線を受けてとりあえず頭を下げた。そんな蒼太の頭をスパンと母親が叩く。
「きちんと挨拶しなさい。礼儀のなってない子ですみません」
「いやだってさ、帰ってきたらいきなり偉い人がいるって聞かされたら戸惑うじゃん」
「まあ、そうなんだけどね」
母親に座りなさいと言われ、鞄を置いて三人の正面に座る。
じっと濃い茶の目で蒼太を見ていた女が口を開く。
「初めまして。ジャスティーと言います」
続けて大柄な男が宮路、細見の男が佐見宮と名乗る。そのまま佐見宮が話し始める。
「今日は突然訪問して申し訳ありません。驚きになったでしょうが、私たちの話を聞いてもらいたいのです」
「一般人の俺に話さないといけないことなんですか?」
「はい。蒼太君ではないと駄目なことです」
その断言に蒼太は首を傾げる。自身はなにか特別なものを持っているわけではないとよくわかっている。そんな自分ではないと駄目なことなど想像つかなかった。
その表情に無理もないと佐見宮と宮路は小さく苦笑を浮かべた。
「蒼太君ではないと駄目な理由はきちんとあります。それは事前に調査していて間違いはありません。間違いなどないように何度も事細かに調査しましたから。でしょうジャスティーさん?」
「はい。彼こそ私たちが求める人材です」
「そうはいっても勉強もスポーツもそこそこ。料理や楽器が得意とかそういったことはないんだけど。自分で言っていて少し凹んできた」
「それらは真剣にやれば意外とできるものだぞ? そういった鍛練でどうにかなるものじゃなく、天性のものを我々は必要としている」
宮路の言葉にジャスティーが頷く。
「あなたの持つその魔力を私たちは欲しています」
「……」
ジャスティーが言った言葉が信じられず蒼太は無言になる。
魔力、そう魔力とジャスティーはたしかに言った。大の大人が真剣な表情で言うことではないだろうと蒼太は佐見宮たちに視線を向ける。正気かと無言でもよくわかる視線を受けて、二人は真剣な表情で頷きを返してくる。少なくとも二人もジャスティーに同意ということなのだろう。
三人が真剣とは蒼太もわかったが、やはり現代日本に生きる者としては魔力なんて言われても納得はできなかった。ちなみに先に話を聞いていた母親も同じような反応を見せていたし、佐見宮や宮路も初めて聞いたときはそんな馬鹿なと反応を示した。
「まあ、戸惑うのはわかります。ですが本当なのです」
証拠を示さずに佐見宮は言い、すぐにジャスティーに目で合図を送る。
するとジャスティーは指を空中に躍らせなにかを描いた。
なにをと言おうとした蒼太の前に光の塊が現れた。昼間の電灯下なので明るさはそうでもないが、夜ならば煌々と輝くのだろう。
「っ!?」
蒼太は目を見開いて驚きを表す。すぐに周囲を見回して、なにか仕掛けがあるのではと探す。だがなにか見知らぬ機械が置かれているということはなかった。次に夢を見ているのかと疑い、頬をつねったが痛みはしっかりとあった。
「え、えー」
戸惑いから声を上げる蒼太。母親と同じ行動をとったことで、思わずジャスティーたちは小さく笑む。
「ほかにも」
そう言いジャスティーは蝋燭のような火を浮かばせたり、影の塊を浮かばせたりと実演していく。
「このように魔力を使い、魔法を使うことができます。私の何倍もの魔力をあなたは持っているのです」
「ほんとに? これまでそんなもの感じたことないけど。たくさん持ってるなら少しくらいは自覚あるんじゃ?」
「その質問はこちらの人たちに何度かされましたね。それに対してこう答えています。魔力というものは生きていくうえで必須ではないからだと」
ジャスティーに続けて佐見宮が口を開く。
「ジャスティーさんの言うように魔力はなくてもなんの問題はありません。蒼太君もこれまで生きてきて魔力がなくて困ったということはなかったでしょう?」
即頷いた蒼太に同意するように佐見宮も頷く。
「ジャスティーさんたちの世界でも、魔力はないとすごく不便ですが、使えないと死ぬということはないのだそうです。そのような力なのですから切っ掛けがなければ自身にどれほどの魔力があろうが知らずに生きていくということです」
蒼太もここで知らされなければ無駄に魔力を抱えて生きて寿命で死んでいたのだろう。過去にも似たような者がいたはずだ。
