29 勇者の戦傷メメントモリ
また随分と投稿に間が空きまして、申し訳ありません。
今回は少し長めです。
「……勇者ッ!!」
俺は彼に呼びかけるも、彼は反応をしない。
身体から力は消え、瓦礫の下から姿を覗かせた手足は青白く、閉ざされた瞳は開かれることもない。生気を感じられなかった。
……死んだなどと、認めたくない。
俺は自分の直感を振り解こうと必死になる。
勇者の身体から瓦礫を退け、体を抱え込む。
最後に見た時と同じ服装は汚れが激しい。胴元に真っ黒な染みができ、手で触れるとまだ少し温かさがあるように感じた。
俺は勇者を道に寝かせると、聖剣を手元に引き寄せ、彼の上に置く。
聖剣の加護が働けば、彼の傷を癒せるかもしれないからだ。
しかし、先ほどまで街を駆け回っていたはずの剣は、今やピクリともしない。
(これでは不十分なのか!?)
既に硬くなった指をときほぐし、俺の手が覆い被さるように力を込めることで、勇者に聖剣の鞘を握らせる。
それでも、やはり聖剣に反応はない。
これでも……駄目なのか? いや、そんな筈ない。なにか、なにかが足りないだけなんだ。そうでないと……俺はなんのために王都を駆け巡ったというのか。
夜は深い。
風はないが肌寒く、傷ついた勇者を外に放置するわけにもいかない。
では射手の元や教会まで彼を運べるかというと、俺にそんな体力は残っていない。
それに未だ街は多くの罠が仕掛けられたままだ。迂闊に歩けもしない。
仕方ないが……近くの家に入らせてもらおう。
勇者を治療し、安静に寝かせられるようベッドや毛布を借りなくては。
俺は真っ先に目に飛び込んできた一軒家の扉を叩き、住人がいるかを確認する。
だが、扉に拳をいくら打ち付けても、返答は帰ってこない。
横を見ると硝子張りの窓があり、中を覗いたが無人のようだ。
窓自体は扉と同じ幅があるものの、中に組まれた鉄格子の目は随分と小さく、人一人がギリギリ通れるかぐらいの幅しかない。
(……この際、なりふり構ってられないよな!!)
勇者から聖剣を借り受けると、塚を両手で鷲掴みにし、鞘の先端を窓に向け
て、その硝子に突き刺した。
バリンと甲高い音と共に、砕けたガラスの粉塵が周囲に飛び散る。
俺は破片が入らないよう目を閉じつつ、何度も剣を引き抜いては突き刺して窓を破り続けた。
やがて大きな穴が空いたところで、俺は聖剣を勇者に返す。
そして窓枠の破片を取り除き、中に手を伸ばす。
内側から鍵を開けると、窓枠を押し上げた。
「痛っ……!!」
ガラスが刺さったらしく、腕に痛みが走る。
だがこんな暗闇の中では、透明な破片が何処にあるかを見極めきれない。
俺は足を窓縁に引っ掛け、身をよじらせて中へと侵入する。
取りきれなかった窓ガラスの切れ端が俺の体を切りつけてくる。
腹や腕の出っ張りからドクドクと血が漏れ出すのを感じた。
だが、どんなに血が流れようとも、勇者と違って致命傷ではない。
歯を食い縛って、ただ耐えるのみだ。
痛みの中で窓を通り抜けようとした。
だが、上半身が窓から抜け出たそのときだった。
「……うッ!?」
目眩が起きたかと思うと、視界の中で景色が変容していく。
部屋であった場所には壁がなく、床すらも見えない暗黒の空間が広がっていく。
椅子や机といった家具は小さく縮んでいき、虚空の中へ消え失せていった。
そして俺は、突然宇宙の片隅に放り投げられたように、今自分が居る場所が分からなくなっていく。
(これは……射手と一緒に無人の住宅へ侵入したときと同じ感覚……!!)
