第8話「キンニクとヨウヘイ」
デーオを乗合馬車で後にしたリザ達が次に向かうのは魔獣が跋扈する首都までの直線距離ルートではなく。
大周りの南部からグルッと一周する感じの旅程であった。
「おやぁ!? まぁた会ったねぇ」
「お嬢ちゃん達もこの馬車だったのか」
商人のおばちゃんと剣士のおっさんアルザがまた一緒である事はミゥナの驚きを持って迎えられた。
復活したばかりのエミーネはランドセルを傍らに置いて、何やら小さな箱を持ち込み、膝の上で道具によって自然の触媒を磨り潰すやら、化学反応させて別のものにするやら、忙しそうにブツブツ言っている。
「おばさんは何処に行くんです?」
「ああ、デーオも目的地の一つなんだけど、あくまでついでだね。激戦地の一つである南部の【ラグラージュ】で本格的に売り捌くのさ」
「らぐらーじゅ?」
ミゥナにおばさんが頷く。
「地方的には東で一番あったかいんじゃないかねぇ。南国産の果実も育てられるし、小麦も年5回収穫出来るし」
「わーご飯が美味しそうですね♪」
「ふふ、美味しいよぉ? でも、お嬢ちゃんは気を付けないとすぐに体重が……」
「き、気を付けます!!」
「あはは、ウソウソ!! 体を動かしまくりなお嬢ちゃん達なら健康に何でも食べたらいいさ。ま、今のラグラージュは破壊神のせいでかなり政情が不安定だけどね」
「ハカイシン?」
おばさんが肩を竦める。
「南方の大国ダイドラが追い払った超大型魔獣さ。何せ山を背負う魔獣、なんて二つ名通り、山三つを体の上に張り付けてるヤバイ奴だよ。全長だけで一地方ある活火山、それも連山だってんで移動した南部の砂漠が今じゃ灰と硝子に覆われたとか何とか」
「ス、スゴイですね!!」
「一応、頭部があるから、集中攻撃で外皮くらいは削れるらしいけどねぇ。後は魔法使いや剣士が突撃して、割れた外殻内部に攻撃。相手をとにかく追い払うくらいしか出来ないとか」
「御婦人。詳しいな」
アルザが感心した様子になる。
「ははは、よしとくれよ。これでも商人さね。今から行く商いの現場の事なら何だって知ってて当たり前だよ。お前さんだって例の南部の作戦には参加したんじゃないかい? 聞くところによれば、ダイドラの国庫は今、空らしいじゃないのさ」
「当時は世情的に男は総動員されたな。140万の兵士と30万の奴隷と100万の魔法使いによる正しく空前絶後の……と、お嬢さん達に聞かせる話でも無かったか」
「え? あ、続けて貰っていーですよ?」
「いや、大人の英雄譚など、子供が憧れるものではない。今はオレも単なるしがない出稼ぎ剣士だからな……」
アルザがそうして苦笑しつつ黙って目を閉じる。
「ま、男には男の意地があるのさ。女には女の戦いがあるように、ね?」
そう締めくくったおばさんが飴を三人に手渡し、今回は何事も無く馬車はラグラージュ地方まで向かう事が出来たのだった。
*
ラグラージュ地方に入る寸前。
関所のある街ベネカでその事件は起こっていた。
街の門の前で人々が押し問答していたのである。
それも扉は固く閉められている。
左右を狭い峡谷に挟まれている為、その場所を通る以外に馬車が抜ける道はない。
「オイ。どういう事だよ!? 何で門が閉められてるんだ!?」
「で、ですから、ラグラージュ地方の領主クリムロ様からのご指示でして。今、ラグラージュ南方の砂漠と荒野の中間点にいる破壊神が動き出したとの報がありまして、逃げ出す避難民を優先的に出して、地方へ向かう方は物資輸送の方に限られ―――」
「何ですって!? は、破壊神が!? こ、こんなところに居られないわ。戻るわよ!?」
「ひ、う、ウソだぁ!? クソゥ!? ようやく落ち着いて来たってのにまた逃げなきゃならねぇのかよぉ!?」
周囲はその話でガヤガヤと喧しい。
「ん~~つまり、事実上首都行きは魔獣のいる地帯を通るか。あるいは今破壊されまくりかもしれないラグラージュを通るかの二択になるのかい。難儀だねぇ」
行商人のおばさんもすっかりお手上げのようで肩を竦める。
ちなみに御者はすぐ組合に駆け込んで首になってもいいから、あの馬車の御者は降りさせてくれと泣き付きに行った最中である。
それもそのはず。
乗っているおばちゃんは行商人であり、物流を司る商人であり、ラグラージュに優先的に出入り出来る。
「で、アンタ達は……って、聞くまでも無かったねぇ」
馬車を出てキントレするリザとミゥナ。
触媒をブツブツ調合しているエミーネ。
剣士アルザは話を聞いても口元に笑みを張り付けて目を閉じている。
