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二章 一話

『闇の霧と気象情報です』


落ち着いた女性アナウンサーの声が、朝の情報番組の中に流れていた。

画面には、各地域の霧濃度を示す地図が表示されている。


都市部は淡い青。

外縁部は黄色。


一部の山間区域と旧市街跡には、赤い帯がかかっていた。


『本日午前から午後にかけて、

 北東部および旧沿岸道路周辺では闇の霧濃度がやや上昇する見込みです。

 認可済みルート外への移動は避け、

 移動される方は携帯警報端末の残量確認、同行者との位置共有、

 安全待機所の確認を行ってください』


画面の端に、簡易注意表示が並ぶ。


単独移動を避けること。

霧警報を無視しないこと。


子供や高齢者は必ず同行者と移動すること。


『また、視界不良が予想される地域では、予定より早めの移動、

 またはシェルター内での待機を推奨しています。

 最新情報は、各シェルターの掲示板および認可端末から確認してください』


地図が切り替わる。

次に映ったのは、明るいスタジオだった。


アナウンサーが資料を手元に置き、少し表情を和らげる。


『それでは次は、暮らしを支える人々を紹介するコーナー、現場の風通しです。

 今回は、最新設備の導入が進む東部圏の生活モデルシェルターからお伝えします』


画面下に、コーナー名が表示される。

現場の風通し。

その横に、クラリス・パズリアの名前。


『現場のクラリスさん』


画面が切り替わった。

だが、カメラの中央に映っていたクラリスは、まだこちらを見ていなかった。


「はい。お手紙は受け取りました。あとで読ませていただきますね」


クラリスの周りには、数人の住民が集まっていた。


年配の女性。

小さな子供。

作業着姿の男性。


それぞれが、彼女に何かを伝えようとしている。


「前に紹介していた保存食の作り方ですね。

 ええ、覚えています。

 水を少なめに使う方法でしたね」


子供が小さな紙を差し出す。

クラリスはそれを両手で受け取った。


「絵を描いてくれたんですか。ありがとうございます。とても丁寧ですね」


画面の端で、スタッフが慌てたように手を振った。


「クラリスさん、中継映像出てます」


クラリスは一瞬だけ目を瞬かせた。

それから、落ち着いてカメラの方へ向き直る。

周囲の住民たちが「あ」と気づいて少し身を引いた。


クラリスは紙を胸元にそっと抱え、穏やかに頭を下げた。


「失礼しました。現場のクラリスです」


背後には、広い生活区画が映っている。

新しい防壁材で補強された明るい通路。

壁際を静かに移動する小型オートマトン。


床には、緊急時に誘導方向を示すための光ラインが薄く走っている。


『クラリスさん、朝から大変な人気ですね』


スタジオのアナウンサーが少し笑みを含ませて言う。

クラリスは軽く首を横に振った。


「ありがたいことです。

 ただ、今日は私ではなく、こちらのシェルターで暮らしを支える技術と、

 それを動かしている方々を紹介します」


そう言って、クラリスは少し横へ移動した。

カメラもそれに合わせて動く。


「安全上の理由から、施設の詳細な位置や防衛に関わる区画はお見せできません。

 ですが、公開可能な生活設備だけでも、

 このシェルターの特徴は十分に伝わると思います」


その時、画面の奥で火花が散った。

金属を削るような音がして、住民たちが自然に道を空ける。

火花の向こうから、分厚い手袋をはめた女性が顔を出した。


筋肉質な腕。

短めにまとめた髪。


タンクトップに、ゆったりした作業ズボン。

腰には工具デバイスを吊ったベルト。


頭には火花よけのゴーグル。

厚みのある安全靴が、床を重く踏んだ。

女性はゴーグルを額に上げ、ハスキーな声で笑った。


「おっと、もう始まってたか。悪いね、こっちのパネルが少し機嫌悪くてさ」


クラリスは彼女へ向き直る。


「こちらが、本日お話を伺う整備主任、ナンディーヌ・ロームさんです」


「肩書き長いから、ナンディでいいよ」


ナンディーヌは手袋を外しながら言う。


「クラリスちゃんも、足元気をつけて。そこ、さっき洗ったばかりで少し滑る」


「ありがとうございます」


クラリスは足元を確認し、落ち着いて続けた。


「このシェルターでは、公式発表済みの最新設備の導入が、

 他地域と比べてもかなり早く進んでいます。

 まず目に入るのが、この生活区画の防壁ですね」


カメラが壁を映す。

淡い灰色の防壁材。


表面には細かな格子状の模様があり、ところどころに衝撃吸収用の層が見える。

ナンディーヌが壁を軽く叩いた。


