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All Reconciliation of Kind  作者: OxalicAcid
終わり
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57/57

最終話

三年後。


翠川道場には、朝の声が響いていた。


「一!」


「二!」


「三!」


木刀が空を切る音が、道場の床に規則正しく重なる。

まだ新しい門下生たちは、額に汗を浮かべながら素振りを続けていた。


窓の外には、よく晴れた空。

かつて闇の霧の流動予測が毎朝確認されていた空には、もう黒い帯はない。

代わりに、白い雲がゆっくり流れている。


新人の一人が、素振りの合間にふと周囲を見回した。

いつも道場の奥に立っているはずの姿がない。


「……あれ? 師範は?」


隣で素振りをしていた先輩門下生が、ちらりとそちらを見る。

そして、少しだけ笑った。


「ああ、君はまだ新人だから知らないか」


「はい?」


「この時間は、師範はじめ家族全員の例の時間さ。気にせず素振り!」


「例の時間?」


「いいから。ほら、止まってるぞ」


「はい! 一、二、三!」


新人は慌てて木刀を振り直した。

道場の奥。

襖を挟んだ座敷では、まったく別の緊張感が漂っていた。


映像端末の前に、四人が座っている。


織葉。

紫乃。

叢雲。

八重乃。


端末は座敷の中央に置かれ、画面はまだ待機表示のままだった。

だが、織葉の姿勢はすでに本番だった。

背筋を伸ばし、膝の上に両手を置き、画面に向かって正座している。


その顔には、稽古の時とはまた違う真剣さがあった。


「織葉ちゃん」


紫乃がお茶を置きながら、柔らかく笑う。


「まだ始まっていないわよ」


「始まる前の姿勢が大切です」


「番組視聴にも?」


「当然です」


叢雲もまた、座布団の上で静かに座していた。


「うむ。クラリス殿の番組に臨むのであれば、心身を整えるのは礼でござる」


紫乃は楽しそうに目を細めた。


「叢雲様まで」


「当然でござる」


八重乃は湯呑を手に、穏やかに微笑んでいる。


「根を整えてから、よい風を迎えるのですよ」


「祖母上まで……」


織葉は少し感動したように呟いた。

紫乃はお茶を配りながら、端末の横に小さな菓子皿を置く。


「今日は特番でしょう?」


「はい」


織葉の表情が、わずかに柔らかくなる。


三年前。

魔王城跡。

最後の封印。


あの日、世界から闇の霧が失われた。

あれから三年。

世界は、まだ完全に元通りではない。


けれど、戻ろうとしている。

いや、ただ戻るだけではなく、新しい形へ進もうとしている。

その中心にいる二人が、今日の番組に出る。


織葉が真剣になる理由は、十分すぎるほどあった。

映像端末の待機画面に、番組開始までの時刻が表示される。

叢雲が小さく頷いた。


「まもなくでござるな」


「ええ」


紫乃は湯呑を手に取り、織葉の肩を見る。


「織葉ちゃん、今日は興奮して肩を痛めることはないわね?」


「三年前の話です」


「でも、クラリスちゃんの番組でしょう?」


織葉は一瞬だけ黙った。


「……気をつけます」


「めっ、よ」


「はい」


八重乃が静かに笑った。

道場の外では、また素振りの声が響く。


「一!」


「二!」


「三!」


その声を背景に、翠川家の四人は、映像端末の前で番組の開始を待っていた。

港町のはずれにある小さな家では、窓が開けられていた。


潮の匂いを含んだ風が、白いカーテンを揺らしている。


遠くには漁船。

近くには、復旧された桟橋。


かつて闇の霧に閉ざされていた海沿いの町は、三年をかけて少しずつ日常を取り戻していた。

その家のリビングで、イルルは映像端末の角度を調整していた。


「これで見えますか?」


「見える」


ソファに座ったシェスターが答える。

答えは短い。

けれど、視線はちゃんと画面に向いていた。


イルルは隣へ腰を下ろす。

自然に、二人の肩が触れた。

シェスターは何も言わない。

