玉子と板挟み
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購買という戦場から、辛うじて教室へと帰還した少女の手には戦利品であるタマゴサンドと野菜ジュースがしっかりと握られている。
初戦にしては、運が良かった。
あの一瞬のタイミングを逃していたら、下手をすると昼休み全てを購買合戦に費やしているところ。
僅かな隙間と、それを見逃さなかった集中力。
躊躇わずに透明度をここぞと強めて、踏み出した勇気。
その辺りが今回の勝因だ。
たかが購買?
否だ。決めつけは良くない。あれは、タイムセールのデパートと同格かそれ以上だった。
「ごめんね、蛍。待たせた」
「いいよー。全然平気。頑張ったねー…思ったより早かったくらいだもの」
やはり共感してくれる蛍。
労るように向けられる笑顔が半端ない。癒されます。
「まだ結構時間余ってるから、折角だし中庭に出て食べようか?」
確かに。天候も申し分ない。
因みに、ここで言う中庭とはあの青柳が揺れる方ではない。勿論。
和の雰囲気漂う中央庭園、もしくは何故か純欧風の迷路花壇を中央に配置したフランス式庭園の何れかだろう。
怪談学園…いったい何を目指しているのだ。
俄然ほのぼのしてきた。
頑張って一般学園寄りにシフトしていきたいのか。
しかし、風景がいかに美しかろうと。
たとえ、どれ程背景を牧歌的に纏めようと。
行き着く先は、首と烏が舞い踊る狂乱であろうに。
まぁ、いいか。
深く考えたところで儘ならない。
蛍の提案に頷いて、並んで教室を出ようとした。
ざわり、と廊下の方が騒がしくなった気がした。
はて、と首を傾げつつ。
思わず足を止めて、耳を澄ませてみた。
やはり、騒がしい。
そしてどうやら喧騒は近づいてきている。
思わず蛍と顔を見合わせる。
「今日は何かあったかな?」
行事的な何か、自分がまだ把握していない事が有るかもしれないと考えての発言である。
「うーん…。滅多なことでこんなに騒がしくはならないよ。今日は夜行日でもないし」
夜行日って何ですか。寧ろそちらが気になる。
ややずれた方へ興味が逸れていたのもある。
その喧騒が、いつの間にか壺組の前まで来ていたことに気づかなかった。
教室の扉をガラリと引き開けて、姿を現した喧騒。
その主は、見覚えのある少年だ。
少女は気づかなかったが、この時壺組にいた怪異たちは一様に動きを止め、血の気を失っていた。
彼は、彼等にとって別格と呼ぶべき存在に当たるからだ。
そんな彼が、よりによって唐突に中等科を訪れた事実は文字通り彼等を驚愕させていた。
ぐるりと視線を巡らせ、幾度目かの往復の途中ある一点に視線が止まる。
半透明な少女が首を傾げた。
交差した視線を辿った周囲の面々が絶句している。
「……いた」
「……?」
何が、と聞きたい。
少女のこの時の思考は、周囲の想像の及ぶものではなかったろう。
しかし、安穏と少女は思っていたのだ。
彼ほどに特徴のない怪異も珍しいな、と。
改めて見ても。
一見どころか足の先から頭の天辺まで視線を巡らせても。
それこそ普通の何処にでもいそうな美少年だ。
いや、違うか。美少年は何処にでもはいないな。
そうなのだ。
彼はとても作りの繊細な、限りなく造形の整ったひとのようだ。
しかし、根本的な話。
この学園にまともな美少年がいるはずがない。
ともすれば…何だろう。夢魔あたりかな。
内心で漠然と当てをつけ始めた少女の耳に、聞き覚えのない声が入ってきたのはちょうどその時だ。
「魔王子、その子か?」
周囲が絶句し、顔色を失っているただ中で少年少女共に言葉を発していなかった為に奇妙な沈黙が訪れていた壺組教室であったが、その沈黙は勇気ある第三者によって破られたといったところか。
