■第5章 フライングV
その日ミチルはレポートの調べもので大学の図書館にいた。
「あ、ミチルさん。こんにちは。」
そう言いながら歩いて来たのは軽音サークルの一つ後輩である熊田ゆう子だった。
みんなには『熊ちゃん』という愛称で呼ばれ親しまれている明るく礼儀正しい後輩である。この熊田ゆう子はの新入生歓迎の学内イベントでミチル達のバンド演奏を観て憧れて軽音サークルに入ってきた。その理由から組んでいるバンドはミチルが組んでいたのと同じくパンク系バンドであった。そして女の子3人で『デスベアー』というスリーピースガールズバンドを組んで熊田はギターとヴォーカルを担当していた。
2ヶ月くらい前、ミチルはこの熊田に自分達のバンドの曲を作ってもらえないかと一度頼まれたことがあった。しかしミチルはそれをゴメンと断っていた。
ミチルは熊田に曲を作ってあげる事が決して嫌な訳では無かった。前バンドで曲を全て作ったのもミチルであったし曲を作るという事自体は好きであった。しかし今年自分の声に異変をきたしてからは自分の納得のできる曲が作れる自信が無かったのである。音楽という自分の目標達成への情熱が作曲への原動力となっていたのを自分でも分かっていたのである。もし作曲を引き受けてつまらない曲を熊田にあげる様なことはしたくない。ミチルはそう思っていた。
「やあ。熊ちゃん。頑張ってる?バンド。」ミチルは言った。
「はあ。やってはいるんですが・・オリジナルがまだできてなくて・・。」
いつになく元気の無い声だった。
ミチル達が以前組んでいたバンドでオリジナルをやろうとして動きだしたのは今の熊田と同じ2年の時であるがそれは大学2年の春であった。熊田は今2年だが季節はもう冬になろうとしている。ミチル達を目標にしている熊田にとって遅れをとっているという事は痛い程に分かっていた。
「・・オリジナルって難しいです・・。」熊田が下を向いたまま言った。
確かに素人の作曲とは言っても作曲は一瞬でポロポロと出来上がるものではない。大学のみんなはミチルが作った曲は大学1年の時に書き溜めていたものだと思っている。確かにそれも大きくあるがそれとプラスして高校の時から自分の中でこうなりたいという憧れの想像を常に頭の中で練り上げていた。大学2年時に出来上がった曲達はその何年かの構想の結果なである。
「確かに簡単じゃないよね・・。」ミチルは自分を思い返しながら言った。
「そうですよね。簡単なはずが無いんです。わたしなんかに・・。」
いつになく熊田のネガティブな発言にミチルは何か気になった。
「どうしたの?何かあった?」ミチルは訊いた。
熊田は少しためらったようだったが話し始めた。
「ミチルさん実は・・。」
「今バンドが微妙な時期なんです。なんか他の2人のモチベーションが上がらないっていうか。あたしがオリジナルがまだ作れてないのが悪いんですけど。以前ミチルさんに1曲作ってもらえないかとお願いしたのは何かバンドに1つ足がかりみたいなものが欲しくて・・。もちろん自分のバンドの曲なのにミチルさんにお願いするのは筋違いだと思ったんですが・・。なんかこのままじゃ・・。」
そこまで言って熊田は止めた。
その続きはミチルにも分かっていた。『解散』または『自然消滅』という言葉である。
以前ミチルのバンドが解散したことに気を使ったのだろうとミチルは思った。
「変な話してすみません。あたし頑張ってオリジナル作りますね!。」
そう言って丁寧におじぎをすると熊田は足早に去って行った。
ミチルは去っていく熊田の背中を見えなくなるまで見つめていた。
解散とはバンドには付き物というが情熱を注いでいた者にとってそれがどういうものであるかミチルは自分の経験から痛い程分かっていた。
ミチルは大きく息を吐いた。
ミチルがふと壁を見ると手作りのポスターが貼ってあった。『ユニオン』という学内イベントのポスターだった。1週間後に開催と書いてあった。
「(もう一年経つんだ・・)」ミチルは心の中で思った。
ユニオンとは大学にある厚生会館というイベントホールで軽音サークル、吹奏楽部、演劇部の3つが合同でパフォーマンスを行うイベントであった。
それは去年から始まったもので普通と違う点は3つの部が間髪入れずに順番に連続してパフォーマンスを行うという点であった。
そのイベントホールは固定の椅子などは無いフラットなフロアであったため3つのそれぞれの部がそれぞれ壁を1つずつ背にして3方向から順番にパフォーマンスしていく。
例えば演劇がステージで15分のショートストーリーをパフォーマンスしたら間髪入れずに右の壁の吹奏楽部が15分演奏し次は左の壁の軽音サークルがといった流れでそれを連続して回していく。
3つの部が合同でやることで関係者を含めより多くの観客に集まってもらい3方向から連続して順番にやることで楽器や大道具などのセッティングなどの無駄な待ち時間を省き観に来た観客が飽きずにできるだけ帰らずに観てくれる事を目的としたイベントであった。