イルルも、何も言わない。


ただ、そのまま少しだけ身を寄せた。

テーブルの上には、温かい飲み物が二つ。

その横には、港の復興計画書が置かれている。


イルルが関わっている水路整備の資料。

シェスターが手伝っている警備計画の書類。


生活は続いている。

戦いではない仕事が、今はそこにある。


イルルは画面の待機表示を見る。


「三年ですね」


「そうだな」


「早かったような、長かったような」


「どっちもだろ」


シェスターはそう言って、少しだけ肩をすくめる。


イルルは小さく笑った。

窓の外で、船の汽笛が鳴る。


それはもう、避難を知らせる音ではない。


出航を知らせる音だった。

イルルは端末へ視線を戻す。


「始まりますね」


「ああ」


シェスターは少しだけ姿勢を直した。

イルルは、その横顔を見てから、同じように画面へ向き直った。


軍基地のレクリエーション施設では、兵士たちがいつもより早く席を埋めていた。


訓練後の休憩時間。

壁際には飲料端末。

中央には大型映像パネル。


普段なら戦況記録や訓練映像が流れる場所に、今日は特別番組の待機画面が表示されている。

その前の席に、リオンとガイが並んで座っていた。

ガイは大きめの椅子に身体を預け、腕を組んでいる。


リオンはいつも通り、背筋を伸ばしていた。


「なあ、リオン」


「何だ」


「これは休憩扱いでいいんだよな」


「正式な休憩時間だ」


「なら、そんな任務中みたいな姿勢で見なくてもいいだろ」


リオンは画面から目を離さずに答える。


「記録確認も兼ねている」


「ほら任務じゃねえか」


ガイが呆れたように笑う。

近くにいた若い兵士が、二人のやり取りを聞いて小さく笑った。

三年前、闇の霧が消えた日。


正規軍もまた、大きく変わった。

敵を撃つための軍から、戻った人々を守るための軍へ。

戦場だった場所を、生活へ返すための軍へ。


その変化の中で、リオンもガイも、それぞれの場所に立ち続けている。

ガイは画面を見ながら、低く言った。


「ここまで人が集まるとはな」


「当然だ」


リオンは淡々と答える。


「あの日の作戦は、今も軍の記録教育で扱われている」


「本人たち、嫌がりそうだな」


「必要な記録だ」


「お前はそう言うと思ったよ」


ガイは笑い、少しだけ真面目な顔になる。

リオンはすぐには答えなかった。

数秒置いて、静かに言う。


「ああ」


それ以上は言わない。

ガイもそれ以上は聞かなかった。


大型パネルの待機画面が、番組開始まで一分を切ったことを示す。

レクリエーション施設のざわめきが、少しずつ静まっていった。


復興現場の休憩室では、まだ作業用の音が残っていた。

外では重機が動き、遠くで金属を打つ音がする。


崩れた高架を直し、途切れた送電線をつなぎ、かつて闇の霧に覆われていた地域へ生活を戻すための現場だった。

休憩室の壁には、工程表と安全確認表。


テーブルの上には工具。

その隅に、少し古い映像端末が置かれている。

一輝は作業着のまま、端末の電源を入れた。


「ナンディさん、映ったッス!」


「音量、少し下げて。外の班にも聞こえると、休憩時間の境目が曖昧になる」


ナンディーヌ・ロームは、図面から目を離さずに言った。

その指は、複数の復興設備案を並べた端末上を滑っている。

一輝は音量を調整しながら、苦笑した。


「今日くらい、現場全員で見てもいい気がするッスけど」


「見たい人は見ればいい。ただし、次の工程に遅れない範囲で」


「相変わらずッスね」


「復興は感動だけでは進まないから」


ナンディはそう言ってから、ようやく顔を上げた。

そして、少しだけ表情を和らげる。


「でも、今日の放送は見る価値がある」


一輝は頷いた。


「そうッスね」


休憩室の数人も、作業の手を止めて端末の方へ集まってくる。


元シェルター生活者。

元マギアス化患者の家族。

技術者。

学生ボランティア。


その顔ぶれはばらばらだった。

それでも今は、同じ画面を見ようとしている。


一輝は椅子を一つ引き、ナンディへ向けた。


「座るッスか?」


「五分だけ」


「絶対最後まで見るやつッス」