「仕方ない。じゃあ、こっちが御者をするから、頼んだよ。剣士さん」
「任されよ」
こうして一行は行商人のおばさんと共にラグラージュ地方に入った。
道行には大量の避難民が暗い顔で関所に向かう様子が続き。
ラグラージュ地方に向かう道の先には暗雲が立ち込め、パラパラと雲の原因である噴煙と灰が道には積もり始めていた。
カラカラと馬車を引いて向かう地域に近付く度、馬が微妙に震えて足が引けているのを見た行商人のおばさんは溜息一つ。
「見えて来たよ。お前さん達!! この先がラグラージュ地方の玄関口。無双剣士の街【ガイドリ】だ」
「むそーけんし?」
エミーネが未だにブツブツ言っている横でミゥナが首を傾げる。
「あ~あ~こんなに灰で汚れちまって。ま、ここの連中にゃ殆ど関係ないだろうけど、こりゃぁ体を壊すよ。ああ、防塵用の覆面は持って来てるから使っていいよ。こりゃ、お得意さんになりそうなアンタらへの先行投資さね。カバンの左だ」
「あ、はーい」
ミゥナがおばさんのバッグの横から取り出した複数枚の布で織られたかなり使い込めそうな頑丈なマスクを取り出して全員に配る。
そうして窓から外を見やれば、確かに灰に覆われ、昼間だと言うのに薄暗く。
遠方から遠雷の稲光が次々に奔るオドロオドロシイ街が見えて来た。
だが、それを気にした様子もない街には活気が溢れており、食事こそ提供する店は露店でやっていなかったが、物品を売買する露天商は品に覆いを掛けて、見せる時だけ取り出し、同じようなマスク姿の荒くれ者と一目で解りそうな人々に武器やら薬やら道具やらを売っていた。
「何かキンニクが結構ある人が多そうです!!」
「ははは、そりゃそうだ。此処には闘技場があってねぇ。無双剣士ってのは一年に一回だけ開催される大会での優勝。その賞品としての名誉な二つ名なのさ。賞金目当てにやってくる荒くれとそれ相手の商売連中しかいない街だよ」
「シショー!! これはキンニクな予感です!!」
「カヨワイ人間の中にもこんなにキンニクを愛好する者が!? こ、こんな嬉しい事はない。ふ、ふふ、自慢のキンニクを争うとは中々やるな。人類!!」
ガチムチ系おにーさんとおねーさん。
それから細身だが鍛え抜かれた体を持つ人間。
そういうのがそこそこいる様子にリザが満足気に頷く。
「懐かしいな。此処は昔のままか」
「おや? 剣士さんも昔挑戦した事がある口かい?」
「ああ、まったく、あの頃は若かったな。結果はさっぱりだったが」
「あははは、そんなもんだよ。さ、馬車はまた御者無しだし、街から更に迂回して進むにゃ、組合で乗合馬車を更に見付けるしかないからね。頑張るんだよ」
「はーい。ありがとうございましたー」
全員がマスクを付けて降りると組合のところまでおばさんが馬車を持って行ってくれる様子で全員が手を振って見送った。
「そう言えば、アルザさんはこっちに何をしに来たんですか?」
「ああ、ここらは言われていた通り、今は激戦区だ。破壊神はともかく。他にも色々と魔獣共との連戦続きらしく。戦力を募集中という話でな」
そこでようやくキランッと目を輝かせたのは魔法用の触媒の調合が終わったエミーネであった。
「おじさん。その話、詳しく聞かせて頂戴!! また馬車に乗ったり、布団に寝たりしないのよ。アタシ」
「はは、じゃあ、依頼が多いと噂の酒場を教えよう。オレは宿を取ってからにする。行ってくるといい。では、また何処かでな」
アルザが爽やかな笑顔で人も良さそうに三人へ情報を伝えて雑踏に消えていく。
「さて、行くわよ。二人とも」
「エミーネさんが元気になって良かったです。ね~シショー!!」
「キンニクは元気の源。そして、元気はキンニクの源。キンニクの使徒に限界は無い!!」
「はーい♪」
「いや、アタシは絶対にキンニクの使徒とやらにはならないからね?」
エミーネの絶対オコトワリシマスな言葉にミゥナは『もうキンニク付いてるのになぁ』と本人に自覚がない事実を喋る事もなく笑みを浮かべ。
リザは『この矮小脆弱人類エミーネにキンニクの加護があらん事を』と生温い視線で新たなキンニク愛好者の誕生を見守る事にしたのだった。
『………』
タウィル君だけがリザに片手で持たれながら『相変わらず、ギオースは精神侵食が上手いなぁ』と同業者というか、同階梯に類する存在の手腕に舌を巻いていた事を誰も知らない。
―――10分後。
「おほ!! いいケツ!! こりゃぁ、夜も捗りますわ~~」