本来この時期にイベントをやっていたのは演劇部であったが観客がなかなか集まらず困っているということを聞いて去年ミチルたちが合同でやろうと提案したのだった。もちろん合同でやることには吹奏楽も演劇部も賛成であったが連続して3方向からパフォーマンスするというのは反対であった。みんな中央のステージを使いたい。しかしミチル達の説得で3方向から連続でやる事が実現した。ライブハウスで目的のバンドの時間が終わるとスッとはけていく観客達を知っているミチル達ならではの意見であった。しかしデメリットもあるのは確かだった。演劇部は長いストーリーはやれない事、他の部がパフォーマンスしている時は音を立ててはいけないので吹奏楽も軽音も音の合わせなどは基本無いに等しい。ギターアンプなど事前の音量の調整とある程度勘を頼りに演奏の1曲目をやりながら音量差を合わせていく必要があった。どちらかというとコンサートよりストリートライブに近い。しかし目的が多くの観客に観てもらうという事であったので最終的に全員が賛成したのであった。そしてそれはTVのチャンネルを変える様にリズム良く見れるとして観客の好評を得て今年も同じく開催となったのである。
その日の夜。ミチルはいつものように駅で千尋と逢った。
その日は珍しく二人はロックの話をしていた。
「ところでミチルのやってたバンドってさ何て名前だったの?」千尋が訊いた。
「みんな省略してSSBって呼んでたけど『smile squirrel bites 』(スマイル・スクイレル・バイツ)って名前だよ。」ミチルが苦笑いしながら答えた。
「へ~。どういう意味なの?」
「う~ん、簡単に言うと『笑いながらリスがかじる』って感じかな。正確に合ってるか分かんないけど。」
「え~かわいい!」千尋が大きく声をあげた。
「いや。ロゴマーク見たら引くよ。多分。(汗)」
「どして?」千尋が不思議そうに言った。
「黒いリスのシルエットがクルミの代わりにガイコツかじってるから(汗)。笑いながら・・。」
「なるほど・・。」千尋も苦笑いした。
しばらく話をした後ミチルは千尋にその日ずっと気になっていた熊田のバンドの話をした。
「そっかぁ・・」千尋が言った。
「うん・・。バンドが終わるなんてさ、組んだ時は誰も想像なんてしてないんだ。あの時のオレ達もそうだったしさ。あの時はみんなでロックの殿堂入りしようぜとかアホな話して盛り上がってたんだけどね。」ミチルが遠くを見ながら言った。
「ロックの殿堂?」
「あ、ゴメン、ロックの殿堂っていうのはロックでものすごい功績を残した人物の記録を保存する音楽博物館みたいなやつなんだ。で、ロックの殿堂はデビューして25年以上しないと入れないんだ。それはバンドのみんなももちろん知ってたけどさ、それくらい簡単に続くって思ってたんだよね・・誰も。25年っていったらさ、みんな45歳くらいのオッサンだけどね。でもそう考えると長い間バンドが続いてるアーティストってそれだけでもすごいなあって思うよホント。」
「・・だから熊ちゃんの話聞いた時なんかさ・・。」ミチルが言葉を濁した。
「・・曲、作ってあげたいんだね。ミチル君は。」千尋がニコッとしながら言った。
「うん・・できればだけど・・。熊ちゃんのバンドの曲をオレが作るのはちょっと違う気もするけどそれよりも解散なんかしてほしくないんだ・・。もしもオレの作る曲でバンドが立ち直るキッカケになるのならと思ってさ。」
ミチルは話しを続けた。
「自分のバンドにオリジナル曲があるか無いかって全然モチベーション違うしね。自分達の分身みたいな感じで。」
「でも正直自信なくてさ。前みたいに作れるのかどうか。」ミチルは正直に言った。
「そっかあ・・。」千尋が少し首を斜めに傾けて言った。
「でもあたし、ミチルなら出来ると思う!。」
「え?」ミチルは千尋の方を見た。
「そういう何かしてあげたいっていう気持ちの時ってさ、なんか出来ちゃうんだよね。結果的に。」千尋が元気よく言った。
「(千尋らしいな。)」ミチルは思った。
そしてミチルは何か少し気が楽になった様な自分に気付いた。
「そうだね、やってみるよ。自分ができるとこまで。」ミチルが言った。
「おっさすがミチル先生!。」
そして千尋が続けて言った。
「あと熊ちゃん達がそれを発表できる場所とかあればねえ。そういうのないの?。」
「う~ん・・まあ年内ではユニオンって学内イベントはあるけど・・でもなあ。」
「あっ、それいいかも!。そのイベントで成功できればきっと熊ちゃん達のバンドも変われるんじゃないかな!。」千尋はひらめいたと言わんばかりのポーズで言った。
「え?でも後1週間しかないし無理だよ。」ミチルは言った。
