前書き
2023年の夏。
千葉県習志野市に建つ新築分譲マンションの一室で、鈴木慎二(30歳)と幸子(28歳)の若夫婦は、間違いなく人生の絶頂にいた。
共働きで手に入れた3LDKのマイホームと、駐車場で白く輝く真新しい高級ミニバン「アルファード」。
それは、どこにでもいる普通の夫婦が手にした、完璧で眩しい日常だった。
だが、その幸せは1台の車、アルファードの「盗難」によって唐突に終わりを告げる。
ある朝、駐車場から忽然と姿を消したアルファード。
彼らは月々の負担を減らすため残価設定ローンを組み、あろうことか盗難保険のランクを一番安いものにケチっていた。
残されたのは、手元にない車に払い続けなければならない200万円の借金と、重くのしかかる住宅ローンだけ。
愛する家を手放したくないという執着と、醜い責任転嫁の喧嘩の末、2人がスマホで見つけたのは、絶対に越えてはいけない一線、それは、特殊詐欺の「受け子」だった。
「あと二人で5ずつ回くらいやれば、マンションのローンごと全部チャラにできるんじゃねぇか?」
真新しいリビングで、奪った札束を前に下品に笑い合う2人。
しかし、彼らが騙し取った金で命を絶った老人のニュースが流れた熱帯夜。
ベランダの生温かい風の中で交わされた、夫婦の生々しい罪の告白と自己正当化を、隣室の男――安達正志(68歳)は、暗闇に紛れて静かに聞いていた。
「警察に捕まりたくないでしょう?私が匿ってあげますよ」
人の良さそうな笑顔の裏に、底知れぬ闇を抱えた安達。
彼が「保護」という名目で2人を誘い込んだのは、長野県小諸市の山奥にある別荘だった。
そこは水も食料もある、一見すると普通の綺麗な地下室。
だが、そこは安達が作ったものではない。
かつて安達自身もそこに監禁され、精神を完全に破壊された「始まりの場所」。
代々、誰から誰へと受け継がれてきたのか分からない、呪われた監獄だった。
その部屋の床は、わずかに『3度』だけ傾いている。
たった3度の傾きが引き起こす、終わらない吐き気と激しいめまい。
自業自得の罪に溺れた夫婦は、逃げ場のないこの密室で、お互いを憎み、削り合い、安達による陰湿で徹底的な「教育」の果てに、やがて知能を持った獣へと落ちていく。
これは、殺意なき隣人による、執拗な精神破壊(教育)の記録。
扉が開いたとき、そこに立っているのは、一体誰なのか?待ち受けていたのは、違う地獄か?更なる地獄なのか!?
ようこそ。完璧な地獄へ。