「最新型の複合防壁材だね。

 古い区画の壁を全部剥がすと時間がかかるから、

 今は上から組み付ける方式にしてる。

 見た目は地味だけど、生活区画で使うならこの地味さがいい」


「防衛設備というより、暮らしの安全を支える壁ということですね」


「そうそう。

 毎日見るものが威圧感だらけじゃ疲れるだろ。

 強いけど、怖くない。

 そういう壁がいいんだよ」


小型オートマトンが、二人の後ろを通った。

丸みのある胴体に、荷物用の小さな台車を連結している。

子供が手を振ると、オートマトンは短く光を点滅させた。


クラリスが視線を向ける。


「こちらはマナアーツ対応型のオートマトンですね。

 現在は荷物運搬や案内補助として使われているそうです」


「重いもの持たせると助かるんだ、これが」


ナンディーヌは楽しそうに言う。


「ただ、何でも任せりゃいいってもんでもない。

 人とぶつからない導線、子供が近くに来た時の減速、安全停止。

 導入してからの調整が大事なんだよ」


「導入して終わりではなく、暮らしに合わせて育てる設備なんですね」


「いい言い方するね。そういうこと」


画面の端に、若い整備員が工具箱を抱えて映り込んだ。

ナンディーヌが即座にそちらを見る。


「一輝、その工具箱、片手で持つなって言ったろ」


「持ててます」


「持ててるのと安全なのは違う。奥に置いて、ちゃんと両手で戻ってきな」


「はいはい」


「はい、は一回」


若い整備員は少し不満そうにしながらも、

すぐ画面の外へ押し出されるように歩いていった。

クラリスはその様子を見て、少しだけ目を細める。


「若い整備員の方も多いんですね」


「人手はいつでも欲しいからね。

 若い子が覚えてくれるのはありがたいよ。

 失敗もするけど、設備は直せる。

 怪我だけはさせないようにしてる」


ナンディーヌは軽く肩を回した。


「さて、次は水耕栽培区画だ。

 ここは見せられる場所だけだけど、なかなかいい出来だよ」


場面が切り替わる。

明るい栽培室。


透明な棚に、青々とした葉が並んでいる。

根元には循環する水路が走り、天井からは柔らかな光が降り注いでいた。

その一角に、小さな赤い実が並んでいる。


クラリスが少し目を丸くした。


「イチゴですか」


「試験栽培だけどね。味見してみるかい」


ナンディーヌが手袋を外し、洗浄済みの小さな実を一つ、クラリスへ渡す。

クラリスは少し迷ったあと、丁寧に受け取った。


「いただきます」


口に入れる。

少しだけ表情が柔らかくなった。


「……甘いですね」


「だろ」


ナンディーヌは得意げに笑った。


「水も光も栄養も、まだ調整中だけどね。

 こういうのが生活区画の近くで採れると、子供たちの顔が変わるんだよ」


クラリスは手元の小さなヘタを見つめた。

けれど、言葉は自分だけの感想に留めなかった。

クラリスはカメラへ向き直る。


「これは特別な誰かだけの贅沢ではなく、

 近いうちに多くのシェルターが目指していく生活の形でもあります。

 今日の取材は、未来予想図を少しだけ先に体験させてもらっているようです」


ナンディーヌはその横で、満足そうに頷いた。


「そうそう。うちだけ良けりゃいいなんて、技術屋としてはつまらないだろ」


「つまらない、ですか」


「発表された技術がある。

 使える部品がある。

 なら組む。

 組み付ける。

 動かす。

 問題が出たら直す」


ナンディーヌは栽培棚のパイプを軽く指で弾いた。


「そりゃ楽しいからに決まってる。

 組み立てるのも、組み付けるのも楽しい。

 んで、これでみんなが安心して暮らせる姿を見るのが、

 技術者としてのやりがいと喜びだろ」


クラリスは静かにその言葉を受け止めた。


「安心して暮らせる姿を見るために、導入を早めている」


「そういうこと。

 早いと大変だけどね。

 でも、遅いよりはいい。

 必要なものが目の前にあるなら、できるだけ早く届けたいじゃないか」


ナンディーヌは笑う。

明るい笑みだった。


油と火花と機械音の中で、住民たちが当たり前に歩いている。

子供がオートマトンの後ろを追いかけ、

年配の男性が壁の手すりに触れながらゆっくり進んでいる。


光床の案内線が、淡く足元を照らしていた。

クラリスはその光景を見てから、カメラへ向き直った。


「最新技術は、発表された瞬間から生活になるわけではありません。

 誰かが運び、組み立て、調整し、使う人の暮らしに合わせていく。

 その積み重ねが、私たちの明日を少しずつ変えていくのだと思います」


ナンディーヌが横で腕を組む。


「いいこと言うねえ」