「言ったでしょ。ミチルなら出来るって!。」
この千尋の自信は一体どこからくるのかと少し苦笑いしたミチルではあったがその時ミチルの脳裏に熊田の悲しげな表情も思い出されていた。確かに熊田のバンドには一刻の猶予も無いのはミチルも分かっていた。そしてミチルは真剣な目をした。
「やってみるよ。」
その言葉はミチルのもちろん意思通りであったが自然に出た言葉だった。
「ただし歌詞は熊ちゃんに書いてもらうけどね。やっぱ自分のバンドの曲だし。時間の関係もあるけど。」ミチルはそう付け加えた。
「それとさ千尋・・」
「山小屋にこもるんでしょ。曲出来るまで。」千尋が分かっているという口調で言った。
それはアパートにこもり曲が出来るまで逢わないという意味であったがミチルは考えていることを先に言われてまた苦笑いした。
「ゴメン・・。」
「いいよ。多分ミチルはそうするのが一番集中できるタイプだと思うから。」千尋は笑顔で言った。
「ありがとう。」ミチルは言った。
そして二人は駅で別れた。
ミチルはアパートに帰る途中熊田に電話をした。曲を作る事、1週間後のユニオンで熊田のバンドがそれを演奏することを話した。
「熊ちゃん、今日が金曜日でユニオン開催が来週の金曜日の夕方からだろ。もう1週間も無い。スケジュールはかなり厳しいよ。ユニオンの持ち時間は1バンド15分だから一般的な3分30秒の曲をやれるのは4曲が限界だと思う。ライブの時は演奏早くなるとは言ってもね。正直オレも4曲この短時間で作れるかは分からない。3曲はなんとか作りたいと思うけどもしかしたら1曲も出来ないかもしれない。でもベストを尽くす。で、スケジュールを言うね。オレが今からアパートに帰って曲を作る。あさっての日曜中がタイムリミットで。だからそれまでに熊ちゃんも歌詞書いておいて。後で譜割しやすいように言葉多めで。そして作った曲を月曜日~木曜日でみっちり練習する。新曲を4日で仕上げるのは大変だよ。でもこれがもしうまくいけば・・。」
「はいっ・・!!」熊田は泣いていた。
「うん。頑張ろう!」そう言い終わると電話を切った。
そしてミチルはアパートに走っていた。
ミチルはアパートに帰るとすぐに作曲作業に取り掛かった。まず部屋のカーテンを閉め外からの明かりを遮断した。そしてTVのコンセントを抜き部屋の電気を消し携帯も電源を切った。それからスチール製の安いパソコンデスクの前に座り電気スタンドの明かりのみを灯けた。そして目を閉じて想像した。自分が爆発するようなイメージや雷の電撃を受けた瞬間のようなイメージなどいろいろと思い浮かべた。ミチルの作曲方法はそのイメージ図をノートに数十枚スケッチしそれをヒントに楽器を使いDAWソフトに入力していくものであった。DAWソフトとはDigital Audio Workstationというパソコンで使えるソフトの略でこれを使えばギターやマイクをPCと繋げてPC内に録音して音楽を作成することが出来る。それがミチルの作曲方法であった。ミチルは楽譜がスラスラ読めるわけではなかった。この直感的に音楽が作れるシステムを利用して前バンドの曲も全て完成させたのである。頭の中でイメージした絵や模様または図形の様なものをヒントに曲を作るというやり方は一見普通と変わっているが直感型のミチルにとってはとても相性のいい作曲方法だったのである。
ミチルは前バンドの曲を作った時のように頭の中でイメージを膨らませた。音速でうなりをあげて疾走する紺色のバラクーダに乗って断崖絶壁から飛び降りる自分の感情、全てを焼き尽くす業火の火炎で自分を含め焼け焦げる茶色い大地の温度、通る全てを巻き込みながら灰色の空へ突き抜ける破滅的なハリケーンの風量や巨大な熱量で強く燃える金色の太陽という恒星に溶かされていく自分という塊とその溶けた液体。いろいろなものを想像した。そしてその度にノートにスケッチを書いた。そのスケッチは軽く100枚を超え紙が足りなくなり家にあったコピー用紙やカレンダーの裏紙を使ったりもした。明かり一つの真っ暗な部屋で歩き回ったり頭を抱えたり唸ったり転がったりしながらひたすらスケッチを書いた。そしてそのスケッチを順番に並べそこからエレキギターとエレキベースを使って連想するフレーズやドラムのリズムをひたすらパソコンに入力した。何度も何度も録音し直し既にギターを弾く指の皮は破れ爪は削れ血が出ていた。ギターの一番太い6弦までも切れた。そしてようやくなんとか納得のいくものが3曲出来上がった。ミチルはこれ以上は無理だという自分の中のものを出し切った感覚と今の肉体と精神の限界の様なものを感じた。パソコンから流れる音を確認し終わるとホッとしたのかミチルに急激な疲労感が襲ってきた。ふと机のデジタル時計を見ると夕方17時であった。そしてそれは日曜の17時であった。ミチルは驚いた。一瞬時計を疑ったがその時計が電波時計でありパソコンの時計も同じ時刻であったためそれを受け入れた。ミチルは真っ暗な部屋の中でそんなにも時間が経っていた事に気付いていなかったのである。金曜の夜中から日曜の夕方17時まで約41時間飲まず食わず眠らずで作曲に没頭していたのである。ミチルはそんな自分にかなり驚いたがそれよりも異常な眠気によりいつの間にか眠っていた。