「マジかよ!? また傭兵の相場が上がったのか!? 破壊神様々だぜ!!」
「ガハハハハ!! ハカイシン様にゃ足を向けて寝られんなぁー♪」
どうやら酒場兼食堂兼娼館だったらしい場所に脚を踏み入れた。
ゴミゴミとした内装は今まで通って来た酒場とは違い。
完全にアングラな雰囲気を醸し出している。
なので、当然のように少女三人組は浮きまくりである。
そして、当然のようにゴミのような臭いの傭兵崩れとか。
ゴミのような喋るゴミが当然のように湧くのである。
「お嬢ちゃ~~ん。此処は子供の来る場所じゃありまちぇんよ~~」
ゲラゲラ嗤う一団は総勢で5名程。
ゴミを見るような視線でゲッソリしたエミーネが無視してカウンターに向かうとカチンと来た男がその肩に手を掛けようとして、ボグンと見た目には分からないだろう感じに内臓の一部が極度の衝撃で瞬間的に機能停止し、彼はゴバアアアアアと今まで食べていた食い物と酒を嘔吐した。
「うわ。えんがちょー」
「えんがちょーです。シショー!!」
2人がササッと避ける。
いきなり倒れ込んだ声掛けゴミさんがビクビクと嘔吐を続けた。
「オイオイ。何やってんだよぉ~~ガハハハハ」
だが、本人すらも何をされたのか分かっておらず。
いきなり吐いた馬鹿というレッテルを張られながら、羞恥よりも先に真っ青になったのは……体の中がズキズキと痛み始めたからだ。
「な、何だよぉ!? ど、どうなってんだよぉ!? お、おれのからだぁあ!?」
それで命の危険を感知した男がゲロ塗れになりながら、医者を呼んでくれぇえと泣き喚き始めて、更に荒くれ者達はゲラゲラとそいつを嗤いものにするのだった。
『空間制御による自己防衛機能をセミ・アクティベート。威力をカジュアルに設定。対近接防御機能フルオート』
何やら小さくボソボソとランドセルが喋っていたが、それを聞き逃さなかったのはリザとタウィル君くらいのものであった。
「魔法使いなの。そこそこお金が稼げて、前線より後方の任務とかありませんか?」
「……お嬢ちゃん達、可愛いねぇ。何処の学院? 今、確か南部の上澄みは前線に投入されてたと思ってたけど」
「あはは。ちょっと訳ありで学院から出て来てるんです」
「そうかい。そりゃぁ、難儀だなぁ。仲間が倒れてるからって、こんな場末の酒場で少しでも前線の助けになれば、とか。泣ける」
クマのようなガタイのマスターがウンウンと頷く。
勘違いにあははーと愛想笑いしたエミーネである。
「じゃあ、2週間の後方任務でどうだい? 最前線に医療物資を届ける小隊の護衛任務もあるけど、アレは巻き込まれ率が半端ないって話だから、輸送経路の巡回だ。丁度明日までに誰かやらないなら他の酒場に投げなくちゃいけなくて」
「どれくらいでしょう?」
ソロバンが弾かれた。
「これくらい?」
パチパチパチ。
「え、さすがにそれはちょっと、こ、これくらい上がりません? これくらい」
パチパチパチパチ。
「いやいや、それじゃあ、ウチも商売上がったりなんだ。此処はこれくらいで」
パチパチリ。
「う~~ん。何かちょっと上詰み出来る要素ありません?」
「そうだね~~お嬢ちゃん達みたいな後衛魔法使いで若い子供となるとなー……あ、そうだ。確か……」
マスターが依頼書の束をパラパラ捲る。
「おお、これこれ。後方巡回経路は一方向へ定期的に逐一部隊を送る方式なんだけれど、途中でこの村に寄る仕事受けてみないかい?」
「この村に?」
地図がザッと出される。
それは巡回経路となる最前線に程近い場所にある小さな村だった。
「ここは最前線から送られた怪我人でも動かせない連中が送られる安全地帯でな。此処に定期的に医薬品を届けてるんだが、傭兵連中の相場が高騰しているせいで送るに送れなくてな」
「つまり、ちょっとおまけするから、此処に薬を?」
「そうそう。実際には赤字でもやらなけりゃならない話なんだが、傭兵共は魔獣退治に御熱でこんな依頼受けやしないんだ」
「解りました。じゃあ、これくらい出してくれます?」
「おう。いいとも。学生さん。悪いがお願いするよ。安全地帯だから、最前線が大崩壊でもしなけりゃ大丈夫な場所だ。頼むよ」
「お仕事ゲット~~~♪ は、こほん。頂きました」
高位言語を無暗に使わないよう言い直したエミーネが満面の笑みで路銀がまた増えたと喜ぶのだった。
―――3日後。
「どうしてこうなったぁあああああああああ!!!?」
頭を抱えたエミーネが愕然としながら空に叫んでいた。
敢て言おう。
傭兵共はクソの役にも立たなかったと!!