「ナンディーヌさんのお仕事を見せていただいたからです」


「そりゃ照れる」


言葉ほど照れてはいなさそうだった。

だが、ナンディーヌの目は少しだけ柔らかかった。


クラリスは最後に軽く頭を下げる。


「以上、現場の風通し。クラリス・パズリアがお送りしました。

 スタジオにお返しします」


画面がスタジオへ戻る。

アナウンサーは穏やかに微笑んだ。


『クラリスさん、ありがとうございました。暮らしを支える技術が、

 少しずつ身近になっていることが伝わってきました』


手元の資料を一枚めくる。


『それでは、次のニュースです』


「避難民の移送先、そして次の調査の目的地はここだ」


リヴァルの声で、会議室の空気が切り替わった。

つい先ほどまで、モニターには情報番組が流れていた。

闇の霧と気象情報。


クラリス・パズリアの現場取材。

最新設備が導入された生活モデルシェルター。


明るい水耕栽培区画。

小型オートマトン。

生活区画の防壁。


そして、整備主任ナンディーヌ・ローム。

ガイが腕を組み、画面を見上げる。


「ずいぶん明るい場所だな」


「避難民の受け入れ先としては、条件が良い」


リオンが端末を操作しながら言った。


「生活区画、防壁材、水耕栽培施設、オートマトン補助。

 公開情報だけでも、設備更新の進行度はかなり高い」


「公開情報だけでも、な」


シェスターが眉をひそめる。


「つうか、クラリスってああいう場所まで出るのかよ。

 安全なとこで放送してんじゃねえのか」


フィリアは画面の中のクラリスを見た。

人に囲まれても、カメラが回っても、落ち着いて言葉を選んでいる人。

その声は、不思議と遠くまで届くように聞こえた。


「安全な場所、ですか」


フィリアは少し迷ってから、リヴァルを見る。


「クラリスさんは安全な場所にいるって話でしたけど、

 こことか、ああいうモデルケースシェルター以外にも、

 安全な場所ってあるんですか」


リヴァルは頷いた。


「ある」


フィリアは少しだけ驚いた顔をした。


「世界中すべてが、シェルター生活というわけじゃない。

 マギアス軍との戦争で前線化している地域も多いけれど、

 人間側が完全に制圧している大陸や地域もいくつかある」


「地上で、普通に暮らせる場所があるんですね」


「普通、という言葉の範囲にもよるけれどね」


リヴァルは端末を操作し、簡易地図を表示した。


「クラリスが拠点にしている地域もその一つだ。

 人間側の制圧地域で、放送設備や行政機能も比較的安定している」


織葉が静かに頷いた。


「我らの国も同様です」


フィリアが織葉を見る。


「織葉さんの国も」


「はい。

 海に囲まれた島国です。

 マギアス軍の侵攻がなかったわけではありませんが、

 現在は人間側のエリアとして維持されています」


紫乃が柔らかく笑った。


「クラリスさんのエリアのその先の島も同じね」


「その先の島?」


「ええ。海を越えた先に、もう一つ強い島があるの」


織葉が少しだけ視線を動かす。


「アドレメリアの地ですね」


「クリスちゃんね」


紫乃が懐かしそうに言った。


「アドレメリア家の剣術が広まっている地域は強いわよね」


織葉の眉がぴくりと動いた。


「我が国も、我らをはじめとした剣術が広まっているゆえに安全です」


「ええ、もちろん」


紫乃は楽しそうに頷いた。


「織葉ちゃんたちの剣も、とても頼もしいわ」


「ならば、なぜ先にアドレメリア家を」


「だって今、話に出しやすかったのだもの」


織葉は少しだけ不満そうに口を結んだ。

リヴァルが紫乃を見る。


「ミス・シノ。アドレメリア家とつながりが?」


紫乃は当然のように頷いた。


「叢雲さんの古傷の話は知っているでしょう?」


「腿の傷のことですか」


「そう。あれはアドレメリア家当主、レオさんが付けた傷なのよ」


会議室の空気が少し変わった。

ガイが目を丸くする。


「それ、普通に大事件じゃねえか」


リヴァルもわずかに眉を上げた。


「ライバル関係……?」


紫乃は口元に手を添え、上品に笑った。


「ライバルなんて、とんでもないわ」


「違うんですか」


「お隣さんのようにお付き合いさせていただいていたの」


紫乃はそこで、少しだけ間を置く。


「二年前はね」


その言い方に、フィリアは少しだけ背筋を伸ばした。

織葉は噛みつくように言った。


「あやつがお隣など、安心して眠れません」


紫乃はふふ、と笑う。


「仲がよろしいことね」


「よくありません」


即答だった。

シェスターが小さく呟く。


「これで仲いい判定なのか」