そしてしばらくの時間が流れた後ミチルは突然ハッと目を覚ました。しまったと思い時計を見た。すると時刻は20時であり曜日もまだ日曜であった。
「(良かった・・まだ日曜日だった。)」
熊田との約束にまだ時間があったのでミチルは安心した。
そしてミチルは自分の体に気持ち悪さを感じた:
それは異常な空腹感であった。
「(目が覚めた理由はこれか・・)」ミチルは思った。
40時間以上何も口にしていない。ミチルは冷蔵庫を開けた。何も無かった。何かコンビニに買いに行こう。そう思いミチルは玄関のドアを開けた。新鮮な冷たい空気がアパートの中に流れてきた。ミチルはドアから出るとその時まるで船で長い航海をした後緑の大地に降り立った旅人のような気分を感じていた。
そしてふと外のドアノブを見ると赤い大きな紙袋が下げてあった。
それは千尋からであった。ミチルが中身を見ると丁寧にラップで包まれた10個のオニギリと3つのインスタントのカップスープとお茶が入っていた。
ミチルはその場でオニギリを3つ開いて食べお茶を飲みほした。
ミチルはそれを最高に美味しいと感じた。そして何か自分の体に熱い血液が流れていくのを感じた。
そしてもう一つ、一枚のサイン色紙が入っていた。よくラーメン屋などに芸能人のサインが書いてあるサイン色紙であった。ミチルはなんだろうと思ってそれを手に取った。色紙には巨大なピンク色の星が色鉛筆で1つ描いてありその大きなピンク色の星の中にMICHIRUというアルファベットとレコードのマークが書いてあった。
ミチルは何かでみたことあるマークだと思ったが思い出せなかった。
さらに紙袋の中に1枚の手紙が入っていた。
ミチルへ。
ミチル、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームって知ってる?
これはねエンターテイメント業界で貢献した人を称えるピンクの星型プレートでね、アメリカのハリウッド大通りとかの歩道に埋まってるんだよ。
で、そのピンクの星の中に、活躍した人の名前と、その人が貢献した分野のシンボルマークが書いてあるの。
映画だったらムービーのマーク。
音楽だったらレコードのマークだよ。
これね、25年のキャリアがなくてもOKなんだって。
だからマイケルジャクソンとかジョニー・デップとかキャメロン・ディアスとか最近の有名人の名前もいっぱい埋まってるんだよ。
そしてなんとあのドナルド・ダックも。
じゃ、頑張ってね!
出来るって信じてるよ。ミチルなら。
千尋より。
手紙を見てミチルはやっと思い出した。ハリウッドの観光ガイド本で昔見たことがあったことを。
このピンクの星が描いてあるサイン色紙は千尋が作ったミチルのハリウッド・ウォーク・オブ・フェームであった。
「(オレがロックの殿堂は25年とか言ったから・・。)」
千尋は夢の光がバンド解散になって跡形も無く消えてしまったミチルに何か新たな光を探してあげたかったのだろう。ミチルはそう思った。
「(ありがとう・・千尋。)」ミチルは心の中でそう言ってそのハリウッド・ウォーク・オブ・フェームをしっかりと握った。
そしてミチルはしばらくそのハリウッド・ウォーク・オブ・フェームをじっと見つめた。
ミチルは5分くらいそれを見つめたまま動かなかった。
そしてふらっとアパートの中に戻り無言でギターやベースを弾いてパソコンに入力した。それはほんの15分くらいの短い時間の出来事であった。
ミチルはそれからゆっくりとシャワーを浴びて服を着替えた。鏡を見て伸びた髭に気付き髭も剃った。ミチルが時計を見ると21時30分だった。ミチルはパソコンの音源をCD-Rに焼きながら熊田の携帯に電話をした。熊田はワンコールで電話に出た。
「熊ちゃん。出来たよ。なんとかね。」
「ミチルさん!ありがとうございます!こっちも準備オッケーです!」
残りのバンドメンバー2人も丁度熊田のアパートに集まっているということだったのでミチルは音源のCD-Rを持って行くことにした。
熊田のアパートは意外に近かったのですぐに着いた。熊田の部屋を訪ねると部屋にはベースとドラムの子とたくさんの散らばったルーズリーフ用紙がミチルを待っていた。
「どしたの?これ。」ミチルは訊いた。
「あの夜からメンバーで集まってみんなで歌詞考えたんです。」熊田が元気に言った。
「そっか。」ミチルはニコッと笑った。
「じゃあこれ。音源。聴いてみて。」ミチルは熊田にCD-Rを渡した。
