四日目~そして混迷は煮詰まったまま冷める目処は立たず*紺碧の昼~
冒頭、テイストを変えて主人公の内面と『深層』について触れます。
***
話には聞いていた。
けれども、実際に対面させられたそれは底知れぬ闇。
その一端だけで、これほどに指が震えて止まらない。
怖い。
あんな暗いものに、触れてしまえば。
きっと、呑み込まれてしまう。自分も。
けれども。
逃げ場の無い状況で、醒めた部分はそれを受け入れてしまう。
それが必要であるならば。
助けの無い状況で、醒めた部分はそれを平気で掴む。
その感触も、抵抗も全てが記憶に残っている。
こんな自分は、異常だ。
これは、きっと良くないものを呼び寄せる。
恐ろしかった。
ずっと『それ』を前にして震えさえ覚えない自分が恐ろしくて堪らなかった。
その恐れが現実になった瞬間を、色の無い色彩の中で少女は見ていた。
無色の、底知れぬ闇を自分の中に感じた。
それが、少女の怪異。
醒めた影は、付かず離れず常にそこに在る。
それは、少女と目を合わせて告げる。
『まだ、あと二つ』
***
混濁した無色の層から、浮かび上がる様に意識が覚めた。
瞬く。
どうやら、暗転していたらしい意識。
このタイミングでブラックアウトしてもね………。
何ともいえない複雑な心境を胸に、少女は上体を起こした。
「落ち着いたね、日和の。朝から疲れただろう。もう少しそのまま寝ていなさい」
緑の楽園もとい理事長室の、柔らかな日差しの下。
見上げれば白いパラソル。
何だか見覚えのある光景に、ゆるく頭を振りながら歩み寄って来た叔母に問う。
「どのくらい、眠っていたのでしょう?」
「精々一時限に満たない時間だよ。心配いらない。……それにしても、昨日から災難だったね。……五月姫からは、何と?」
暫し言葉を悩んだ末、一番端的なものを選んでみた。
「愛しい貴女、と」
まるで図った様に、背後で崩れ落ちる何事かの音。
振り返れば、直前まで積み上げられていたらしい段ボールの小山の中に埋もれた角が見えた。
どうやら叔父が、バランスを崩したものらしい。
「大丈夫ですか、叔父様?」
「うん………大丈夫。……なのかなそれは」
のそりのそり、と周囲に積み上がった段ボールを横に退けつつ叔父がようやく立ち上がる。
「君は、本当に区別なく引き寄せるんだねぇ………」
「意図して引き寄せた覚えは一切ないんですけどね」
「……何はともあれ、今朝の騒ぎは本邸に既に伝わっている。日和の、昨夜もあまり眠れていないのだろう? 今日は大事を取って早退しなさい」
叔父の呆れた様な声に、非常に不本意だという部分を込めて補足を足しておく。
やはり既に伝わっていたかと、諦念に似たものを抱えながら。
叔母様の声に、それも致し方あるまいと頷いた。
あの騒ぎの後で、教室へ戻って授業に臨めるほどの鉄のメンタルは備えていない。
まだ一週間にも満たない日数で、早退することに躊躇いが無いと言えば嘘になる。
けれども、整理する時間は必要だ。
よし、早退しよう。
結論に至れば早い。のそのそとパラソルの下、籐の長椅子から身を起した。
上履きを探して視線を巡らせた瞬間。
陰った日差しと、頭上から響いてくる楽の音のような―――――――
「 ………当様、あれ程知らせを待ってと伝えたのに……… 」
「 ………待ち切れなかったんだよ、多分…… 」
叔父と叔母が、思わず洩らした呟きが予感を肯定する。
ミシッ、と微妙に危い音を立てて着地したらしい。
視線を上げれば、雲に紛れるようにして日の光に反射する鱗が垣間見えた。
紺碧の空より、祖父が迎えに来た模様。
灰色の朝をようやく締めくくったと思えば、まさかの祖父の学園来訪。
乾いた笑いを張りつけて、人型に変化した祖父が屋根から軽やかに着地するのを見守る叔父と叔母。
そんな二人と、年齢に有らざる身のこなしを常備している祖父を交互に見やりつつ。
まるで昨晩の再来だ、と回想しがてら現実逃避に踏み切る少女が一人。