「五分ごとに延長する」


「それ休憩って言うんスかね」


ナンディは答えず、端末の画面へ視線を向けた。

一輝も隣に腰を下ろす。


外では、復興現場の音がまだ続いている。

その中で、休憩室だけが少し静かになった。

アドレメリア邸の食堂では、銀器が静かに並べられていた。


高い天井。

長いテーブル。

窓から差し込む午後の光。


戦後もアドレメリア家の邸宅は変わらず壮麗だったが、その役割は少し変わっていた。


支援会議。

復興基金。


元マギアス化した人々の受け入れ事業。

かつての貴族的な権威は、今では人や金や制度を動かすために使われている。

その食堂へ、執事が映像端末を運んできた。


「お嬢様、旦那様。お時間です」


「ありがとう」


クリスティナは優雅に頷いた。

三年前より、少しだけ大人びている。

けれど、その華やかさは変わらない。


レオは食後の茶を置き、端末の前へ視線を向けた。


「今日で三年か」


「ええ」


クリスティナは席へ着く。

レオは穏やかに笑った。


執事が端末の角度を整え、電源を入れる。

画面に待機表示が映る。

クリスティナはカップを手に取り、ふと窓の外を見た。


庭には、赤い花が咲いている。

大輪の花。


あの日、魔王城跡の展望台で咲かせたものとは違う。

熱も戦いもない、ただの花。

それを見てから、クリスティナは画面へ戻った。


「さて」


彼女は楽しそうに微笑む。


「見届けませんと」


レオは頷く。


「うむ。」


執事が一礼し、静かに下がる。

食堂に、番組開始前の音楽が流れ始めた。


翠川道場。

港町の家。


軍基地のレクリエーション施設。


復興現場の休憩室。

アドレメリア邸の食堂。


それぞれの場所で、映像端末の画面が同じ色に切り替わる。


穏やかな音楽。

白と淡い青の番組ロゴ。


クラリス・パズリアの職場の風通し。

三年前、世界から闇が失われた。

そして今、その後の世界を伝える番組が始まろうとしていた。


画面が白く切り替わった。

淡い青の風が、画面の端から端へ流れていく。


番組ロゴが浮かび上がる。

クラリス・パズリアの職場の風通し。

柔らかな音楽とともに、クラリスの声が入った。


『皆様、こんにちは。クラリス・パズリアです』


映像は、青空を映していた。

雲がゆっくり流れている。


その下には、かつて闇の霧に覆われていた都市の外縁部が広がっていた。

今は、道路を人が歩いている。

復旧された線路の上を、短い車両が走っていく。


まだ工事中の建物もある。

足場の組まれた橋もある。

けれど、空は明るい。


『三年前、世界を覆っていた闇の霧は、性質そのものを変えました』


画面の右下に、小さく日付が表示される。

マギアス戦争終結から三年。

その文字の上を、白い光の粒のような映像が重なる。


『現在、各地の気象機関では、かつての霧濃度観測に代わり、

 光マナ粒子濃度と大気安定度の観測が続けられています』


画面が切り替わる。

世界地図。


かつて闇の霧の濃度を示していた黒い警戒表示は、どこにもない。

代わりに、淡い白の観測点が世界中に点在している。


『本日の旧霧化指数は、全観測地域でゼロ。

 光マナ粒子濃度は、各地とも安定。

 局所的なマナ揺らぎは一部復興地域で観測されていますが、人体への危険性は確認されていません』


次に、研究機関の映像が映る。

白衣の研究員たち。


透明な容器の中で揺れる、白い光の粒子。

その横には、かつての闇の霧の記録映像が比較表示されている。


『専門機関の見解では、三年前、リヴァイヴプランの隊員であったフィリア・レイフィールドさんのライトが、

 闇の霧の大元とマナリンクしたことにより、霧の性質が光へ変化したと考えられています』


画面には、マナリンク現象の簡易図が表示された。

黒い霧を示す粒子群。

そこへ白いライトが接続され、粒子の色が変わっていく。


『マナリンクとは、異なるマナ反応同士が一時的、あるいは継続的につながり、

 互いの性質へ影響を及ぼす現象です。

 現在も詳細な検証は続いていますが、あの日を境に、世界各地の闇の霧は消失し、

