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機械帝国の魔女  作者: 雨谷結子
第3章 亡き王国のかえらぬ春
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 クルレア村の朝は早い。

 隣接した大農場では、朝から夕まで村人が農作業に従事している。今は秋茄子の収穫が盛りだとかで、行き交う人々の表情は生き生きとしていた。

 機械化の波は、この辺鄙な村にまでは行きついていないようだ。だが、いずれここも労働力は自動機械人形に取って代わられるだろう。

 ハンソン一家にお礼をして、ローズはリオと村内の小さな個人商店を訪れていた。アランはというと、別れを惜しむチェルシーに捕まっている。

 ローズはなけなしの財産を引っ掴んで家を出たおかげで、数食分の食料を買うくらいの金は持ち合わせていた。

「日持ちするものが良いわね」

 ローズは、再び良家の子女風にドレスをまとってボンネットで髪を隠した姿をしていた。今のローズは“ローラ”で、リオは“リック”である。

 ほとんどの働き手が大農場に行っているからか、店内どころか村全体が閑散としている。ローズはパンの大小を見比べながら、なんだか日常が戻ってきたかのような錯覚に陥る。

「チェルシーのとこに転がり込んできた兄弟って、君?」

 思いがけず話しかけられ、ローズは目を見開く。

「……ええ、そうですわ。もう、お暇しますけれど」

 取り繕って微笑んだ先には、若い男が三人居て、こちらを不躾に眺めていた。どの顔も日に焼けていて、典型的な田舎の素朴な青年といった雰囲気だ。

 しかし野心と信念を秘めた強い瞳を認めて、ローズの中に小さく警告音が鳴り響いた。

「ねえ、逃亡中の魔術師一味の話は知ってる? ちょうど君くらいの女の子と、弟くんみたいな子どもと、チェルシーが熱を上げてる色男くらいの三人組だって話だけど」

 ローズは青ざめかけた顔を必死に笑顔で塗りつぶした。

「いやですわ。凶悪犯とわたくしたちのような帝国臣民を一緒になさるだなんて。主犯の男の絵姿はご覧になりまして? お兄様とは似ても似つきませんわ」

「その帽子、取ってもらえる? なんでも魔女は赤毛なんだって。君がおぞましい赤毛をしていなかったら、すぐにこんな馬鹿な疑いは取り下げるさ」

 ローズは硬直した。

 魔術師と一緒に行動をして嘘を吐いているのは本当だが、誓ってローズは魔女なんかじゃない。

(赤毛なだけで即魔女認定とか、馬鹿なんじゃないのかしら、この男ども! ていうか、殿下以外の奴ら!!)