何の話か?
前線大崩壊である。
どうやら本陣手前の最前線で破壊神による一時的な活動があったらしく。
そのせいで傭兵達が詰めていた最前線が吹き飛び。
それに乗じて大量の魔獣達が前線で夜襲を掛けて来て、追い打ち。
これで堪らず最前線を張っていた連中が撤退。
それに乗じて更に魔獣が陣地に食い込み。
という連鎖が起ったらしく。
貸し出しの馬車で兵站の巡回をしていたエミーネ達はまだ辛うじて逃げられるだけの体力を残していた傭兵達の群れに遭遇。
話を聞いて引き返そうとするも、最前線から一気に雪崩れ込んだ傭兵達の川に馬車を放り込もうものなら略奪に合うのが目に見えていたので泣く泣く予定通りに村へとやって来ていた。
村は大きな岩山の中に存在していて、湧き水で出来た小さな湖を囲うようにして天然の要害となって成立している。
ポッカリと天井に開いた大穴からは空が見え、岩石に囲まれた岩壁を有し、入り口は3か所だけ。
その場所には頑強な門が備えられ、馬車1台が辛うじて通れる程度の大きさ。
医療物資だと聞いて顔色を変えた門番がすぐに彼女達を通してくれた。
のだが、その先にあるのは正しく医療従事者らしい魔法使いと外科医達が忙しく立ち働く地獄絵図であった。
血がブシュー、内臓ビクー、断末魔ギュエエエ、な世界である。
あまりの事にまたダウナーモードに入ったエミーネは医者連中に感謝されつつも、医療現場の凄惨さにカクカクプルプルして、さっさと逃げようと岩山の上の見張り台から敵情視察したわけだが。
そこで絶叫してしまったわけである。
理由は一つ。
見ても一つ。
絶叫しても一つ。
前線本陣から出撃した正規部隊による痛打で最前線から撤退中の部隊に目標を変えた大量の魔獣達が群れとなって押し寄せて来ていたのだ。
その数は少なからず万単位だろう。
勿論、傭兵達は恐ろしい事に背後から襲われ、食い散らかされる事になり、どれだけ傭兵の給金が高かろうとなってはいけない。
という事実をまざまざと彼女に教えてくれた。
逃げられた一部の傭兵達は背後の人間が食われている最中に走っただけであった。
それが生死を分けるのだから、強さもへったくれもありはしない。
「あわわわわわわ!? うわーん。選択間違えたぁあああああああ!!?」
完全に自業自得である。
魔獣達はお腹一杯で幸せ状態。
うっとりしつつ、腹が満ちたヤツから先に獲物を狩るのも止めて、そこらの茂みでゴロンと横になっている。
腹を空かせたヤツはようやく組織だった反撃に出た傭兵達の底力で撃退され、話が違うじゃないですかヤダーと涙目で逃亡したり、同じ魔獣でも別系統の連中にムシャムシャされており、現状は混沌としていた。
「う、うふふ、そうよ。アタシはきっと今夢を見ているのよ。目覚めたら入学当日。初めて行く学院で一杯トモダチと遊んで夏休みの宿題に一喜一憂しながら、水遊びしたり、野外活動したりするの。それで、それでね……」
もはや現実逃避極まる虚ろな瞳の少女の姿は岩山の上に丸見えで、空高く飛び上がっている魔獣達には格好の餌に見えているに違いなかった。