 マギアス化していた多くの人々が人間状態へ回復しました』


映像は、復興現場へ移る。

補修された住宅。

学校へ向かう子供たち。


リハビリ施設で手を動かす元マギアス化患者。

家族と抱き合う人々。


『しかし、戦争は終わっても、生活はすぐには戻りません』


クラリスの声は穏やかだった。

けれど、軽くはない。


『元マギアス化した方々の社会復帰。

 長期のシェルター生活から通常社会へ戻るための支援。

 戦争で失われたインフラや文化の復興、復元。

 そして、人と人の間に残った恐れや誤解をほどいていくこと』


画面が、住宅街の一角へ移る。

大きすぎない家。


けれど、玄関横には簡素な看板がある。

まだ正式な大規模施設ではない。

家と事務所の間のような場所。


庭先には、各地から届いたらしい木箱や資料ケースが積まれている。

その前に、クラリス・パズリアが立っていた。

淡い色のジャケットに、番組用の小型マイク。


風のように柔らかな笑顔。

けれど、目はまっすぐにカメラを見ている。


『本日の職場の風通しは、そんな戦後の世界で新たな団体を立ち上げられた、フィリア・レイフィールドさん、

 そしてリヴァル・レイフィールドさんのお宅にお邪魔しております』


クラリスは少しだけ振り返り、玄関横の看板を見る。

そこには、まだ仮のものらしい白い板に、団体準備室とだけ書かれていた。


正式名称の欄は、布で隠されている。


『職場、と言いながら、今回はご自宅でもあります。

 ですが、この場所には世界中から届いた相談、支援、手紙、そして未来への依頼が集まっています』


クラリスはカメラへ向き直る。


『それでは、さっそくお話を伺ってまいりましょう』


玄関のチャイムが鳴る。

少しして、扉が開いた。


フィリア・レイフィールドが顔を出す。

三年前より少し大人びている。

けれど、柔らかな目元は変わらない。


白を基調にしたゆったりとした服装で、少し照れたように微笑んだ。


『クラリスさん、ようこそ』


『お邪魔いたします、フィリアさん。本日はよろしくお願いいたします』


『こちらこそ、よろしくお願いします』


フィリアが扉を開ける。

クラリスと撮影スタッフが中へ入る。


室内は、普通の家の温かさと、事務所の忙しさが混ざった空間だった。

リビングの一角には、低い本棚。


別の壁には世界地図。

地図には色の違うピンが何百本も刺さっている。


元マギアス化患者支援地域。

シェルター帰還支援地域。

文化復元計画地。

医療連携拠点。


それぞれが色分けされていた。

テーブルの上には資料が積まれ、端末が複数並んでいる。

けれど、その横には小さな花瓶があり、白い花が飾られていた。


『わあ……本当に、ご自宅でありながら事務所でもあるのですね』


クラリスが言う。

フィリアは少し困ったように笑った。


『最初は、ここまで増える予定ではなかったんです』


奥から声がした。


『僕は増える可能性が高いと予測していたけれど、ここまでとは思っていなかった』


リヴァル・レイフィールドが姿を見せた。

以前よりも少し穏やかな印象になっている。


鋭さが消えたわけではない。

けれど、それを隠すための硬さが薄くなっていた。

手には資料端末。


ただし、クラリスの姿を見ると、きちんと端末を置いて頭を下げた。


『ようこそ、ミス・クラリス』


『リヴァルさん、本日はありがとうございます』


『こちらこそ。こういう取材は、僕よりフィリアの方が適任だと思うけれど』


『またそういうことを言います』


フィリアが横から少しだけ睨む。

リヴァルは肩をすくめた。


『では、二人で適任ということにしておこう』


クラリスは楽しそうに微笑んだ。


『さっそく風通しがよさそうです』


リビングのテーブルに、三人が座る。


クラリスが中央。

向かいにフィリアとリヴァル。


画面の端には、資料の山と世界地図が映っている。

番組は、きちんとした対談形式に入った。


『まずは、お二人が現在取り組んでいらっしゃる活動について伺います。

 こちらの準備室では、主に三つの支援を行っているとお聞きしています』


クラリスの言葉に合わせて、画面に項目が表示される。