リオンは端末を見ながら言う。


「武家同士の基準は分からない」


フィリアは少し考えてから、申し訳なさそうに話を戻した。


「要するに、地上を人間勢力が抑えている地域が、

 安全な地域ということですか」


「大きく言えば、そうだ」


リヴァルは画面の中のクラリスを見る。


「クラリス・パズリアは、安全な場所で言葉を届けるだけの人じゃない」


シェスターがリヴァルを見る。


「知り合いか」


「何度か会ったことがある」


「へえ」


シェスターは意外そうにした。

リヴァルはモニターの中のクラリスを見る。


「彼女は、自分の言葉で争いが一つでも減るなら、

 ひとりでも危険な場所に立つ人だ。

 もちろん警護はついている。

 彼女の政治的な立場も、象徴としての意味も大きい。

 マギアス軍が狙わない理由はないからね」


「分かってて出てるってことか」


「そうだね」


リヴァルは淡々と答えた。


「彼女は、危険を知らないわけじゃない。

 怖くないわけでもないと思う。

 ただ、それでも言葉を止めない」


そう言って、リヴァルはわずかに視線を動かした。


イルルとフィリアへ。

イルルは気づかなかった。


画面のクラリスを、ただ静かに見つめている。

フィリアだけが、その視線に遅れて気づいた。

何かを言われたわけではない。


けれど、胸の奥に小さな痛みが走る。


危険だと分かっていても。

怖いと分かっていても。

それでも、前に出る人。


フィリアは無意識に、自分の胸元へ手を添えた。

あの時の光のことは、まだ何も分からない。


それでも、守りたいと思ったことだけは覚えている。

会議室に、少しだけ沈黙が落ちた。

その沈黙を破ったのは、織葉だった。


「リヴァル殿」


いつもより少しだけ声が速い。

リヴァルが顔を上げる。


「何かな」


「クラリス殿にお会いしたことがあるのですか」


「あるよ」


織葉の目が、わずかに輝いた。


「ならば、サインとかもいただけるのではっ」


会議室が止まった。

ガイが瞬きをする。


シェスターが口を半開きにする。

イルルは何が起きたのか分からず、フィリアは目を丸くした。


紫乃だけが、口元に手を当てて微笑んでいる。


「織葉ちゃん」


紫乃が柔らかく呼ぶ。

織葉は、はっとしたように姿勢を正した。


「失礼しました。任務中でした」


リヴァルは一度だけ目を閉じる。


深くはない。

ほんの短い、一息だった。


「頼めば、書いてくれると思うよ」


織葉の肩がわずかに動いた。


「ただし、任務後だ」


「承知しました」


織葉は真顔で答えた。

だが、どこか嬉しそうだった。

ガイが小さく笑う。


「織葉にもそういうとこあるんだな」


「あります」


織葉は即答した。


「クラリス殿は、発声も姿勢も言葉の間も美しい方です。

 学ぶべき点が多いのです」


「サインも学びなのか」


シェスターが呟く。


「記念です」


「そこは普通なんだな」


紫乃が楽しそうに笑った。

リヴァルはその空気を少しだけ待ってから、端末を操作した。

画面が切り替わる。


明るい番組映像が消え、代わりに地図が表示された。


東部圏。

生活モデルシェルター周辺。

その地下構造を示す図面。


さらに、複数の調査データを重ねた解析図。

赤い点が一つ、シェルターの地下深くに表示される。


会議室の空気が戻った。

リヴァルは画面を見上げる。


「計算で絞った結果では、このシェルターの位置が、

 封印箇所と思われる候補の一つだ」


フィリアの指が端末の上で止まる。


イルルは背筋を伸ばした。

ガイが表情を引き締める。


リオンは地図の層を確認しながら、低く言った。


「生活モデルシェルターの地下に、封印候補地点が重なるのか」


「そうだ」


「偶然にしては、厄介だな」


「偶然ならいい」


リヴァルは静かに言った。


「僕も、外れてほしいと思っている」


モニターには、先ほどまでの明るい水耕栽培区画が嘘のように、

地下構造の線が冷たく映っている。


避難民の移送先。

生活を支える最新設備。


人々が安心して暮らすための場所。

その地下に、封印の候補がある。

リヴァルは全員を見た。


「ただ、僕の予想では」


少しだけ言葉を切る。


「こういう悪い予感というのは、当たるものだと」


誰も笑わなかった。

リヴァルも笑わない。


「移送任務は予定通り行う。

 受け入れ認可は下りている。

 移送手段も確保済みだ。

 避難民の選択を守ることは、最優先事項になる」


画面の赤い点が、静かに光っている。


「同時に、僕たちはこの場所を調査する」