ミチルは少し緊張したが今回自分が新たに作った曲を聴いてみてほしいという気持ちの方が強かった。それがどう評価されたとしても。
そしてCDラジカセからミチルの作った音楽が流れた。
熊田達は3人とも目を見開いてお互いの顔を見合わせた。そして座っているそれぞれの女の子達の強く握られた両手はミチルの新しい曲のパワーを物語ってる様であった。
それからミチルは明日の月曜から木曜までの練習日程などを打ち合わせ熊田のアパートを後にした。ミチルは熊田のバンドが全員で歌詞を作ることは予想していなかった。しかし結果それが全員でオリジナル曲に携わることになり熊田のバンドに何か結束のようなものが芽生えている様にも感じた。そしてミチルはそれがとても嬉しくそして少し羨ましい気もした。
アパートに帰りながらミチルは千尋に電話した。
「曲、出来たよ・・。」ミチルが言った。
「うん。お疲れ様。」千尋がやさしく労いの言葉をかけた。
「ありがとね。千尋・・。」
「ううん。でも・・高くつくぜ、ベイビー。」千尋が言った。
「じゃあ・・・・招待するよ。ユニオンに。」ミチルは今自分がいる道路の歩道から高い夜空を見上げながらそう言った。
「うん。」千尋はゆっくりとそう答えた。
月曜日から木曜日までミチルは熊田のパンクバンド『デスベアー』の練習にひたすら付き合った。3人編成という3ピースバンドのため新曲でも息が合うのも予想より早かった。もちろんミチルのきびしい指摘や激も飛んで熊田も含めかなり泣いたりもしたがそれ以上に1つの目標に全員で向かうという行為は3人の結束をさらに強めたようでもあった。そしてあっという間に金曜日になった。
16時30分。ミチルは千尋と大学の正門の前で待ち合わせていた。
「ミチル~。」
千尋が走ってきた。
「久しぶり。」ミチルが言った。
「一週間ぶりだね。元気してたかな?。」千尋が少しオドケタ表情で言った。
「なんとかね。」ミチルは少し笑いながら答えた。
ミチルと千尋はそんな会話をしながらキャンパス内を歩いて行った。
「なんか知らない大学って緊張するなあ。なんかみんなこっち見てる気がするし。」千尋が言った。
「見てると思うよ。小さな大学だから他大学の人とか入ってくるとすぐ分かるんだ。」
「え~そうなの!?」千尋は驚いた声で言った。
「ほら着いたよ。」
二人は棟の階段を昇って会場のイベントホールに着いた。イベントホールはB棟の3階にある。1階は学食で2階が談話室と購買部のため人は比較的集まりやすい。ホールの中央にはパイプ椅子が並べられ観客はそこに座り自分で椅子の方向を変えそれぞれの部のパフォーマンスを観る。席は100席用意してあったがすでにほとんど埋まっていた。
すると熊田が走って現れた。
「ミチルさん!」熊田が元気良く言った。
「おつかれ熊ちゃん。」
「もしかしてこちらは彼女さんですか!?」熊田が少しニヤッとしながら言った。
「うん。まあね。千尋だよ。」ミチルは平静を装って答えた。
「後輩の熊田です!。この度はミチルさんに本当にお世話になりました。なんとお礼を申し上げてよいか・・。」熊田が丁寧に千尋に挨拶をした。
「ホントに礼儀正しいんだね。熊ちゃん。よろしくね。」千尋もニッコリして挨拶をした。
「はい!千尋さん。こちらこそ!。」
「ほら熊ちゃん1発目だろ。用意しないと。」
ミチルがそう言うと熊田はお辞儀して機材のところに向かった。
熊田のバンド『デスベアー』の出番はは最初の演劇部パフォーマンス開始から30分後となっていた。2年生バンドだから出番は早いということはあるが逆にこの時間は一番人が居る時間でもある。
開演間近になり観客は100人を超え立ち見が出る程となった。規模は小さいがミチルの大学では充分な人数だった。そして演劇部からスタートのパフォーマンスが始まった。ミチルと千尋は立ち見で少し離れた後ろの方から見物した。演劇部はロミオとジュリエットの有名場面をパロディにしたショートストーリー、吹奏楽部はルパン3世のテーマ曲をオリジナルにアレンジしたものであった。どちらもみんなが良く知っているものを題材として1発目に当ててきた。
そしてついに熊田のバンド『デスベアー』の出番が来た。
「いよいよだね。」千尋が言った。
「うん。」ミチルが力強く言った。
そして『デスベアー』のパフォーマンスの時間が始まった。
「!!」