元マギアス化した人々の社会復帰支援。

戦争で失われたインフラや文化の復興・復元。


シェルター生活者の通常社会復帰支援。


『はい』


フィリアが頷く。


『闇の霧が光に変わって、マギアス化していた方々の多くが人間状態へ戻りました。

 でも、戻ったからといって、それですぐ元の生活に戻れるわけではありません』


映像が差し込まれる。

社会復帰施設。

医療と心理ケアを受ける人々。

職業訓練をする元兵士。


家族と面会する人。

フィリアの声が続く。


『記憶が曖昧な方もいます。

 マギアス化していた間に誰かを傷つけてしまったと苦しむ方もいます。

 逆に、周囲の人が怖がってしまって、戻る場所が見つからない方もいます』


クラリスが静かに頷く。


『人間に戻った後にも、向き合わなければならないものが残っている』


『はい』


フィリアは手元の資料へ視線を落とした。


『だから、医療だけではなく、住む場所、仕事、家族との再会、地域の受け入れ。

 そういうものを一つずつつないでいく必要があります』


リヴァルが補足する。


『制度面では、元マギアス化患者という分類そのものに問題があった。

 回復者なのか、戦争被害者なのか、元加害者なのか、地域ごとに扱いが違っていたんだ』


画面には、各国の支援制度を比較する表が映る。


『そこで、医療記録、マナ反応、当時の行動記録、本人の意思確認、

 地域支援体制を組み合わせた共通基準を作っている。

 もちろん、完全ではない。

 だからこそ現地の支援団体と連携しながら更新している』


クラリスがリヴァルを見る。


『リヴァルさんらしい、とても具体的なお話です』


『具体的でなければ、支援は届かない』


リヴァルは淡々と言った。


『善意だけでは人は救えない。けれど、善意がなければ制度は動かない。だから両方いる』


フィリアが隣で小さく頷く。


『リヴァルさんが制度を作って、私が現場の声を聞くことが多いです』


『フィリアは現場で、僕の資料に載っていない問題を見つけてくる』


『リヴァルさんは、私が持ち帰った話を一晩で支援計画にしてしまいます』


『一晩ではない。平均して十四時間程度だ』


『寝てください』


『最近は寝ている』


クラリスが笑う。


『お二人の役割分担がよく分かります』


次に、映像は復興現場へ移る。

崩れた橋の補修。

発電設備の再稼働。

古い祭具を修復する職人。


閉鎖されていた学校の再開準備。


『二つ目の活動が、インフラや文化の復興・復元ですね』


クラリスが話を戻す。

リヴァルが頷いた。


『戦争で失われたのは、道路や電力だけではない。

 地域の祭り、言語資料、郷土芸能、食文化、家族記録。

 そういったものも多く失われた』


『文化まで支援対象に含めているのは、なぜですか?』


リヴァルは少し考えてから答えた。


『生活を戻すためだ』


短い答えだった。

だが、彼はすぐに続ける。


『インフラは人を生かす。

 文化は、人がそこに生きていた理由を思い出させる。

 橋が戻っても、町の記憶が戻らなければ、人はただ移動できるだけになる』


フィリアが言葉を継ぐ。


『シェルターで長く暮らしていた方の中には、自分の故郷のことを話せなくなっていた人もいました。

 戻っても、もう何もないと思っている人も』


画面には、小さな地域祭の復元映像が映る。

子供たちが太鼓を叩く。


年配者が、涙を拭きながら手拍子をしている。


『でも、歌や踊りや料理をもう一度作ると、思い出すんです。ここに帰ってきたんだって』


フィリアは少し微笑んだ。


『それも復興だと思っています』


クラリスは静かに言った。


『道路をつなぐだけではなく、記憶もつなぎ直す』


『はい』


三つ目の項目へ移る。

シェルター生活者の通常社会復帰支援。

画面には、シェルターの内部映像と、現在の住宅支援窓口が並ぶ。


『シェルター生活者の社会復帰については、終戦後の大きな課題として何度も報道されています』


クラリスが言う。


『長期間シェルターの中で暮らした方々が、外の社会へ戻る。

 その時、どのような支援が必要なのでしょうか』


