【21話】レオン様の決意
屋敷に戻った私たち二人は、最上階最奥の部屋へと向かっていた。
普段は使われていないその部屋には今、ゼリオ様がいる。
私の離婚と、ムペード公爵令嬢との結婚。
二つの手続きを進めるには、本邸の方が何かと都合が良いらしい。
そのため別邸へ帰らず、ここに残って作業をしているそうだ。
「もう一度だけ聞かせてくれ。本当に全てを捨ててもよいのだな?」
「はい。レオン様といられるのなら、他には何もいりません」
「ありがとう」
微笑んだレオン様が、私に向けて手を差し出した。
その手を取った私は、ギュッと握る。
ずっと一緒ですよ、とそんな気持ちをありったけにこめて。
ゼリオ様がいる部屋へと着いた。
「では、入るぞ。準備はいいか」
レオン様の言葉に私は小さく頷いた。
あの恐ろしいゼリオ様に向かっていくというのに、まったく恐怖を感じない。
レオン様と一緒にいる。
そのことが、無限の安心感を私にもたらしてくれていた。
レオン様が扉をノックすると、すぐに「入れ」という声が聞こえてきた。
「失礼します、父上」
レオン様と手を繋いだまま、私は部屋の中へ入った。
私たちを見るなり、執務机で書類仕事をしていたゼリオ様の動きがピタリと止まった。
「……おい、それはどういうことだ?」
表情が一気に険しくなった。
これでもかというくらいに瞳を尖らせ、額に青筋を立てている。
「答えろレオン!!」
「父上。これが俺の答えです」
「なんだと!?」
「オリビア以外の女性など、俺には考えられない。ですから、ムペード公爵令嬢とは結婚できません。それを伝えに来ました」
「……ふざけるなよ!!」
丸めた拳で机を叩いたゼリオ様が、勢いよく立ち上がった。
大きな足音を立てながら、レオン様に詰め寄っていく。
「もう一度言ってみろ!」
「ムペード公爵令嬢とは結婚しません」
「お前……!」
レオン様の胸倉を掴み上げたゼリオ様。
もう片方の拳を強く握ると、レオン様の顔面をおもいきり殴りつけた。
ゼリオ様の腕は丸太のように太く、筋肉の塊でできている。
それはもうほとんど武器に近い。普通の人であれば、遠くまで吹き飛んでいたことだろう。
けれどもレオン様は、びくともしなかった。
その場から一歩も動かずに、ゼリオ様を鋭い視線で射抜いている。
「……何度だって言います。結婚など、絶対にしません!」
部屋の空気が大きく震えた。
放った言葉には魂がこもっており、ありったけの気迫を感じる。
「威勢だけは良いようだが、覚悟はあるのか? 私に逆らえばどうなるか、それを知らないお前ではあるまい」
飛んできたのは明らかな脅し。
【レオンは私に逆らえない。私への恐怖心をたっぷり練り込んであるからな】
そんな心の声と連動するように、口元に歪んだ笑みが浮かんだ。
勝利を信じて疑っていない。
「覚悟ならできています」
毅然とした態度で言い放つ。
勝利を確信したゼリオの脅しに、レオン様はまったく動じていなかった。
「ゼレブンタールの名は捨てます」
「――!? 爵位を自ら捨てるというのか!」
ゼリオ様の目が大きく見開いた。
表情に色濃く浮かんでいる焦りの色が、予想外の事態だということをハッキリと表している。
「そんな人間聞いたことないぞ! 正気か貴様は!」
「俺は本気です」
「それほどの価値がこの女にあるというのか!」
「はい。オリビアは俺にとっての全てです。爵位なんかよりよっぽど大事だ」
迷いなく言い放ったレオン様に、ゼリオ様は大きな舌打ち。
そうすると今度は、私の方へ顔を向けてきた。
「オリビア、お前もいいのか!? このままでは大量の金を貰えなくなるぞ!」
私のことをまだ、金で動く女だと思っているのだろう。
この人は最後まで、私のことを分かっていない。
「構いません。私もレオン様と同じ気持ちです。お金なんていりません」
「…………揃いも揃って、ここには馬鹿しかいないのか!」
吐き捨てるように言ってから、ゼリオ様は私たちに背を向ける。
執務机に座り直すなり、「出ていけ!!」と怒鳴り声を上げた。
一礼した私とレオン様は、言われた通りに部屋を出て行く。
「これで結婚することはなくなった。いくら父上といえど、俺の許可がなければ結婚の手続きを進めることはできないからな。あとは俺たちの処遇がどうなるかだが……こればかりは分からん。明日には貴族じゃなくなっているかもしれない」
「それじゃ新しいお家を探さないとですね! 自然も多いですし住むならこの辺りが――あ、でも仕事がないか。そうなると王都に近いところじゃないと……」
未来のことをあれこれ考える私に、レオン様が微笑む。
「まったく……頼もしいな君は。俺も見習わないと」
「一緒に頑張りましょうね!」
以前私は、『レオン様と一緒なら、そこがどんな場所でもあっても私は楽しい』と言った。
その気持ちは、今でもまったく変わらない。
貴族であろうと平民であろうと、私の隣にはレオン様がいる。
身分なんて関係ない。誰と過ごすか――これからの人生において大事なことはそれだけだ。
******
それから半年が過ぎた。
ムペード公爵令嬢との婚姻話は、無事に白紙となった。
そして私とレオン様の身分だが、半年前と変わっていない。
侯爵夫人と、侯爵当主のままだ。
結局のところ、ゼリオ様はレオン様を廃嫡しなかった。
レオン様の後継者教育にあたり、ゼリオ様は莫大な時間をかけてきた。
新たな人間に同じような教育を一から施すというのは、かなり難しい話らしい。
そういう訳で、私とレオン様の関係は今も続いていた。
彼と過ごす毎日は楽しくて笑顔に満ちている。
私は今、本当に幸せだ。
懸念があるとすれば、またゼリオ様が変なことを言ってこないか、という点。
でも、そこはあまり心配していない。
レオン様は『私が全て』だと言ってくれた。
だから何があっても、私と一緒にいてくれると信じている。
私たちはもう絶対に、離れることはない。
他人の心の声が聞こえる――このスキルに出会えたことに、私は深く感謝している。
それがあったから、レオン様の本心を知れた。仲良くなりたいと思えた。一生一緒にいたい大事な人に出会えた。
「感謝してもしきれないわね」
「ん? どうしたオリビア?」
対面の席で朝食を摂っているレオン様が、不思議そうに顔をかしげた。
【感謝ってなんのことだろう? それにしても、今日もオリビアはかわいいな。一緒に食事できて本当に幸せだ!】
今日もレオン様は通常通りね。
いつもと変わらない愛おしい夫の心の声に、私は微笑みを浮かべた。
きっと今日も、素敵で楽しい一日になるはずだ。
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