あの時は只の疲労による幻覚だと思っていた。
だが、2回目ともなれば何かがおかしいと気付く。
俺は吐き気を堪え、何もない空間で必死に脳を動かす。
ここは家の部屋だ。それ以上の空間もなく、それ以下でもない。
木の床があり、硬い壁があり、扉があり、侵入口である窓がある。
そう自らの眼球に言い聞かせ、俺は前を見つめ直した。
(……戻っている。元の部屋だ)
まるで夢から覚めるのと同じように、幻覚と現実が一瞬で置き換わる。
前方には、やはり俺の信じた通りの正常な光景が広がっていた。
さっきから、この幻覚は何なのだろう。
いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
床に転がりこんだ俺は、ふらつきながらもドアの鍵を開ける。
そして、聖剣を勇者にしっかりと握らせ落ちないよう胸の真ん中に置き、俺は彼を慎重に抱きあげ、中へと運び込んだ。
とりあえず勇者を長椅子に寝かせ、机の上にあるランタンに光を灯す。
持ち手にある凸部分を押すと、中で火花が生じてガスが燃え上がった。
暗闇に慣れていたせいで目が眩み、思わず呻いてしまう。
少し遠くにランタンを置き、勇者が薄明るく照らされたところで傷口を眺めた。
だが、素人に対処できる傷ではないと即座に分かったので、聖剣を握らせたまま寝かせ、近くの毛布で身体を覆った。
この位置なら窓からの風も直接は当たらないし、外から見ても勇者の姿は隠れて見えない。
(あと、今の俺にできることは……)
考えたが、これ以上勇者にしてやれることは思いつかない。
あとは魔王の息子を警戒しつつ、彼の回復を待つだけだ。
本当は隣でずっと彼に声を掛けていたいが、魔王の息子に気付かれるかもしれない。
ランタンを消し、俺は部屋の隅に隠れる。割った窓が右側の、首をあげると真正面に来る位置だ。
耳を澄ませ、周囲の物音を探る。
先ほどまで聞こえていた戦闘音も気付けばやみ、街は再び無音に包まれている。
ということは、魔王の息子は何処か遠くへ逃げていったのだろうか。そうであって欲しい。
俺は自分の身体が随分と重く感じることに気付く。
随分と無茶をしたせいか、床に広げた足をピクリとも動かせない。
勇者の容態を確かめに立ち上がりたいが、腰に力も入らなければ、ガラスで傷ついた手足の感覚も麻痺している。
意識もまばらとなり、時間の感覚も分からなくなっていく。
随分とこの夜を走り回った気もするのだが、まだまだ外は暗いままだ。
俺はしばらく疲れに捕らわれ、何度も意識が飛んでしまう。
勇者を助けたいと焦る気持ちとは裏腹に、体力の限界が来てしまっている。
歯がゆい思いに顔をしかめるも、身体は一向に気力が戻らない。
(大丈夫だ……勇者は助かるはずだ)
勇者が重体という危機感。
彼は生きていると自分に言い聞かせ、得ようとする安心感。
射手と魔王の息子との決着はついたのか。不安も溜まり、俺の中で感情がごちゃ混ぜになる。
ダメだ、このままでは恐怖で頭が壊れてしまう。
ここは無理にでも身体を動かし、例え勇者を置いていくことになったとしても、射手や戦士と合流するべきなのではないか。
素人の俺と違い、彼等は治療に関する魔法や、適切な治療所まで勇者を運んでくれるはずだ。
それに街中を憲兵が巡回しているのなら、彼等を頼って勇者をより安全な場所へ運ぶべきだ。
俺は神経の隅々に意識を回し、疲れ動かなくなっていた筋肉に力を込める。
足の指先を軽く動かし、少しずつ立ち上がる準備をする。
深呼吸をすることで集中力を高め、俺は身体を起こそうとした。
パキリ
「……!!」
ガラスが踏まれて小さく割れる音。
ジャリジャリと粉々になった欠片の動く音もする。
先ほど侵入した窓の外からだ。
俺は息を潜めた。
何度も何度も、外でガラス片を割れて散らばる音。
誰かが歩き回っていることは、明白だった。
音は何の前触れもなく現れて、家の壁に沿って歩き、遠くへと消えた。
(……今のは、憲兵か? 俺たちを探しに来た射手か戦士か? それとも……)
思考していると、また足音が近づいてくる。
そして、割れた窓の前で立ち止まった。