フィリアが少し表情を引き締める。


『まず、外に出ること自体が怖い方がいます』


『闇の霧がなくなっても』


『はい。

 危険がなくなったと言われても、何年も外を危険だと思って暮らしてきた人にとっては、

 すぐに切り替えられるものではありません』


彼女は自分の手元を見た。


『それに、シェルターの中で生まれた子供たちもいます。

 外の空を、映像でしか知らなかった子も』


クラリスの表情が柔らかくなる。


『そうした方々を、段階的に通常社会へ戻していく』


リヴァルが頷く。


『外出訓練、住居支援、教育接続、医療記録の移管、地域コミュニティとの調整。

 必要な項目は多い。

 特に、シェルター内で成立していた役割と、外の社会で求められる役割の差を埋める必要がある』


『役割の差、ですか』


『シェルター内で物資管理をしていた人が、外では正式な資格を持っていないため仕事に就けない。

 子供の教育履歴が地域の学校制度と一致しない。

 高齢者の医療情報が外部病院と共有されていない。

 そういう問題だ』


フィリアが続ける。


『でも、シェルターで暮らしてきた人たちは、弱い人たちではありません。

 あの環境で生活を守ってきた人たちです。

 だから、助けるというより、外の社会とつなぐことが大事なんだと思います』


クラリスが頷く。


『支援という言葉の中にも、対等さが必要なのですね』


『はい』


画面は再びリビングへ戻る。

クラリスは二人を見た。


『こうした活動は、最初から団体として始まったわけではないと伺っています』


フィリアとリヴァルは、少しだけ顔を見合わせた。

先に答えたのはリヴァルだった。


『最初は、個人的な相談対応だった』


『個人的な、ですか』


『終戦直後は、あらゆる窓口が混乱していた。

 僕たちのところへ直接連絡が来ることもあった。

 元マギアス化した家族を受け入れていいのか。

 シェルターから出た後、どこに行けばいいのか。

 戦争中に壊れた施設をどう復旧するか。

 そうした相談に、可能な範囲で答えていた』


フィリアが苦笑する。


『最初は、本当に家の端末一つでした』


『一つだったね』


『でも、すぐに二つになって』


『五つになり』


『部屋が一つ埋まりました』


『その時点で、僕はもう少し広い場所を借りるべきだと言った』


『私は、まだ大丈夫だと思っていました』


クラリスが微笑む。


『実際は?』


フィリアは少し恥ずかしそうに答えた。


『大丈夫ではありませんでした』


画面に、過去の写真が映る。

資料で埋もれた机。

各地から届いた手紙。

仮設の通信機器。


床に広げられた地図。


『支援の申し出も、予想以上に多かったのですね』


リヴァルが頷く。


『金銭支援、政治的支援、人的支援。

 世界各地から届いた。

 もちろん、善意だけではなく、それぞれの思惑もある。

 だから整理する必要があった』


『支援が集まりすぎたから、正式な団体を設立することにした』


『そうだ』


リヴァルは資料端末を操作する。

画面に、設立準備中の組織図が表示される。


医療支援部門。

社会復帰部門。

文化復元部門。

シェルター接続部門。


法務・制度調整部門。

地域連携部門。


『個人名で受けるには責任が大きすぎる。

 資金の透明性、政治的中立性、人材配置、現地団体との契約。

 すべてを管理するには、団体としての器が必要だった』


クラリスが聞く。


『フィリアさんは、団体設立についてどう感じましたか?』


フィリアは少し考える。


『最初は、怖かったです』


『怖かった』


『はい。

 私たちにそんな大きなことができるのかって。

 でも、相談してくれる人がいて、支援したいと言ってくれる人がいて、

 何かを始めないと助けが届かない場所があるなら、怖くてもやるしかないと思いました』


彼女は少しだけ笑った。


『それに、リヴァルさんがいますから』


リヴァルは視線を伏せる。


『その言い方は、僕に逃げ道がない』


『逃がしません』


クラリスが楽しそうに二人を見る。


『三年前とは違う形ですが、今もお二人で作戦を進めているように見えます』