無音だったイベントホールにまず熊田の奇声まがいの高音の叫び声が響いた。これはミチルとの打ち合わせの通りであったが意外な始まりに会場のみんなが驚いた。ミチルは当然演劇部も吹奏楽部も1発目は観客の誰もが知っているようなメジャーな曲をもってくるだろうと予想していた。熊田達のバンドが誰も聴いた事が無いオリジナルの曲で対抗するにはそれなりのインパクトが必要と思ったのである。そしてその熊田の高音の叫び声の直後エレキギター、ベース、ドラムの1つになった重低音の小型爆弾のような音が響きまたみんな驚いた。インパクトは絶大であった。そして演奏が始まりまたみんな驚いた。それはミチルの前バンドの勢いを彷彿させるような楽曲であったからである。女の子バンドのためミチルの前バンドの様なヘビーさは無かったが刻みよく鳴る爆竹の様なリズムと要所で利かす小さなダイナマイトの様な音のアクセントは疾走感とグルーブ感では前バンドの曲より勝るようにも思わせた。そしてミチルの作る低音の後に大きな高音を利かせるヴォーカルメロディーは意外にもこの女性ヴォーカルとマッチした。観客は全員がロック好きというわけでもなければ音楽経験者でもない。だから曲に体を合わせてノルなどということは一切なかったが口を開けた状態で一生懸命デスベアーを見つめる表情は観客の反応として十分過ぎるものであった。
そして順調に3曲目の演奏が終わりかけた頃ミチルは千尋に言った。
「ちょっと行ってくるね。」
「どこに?」千尋が言った。
「ステージ。」
千尋は少し驚いた顔をしたがすぐにうんとうなずいた。
ミチルは熊田達のところに歩いて行った。
熊田達の3曲目が終わると同時にミチルはアンプの横に立てかけて置いてある赤いエレキギターを肩からかけた。ヴォーカルの熊田は一つ隣のコーラスマイクにずれミチルは中央のヴォーカルマイクで観客に向けて言った。
「次の曲がラストです。」
「!!」
ミチルが歌うのか!?観客みんなが驚いた。この小さな大学内ではミチルが以前過激な人気バンドを組んでいたのはみんな知っていたし声が出なくなったのもみんな噂で知っていたからである。ミチルが新たに作り上げたこの激しい曲をこのガールズバンドが歌い、そして次にミチルがステージに上がりエレキギターをかついだままヴォーカルマイクに向かって最後の曲を告げたのだ。さっきまでヴォーカルをしていた熊田が隣にずれていることからもミチルが歌うのではと軽音サークルを筆頭に会場が少しざわめいた。
そしてそのみんなの予想通り歌うのはやはりミチルだった。
「曲名は『ピンクスター』です。聴いてください。」ヴォーカルマイクでミチルは静かに言った。
「ピンクスター?ピンク映画のピンク?」
千尋の後ろからそう話す小さな話声が聞こえた。ロックの曲にアルコールとセックスとドラッグなどは定番中の定番である。さっきまでの激しいロックの曲の流れからするとそういうエロティックなイメージを感じても不思議ではない。
しかし千尋にはすぐに分かった。ピンクスターとはピンク映画などのピンクではなくピンク色の星マークであるハリウッド・ウォーク・オブ・フェームのことであると。
ミチルは大きく息を吸いながら天井を見上げた。そしてまっすぐ前を見てエレキギターのコードを大きく一つ鳴らした。そしてみんなが驚いた。それは甘いクリーントーンであったからだ。まったく音を歪ませてないまるでハープのような優しいクリーンな音であった。ロックじゃないのか!?みんながそう思った。
実際、今回ミチルは最初3曲しか作れなかった。しかしミチルは千尋にもらった手作りのハリウッド・ウォーク・オブ・フェームのイラスト図を見て頭にひらめき15分で完成したのがこの曲であった。それはミチルにとって頭の中になんとなく流れてきた音楽をただ楽器を使い、ただその通りに入力した感覚であったがミチルはこの曲に関して過不足を全く感じなかった。そんなに音の多い曲ではないがそれはまるで余分な贅肉が無くしなやかで芯がしっかりした筋肉の曲線美を持つ人体の彫刻の様なイメージとしてミチルは感じていた。熊田達にこの4曲目を聴かせた時は本当にミチルが作ったのかと驚かれた。今までのミチルの破壊的で破滅的な激しい音楽と180度異なっていたからだ。しかし楽曲を聴いてすぐに熊田達3人の顔に笑顔が現れた。
観客の驚きをよそにミチルは静かに演奏を始めた。それは多少ロック寄りではあったが確かにバラード曲であった。そしてとても甘く切ないメローな曲であった。
しかし歌に関してはやはりミチルの声が十分に出ないのは確かだった。強い高音部分は声がかすれて痛々しいものがあった。そしてそれは全盛期のミチルを知る者からすれば明らかに劣る歌声であることは明白でありこの歌声を聴いてミチルのことをあざ笑う者もいた。しかしミチルはそう言われることも分かっていてこのステージに立っていた。声は完治してなどいなかったが歌おうと決心していたのである。ミチルは声が完全に出るとか出ないとかそういう事よりもこの曲を歌って今の自分を表現したかったのである。熊田達ももちろんそれに賛成してくれた。そしてかすれて出ない高音部分は隣のコーラスマイクの熊田が練習通り上手くカバーしミチルの声は不安定ながらも歌として聴けるレベルとなった。
その時ライブを観ていた千尋に一人の大柄な男が声をかけて来た。