中を覗いているのだろうか。俺と勇者の姿は、あそこらだと見えないはずだが。
誰か走らないが、用心するにこしたことはない。
(待てよ。もしかして……)
俺は自分の腕を見る。
暗がりの中でも、血で染まった部分が黒っぽく見えている。
となれば、窓枠に俺の血がこびりついているはずだ。
もし闇夜に目が効く人ならば、俺かが家に侵入した跡を確認できるかもしれない。
それだけではない。
俺は勇者を表の扉から運び込んだが、傷が深い分、よりハッキリと血痕が残っているはずだ。
目の良さにもよるだろうが、明らかに何か事件があったと思われるだろう。
それにもし外にいるのが魔王の息子だとしたら。
奴がここで勇者を倒したのだとしたら。この血痕の後から、何者かが勇者をこの家に運びこんだのだと推測するだろう。
(落ち着け……まだ俺と勇者の居場所がバレたわけじゃない)
全ては想像だ。
暗闇の中で響く足音だけで、相手の正体が分かるはずもない。
しかしこの暗闇の中、灯りも持たずに歩く相手が、ただの一般人であるはずもない。
俺は身を固め、飛び出す準備をする。
もし俺が注意を引きつけて、相手が俺を追いかけてこれば、少なくとも勇者を危険から遠ざけられるはずだ。
筋肉は未だ歪にしか動かせないが、ここで限界を超えなければ意味がない。
足音は正面の扉の前までいった後、再び窓の前まで戻ってきた。
罠がないか警戒しているのだろうか?
俺は神経を集中し、一瞬でも早く相手の正体を見極めようとする。
敵か味方か、何者なのか。
目を見開き、呼吸を止め、暗闇の奥に揺れる影を凝視する。
そして、窓枠に手が添えられる。
ほんの少し指先に力が入ったのち、相手が身を乗り出し、その頭部が部屋の中をのぞき込んだ。
赤い目だ。
「うをおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」
手に力を込める。
指先でスイッチを押し、握りしめていたランタンを放り投げる。
俺は目をぎゅっと瞑りながら、扉へと走り出す。
ランタンより光が放たれ、視界が真っ白に染まり、目映さで眼球が痛みを覚える。
だが、たじろぐこともできなかった相手には効果抜群だったようだ。
「ぐおおおおおおッッッ!!?」
窓より見えていた首が引っ込み、顔をふさいでうずくまる。
照明弾となったランタンは地面に転がり落ちる。
俺はその横を駆け抜け、ドアノブを回し、外へと飛び出した。
足の筋肉がきしむ。一歩ごとに金槌で殴られたような痛みを覚える。
身体の軸はふらふらと揺れ、それでも俺は必死で街を走り抜けてようとした。
だが、段々と神経は言うことを聞かなくなり、前に進もうとする意志に反して、俺はその場に頭から倒れ込んだ。
膝はすり切れ、受け身は取れず、右腕が身体の下敷きとなり血を流した。
「くっ……!!」
うめき声を上げて立ち上がろうとするも、全く動くことができない。
俺の身体はとっくに限界を超えていたようだ。
まさか家からほんの少し飛び出した場所で倒れ伏してしまうとは。
ああ、何もできない俺の元へ、あの足音が近づいてくる。
乱暴に地面を蹴りつけ、あの赤い目は俺を忌々しげに睨み付けてきた。
「……小賢しいな。だが、よくも足掻いてみせたものだ。只の市民にしては上出来だろう」
「……」
肺が苦しく、返答すらままならない。
今の俺にできることは、痛みに耐えながら、相手の顔を眺めることだけだ。
「しかし貴様、この暗がりの中、何故あの場に勇者がいると分かった? 見たところ、何か特別な力を持ち合わせているとは思えぬが」
「……」
「奇怪な者だ。貴様は……よく話を聞く必要があるな。回復するまで監禁したのち、じっくり質問をさせて貰おうか」
「……!!」
まずい、まずいぞ。
どうやらコイツ、俺が魔王と関係あることに気付いてはいない。
だが、もし仮に俺の正体を悟られてしまえば、どんな目に遭うだろうか。
何しろ魔王の息子が探し求めている者こそ、俺なのだから。
「……だったら」
俺は声を振り絞る。
弱々しく震えてはいるが、最後の抵抗だ。
ここで捕まるぐらいなら、せめて…
「今、お前に……尋ねることがある」