切っ掛けを得た者たちはこちらでは霊能力者や超能力者と呼ばれる。ただし正式な使い方を知らないため魔法染みたことはできない。だができないなりに独自の道を突き進み研鑽し、それなりの成果を生み出している。
「確かに困ったことはなかったなぁ。でも魔力があるんだし、俺にも魔法は使えるんですよね?」
好奇心が透けて見える表情で聞く。
「使えるけれど、それよりもやってもらいたいことがあるんだよ」
「それも気になる。魔力が多いっていう俺にわざわざ会いに来てなにをやらせたいの?」
「簡単に言うとテスターだね。魔力を使った製品を作ったんだ。それの限界を知りたい。ついでに科学で作られた機械を向こうの世界に馴染ませるために、特撮番組を作ることになっている。そのスーツアクターもやってほしいんだ」
その逆の試みもされている。いずれくるミレジオリという世界公開のため異世界があると日本人に受け入れやすくするため、漫画やドラマや映画といったものに異世界を題材にしたものが作られているのだ。
そういった題材のものが増えていると気づいている者は多いが、どうして増えたのか真意を知る者は少ない。けれど徐々に人々の心に異世界という存在を受け入れる土壌が作り上げられ、政府の狙い通りの進展を見せていた。
「スーツアクターって俺演技なんかできないっすよ?」
小中学校の学芸会で演劇があったが、それに参加したことはなく大道具といった裏方だった。学芸会での経験があっても素人ということには変わりないだろうが。
「そこらへんは大丈夫。素人が戦いに巻き込まれるっていう設定でやるから。それに撮影前に格闘技の基礎は経験してもらうつもり。じょじょに動きがよくなっていくはず。そこがリアルに感じられるのではと期待している部分でもある」
「指導は俺とジャスティーさんともう一人を予定している」
宮路が言う。体格の良さを見ればなにかしらの格闘技を治めているのだろうとわかる。だがジャスティーもなのかと蒼太は疑問を抱き、それを見た宮路が笑みを浮かべる。
「ジャスティーさんはしっかり鍛えているし、何度か手合せして確かな実力を持っているとわかっている」
「へー……格闘技か、そうかー」
あまり気乗りしない様子で蒼太は頷く。体を動かすことが嫌いというわけではないが、好きでもないのだ。きつい訓練はどうもなぁと断る方向に考えが傾いている。
それを見て静かにしていた母親が口を開く。
「私は受けてもいいと思うけどね」
「なんで? 習い事させるのに熱心じゃなかったよね。格闘技を習得させたい理由でもある?」
「お子さんの時間を一年ほどもらうからって、いくらか報酬が家にも入ってくるの。それで家のローンが払い終わるのよ」
「高い報酬につられて俺を売った!?」
「いやあね、あんたが了承してないからまだ売ってないわよ」
手をパタパタと振りつつ軽く笑う。
「それに家に入る報酬とは別にあんたにも報酬入るわ。税金対策はあっちでしてくれて、残った額だけでも相当なものらしいわ。それを使ってあちこち旅行行くのもいいんじゃない? 鳥取砂丘見たいとか北海道の雪祭り行ってみたいとか長崎でちゃんぽん食べたいとか言ってたじゃない」
「それは心ひかれるものが」
「全て無事に終わったのなら、こちらでガイドを用意して世界旅行を企画してもいいですよ」
ここが押しどころと見た佐見宮が提案する。
「ピラミッドとか凱旋門とかマチュピチュとか安全に見れるんですか?」
「ええ、しっかりとスケジュールを組んで案内させてもらうよ」
「それはすごいけど、たかだかスーツアクターをやるのにそんな報酬ってやりすぎだと思う」
好条件すぎて蒼太は疑いを持つ。
「それだけ大事なことなのです」
しっかりと蒼太の目を見てジャスティーが言った。
その目は真剣なもので、以前友達が好きな子に告白したいから協力してくれと言っていたときの真剣な目に似て、それよりもさらに強いものだった。
必死すぎないかと首を傾げる蒼太に佐見宮が苦笑を浮かべ言う。
「国家プロジェクトだからね、報酬が大きくて当然なんだ。むしろさっき言った報酬でやってくれるなら安い方だよ」
「三人は企業のお偉いさんだと思ってたんですけど、国から依頼されて動いているんですか?」
「役職を言ってなかったね。私は内閣の仕事を手伝っている。宮路は自衛隊からの出向で、ジャスティーさんは自国の軍の幹部候補生だよ」
「ないかく? 野球用語じゃなくて、国会とかの方?」