少年の背後から現れたのは、すらりとした体躯のこちらも整った造形の青年だ。
外見だけなら、後から現れた彼の方が年長に思える。
しかし、この二人が並ぶと興味深い。
何せ、少年と対照的に青年は全体に黒い。
一方で少年は全体に白い印象を受ける。
見比べていると、コントラストの綺麗な対比だな、と言うところに纏まった。
そんな少女の思考を余所に、彼等は無言で意図を交わしていたようだ。
青年が、ここで初めて少女へ視線を合わせた。
「こんにちは。世にも希なるお嬢さん、貴女の名前を伺っても?」
何ですか、その珍妙な枕詞は。
まるで思い当たる節のない少女は顔にそのまま疑問符を張り付けたような表情で絶句した。
少年とは一度ぶつかった間柄ではあっても、この青年にいたっては今この場が初対面。
尋ねてみても良かったのかもしれないが、ひとまずは捨て置くことにした。
流石の少女も、周囲の様子に違和感を覚え始めたからだ。
彼等が来たところから、周囲の動作が時間を止めたような有り様で停止し続けている。
理事長の比ではないその反応は、つまり彼等がそれだけ厄介な怪異であるということ。
それを踏まえれば、早々に対話を終えたい。
再び衆人環視の元で名乗ることに、抵抗がないかと言えば嘘になる。
けれども、状況を把握していくためには仕方がない。
諦めましたよ、もうね。
「心太といいます。あなたは?」
名を名乗り、相手の呼び名を尋ねるのは自然な流れだと思った自分はやはり甘かった。
ざわり、空気は再び揺れた。
何故だ。この反応はよろしくない。
うーん。さほど拙い切り返しだったとも思えないのだけれど。
さりげなく、蛍の様子を見た。
これは酷い。素直にそう思った。
青ざめるを通り越して、血色が無い。真っ白だ。
状況が今一掴みきれない現状。
これが続くのは好ましくない。主に友人の体調面で。
仕方ない。
青年が口を開き掛けたところを、失礼を承知で手で遮る。
「すみません、話があるのなら場を変えたいと思います。…駄目ですか?」
三度目のざわり、をひしひしと身に感じながらも退く気はなかった。
「いいよ。場所を変えよう。付いてきて。……行くよ、風狸」
どちらかと言えば青年へ向けた言葉に、返答したのは少年の方だった。ここの力関係がまだ掴みきれない。
躊躇いの無い足取りで、怪異の垣根を海を割るように進む背。
凄いね、あれ。
同じようにやや戸惑った様子の青年を横目に、少女は振り返って友人に謝る。
「騒がせてごめんね。先に食べていて、蛍。……遅くなるかもしれない」
蒼白な蛍は、躊躇いながらもはっきり首を振っていた。けれどもその動作は弱々しい。
やはり場を変えるべきだ。
蛍は明らかに彼らに怯えている。
友人として無理に同席させるわけもない。
「じゃあ、行ってきます。…体調戻らなかったら無理をせずに医務室へ行くんだよ。約束」
「心太さん…、」
先導する彼等を追って歩きだす背を、蛍は手を伸ばして止めようとした。
しかし出来なかった。
手足の強ばりが、如実に語る。
彼らに関わるのは危険だ。
けれども。彼女は守りたかった。
危険だから、行ってはいけないと。伝えたかった。
大切な友人。
けれども。手足は竦んだまま動かない。
見送ることしか、出来なかった。
*
何だか見覚えのある道行きだった。
たどり着いた先はやはり想定していた通りで。
何故か少女はまた、あの踊り場にいる。
何だろう。もしかすると、隠れスポット的に知名度を誇っているのだろうか。
知り合いというのも微妙な立ち位置の二人に、取り合えず椅子を勧めた。
勿論あの古びた椅子である。
意外と高頻度で利用されているのかもしれないな、と思いつつ並べる。
奥を探ったらまだまだ発掘出来るかもしれない。
