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閑話 その頃、蝦夷地

 同じ頃、蝦夷地。


 遠く異界の地に使節団が赴いた後も、蝦夷地ではアイヌや本州等との交易が盛んであった。

 変わった点があるとすれば、異界の兵が領内に常駐したことと、異界からも交易商人が訪れるようになったこと。

 つまり今の蝦夷地には、和人とアイヌ、そして異世界人が雑居する土地となっている。 


 おかげで、蝦夷地を治める蠣崎家と家臣一同は政務に忙殺されていた。

 これは、その合間に訪れた平穏な一時の話――



 ◆◆◆◆◆ 


  

 評定が終わった後の徳山館。 

 この日は交易で入手した異界の品を肴に、蠣崎家当主・季広主催で家臣一同ともども酒を酌み交わしていた。


 そんな中、使節団の副使である不破武親の父・武治は、どこか落ち着かない様子でソワソワしていた。


「お館様、新三郎様や倅の五郎は達者で御座りましょうか?」


「兵部少輔、お主は心配性じゃのう。武親が愛おしいのは重々心得ておるが、武辺者の武親が異国の地でそうそう果てることはあるまい」


「とは仰りますが……」


 武親を溺愛する武治にとって、長い間武親と離れることは相当不安な出来事であった。

 

「兵部少輔殿! あんな小童のことは忘れて、今宵は酒宴を楽しもうぞ!」


「そうですよ、武治様。あたしとしては豆坊主が留守で、せいせいしているところです」


 そんな武治とは対照的に、長門広益と鷹姫は武親がいないことをいいことに、思う存分騒いでいた。


「長門殿、鷹姫。それは禁句にござる」


「む……越中守殿」


「も、守継様」


 その2人を戒めるように、南条守継が広益と鷹姫の間に割って入る。

 そして守継は、武治のほうに向けてそっと指差した。


「ご、五郎……五郎……」


「あ……」

 

 元来、泣き上戸である武治は、他の家臣の目もくれず寂しさから余計に涙を流していた。

 そもそも武治は、不破家の居館である茂別館でも妻のお凛とともに、毎晩泣きながら酒浸りの日々を送っているとのこと。

 これにはさすがの広益と鷹姫も、ばつが悪くなる。




「しかしてお館様。異国の王からの書状の件は、結局如何なされるおつもりで?」


 武治たちのゴタゴタには付き合わず、下国重季は季広に“ある件”について質問した。

 その“ある件”とは、季広の嫡男・舜広と異国・ミュルクヴィズラント王国の第1王女、イングリッド・ティルダ・ミュルクヴィズラントの婚約についてである。


「ああ、その件は……今は保留じゃ」


「保留、でござりまするか」


「現状、我らは出羽の愛季様に臣従しておる一方で、盟約と銘打っておきながら実質は異国にも服属しておる。その上で、蝦夷とも対等以上であらねばならぬ。これで異国の姫を迎え入れようものなら、蠣崎家の立場はどうなる?」


「間違いなく、窮地に陥りましょうな」


 蠣崎氏の主家、出羽の安東氏の系譜に連なる下国家の当主である重季。


 下国家はもともと安東家の一門として、蝦夷地の和人を支配する家柄であった。

 だが下国家は戦国の世に突入してから、同族争いやアイヌとの騒乱の中で、次第にその勢力を縮小させていった。

 特に、重季の父・師季の代の凋落ぶりは目にも余るほど。

 何しろ、本来は下国家代々の拠点である茂別館を、アイヌにあっさり追い出されてしまったぐらいである。


 そんな立場から見れば、蠣崎家の影響力が小さくなれば、嘗て蝦夷地に及ぼしていた影響力を奪還することも夢ではない。

 だが今の重季に、それほどの野心は存在していなかった。落ち目の下国家が、蠣崎家に取って代わるまでには至らないと彼は考えていた。

 