『作戦というほど物騒ではありません』


リヴァルが言う。

フィリアは横から小さく首を傾げる。


『でも、リヴァルさんの資料名、復興支援作戦案って書いてありますよ』


『内部管理上の便宜だ』


『作戦ですね』


『……そうだね』


リヴァルは諦めたように言った。

クラリスはそこで、少し表情を整えた。

番組の空気が、柔らかさを残したまま、少し深くなる。


『リヴァルさんに、少し個人的なことをお伺いしてもよろしいでしょうか』


『答えられる範囲であれば』


『現在、リヴァルさんはアニム姓ではなく、レイフィールド姓を名乗っていらっしゃいます』


フィリアが隣で、静かにリヴァルを見る。

クラリスの声は丁寧だった。


『その理由を、伺ってもよろしいでしょうか』


リヴァルはすぐには答えなかった。

視線を少し落とし、指先を組む。

ほんの短い沈黙。


それから、ゆっくり口を開いた。


『アニムという姓は、僕にとって呪いの名だった』


画面はリヴァルの横顔を映す。

彼は淡々と言う。

だが、その言葉は軽くない。


『僕が背負ってきたもの、隠してきたもの、利用しようとしたもの。

 そういったものが、あの名前には結びついていた』


クラリスは黙って聞いている。


『もちろん、名前そのものに罪があるわけではない。

 だが、僕にとっては、過去へ戻るための鎖に近かった』


フィリアの手が、テーブルの下で少しだけ動く。

リヴァルの手に触れた。

リヴァルは一度だけそちらを見て、続ける。


『新しい光ある社会に向けて生きるなら、別の名前が必要だった。この名前の方が、自信になる』


『レイフィールドという名前が』


『そうだ』


リヴァルは頷いた。


『光の方へ歩いていける気がする』


クラリスは、少しだけ微笑む。


『そして、もうひとつ理由があると伺っています』


リヴァルは隣のフィリアを見た。

フィリアは少し照れたように視線を落とす。


リヴァルの表情が、穏やかになる。


『なにより』


彼は言った。


『最も愛する人の光を、上書きしたくなかった』


フィリアの頬が、はっきり赤くなった。


『リヴァルさん』


『事前確認では、ここは言っていいと言われている』


『言っていいですけど、言い方があります』


『事実を言った』


クラリスが小さく笑った。


『とてもよい風が吹いていますね』


フィリアは両手でカップを持ち、少しだけ顔を隠す。


リヴァルは平静を装っている。

けれど、耳がわずかに赤い。


番組は、その温度を丁寧に映した。

クラリスは次に、声の調子を少し柔らかくした。


『そして今日は、もうひとつ、おめでたいお話も伺っています』


フィリアが少し背筋を伸ばす。

リヴァルも、自然と彼女の方へ身体を向けた。

クラリスはフィリアを見る。


『フィリアさん、現在、お腹に新しい命を授かっていらっしゃるそうですね』


フィリアは両手を、そっと自分のお腹へ添えた。

ゆったりとした服の上からでも、わずかに膨らみが分かる。

その仕草に、画面の空気がやわらかくなった。


『はい』


フィリアは微笑んだ。

少し照れていて、けれど、とても穏やかな笑顔だった。


『まだ名前は決めていません』


クラリスが聞く。


『これから、ゆっくり考える予定ですか?』


『はい。リヴァルさんは候補をたくさん出してくれるんですけど』


リヴァルが横から言う。


『統計的に発音しやすく、複数文化圏で誤読されにくく、

 意味の重なりが過剰でないものを選定している』


『名前って、そういう選び方だけじゃないと思います』


『だから最終判断はフィリアに任せている』


『丸投げです』


『信頼だ』


フィリアは少し笑った。

クラリスも笑みを浮かべる。


『お二人らしいですね』


フィリアはお腹に手を添えたまま、少しだけ真剣な顔になる。


『この子が大きくなるまでに、世界をもっと安定させたいと思っています』


その声は、先ほどより静かだった。


『闇の霧はなくなりました。

 でも、まだ不安な人はたくさんいます。

 戻る場所を探している人もいます。

 過去のことを抱えている人もいます』


彼女はカメラを見た。