予想以上の地位の人間に蒼太は大きく驚き確認する。それに頷きが返ってくる。
「そんなお偉いさんが俺なんかに誘いかけるって」
「蒼太君の魔力が日本で一番多いからね」
「一番多いからって俺なんか誘わなくても。もう少し魔力が低くて運動とか演技とかできる人がいると思います」
「今回の場合は魔力の多さが一番重要なんだよ。でしょう? ジャスティーさん」
「はい。ミヤジさんが先ほど言いましたが、演技も運動もあとから鍛えることができますが魔力はそうはいきません。基本的に生まれついてのものなのです。私たちは魔力量を数値で表すことができています。それで表すと私たちの世界の平均は百。こちらは二百。そんな中にあってあなたは千を超えるという逸材です」
ジャスティーは百九十。佐見宮で二百三十。宮路で二百だ。
蒼太の下になるとがくっと下がって八百になる。その人は八十才を超える高齢なので、身体的にも地位的にも連れ出すわけにはいかないのだ。
「そんなに多い魔力が俺の中に無駄にあったんだ。言われた今でも実感ないけど」
蒼太は驚きながら自身の両手を見る。
「もう一度言います。どうかその魔力を私たちにお貸し願えないでしょうか」
「わかりました。無駄に余ってるものだから使うことに否はないけど俺なんかでつとまるのかな」
どうしても不安がある。その不安のまま断ることをせず、承諾したのは国からの依頼を断ると後が怖いという思いがあるからだ。
「一年間きっちりと鍛えることになるから大変だとは思うけれど、無茶はさせない。無茶して体壊すようなことになったら意味がないもの」
「きつそうだなぁ」
「きつさに見合った対価は払うから。それを楽しみに乗り越えてほしい」
佐見宮が封筒から書類を取り出しつつ言う。
「報酬が多いならその分大変なのは当たり前かー」
「承諾したと見ていいね? ここからは一年間の話をしよう。まず春休み前日つまり終業式に引っ越しをしてほしい」
「引っ越し?」
「うん。専用の施設で訓練をしたいんだ。あちらの世界に行くのもここからだと不便だしね」
「そういえばさっきから世界世界って日本外のような表現してるけど」
何度か世界という単語が出てきて気になる。ジャスティーが日本人ではないので外国と協力しているのだろうと思っていた。でもそれならばジャスティーの出身国を言えばいい。わざわざ世界という単語を使うことが気になってきた。
蒼太の反応に佐見宮はうんと頷く。
「やはり気になるね。隠すつもりなんかないから言うよ。こちらのジャスティーさんは異世界からやってきたんだ」
「……魔力ときて次は異世界ですか」
大の大人がなにを言っているのかという微妙な表情を浮かべた蒼太に佐見宮と宮路は苦笑を浮かべる。
「経緯について簡単に話そうか。始まりは今から四年ほど前。首相官邸にジャスティーさんたちの世界の人間がやってきたんだ。異世界を探し移動する魔法ができたから、それを使い交流しやすい世界を探したんだそうな。その条件に日本が合ったということだった」
「四年前にそんなことが。皆さん最初信じたんですか?」
「まあ、正直に言ってしまうと信じられなかったよ。この世界の技術で認識できる世界は月とか火星とか無人のもの。生き物がいる星を探し続けているけれど、向こうから接触してくるとか予想外だった。皆心のどこかで自分たちの技術が一番だと信じて思い上がってたんだね」
「実際技術力が高いのは事実です。私たちの世界でもできないことをこちらではやれていますから」
「逆にこっちでもできていないことをやれているんだけどね」
「例えば?」
蒼太の問いかけに佐見宮は少し考えて口を開く。
「医療技術は向こうミレジオリの方が高いね。癌が死病じゃくて完全治療可能っていえばそのすごさはわかりやすいと思う。骨折も短期間で治るし、四肢損失した場合も元通りになる」
「やっぱり魔法を使って治療しているんです?」
ジャスティーは頷く。
もちろん魔法だけではない。薬学や外科技術もあり、それらと魔法を組み合わせて高い医療技術を築き上げているのだ。
ミレジオリの技術がこちらにも適用されるのかと、既に臨床試験もされており、結果はでていた。
「テレポートといった魔法もあるから物を運ぶ速度も速い」
「テレポート! 魔法としてはメジャーですよね」