「ほう、瀕死の状態で何を知ろうとするか。言ってみろ」
「お前は、どうして……」
問うべきことは数多。
何故、魔王の息子を名乗るのか。
何故、魔王の居場所を知ろうとするのか。
何故、空間跳躍の魔法を使えるのか。
「どうして、どうして……」
目的はなんだ。
俺が死んで時間が戻ったことと、関係はあるのか。
賢者の居場所を知っているのか。
しかしそんなもの、おれが捕まってしまえば意味はなくなる。
助かる見込みもないのに、ヤツに尋ねてなんになるというのか。
寧ろ下手に真実に迫った質問をしてしまえば、一層魔王の息子の執着心を寄せるだけだ。
それでも。
それでも聞きたいことは、ただ一つ。
今まで誰も殺さなかった彼が。
一番俺の認めたくなかった事実を作り出したことだ。
……知っていたさ。
勇者の顔を見たときから、分かっていた。
その胸から鼓動が消え失せていたことも、裂かれた腹は身体を貫通していたことも。
既に、既に彼の命は消え失せていたことも。
自然と涙が流れていた。
知るべき真実よりも、俺は今も自分の胸を締め付ける悲痛を叫んだ。
「どうして……勇者を殺したんだ!! 勇者パーティーだったお前が!! 狩人!!」
ドクン
胸が強く脈を打つ。
相手はカッと目を見開き、俺の顔を凝視した。
「……貴様、何故我が正体を……!!」
ドクン
相手は突然頭を抱え、うめき声を上げ始める。
なにやら様子がおかしくなった。
先ほどまでのズッシリとした立ち姿はなく、乱雑な足取りでふらつく。
「いや……それより、どういうことだ?……勇者を、殺した? この僕が……?」
ぶつぶつと声を上げ、俺を何度も見返しては、何度も首を振る。
一体何が起きている?
「そんな馬鹿な、この計画の目的は……だがしかし、我が計画の障壁となるならば……いや、我が望みのためにこそ……!! では何故!! 何故だ!!」
赤く光っていた瞳はギョロギョロと狂ったように動き出す。
手は震え。奴は顔を上げたかと思うと絶叫し始めた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!! 我が宿願は!! 我が所願は、切願は念願は志願は懇願は至願は依願は心願は祈願は訴願は望願は宿願は大願は請願は立願は……願望は!!! 欲望はああああああッッッッ!!!」
俺はもう、真っ直ぐ奴を見ることができない。
獣のごとく咆哮した魔王の息子は、最早どこも見ていない。
血管は頬にまで張り詰め、指は引き裂かれんばかりに開かれる。
腕は大きく引かれ、胸の傷はブシュリと開いて血を吐き出す。
だが、奴は叫ぶことをやめない。
否、俺はこの状態を知っている。
「まさか……お前は!!」
獣に声は届かない。
奴は俺の首を両手で掴み、身体ごと宙へと浮かせる。
抵抗もできぬまま、俺は気管を締め付けられる。
その間も叫びは鳴り止まない。
血の涙を流してもなお、その力は衰えない。
「がッ……!! ……!!」
「我が!! 我が望みはああああああああああああああああああああああああ!!!」
元々俺は酸欠状態だ。
それなのに喉を潰されては、もう助からない。
奴の手はより強く俺を締め上げる。だが、視点はどこにも定まっていない。
目の前にいた俺を、狂気のままに殺そうとしている。
頭の上がフワフワとしてきた。
全身から血の気が引き、指先は痙攣を始める。
口は垂れ下がる。目は、自分でもどこを向いているのか分からない。
息がトまる。肺が潰される。暗かった視界がマッシロに変化していく。
全タイジュウがヤツのテにかかる。クビはほそくなっていく。
くびのホネどうしがぶつかる。なにかがハズれるおとがすう。
シロい、シロイせかい。
なニもカもがクルッていく。
おれは、おれは
ああ、おれは。
「…………!!! ……!! ……!!」
とおくにだれかのさけびごえ
それをききながらおれは
しんだ
アア、タスケラレナカッタ
次こそは、余り間をおかぬよう努力します。
投稿予定日は今週の日曜日です。
今回は全身全霊をかけて絶対に間に合うよう努力しますので、どうぞ宜しく尾根がします。