リヴァルの声が、会議室に落ちる。


「封印が本当にそこにあるのなら、地の精霊に関わる何かが動く可能性が高い」


その場所が、次の戦場になるかもしれない。

リヴァルは言った。


「みんなも、それなりの覚悟をしてほしい」


リヴァルの言葉の後、会議室には短い沈黙が落ちた。

最初に口を開いたのは、ガイだった。


「要するに、センサーを持ち込んでシェルターに行くって事だろ。

 向こうに事情を説明して、調査させてもらえばいいんじゃないか」


「すでにその手配はしている」


リヴァルは頷いた。


「僕らがリヴァイヴ・プランを実行中なのは、みんな知っているだろうからね」


「なら、メンバーはどうする」


ガイが続ける。

リヴァルはすぐには答えなかった。


「メンバーを決定する前に一つ、みんなに言っておきたいことがある」


そう言って、リヴァルはデスクの側面へ手を伸ばした。

指先がサイドパネルの小さな認証部に触れる。

一拍遅れて、低い駆動音がした。


デスクの横板が、静かに横へスライドする。


内側から白い煙が流れ出した。

冷却用の窒素ガスだろうか。


白煙は床へ沈み、会議室の照明を受けて薄く揺れた。

リヴァルはその中へ手を入れ、黒いケースを取り出した。


誰も言葉を発しなかった。

ケースは大きくない。


だが、ただの資料や端末を入れるには厳重すぎた。


リヴァルがロックを外す。

蓋が開いた。


中に収められていたのは、一丁のガンアーツデバイスだった。

シェスターが眉を動かす。


「ガンアーツデバイス?」


「ただのガンアーツデバイスじゃない」


リヴァルは、ケースの中からそれを取り出した。

銃身は長すぎず、フィリアの手でも扱える大きさに抑えられている。

けれど、通常のガンアーツデバイスよりフレームは厚く、

内部に複数の触媒経路が走っているのが外からでも分かった。


全体を支える銀色の素材は、強い光沢を持たない。

白銀というより、灰色に近い銀。


美術品のような輝きではなく、何度も試作し、削り、

組み直した末にようやく形になった、実用品の色だった。

リオンが静かに目を細めた。


「主任」


「何かな」


「この全体にある銀色の素材は見たことがない。新型のフレームですか」


リヴァルの口元が、わずかに緩む。


「さすがだね、リオン」


「軍で見た標準素材とも違います。強化合金にしては、マナ伝導の処理が妙です」


「旧時代の記録に残っていた、ルクヴォイド合金を可能な限り再現したものだ」


会議室の空気が少し変わった。

フィリアは聞き慣れない名前に、瞬きをする。


「ルクヴォイド合金……?」


「光のマナアーツが存在していた時代に使われていたとされる合金だ」


リヴァルはガンアーツデバイスを両手で支えたまま説明を続ける。


「ただし、これは本物じゃない。

 完全な再現もできていない。

 旧時代の合金は、魔力特性そのものに反応して形を変えるような、

 今では再現不可能な技術を含んでいた」


リオンが低く言う。


「つまり、レプリカ」


「そうだ。理論上の再現金属。乱暴に言えば、ルクヴォイド合金もどきだね」


「主任がそう言うと、逆に信用できます」


「それは褒め言葉として受け取っておくよ」


リヴァルはガンアーツデバイスをフィリアへ向けて掲げた。


「僕が研究し、設計し、素材を厳選し、作った」


フィリアの肩が、わずかに強張る。

リヴァルはまっすぐ彼女を見る。


「フィリア・レイフィールド専用ガンアーツデバイスカスタム。

 登録名、レイアーツデバイスだ」


その名前が会議室に落ちた。

フィリアはすぐに言葉を返せなかった。

自分の名前が、装備の説明の中にある。


専用。

その言葉が、思っていたより重かった。


「私の、専用……」


「そうだ」


リヴァルは頷く。


「ただし、最初に言っておく。これは、あの時の光を再現するためのものじゃない」


フィリアの指が、膝の上で小さく動いた。


中央広間で広がった白い翼。

傷を塞ぎ、命を戻した光。


自分でも何をしたのか分からない、あの現象。


「再現はできない。

 データも取れていない。

 僕にも説明できない。

 だから、君にもう一度やれと言うつもりはない」


リヴァルの声は、はっきりしていた。


「これは、僕たちが理解できる範囲で、君のライトを安全に扱うための装備だ」


フィリアはレイアーツデバイスを見つめた。

怖い、と思った。

けれど、それだけではなかった。


リヴァルが、自分の分からないものを無理に求めているのではないと分かったからだ。


「それと、もう一つ」


リヴァルはケースの奥から別の装備を取り出した。