三年前、撮影用ドローンを掴んで世界へ叫んだ時とは違う。


今の声は、穏やかだった。

だが、芯は同じだった。


『この子には、平和な社会で生きてほしいです』


隣で、リヴァルが静かに頷く。


『そのために必要なことを、できる限り積み上げる。僕たちの仕事は、その一点に集約される』


クラリスが言う。


『お二人にとって、今の活動は未来への準備でもあるのですね』


『はい』


フィリアが答える。


『私たちだけの未来ではなく、これから生まれてくる子供たち全員の未来です』


リヴァルが続ける。


『戦争を終わらせることと、平和を維持することは別の仕事だ。

 前者は瞬間的な決断で達成される場合がある。

 だが後者は、毎日の積み重ねでしか成立しない』


『その毎日の積み重ねを担う団体が、今日正式に発表される』


クラリスが、玄関横にもあった布で隠された看板へ視線を向ける。

画面が、リビングの壁際へ移る。


そこには、同じく布がかけられた小さなプレートがあった。


正式名称。

まだ映されていない。

クラリスが問いかける。


『最後に、新団体のお名前について伺います』


リヴァルとフィリアが顔を見合わせる。

フィリアが小さく頷いた。


リヴァルは立ち上がり、壁際のプレートの前へ行く。


クラリスも立ち上がる。

カメラが、三人を映す。


『正直に言えば』


リヴァルは布へ手をかけながら言った。


『使い回しだと言われるかもしれない』


フィリアが隣で少し笑う。


『でも、これ以外は思いつかなかったんです』


『僕たちは、かつてリヴァイヴプランという名で、失われたものを蘇らせようとした』


リヴァルの声は静かだった。


『けれど、これから必要なのは、ただ蘇らせることではない。

 戻った人と、待っていた人。

 失われた文化と、新しく生まれる生活。

 人間と、かつてマギアスと呼ばれた人々。

 それらを、もう一度つなぎ直すことだ』


フィリアが続ける。


『誰かを排除して終わるのではなく、

 怖かったものをなかったことにするのでもなく、

 もう一度向き合って、和解していくこと』


クラリスは静かに聞いている。

リヴァルは布を外した。


白いプレートに、文字が現れる。


リヴァルは、その文字を見た。

そして、カメラへ向き直る。


『新団体の名は、ARK』


フィリアが隣に立つ。

リヴァルは続けた。


『All Reconciliation of Kind』


その言葉が、画面の中央に表示される。


『これは、組織の名前であると同時に、これから世界中で共有してほしい合言葉でもある』


リヴァルの声は、三年前の演説とはまったく違っていた。

誰かを脅すための声ではない。

自分を悪へ追いやるための声でもない。


隣にフィリアがいる。

だから、その声は今、前へ向かっている。


『種を越えて、立場を越えて、過去の恐れを越えて、もう一度つながること。

 すべての命の和解。

 それが、僕たちの新しいARKだ』


フィリアが言う。


『この名前を、誰かを守る船としてだけではなく、心の持ち方として覚えてもらえたら嬉しいです』


画面には、プレートの文字がもう一度大きく映る。

クラリスは、その文字を見つめてから、カメラへ向き直った。

番組の最後の言葉を、丁寧に選ぶように、一拍置く。


『排除ではなく、和解を』


クラリスの声は、穏やかに響いた。


『失われたものを数えるだけではなく、もう一度つなぎ直すことを。

 今日ご紹介した職場には、そんな新しい世界の風が吹いていました』


フィリアとリヴァルが、静かに並んでいる。

二人の後ろには、白いプレート。

その横には、世界地図。


机の上には、まだ処理しきれないほどの資料。


そして、小さな花瓶の白い花。

クラリスは微笑んだ。


『以上、職場の風通し。クラリス・パズリアがお送りしました』


音楽が流れる。

画面はゆっくりと白へ溶けていく。

最後に残った文字は、ひとつだった。


ARK

All Reconciliation of Kind

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