37 湯ノ岱温泉
「なに? 温泉とな?」
「はい」
俺は温泉があることを知らせた。
いい加減長いこと歩いたんだ。休息するなら、王国軍の追っ手が来ない今が好機。さあ、どうしますか皆さん。
「それは良いことを聞いた。どのみち此処で休むことになったのだ。異論は御座らん」
即決即断。父の一声で全員で温泉に入ることが決まった。
俺たちは温泉に浸かりに行くべく、湧き出ている場所の近くで着ていたものを畳んで、静かに入っていった。
「戦の最中ではありますが、身も心も休まりますな」
「ああ。これぞ秘湯と言うに相応しき所」
秘湯、か。そのキーワードを聞いた俺は、この場所が何処であるかを推測した。
温泉が出てるってことは、ここは恐らく湯ノ岱温泉(現・上ノ国町)か。
と言うことは、中野館から見てもう半分は歩いたわけか。思ったより早かったな。
でも意外だったよ、温泉がちゃんと湧き出てるなんて。確かここは、前世の世界では江戸時代の後半に開湯された場所だったはず。
つまり俺もまた、歴史を塗り替えたって訳か。
この戦が終わったら和人とアイヌの交流の場として紹介するのもアリかな。よし、そうしよう。
俺がそう思案していると、横のほうで広治と季治がソワソワして落ち着かない様子が見えた。
「兄上? どうなされましたか?」
「ゆ、湯煙で見えぬとは申せ、女子が裸ですぐ裏で入浴しているというのが少々気になってしまってな……」
「拙者も違わず」
今、俺たちが入浴している後ろでは、母のお凜やレスノテク、リシヌンテをはじめとした、女性陣がお湯に浸かっている。
実はアイヌ兵の中には女性が何人かいて、運よく生き延びたものが数名いた。そして一緒に勝山館を目指しているという所だ。
「……そおれ!」
「やん、リシヌンテ! このー!」
後方では、おそらくお湯をかけあったりして楽しく遊んでいる声が聞こえてきた。
女の子は元気だな~。さっきまであんなにボロボロのヘトヘトだったくせに、温泉に入った瞬間生き返っちゃって。
それより兄達よ。あんたらいい歳して変な妄想してるんじゃないよ。
ていうかこの発言、裏を返せばしたいんじゃないのか? ……のぞきを。
俺? やる気半分、恐れ半分だな。
体は立派な思春期の男子。もちろん心躍るぜ。
だけど現実を見てみろ。実行したら代償が半端ないことになるぞ。
ここは興奮を抑えて、無心で疲れを癒そう。
「ぐぬぬぬぬ……」
呆れて今度は反対側を見ていると、鬼の如き形相の広益のオッサンが腕を組んでいた。
顔を赤くし、目を閉じて厳しい表情を見せる。まさかオッサン、中野館の敗戦がよっぽど悔しかったのか?
「……ぬるい」
俺は思わず体をひっくり返した。
オッサン、誤解させるような顔色するなよ。てか、感想が意外すぎるわ。
普通、温泉でしかめっ面するんだったら、温度がやたら高い時にするものじゃないのか?
「……はーっ、はっはっはっ!」
そして俺たちと向かい合わせに座っていた父が、突然大声で笑った。
「父上?」
「愉快なひと時じゃ。のう、五郎?」
「は、はぁ……」
「かように一族水入らずの時間は、近頃は皆無に御座ったからな」
言われてみれば、元服してから戦や政治、交易なんかで家族で過ごすということは無かったからな。修行もやっていたし。
確かにこういう時間は久しぶりだったかもしれない。
それに、戦の最中に落ち着ける瞬間も無かったしな。
そこで現れたのがこのオアシス。適度な泉温が俺達の荒んだ心身を温めてくれるよ、本当に。
しかしその平和な時間は、間もなく終わりを告げた。
「レスノテク~! や~め~て~よ~!」
「いいじゃない。ちょっとぐらい」
なんだ? 裏のほうで例のアイヌコンビが騒いでいるぞ。
いくら休憩中だからって、羽目外しすぎなんじゃないのか?
「ええ~い! ”黒烏の矢”!」
「きゃ!」
瞬間、突如として呪文を唱えるリシヌンテの声が聞こえた。するとその直後、俺たちの後ろにある男湯と女湯を仕切っていた岩が破壊。
いきなりの事態に、みんな一斉に安全な場所に避難する。
「て、敵襲か!」
「皆の者! 構えよ!」
緊急事態と判断し、臨戦態勢に入れと命令する父。ほかの皆も一斉に続く。
でも父上。これ多分敵襲なんかじゃないと思いますよ?
しかも流れ的に、お約束の展開が待っているような……
「……え?」
「……!」
「あれれ~?」
女性陣のいる方角にあった煙が消えると、そこには数人の人影が。
そう、俺たちと行動を共にしていた女性の皆様方である。
どうやら敵襲などではなく、レスノテクがおふざけでリシヌンテの体を触っていたところ、リシヌンテが魔法で応戦して、後ろの岩が破壊されてしまったと推測される。
一瞬動きが止まる現場。な、何やってんだよ皆。は、早く逃げ……。
「い、いやあああああああああ!!」
「ぶほっ!」
「こっち、見ないでよ!」
「ゆ、許してくれー!」
「な、なんと破廉恥な! そ、それが殿方のとる態度ですか!?」
「故意では御座らん! どうか、誤解は……ぐほっ……」
様々な物が(物理的に)飛び交う現場。
こうして平穏なオアシスは瞬く間に戦場と化した。
一つ違うのは、これは内輪もめであるという点。
さっきまで快方に向かっていた傷が、むしろ女性陣の理不尽にして容赦ない攻撃によって、悪化の一途を辿る。
「和人の男って変態ばかりね!」
「そ、それは偏見……」
「だから、こっち見んなー!」
「ぬおおっ……!」
あれま、これはこの場所を見つけた意味無かったんじゃね?
傷を癒すはずが、余計酷くなっちゃったよ。
敵軍のごとく撃退され森に逃げ込む男共の様子を、俺は近く木の陰からそっと見つめるばかりであった。