うん、自分だ。
因みにあの時は、鶯叔父様が今の叔父叔母を思わせる表情を浮かべていたものである。
*
放課後の氷茨騒動は、洩れなく高麗の報告によって祖父へと伝わっていた。
大氷河期を思わせる、冷え切り過ぎて薄氷の張った広間の襖。
恐らく中は、相当の寒さだ。
一面の寒桜に風情を感じる余裕も持てないだろう。
正直、進んで開きたいと思わせるものではない。
「……鶯叔父様、寧ろあれは張り付いて開かないのでは……」
僅かな期待を滲ませつつ、問い掛けた先の叔父様の乾いた笑い。
続く言葉に、やはり現実は儘ならないことを知る。
「……そうならないように、空気中の水分も調整されてるらしいね。さあ、これ以上氷が広がらない内に行こうか……」
立ち止まっている合間にも、広間から洩れ出る冷気が目に見える速度で周囲を凍結させていく。
逃れられない現実に、襖の前で溜息を零した後。
叔父様が手を伸ばして、凍りついた襖をず、ず、ずと開いた。
開けた途端、視界一杯に吹雪と雷雲が猛威を振う。
うん、まあ……あれだ。
天候異常が加速していた。
これ、生身で踏み行ったら御終いの流れである。
自然の猛威に身を投じるとか、自殺行為だと思うのだ。
「……鶯叔父様、取り敢えず非難しませんか?」
「……君のその冷静さを、今後も失わずにいて欲しいと僕は願うよ」
丁度、叔父様とそんなやり取りをしていた時だ。
「おかえりなさい、呉葉。あと小一時間は二人とも冷静に返れないと思うわ。お腹も空いているでしょう? 先にご飯を済ませておいでなさい」
柔らかな声に振り返れば、やはりそこにいたのは祖母である。
穏やかな笑みを湛えながらも、その後方に燃え盛る炎もあって言い知れぬ恐怖を喚起させる光景であった。
因みにこの燃え盛る炎は、祖母当人とは関係が無いらしい。
そこには邸に来てから、初めて顔を合わせる怪異の姿があった。
「お初にお目に掛かります、お嬢様。片輪車と申します。以後お見知りおき下さいませ」
そう言って微笑んだ怪異は、目の覚める様な美女である。
ただし、その背にグルグルと回って浮いている炎の輪。それが、彼女がただの美女ではない事実を如実に示している。
「この子は普段、調理場で朝夕の食事の準備をしてくれているのよ。今後もし軽食など食べたいものがあったら、気軽にリクエストしてあげて頂戴ね」
「随時、ご要望は受け付けておりますわ」
「承知しました。……あ、と。早速であれなのですが、一つお聞きしても良いですか?」
「何なりと」
「実は、お昼のお弁当を作ろうかと……毎日の購買通いもあれですし。……もし可能なら、調理場をお借りできればと思っているのですが」
まあ、と顔を輝かせた美女は大変に眩しいことこの上ない。
微妙に背後の炎が、火力を増した様な気もする。
「それなら、是非とも私にお嬢様のお弁当を作るようにご用命くださいませ」
「……あ、でも朝夕と作って頂いている上にお弁当までは流石に……」
言いかけて、涙目の美女に気付く。
あ、これは我を通さない方がいいのかもしれない。
ちら、と祖母を見ればやはり小さく手を合わせ、任せてあげなさいと口パクを寄越した。
「では、御言葉に甘えて……明日から宜しくお願い致します。片輪車さん」
「丹精込めて、ご用意いたします。この片輪車にお任せ下さいませ」
満面の笑みに落ち付いた美女。
取り敢えず量は程々にして欲しいことと、レタスを一緒に詰めて欲しいことを伝えてみた。
それはもう、眼福と言っていい美女の微笑みが返って来た。
更に加えるなら、背後の火力がとんでもないことになっていた。
周囲の氷が、その熱で溶ける溶ける。
この分なら、大広間の復旧までに幾許も掛からないだろう。
鶯叔父様の案内で、大広間からはやや離れた位置にある小広間の襖を開いた。
ここに夕の膳は運んであるから、と言いながら開いたその先で。
まず、視界に入って来たものに何とも言えない心境になる。
「………あれは」