そんなとりとめの無い事を考えている少女の内心などいざ知らず、青年がやや砕けた調子で尋ねてくる。
「……ちょっと待った。君、転入生だよね。今日が一日目だよね?」
やや唐突な問い掛けに、瞬きながらも頷いた。
「なんでそんなに手慣れてるの?」
重ねてきたその問いかけで、何となく疑問を持たれた意図を知る。
「先程、ここを利用していたからです」
「……君、意外と肝が据わってるんだね」
「特別そうは思いませんけど…」
いや、確かに転入一日目にして隠れスポットを利用しているのはそうなのかな。
でも、自力で見付けたわけではないから素直には頷けないな。
青年の視線が痛いですよ。
いや、そんな胡乱気な眼差しを向けられても。
「風狸、黙って。……連れが済まない」
既に椅子に座っている少年が、有無を言わさない語調で青年を諫める。
続く謝罪に一先ず頷いておく。
やはりこの二人の関係性が謎である。
外見的特徴からは、どうやら判断しようがない。
怪異。
その改めて面倒な一面。見た目判断は危険だ。
「あの、…ところで用件は何でしょうか?」
尋ねながら、ふと浮かんだ推測に身震いする。
もしや、先程と同じ流れなのか。
オカルト界。貸し借りは、下手をすると下僕認定。
脳裏を掠めたその恐ろしい考えを、辛うじて表情に出さずに押し殺す。
何処の誰かも未だに不明な少年に、登校一日目にして下僕認定は勘弁して頂きたい…
少年がここでようやく口を開く。
結果的に彼の発言は、想像を斜め44度くらい裏切るものであった。
つまり、掠めもしない。
「君はなぜ、平気でいられる?」
「……? あの、どういう意味でしょう?」
脈絡がないよ。
それに尽きるよ。
現在進行形で混乱の只中にいますよ。
僅かな希望を求めて、第三者的青年に視線で問う。
しかし、青年はそう都合よく意図を読んでくれる訳もなかった。
「…お嬢さん、夜目一族のことは知ってるよね?」
「いえ、……あの。すみません正直一族関連には疎くて」
ここで問いを重ねるのは鬼畜ですよ…
先ずは説明を。出来たら簡潔に。…うん。無理そうだ。二人の様子を見れば伝わってきたよ。
いや、そんなに驚かれては寧ろ虚しくなりますから。
そう。正直に言おう。
怪異については可能な限り調べてきたのだ。それこそ出来る限りの範囲を現世で漁ってきた。
ネットも、書籍も、昔語りも。
妖怪と名の付く資料を読み漁ったのだ。
しかし、期限は一週間。穴があっても無理はなく。
浅く、広く。知識はそれなりに広がったものの手を出せなかったのがつまり『関連』。
枝葉の先まで調べ尽くせるほどに、自分は万能ではなかった。
未だに絶句したままの二人に申し分ないと思いながらも、ここで時計を確認。
…これは予想を超えて長引くだろう。
少女は吐き掛けた溜め息を、辛うじて飲み込んだ。
時は遡る。
少女が踊り場にて、彼らとの対話を始めた丁度その頃。
昼休みの職員室に飛び込んできた報せに、うつらうつらと昼寝に興じていた壺組担任が飛び起きた。
「翔摩センセーいる? あの子、魔王子に連れてかれたけど何事?」
報せを持ってきたのは、彼のクラスで河伯と呼ばれている有角少女である。
寝起きに飛び込んできたそれに、何を確認するでもなく普段見せない迅速さで駆け去る担任。
その背を見送った有角少女はやれやれと一息ついていた。
その周囲では、学園の教師たちが『魔王子』の一語に動揺を隠せずに囁きあっている。
この分ならば、さほど経たずに学園の中枢にもこの報せは伝わることだろう。
職員室の騒ぎなど知る由もない少女はと言えば。
タマゴサンドを食べている。
昼食を取っているのだ。
勿論、既に対話を終えて教室に戻っている…という訳ではない。そんな素敵な経過をあの絶句から辿れるかと言えば、否である。
人生そんなに甘くない。
人生?