その男は左目の下に泣きボクロがあり坊主頭が印象的であった。
「あのスミマセン。君が千尋ちゃんだよね?」男はそう言った。
「あ、オレ杉本って言います。ミチルと前SSBってバンド組んでた・・。」
「笑ってるリスがかじるやつね!うん知ってるよ。」
杉本はSSBでギターを担当していた。現在大学外の人間とバンド組んでいるためこのユニオンには出てなかったが今回ミチルが熊田のバンドの曲を作ったと聞いて観に来ていたのであった。
「あのさ、ちょっと教えて欲しいんだけどいいかな。あの赤いギターって千尋ちゃんはミチルが今まで使ってるの見た事あった?」
「う~ん。無いと思うけど。」千尋が答えた。
「そっか・・。」杉本がポツリと言った。
「あのギター何かあるの?」
不思議に思い千尋は訊いた。
「あの赤いギターはミチルがオレ達と組んでたバンドSSBのサウンドを強化するためにあいつが必死にバイトして買ったものなんだ。ヴォーカルもギター持ってた方が演奏の音は厚くなるからね。」
「そうなの!?全然知らなかった。」千尋は言った。
杉本は演奏するミチルを見ながら言った。。
「あのギター、フライングVって言ってね、アルファベットのVの形をしたいわゆる変形ギターの一種なんだ。最近は使ってるアーティストもいるけど発売当初はあんまり形が奇抜過ぎ生産中止になったくらいでね。でも性能は結構オールラウンドなジャンルに使えるマルチなギターでさ音もオレのギターとカブラナイからミチルはバンドのためにもピッタリだと思ったんだろうね。もちろん最初デザインの奇抜さに嫌がってはいたけどいろんな記事や歴史なんかを見て愛着も湧いたみたいでさ。」
「そん時オレもミチルと一緒にいろいろバイトしたんだ。魚工場とかチラシ配りとか工事現場とか。オレは自分のギターのローンのためだったけどさ。でもミチルがあのギター買ってそれからすぐバンド解散しちゃって・・そしたらミチルの声も出なくなっちゃってさ。」
「もしかしたらオレ達のバンド解散が原因で声出なくなっちゃったんじゃないかってオレいつも思ってたんだ。オレらがあんな理由で解散しようなんて言ったから・・。」
しばらく間を置いて杉本は話を続けた。
「ミチルの声出なくなってしばらくしてだったけどさ、夕方近所の質屋の前をあのフライングVの入ったギターのハードケース持ってウロウロしてるミチルを見かけたんだ。オレらのSSBのステッカー貼ってあるハードケースだったからすぐそれだと分かったよ。結局入るの止めたみたいでホッとしたけどさ。」
「音楽やってる奴が楽器売る時ってさ、もう音楽やんないって決めた時だと思うんだ。オレそれ見てさ、ホント・・。」
杉本は最後の方は言葉を濁した。
「だからミチルが今回熊田のバンドの曲作ったって聞いて正直オレ嬉しかったんだ。そして今さ、ミチルがあのフライングVをまた使い始めたのこの目で見てさ、ミチルまた音楽始めてくれたんだって思ったらさ、なんかオレ・・。」
杉本は少し涙ぐんだ。
観客はあのミチルがバラードを歌うというこの意外な展開に驚くと共に最初は不安定な声のミチルをただただ見つめていたがいつしかその楽曲のメロディとリズムに首でリズムをとっている者も多数いた。
そしてミチルの演奏は終わりすぐに次の順番の演劇部がパフォーマンスを始めた。
演奏が終わりミチルは何か晴れやかな気持ちであった。ギターを置いたミチルのもとに千尋が歩いてきた。
「お疲れ様。カッコよかったよ。」千尋がやさしく言った。
「熊ちゃん達はね。まあオレは声出てなかったけどさ。」ミチルが苦笑いしながら言った。
「そう?ドナルドよりはいい声だったと思うけど。」千尋が言った。
ミチルは微笑んだ。
それからまた二人でそれぞれの部の残りのパフォーマンスを観た。
そして今年もユニオンは無事に成功という結果を残して幕を閉じた。
午後11時半。最後の片付けも終わり解散となった。
「ミチルさん!ホントありがとうございました!」熊田が深く頭を下げながら言った。
「いいよ。そんな。」ミチルが困った感じで言った。
「とんでもないです。今回ミチルさんが曲作るって言ってくれなかったらあたし達のバンドもどうなってたか・・。」
「オレは1つのきっかけに過ぎないよ。結束できたのは熊ちゃん達バンドみんなの力だと思うし。歌詞みんなで作ったりしてさ。あとはオリジナル、頑張って増やしていかないとね!。」ミチルは言った。
「はい!。今度はちゃんと曲も。またみんなで考えて作りたいと思ってます!やっぱなんかあたし一人じゃダメだって改めて思いました。メンバーみんなの力が無いと。みんな集まってのバンドなんだし。」熊田は目を輝かせて言った。
「うん。そうかもね。」
ミチルは何か自分にも言っている様な気もした。
「あのー。」熊田がミチルに言った。