「……うん、報せが入った後からずっとあの位置を動かないんだよね」
おそらく、鶯叔父様が指差した先に父がいる。
とはいえ、現在は透明化している為に視認は出来ない。
目で見て確認出来なくとも、気付いた所以。
時々、あの父に関しては透明化している際の感情の揺れ幅でその周囲一帯の色彩がセピアもしくはモノクロ化に近い退色現象を起こすことがあるのだ。
そして今、案内されてきた小広間の西側の隅がまさにセピア色。
微動だにしない辺りに、父の受けた衝撃の大きさが見て取れる。
「……ちなみに、母は今何処に」
「時雨さんは、眩暈がすると呟いた後に広間を出て……今は屋上にいると思うよ。夜風に当たりたいと頻りに呟いていたから」
母よ、どれだけ呟いていたんだろうね。
それを凡そ察せる娘としては、非常に複雑な思いです。
昔から、変わらぬ癖だ。母は父と定期的に冷戦に入っては、屋根に上ってストライキに突入することが今までも年に数度あった。
今回に関しては、その原因が父では無く自分由来であるだけの違い。
「……とりあえず、ご飯にします」
「そうだね。今日は、菜園で採れた大豆で作った豆腐ハンバーグと裏山で取れたキノコを使ったホットパイだよ。沢山食べてね」
「ありがとうございます」
螢澪の邸では、和食と洋食がほぼ半々の割合で登場する。
今日の夕食についても、先程会ったばかりの片輪車さんの渾身の作だと思えば。
手を合わせ、有り難く頂いた。
美女、料理上手と揃えば尊敬するなという方が無理な話だ。
その日の夕食についても、非常に美味しかったことは言うまでも無く。
あの夕食がなかったら、解凍の時を迎えた大広間に戻ってからの遣り取りは乗り越えられなかっただろう。
冷静に戻ったとはいえ、逆鱗に再び触れることとなった昨夜の攻防は思い出すに震えが止まらない。
周囲の氷は溶けたとはいえ、その冷気までもが収まった訳では無く。
自分自身に向けられた怒りでは無いと理解はしていても、そこにいること自体でガリガリと精神のゆとりを削られていくのは防げない。
穏便な対応へ、辛うじて話を纏めた昨日の今日なのだ。
*
「……無事ですね」
「……おじい様、わざわざ学園までいらっしゃるなんて……」
徐に歩み寄るや、安否を確認する声はそれはそれは低められたものだった。
この時点で既に、凡その概要は伝わっているものらしい。
祖父がわざわざ学園内まで飛んで迎えにきたことへの驚きを伝えるだけで、精一杯だった。
気付けば、人型の祖父の腕にしっかり抱え上げられている。
視点が高くなり、普段は見えない景色が広がった。
日和の一族の中で、祖父は唯一と言っていい高身長の部類に入るのだ。
「迎えに来ましたよ。続く解呪で疲れているでしょう…? さあ、背中へ」
言い終わりと同時に、再び立ち込める雲と広がる鱗の煌めき。
鞄を抱えたまま、祖父の背に手探りで乗った。
それを確認してか、ぶるぶると鱗を震わせて飛行体勢に入ったようだ。
そんな祖父の背から、守宮叔父様と夕立叔母様に挨拶した。
「今日はお騒がせして、申し訳ありませんでした。大事を取って、早退させて頂きます」
「邸で身体をしっかり休めておいで。…明日までに此方も出来るだけ動いてみるよ」
叔母の声を聞き終えると同時に、舞い上がった雲と巻き上がる風。
天へと駆け上がっていく祖父の背から、瞬く間に遠のいていく学園の全景を眼下にして。
少女は思う。
まるで物語の佳境を思わせる、壮大な光景。そんな一場面。
けれども、その実情は。
早退する孫を迎えに来た祖父の図である。
本日のノルマとして、予告してました追加分になります(^-^ゞ
なかなかクラスマッチに辿り着けないという…
クラスマッチの後はテストが…
その後は、中編に繋がる臨海篇を予定しているのですが…
何がどうして進まない…(^-^;
別視点も含めると、恐ろしい話数になりそうですが………
当初から宣言してます通り、気長にお付き合い頂けると幸いです。