「必要魔力が多いから個人で使える人はいないのですけどね。でもソータ君なら使えるのでしょうね」
「使えたら移動が便利そうだ」
実際にテレポートしている自分を想像し感動した表情を浮かべている。
「といってもテレポートも万能じゃないの。運べる量は自身の体重プラス十五キロくらい。フルプレートアーマーなんて身に着けていると移動できないわ」
「重量制限ありとすると大荷物を運ぶときは船ですか?」
「船もあるけど、大抵は魔力列車ね。町と町を結んでいて住民の移動手段にもなっているわ」
蒼太は魔法があるということでミレジオリを中世のように考えていた。列車が走っていると聞き、もっと文明が進んでいるのだなと心の中で修正する。
「空輸はしないんですか? 飛行機も輸送量はそれなりだと思うんですけど」
「飛行機はないの。空にも魔物がいたから足を踏み入れにくい領域だったわ。でも二ホンと交流を持ち始めてからは飛行船を作ってみたりしているわ。でも空を移動する術がないわけでもない。昔から飛竜を使っての移動法はあった。急ぎの用事はそれを使って知らせが飛んでいた。それでもこちらの通信技術には敵わないのだけど。同じく輸送量も敵わない」
「こっちとそっちのありとあらゆる技術を組み合わせたら両方の世界にとってすごい進歩になりそう」
そう言った蒼太に佐見宮は首を横に振る。
「それはしないことになっているんだ」
「さらに便利になりそうなのにしないんですか」
便利そうだという言葉には異世界関連の情報を知っている者の多くが頷くだろう。
魔力これ一つとってもありがたいものなのだ。石油といった地下資源は無限にあるわけではないし、核燃料は近年の発電所事故もありリスクの高さが問題視されている。それに代わる新エネルギーは常に研究されているのだ。魔力はそれらに完全に成り変わることができるとまでは断言できないが、いくらか肩代わりできると期待が高い。ミレジオリ側からの話では使いすぎなければ魔力はほぼ無尽蔵ということなので、使用しないと考える者はいないだろう。
「ミレジオリの方々と話して最初は積極的な技術交換をしようと考えていたんだ。けれど一人の官僚がリスクを指摘したことで少しずつ細々とやることになった」
リスクがなんのか思いつかずに蒼太は首を傾げる。
「リスクが思いつかないかい?」
「はい」
「小学校や中学校でも習うことだよ。公害の発生をその官僚は指摘したんだ」
「ああっ」
なるほどと蒼太は手を叩く。
「利益と便利さを求めて発展してきたこの世界は多くの公害も生み出してきた。技術交流はそれらをミレジオリにも発生させる可能性があったんだ。逆もまたありうることで、ミレジオリから得た技術が新たな公害を発生させる可能性もあった。だから技術交流でなにが起こるか慎重に見極めるべきという方針を取ることになったんだ」
その考えはミレジオリに行った日本人たちが持ち帰った情報を見て強くなった。ミレジオリは日本と違い、緑の豊富な世界だったのだ。
「ミレジオリに行った日本人がまず最初に驚いたのは空気の違いらしい」
「それは私にもわかります。言っては駄目なのでしょうが、こちらの空気は汚れていて住みにくさを感じますから。しばらくすれば慣れるのですが。慣れるまでに体調を崩す者もいます」
逆に官僚関係者で虚弱体質の者がいたが、ミレジオリに行くと今までが嘘のように健康になったという話もある。
こういった話もあって、この世界を汚すような真似はしては駄目だ、渡す技術をよく考えるべきだと結論がでたのだ。
「いつか健康ツアーとかいって観光旅行が企画されそうですね」
「そうなるまでに交流が進めばいいんだけどな。まだまだ両世界独自の病気とか調べることが多いからツアーは無理だ」
宮路たち自衛隊員は情報収集のため派遣されていてミレジオリの情報を多く持っている。人々の暮らしぶり、食べ物の違い、独自の仕事についてといったことを一番理解しているのは彼らだろう。
調査はジャスティーたちが来た三ヶ月後から始められており、既に年単位での調査が進められてジャスティーの所属する国の一般的な事柄ならばほぼ完全と言っていいくらいに情報は集まっている。
それなのに調査をまだ進めると言っているのは、まだ情報開示には早いと考えているからだ。自国民に対してもそうだが、諸外国に知らせた場合の反応が高い精度で予測できずいらぬハプニングを起こすとわかっていた。