「ちょっと聞いてもらえますかミチルさん。あたしあのバラードすごくいい曲だと思うんです。こう言ったらアレなんですが万人ウケする曲だと思うし。だからもし良かったら何か作曲とかのコンテストとか出してみたらどうかと思うんです。もしかして何かの賞みたいのに繋がるかもしれないし。なんて・・。すみません生意気な事言って。」
熊田はそう言って下を向いた。
その時ミチルは思った。熊田も熊田で声を失ったミチルに何か新しい夢の光を探してあげたいと思ってくれているのだと。
「ありがとね。熊ちゃん。」ミチルはニコッと微笑んだ。
「でも賞はさ、もう貰っちゃったんだよね。星1つ。」ミチルが少し笑って言った。
「星1つ!?あの曲はあたしの中で星3つ、いや星5つのランクですよ!誰がそんな失礼な評価したんですか!?」熊田が興奮気味に言った。
それを聞いてミチルと千尋は顔を見合わせ大きく笑った。
その時ミチルは充実感の様なものを感じていた。そしてそれは以前組んでいた過激なバンドで成功した時とは違う充実感であった。音楽で笑ったのは一体いつ振りだろう。ミチルはそう思った。そして今のミチルは何かの賞などよりももっと大きなものを感じた気がしていた。
そしてミチルと千尋は軽音サークルのみんなに別れを言った後イベントホールをあとにした。
千尋はミチルの右手にしっかりと運ばれるフライングVの入ったハードケースをチラリと見た。
キャンパスを正門の方にしばらく歩いていると横の掲示板の方から声がした。
「ミチル。」
それは杉本だった。
「久しぶり。」杉本が静かに言った。
ミチルも同じように挨拶し千尋も軽く会釈をした。
「今日、観に来てくれてたんだってね。」ミチルが言った。
「ああ。いい曲だったよ。バラードのやつも。」
「そっか。サンキュ。」ミチルは答えた。
「また始めるんだろ?音楽。」杉本が言った。
「うん・・。どんな形でもね。」ミチルが少し笑って言った。
「そっか。」
それを聞いて杉本は少しホッとしたような表情を見せた。
「それからさ杉本・・・・ありがとね。」ミチルが言った。
「え?」杉本が言った。
「アレ、お前だろ。質屋のオヤジにさ、フライングVを売りに来た奴がいたら買わないでくれとか売らない方がいいって言ってくれとか頼んだの。なんかいろいろモメタみたいだったけど。」
ミチルは続けた。
「さっき千尋にも少し聞いたんだ。」
「オレ実はさ、杉本がオレを見かけたっていう次の日、やっぱこのギター売りに行ったんだ。いろいろ考えた結果・・。」
「そしたら質屋のオヤジが言うわけよ。”このギターは何かあるのか?”ってね。変だからしつこく聞いたら教えてくれたよ。朝イチ泣きボクロのある坊主頭がそう言って頼んできたって。まあ商売だからもちろん断ったって言ってたけど。」
「たぶん杉本じゃないかと思ったよ。そんな特徴のある奴なかなかいないしね。でもあの時はバンドもあんな解散の仕方してオレもあっさり別のメンバーに乗り換えてバンド組んだりしてたから・・何か言い出せなくてさ。」
「あの時さ、お前があのオヤジに言ってくれてなかったらオレ、このフライングV売ってたと思う。」
それはもちろん音楽を辞めていたという意味であった。
「だから・・ありがとう。」ミチルは言った。
「ミチル・・。オレ達があの時解散なんて言・・。」
杉本が言いかけている言葉をかき消すようにミチルが言った。
「杉本。杉本の新しいバンドのステッカー、今度くれよ。このハードケースに貼るからさ。」
ミチルはフライングVの入った自分のハードケースをポンポンと叩いた。
「・・ああ。」杉本は少し涙ぐんではいたが大きくうなずいた。
「杉本はこの大学一涙もろいからなあ。」ミチルが冗談っぽく笑いながら言った。
そして別れ際杉本が言った。
「ミチル、今度またギター(エレキギター)教えてやるよ。アコギ(アコースティックギター)しか触ってないんだろ。」
「ああ。頼むよ。師匠。」ミチルはそう言って少し笑った。
そして杉本と別れまた二人は帰路についた。
「師匠ってどういうこと?」千尋が訊いた。
「大学入ってオレにギター教えてくれたのって杉本なんだ。」ミチルが答えた。
「へー。そうだったんだ~。」千尋は妙に納得した様な声で言った。
そしてふいに千尋が言った。
「ねえミチル、そのエレキギター今日はあたしが持ってあげるよ。」
「え?いやいいよ。エフェクターとか器材も入ってて重いしさ。」
「うん。だから持ちたいの。」
「は?意味わかんないよ。」
「その重さを感じてみたいわけですよ。『いやぁ、男って本当にいいもんですね~。』」
千尋がモノマネをしながら言った。
「は?それって水野晴朗のマネ?。映画評論家の。」
「正~解!。」
千尋はそう言ってミチルのギターケースを両手で持った。
「重っ!。」
「ほらね。」ミチルが笑いながら言った。
「いや持つ!。」
「無理だって。」
「いや絶対持つ!。」