いや、今はそうではなくて。そう。ちゃんと向き合う二人に確認をして食べているので。
経緯は問題ありません。
「あの、…お昼を食べながらでもいいですか?」
この意図はつまり、昼休みがこのまま終わることも予期しての問い掛けだった。
なんとも間の抜けた問い掛けだったことは自分でも分かっているので、そっとしておいて下さい…
初日からの昼食抜きは無い。
それに、あの購買での戦いの成果を無駄にしたくない。
切実だった。それはもう、色々と。
「ああ……、済まない。気にせず食べてくれ」
少年からそのように許しを得て、ようやくタマゴサンドの封を開けたわけですが。
正直に言いたい。
申し分ないと思うなら、時間を選んで呼び出して欲しかった。
いや、呼び出し自体まず避けたいのが本音だけれど。
そして、用件は先に纏めておこうよ。
時間は有限なのだよ。
そんな今現在。
タマゴサンドを食べながら、教室に戻りたいなと。そんな何度目かの祈りが通じたのか。
救いの足音が響いてきた。
階段を上って姿を見せた人物に、内心驚愕していたのはしょうがないと思います。
案内中の生徒がいなくなっても、特別問題視しない暢気さ。
授業中も惰眠に興じる、やる気のなさ。
お昼休みと書いてお昼寝と読むだろう、その寝癖。
三拍子揃えたあのひとが……
しかし、紛れもない。そこにいたのはあの担任だ。
つい、二度見してしまった。
ちゃんと確認しました。
…言い過ぎか。
でも、本当に驚いた。だからこそ、余計に思いもする。
この二人が学園にとって、こうして駆けつけるほどに厄介な存在であるということ。
よほどの大妖…もしくは。
いや、推測は程々にしておこう。
ところで。その駆けつけてくれた様子の担任は、目の前の状況に声もないようだ。
何だろう。どれだけこの二人は危険なのだ。
知りたいが、聞きたくない。哀しいかなこの矛盾。
「……心太。状況を説明してくれ」
いや、正直自分がそれを言いたいくらいです。
しかし、取り合えず分かるだけ簡潔に纏めた。
この場の誰も代わりに説明などしてくれない。
まず、渡り廊下での衝突。謝罪付きの概要。
時間をおいて、お昼休みの騒ぎとここへ移動してきた経緯。
その後は話が進まず、お昼を食べつつ今に至ると。
うん。我ながら、これ以上無いくらいに簡潔だった。寧ろ箇条書きみたいな説明だった。
しかし、肝心の担任はと言えば。
経緯を聞き終えて尚一層、訳がわからないという顔で黙りこんでしまうので予定外だ。
そろそろお昼休みが終わります。
「風狸…、お前がついていながら、この時間帯に騒ぎを起こした理由はなんだ?」
担任が黙考した末に問い掛けたのは、二人のうちの青年の方だ。
青年は、その問いに溜め息を付きながら返答した。
「初めは止めました。けれども、バッジが外れた件を聞いて考え直したんです」
バッジ?
あの、銀バッジだろうか。
あれを外してつけ直したのがそれほど問題視されたのか。
釈然とせず、首を傾げていたのだが。
しかし、それを聞いた担任が驚愕した様子で振り返ってきたので、思わず椅子ごと後退してしまった。
担任が口を開いたり閉じたり繰り返す。
言葉が見つからないのだろう。
酸欠の金魚みたいだな、と思った自分も大概だ。
一方で、さもありなんと頷いている青年に視線を向けたら苦笑された。
何故だ。
「と、…心太。どうしてお前、平気でいられた?」
担任の問い掛けに、目眩を覚えた。
また振り出しに戻るのか…
混沌は、こうして続くかに思われた。
しかし意外なところから第二の救いの手が差しのべられることで終息に向かう。