肩部装甲だった。

左肩に装着するための、やや厚みのあるパーツ。


こちらにも、同じ銀灰色のフレームが使われている。

ガイが自分の肩アーマーを見るように、軽く顎を上げた。


「肩か」


「右手でトリガーを引くなら、自然と左半身が前に出る」


リヴァルは肩部装甲を持ち上げる。


「なら、守るべき場所はここだ。正規軍の肩部装甲と同じ考え方だよ」


シェスターがその装備を見て、少し眉をひそめた。


「今さらバリアかよ」


そう言いかけて、彼はリヴァルを見た。


「……いや。何かあるんだろ」


リヴァルは一度だけシェスターを見て、頷いた。

それから、フィリアへ視線を戻す。


「そう。バリアは過去に不要になった過剰防御の象徴だ」


「過剰防御……」


フィリアが繰り返す。


「出力に対して消費が重すぎる。

 装甲を厚くした方が安い。

 避けた方が早い。

 限定的な防御で足りるなら、それでいい」


リヴァルは肩部装甲の内側を見せた。

内部には、小さな触媒ユニットが複数組み込まれている。


「現代の実戦装備において、広域バリアはほとんどデッドウェイトだ。

 無駄に燃料を食うだけだからね」


「では、どうして」


フィリアが小さく尋ねる。


「君は違うからだ」


リヴァルは迷わず答えた。


「君には、その無駄を成立させるだけのマナ量がある」


会議室が静かになる。

リヴァルは左肩用の装備を、フィリアの前に置いた。


「これは対マナアーツ用バリアだ。

 バリア機構に触媒を搭載し、君の体内マナで無理やり発生させるマナバリア」


「マナバリア……」


「君は敵に接近する戦いじゃない。

 距離を取るなら、敵の攻撃手段はマナアーツに限定されやすい。

 なら、君に分厚い装甲を無理して装備させるより、

 このバリアで身を守らせる方がいい」


リヴァルは肩部装甲の側面を軽く指で叩いた。


「防御機構名は、アイギスフレーム」


古い神話の盾の名を思わせる響きだった。


「古風だけど、今の君には合うはずだ」


シェスターが腕を組む。


「奪われたらどうする」


「邪魔なら捨てても構わない」


リヴァルは平然と言った。


「君の底知れないマナ量で無理やり稼働させるものだ。

 技術を奪われたところで、使える者は僕の知る中では一人もいないからね」


「専用にもほどがあるな」


ガイが呟く。

リオンはレイアーツデバイスとアイギスフレームを見比べた。


「運用者を選びすぎる装備です。量産性は皆無ですね」


「量産するつもりはない」


リヴァルは即答した。


「これはフィリアのために作った」


その言葉に、フィリアは顔を上げた。

リヴァルは、今度は装備ではなくフィリア自身を見ていた。


「フィリア。僕は君に、僕の隣にいてほしい」


会議室の空気が、ほんの少しだけ変わった。

フィリアの表情が固まる。


シェスターが目を細め、ガイが何か言いかけてやめた。

リヴァルは続ける。


「でも君は、ずっと何もできないという気持ちを抱えていた」


フィリアは返事ができなかった。

その言葉には、身に覚えがありすぎた。


中央広間で。

避難民区画で。


誰かが傷ついているのを見て、自分は何もできないと思った。


「だから、君のために作った」


リヴァルの声は静かだった。


「君の“何もできない”という気持ちを、ただの不安で終わらせないために」


彼はレイアーツデバイスとアイギスフレームを見る。


「それを形にしたのが、これだ」


フィリアは装備を見つめた。

銀灰色のフレーム。


まだ自分の手には重そうに見えるガンアーツデバイス。

左肩を守る、古風な防御機構。

どれも、自分には遠いものに見えた。


けれど、それは確かに、自分のために作られていた。


「僕が作った。君のためだけに」


リヴァルは最後に、そう言った。


「ここから先は、君次第だ」


リヴァルの言葉が、会議室に静かに残った。

フィリアは、しばらくレイアーツデバイスを見つめていた。


銀灰色のフレーム。

自分のために作られた装備。


自分の名前を持つ、専用のガンアーツデバイス。


怖くないわけではなかった。

中央広間で広がった光の翼。


自分でも理解できないまま、人を救い、命を戻してしまった現象。

その記憶は、まだ胸の奥に残っている。

けれど、リヴァルはそれをもう一度やれとは言わなかった。


分からないものを、分からないまま背負わせようとはしなかった。

これは、今の自分が前へ進むための形だ。

フィリアはゆっくりと手を伸ばした。


「……ありがとうございます」


リヴァルは何も言わず、レイアーツデバイスを差し出す。

フィリアは両手でそれを受け取った。