 下剋上の空気が、重季にそう悟らせたのである。


「そもそも蝦夷地には、安東家当主から“季”の偏諱を賜っている者が多い。何を隠そう、この儂もそうじゃ」


「蝦夷と交わされた法度も、安東家先代の当主・舜季(きよすえ)様のお力添えあってのものですからな」


「その状況で異国の姫を断りも無く勝手に迎え入れようものなら、愛季様に逆心ありと疑われて攻め滅ぼされる危険もある。領内に常駐している異国の兵が、必ずしも儂に協力するとは限らぬしのう」


「異国の者には、我らと安東宗家との関係を如何にお伝え申し上げましたか?」


「……実は、詳しく伝えておらぬ」


 ミュルクヴィズラント王国と和睦を結ぶ時、季広は蠣崎家の蝦夷地に対する覇権を維持するため安東宗家との関係を敢えて明かさなかった。

 戦の時、救援には駆け付けたが呆気なく討ち取られた安東水軍のことを訊かれた時は、「知らぬ、存ぜぬ」とシラを切っていた。

 

 もし安東宗家との本当の関係性が王国に伝わってしまうと、蠣崎家を差し置いて王国側が直接安東宗家と、蝦夷地に関する取り決めを交わすことも有り得ないことではない。

 更に言うならば、安東宗家に攻められることがあれば、結局は王国側が弱小の蠣崎家を見限って安東宗家につくことも十分に考えられる。


 あわよくば安東家から独立を、と狙っている季広にとって、それは都合の悪い展開と言える。

 

「されど、何れは露見するでしょうな。愛季様にも、異国にも」


「我ながら、あまりに脆い謀であると思うておる。それに儂には、この蝦夷地で今一度騒動が生じる気がしてならん。そうなれば、蠣崎家も滅亡の危機に晒されかねん」


「騒動……家臣の謀反でござりましょうか?」


「場合によっては、のう」


 酒の席であるにも関わらず、心配のあまり何杯飲んでも酔えない季広。

 普段は老いてなお盛んな当主も、アイヌの動乱や王国との戦争による国力の低下から、すっかり弱気になっていた。




 そんな季広を尻目に、宴会は進む。


「う、うえええ……」


「兵部少輔殿、具合が悪そうじゃのう。某が厠まで連れて行こうかの?」


「かたじけのう御座る……うえええ……」


 普段は、使節団として派遣されている厚谷季貞に次いで酒に強い武治も、さすがにアルコール度数の高い異国の酒には敵わない。

 酔いつぶれて酩酊状態の武治は、広益に連れられるままに席を外した。


「さすがの兵部少輔殿も、異国に派遣中の備中守殿のようにはいかないでござるか」


「豆坊主の一族ごときを案ずることはありませんよ、守継様」


「……鷹姫、何か兵部少輔殿や五郎に恨みでもあるのか?」


「ええ、守継様の邪魔立てをする輩は、このあたしが許しませんからね。あたしにはただ、守継様さえいてくれればいいのですから」


「……」


 「一番邪魔立てしているのは鷹姫、そなたではないか?」と守継は思わずにはいられなかったが、それを口に出すことはしなかった。

 言えば、鷹姫が懐から小刀を出しかねないからである。 


「……まあいい。他の者と一献傾けてこようか」


「お供します、守継様♡」


 こうして、まだ飲み明かしていない同僚の元へ向かう守継と鷹姫。

 まだ日が沈むには時間がある。これからが踏ん張りどころの主家を支えるためにも、守継は酒の席で、他の家臣との団結をさらに深めようと心に誓う。

 だから、蠣崎家一の忠臣は気づかなかった。

 

「――そう、たとえあなたが、あたしの父や弟たちを弑逆することになったとしても……」


 守継の耳に入らないほどの小声でそう呟く鷹姫。

 その彼女の口元は、微かに妖しく笑っていた―― 

 第4章、終。

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