思っていたよりも重かった。

けれど、その重さが少しだけ安心にも感じた。

何もない手ではない。


何もできないと立ち尽くすだけの手ではない。

フィリアはレイアーツデバイスを胸の前で抱えた。


「まだ、私に何ができるのかは分かりません」


リヴァルは黙って聞いていた。


「でも……何もできないままでいたくないです」


声は大きくない。

けれど、震えてはいなかった。


「だから、使わせてください」


フィリアはリヴァルを見る。


「私が、ちゃんと私の意思で使えるように」


リヴァルは静かに頷いた。


「そのために、僕がいる」


会議室の空気が、ほんの少しだけ動いた。

シェスターが目を細める。


「……言うねえ」


ガイが小さく咳払いをした。

リオンは特に表情を変えなかったが、

端末に何かを入力する手が一瞬だけ止まった。


織葉は真面目な顔で頷き、紫乃は口元に手を添えて微笑んでいる。

イルルは少し不思議そうに、フィリアとリヴァルを見比べていた。


リヴァルは何事もなかったように説明を続けた。


「ただし、レイアーツデバイスが完成したからといって、

 運用まで完成したわけじゃない」


フィリアは頷く。


「はい」


「現代において、ガンアーツデバイスの実戦運用データはほとんど失われている。

 警察組織などが非殺傷の逮捕や制圧に使う例はあるけれど、

 ARKの任務にそのまま流用できるものではない」


リオンが同意するように端末を見る。


「対マギアス戦、対精霊戦、封印地点の調査を伴う実戦投入。

 いずれも既存の訓練体系では不足します」


「そうだ」


リヴァルは続ける。


「それに、フィリアは戦闘訓練を始めたばかりだ。

 今から通常訓練だけで前線投入できる水準まで引き上げるには、時間が足りない」


フィリアの手に力が入る。

その言葉は事実だった。


自分でも、自主訓練はしてきた。

できることを増やそうとはしていた。


だが、それで闇の霧が待ってくれるわけではない。

リヴァルはその不安を見越したように言った。


「だから、君を一人で戦わせるつもりはない」


フィリアは顔を上げた。


「一人では」


「そうだ。フィリアにはバディを組ませる」


リヴァルは全員を見る。


「誰と組んだ時、どの距離で、

 どの状況ならレイアーツデバイスを運用できるのか。

 誰が前に立ち、誰が射線を作り、誰が撤退を判断するのか。

 相性を見ながら、ARK専用の運用法を確立していく」


シェスターが腕を組む。


「固定じゃねえんだな」


「固定にはしない。

 作戦ごとに、フィリアを出すならバディを変える。

 敵、地形、任務目的、避難民の有無。

 それに応じて柔軟に対応する」


「まあ、その方が現実的だな」


「もちろん」


リヴァルはフィリアへ視線を戻した。


「出撃しない時は、今まで通り僕の隣でオペレーターだ」


フィリアは一瞬だけ固まった。

リヴァルは業務上の説明として言っている。

たぶん、そうだ。


少なくとも本人はそのつもりなのだろう。

だが、つい先ほどの言葉と繋がって、フィリアの頬にわずかな熱が上がった。


シェスターがまた何か言いかけたが、

リヴァルはそれを無視して端末を操作した。


「そのうえで、今回のメンバーを決定する」


モニターに、移送任務の概要が表示される。


輸送車両。

護衛車両。

医療車両。

移送希望者の人数。


目的地となる生活モデルシェルター。

リヴァルは全員を見た。


「今回は戦闘を想定していない。あくまで避難民の移送が最優先だ」


その言葉に、ガイがわずかに頷く。


「ただし、フィリア。

 君には前線へ出る手順を覚える意味で、現地まで向かってもらう」


フィリアはレイアーツデバイスを抱えたまま、背筋を伸ばした。


「はい」


「ガイ」


「おう」


「今回一番大事なのは輸送任務だ。

 僕らの調査は後でいくらでもできる。

 君はフィリアと一緒に、避難民と同じ車両に乗ってくれ」


ガイは少し意外そうに眉を上げた。


「俺が中か」


「そうだ。

 避難民の近くにいてほしい。

 君は分かりやすく守れる人間だ。

 大剣を持った君が同じ車両にいるだけで、安心できる人もいる」


ガイは鼻を鳴らした。


「任せろ」


「それと、フィリアの初回前線移動でもある。

 何かあれば、彼女を守ることも君の役割になる」


「分かった」


ガイはフィリアを見る。


「よろしくな、フィリア」


「はい。よろしくお願いします」


フィリアは少し緊張しながら答えた。

リヴァルは次に、リオンへ視線を移す。


「リオン」


「はい」


「君は外で警戒を。

 車列外周、ルート監視、異常反応の確認を頼む。

 輸送任務はお手の物だろう?」


リオンは端末を閉じた。


「問題ありません。車両間の距離、移動速度、退避ポイント、

 全て確認しておきます」


「頼む」


「必要なら、移動中の簡易索敵網も組みます」


「それも許可する」


リヴァルは頷き、最後に織葉を見る。


「そして、任務の都合上、織葉」


織葉が背筋を伸ばす。


「はい」


「君にもチームに入ってもらう」


「承知しました」


迷いのない返答だった。

だが、リヴァルは少しだけ間を置く。


「というより、会いたい人物がいるんだろう?」


織葉の表情が、わずかに動いた。


「……クラリス殿が、まだ現地におられる可能性が?」


「中継なら、まだ現地にいるかもしれないからね」


織葉の目に、明らかに光が宿った。


「承知しました。任務に支障は出しません」


「分かっている」


リヴァルは淡々と言う。


「モチベーションは高い方がいい」


紫乃が楽しそうに微笑む。


「よかったわね、織葉ちゃん」


「任務です」


織葉は真顔で答えた。


「任務のために参ります」


「そうね」


紫乃は否定しなかった。


「任務後に、サインをお願いできるといいわね」


「……はい」


織葉は小さく頷いた。

その声だけは、少し年相応だった。

リヴァルは視線をイルルへ向けた。


イルルは新しいハンマーアーツデバイスを背負ったまま、静かに待っていた。

正式加入したばかりの彼女にとって、

初任務に呼ばれない可能性は考えていたのだろう。

それでも、指名されなかった事実に、少しだけ手が動いた。


「イルル」


「はい」


「今回は待機だ」


イルルは一度、目を伏せた。

それから顔を上げる。


「私が、狙われているからですか」


リヴァルは誤魔化さなかった。


「それもある」


会議室の空気が少し引き締まる。


「敵に狙われる可能性のある輸送車に、

 さらに君というターゲットを追加するのは危険だ。

 避難民を守るためにも、今回はターゲットを散らす」


イルルは小さく頷いた。


「分かりました」


「それに、残る避難民もいる」


イルルが顔を上げる。


「残る人たち、ですか」


「そうだ。

 移送を希望しなかった人たちも、このシェルターで生活を続ける。

 君には、その人たちと交流してほしい」


イルルは少し戸惑ったように瞬きをした。


「私が、ですか」


「君が守った人たちがいる。君をまだ怖がっている人もいる。

 その両方と向き合う時間が必要だ」


イルルは何も言えなかった。

その言葉は、責任を押しつけるものではなかった。


だが、逃げなくていいとも言っていなかった。

シェスターが腕を組んだまま口を開く。


「俺も残る」


イルルがそちらを見る。


「シェスターさん」


「お前一人でうろうろさせるわけねえだろ」


紫乃も穏やかに続けた。


「私もいるわ。イルルちゃん一人にはしないから安心して」


リヴァルは頷いた。


「シェスターとミス・シノがいれば、こちらは安心だ」


イルルは少しだけ息を吐いた。

それから、真面目な顔で頷く。


「分かりました。残る人たちと、話してみます」


「頼む」


リヴァルは全員へ視線を戻した。


「移送組は、フィリア、ガイ、リオン、織葉。

 待機組は、僕、シェスター、ミス・シノ、イルル」


モニターに、編成が表示される。


移送任務。

現地調査。


レイアーツデバイス初回前線移動。

そのすべてが、一つの任務として並んでいた。


「今回の最優先は、避難民を無事に送り届けることだ」


リヴァルは言った。


「調査はその後でいい。

 封印候補地点の確認も、急ぐ必要はあるけれど、

 避難民の安全を上回るものではない」


ガイが頷く。

リオンは既にルート確認に入っている。


織葉は静かに姿勢を正し、

フィリアはレイアーツデバイスを抱える手に力を込めた。

イルルは、自分が残る意味を考えるように視線を落とす。

シェスターがその横で、何も言わずに立っていた。


リヴァルは最後に、モニターを消した。


「以上だ。各自、準備に入ってほしい」


会議は終わった。

だが、それは次の任務が始まる合図でもあった。


フィリアは手元のレイアーツデバイスを見る。

銀灰色のフレームが、会議室の光を鈍く返している。


まだ使い方は分からない。

何ができるのかも分からない。


それでも、もう何も持っていないわけではなかった。

そして今度は、一人ではない。

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