 とはいえ、ローズが積年の恨みを込めて赤毛すなわちゴルドン王家の図式を訂正せよと説いたところで、この状況が好転するとは思えない。

 笑顔を貼りつけたまま、ローズはリオの手を握りしめて一歩後退する。何気ない風を装ったが、最初からローズを魔女と決めてかかっている青年たちには通用しなかった。

 一気に距離を詰められ、ボンネットに青年たちの手という手が伸びる。

「ちょっと! 花の乙女になにすんのよ!? これだから田舎の男ってキライだわ!」

 逆ギレしたところで後の祭りだ。ローズのボンネットは、たやすく青年たちに奪いとられた。

「魔女だ!」

「早く取り押さえろ! ダドリーの仇だ!」

「魔術に気をつけろ! ダドリーはアレで殺されたんだ!」

 青年たちはそんな勝手なことを口々に言い、商店の店主までもが加勢してくる。

「ふざけんじゃないわよ! 魔術なんて使えたら、今ごろあんたたち丸焼きなんだから!」

 ローズは青年の鳩尾を思いきり殴り飛ばし、リオの手を引いて輪を抜け出す。

 しかし、次の瞬間、頭部を鋭い痛みが襲った。髪を掴まれたのだ。

「いたっ! ちょ、もうなんなのよ!!」

 ローズは涙目で後ろを振り返る。

 青年たちの眼は、暗い水底を思わせる澱んだ色を宿していた。

 あの感情を知っている。ローズだって、胸にずっとずっと抱えてきた。

 痛いくらいに、彼らの気持ちが分かる。赤毛は、帝国の仇の象徴だ。

 だから憎いのだと、恐ろしいのだと、言葉はなくとも伝わってくる。ローズだって、この赤毛が、緑の瞳が、怖くて憎くてたまらない。

 どうせバレたのなら、このまま大人しく捕まってアランたちの処遇を公の裁きに任せるのが、帝国臣民として正しい選択だ。

 そのはずなのに、青年たちの手がリオに伸びた瞬間、ローズは叫んでいた。

「やめて!! リオに触らないで!」

「魔女風情が、俺たちと同列に口を聞くな!」

 思いきり突き飛ばされ、壁に叩きつけられる。弾みで軽く舌を噛んでしまったのか、血の味が口内に広がった。

 リオの瞳が見開かれ、苛烈な炎が燃え上がる。

 そして声が――次元を歪ませ、理を捻じ曲げる声が、なんの変哲もない村に混じり込んだ。

「〈盟約の血をもって命ずる 晩夏の慈雨よ その水流を牙とし顕現せよ〉」

 その声は細く擦れ、まるで覇気がなかった。今にも潰えそうな、およそ意味を持たない言葉の連なり。あるいはそう思いたかったのかもしれない。

 轟々という水音が、耳朶を滑る。

 次の瞬間ローズが見たのは、荒れ狂う激しい水流が、青年たちに襲いかかる非現実的な光景だった。

 店の商品が次々と水に押し流されていく。壁に叩きつけられた青年から、蛙を潰したような声が漏れた。

 水流は巧みにローズとリオを避ける。まるで水が意志を持っているかのようだった。

 立ち尽くすローズの爪先を、床を流れてきた水がじんわりと濡らす。

 それだけが、ローズに認識できる現実のすべてだった。

「〈その姿を檻と変えよ〉」

 たちまち水流は球状に形を変え、青年たちを閉じ込める。店内に、完璧な球形を持った水牢が四つ出現した。

 ごぼごぼと、酸素を求める音が、声なき叫びが、ローズを覚醒させた。

「リオ!! やめて、あの人たちを離して!」

「あいつらは、僕たちを傷つけた。それに制裁を加えて、なにが悪いの?」

 水の中で、一人の青年が水牢を壊そうと、必死に壁面を叩いている。もう一人は水牢の中に座り込み、血走った眼を見開いてこちらの一挙一動を見つめていた。店主は余計な酸素を使わないためか、ただじっと息を止めている。がぼごぼと口を大きく開けてなにかを叫んでいる青年の唇が紡ぐのは、たぶん呪詛の言葉じゃなくて大切な誰かの名だ。

「リオ、早く! 死んじゃう! いき――息が! だめ!!」

「死んじゃえばいいよ」

 ローズは目を見開いた。

 リオがなにを言っているのか、まるで意味が分からなかった。

(死んじゃえばいい……?)

 そんなこと、どうして認められるだろう。

 彼らはたしかにローズを傷つけた。でも、それは大切な人を奪われた痛みがもたらしたものだ。そもそも、彼らは帝国臣民で、ローズの同胞だ。

 いっときリオの方に傾いていた気持ちが、一気に逆流した。

 感情に任せて、リオの横っ面を平手打ちする。

「化け物!!!!」

 リオは瞬き一つ分ほどの間瞠目し、それからなにかを諦めたように笑った。

 安定を保っていた水牢が歪み、瓦解する。水音がして、頬に服に水滴が飛び散った。青年たちが、ごほごほと噎せて、肩で荒く息をしている。

「……僕にとっては、帝国の人間の方が、よほど化け物だよ」

 そう言って、リオは店の外へふらふらと出て行った。魔術は体力かなにかを消耗するのか、足取りが覚束ない。

 ローズは青年たちが命に別条はないことを読みとって、リオの後を追おうとした。

 しかし、思いとは裏腹に、足裏が床に貼りついたまま動かない。無理やり動かそうとして、ローズは床にへたり込んだ。

 この世ならぬ怪異を目にした時、人は平静ではいられない。それが、機械科学によって迷信や不思議の数々が否定され解決されつつある現代なら、なおさらだ。

 魔術の力を知らなかったわけじゃない。アランやリオに、帝国臣民だと出自を偽られていたわけでもない。彼らがどんな力を行使しうるのか、ローズは分かっていたはずだった。

(なのに――)

 実際に魔術を発動したリオを見て、震えが止まらない。

 そのうえ、ひどい言葉を投げつけてしまった。

 相手は魔術師で、実際に人の命を命と思わない所業を断行した。許せない。許せないけれど、あのとき時を止めたように目を丸くしたリオの表情が眼裏から離れない。

(わたしは――リオの心にナイフを突き立てた)

 いくらタオ人を憎んでいるといったところで、リオを受け入れるような態度を取っておいて、いざ彼が本来の力を解放したら罵声を浴びせるだなんて、あまりに勝手が過ぎる。

 受け入れられないなら、受け入れられないなりに、ちゃんと境界線を引いておくべきだったのだ。

(それに……あのときリオはたぶん、わたしを助けようとした)

 帝国の人間でしかない、悪魔の種を持つ者と彼の同胞を蔑んできたローズのために、魔術を行使した。おそらく、今の彼には相当な負担のはずだ。

 ローズはきつく拳を握りしめて立ち上がった。震える足に鞭を打つように両頬を手でぴしゃりと打ち据える。

 店の外へと躍り出ると、なにか嫌な感覚を身体が拾った。

 心臓が、臓腑が拒否反応を示している。

(《原石》動力!)

 ローズは空を見上げた。しかし晴れ渡った天空の海には、泳ぐ魚の姿はない。

 ローズは嫌な感覚が強くなる方を、無理やり向いた。村の入口の方で、なにやら重い駆動音が響いている。

 見れば、リオの栗色頭が入り口近くにあった。

「リオ!!」

 叫んで、ローズは走り出す。すぐに、駆動音の正体が明らかになった。

 四輪駆動の蒸気式自動走行車だ。前面にはメティオラ帝国軍のエンブレムが輝いている。

 リオは咄嗟に魔術でも使って対抗しようとしたのか、口を動かしている。だが、どうやら力を使い果たしたのか、その場から後ずさることすら叶わない様子だった。

(行って、どうするの?)

 ローズの中で、誰かが嘲笑う声がする。

 行ったところでローズは帝国の人間で、リオはどういうわけか魔術師で、なに一つできることなどないはずだった。

 きっと、リオもアランも捕まって、罰を受ける。アランなんかは、もしかしたら一生を檻の中で過ごすかもしれない。

 帝国のためには、それが正しい姿だ。あんな恐ろしい力に人が傷つけられるだなんて、あってはならない。

 蒸気式自動走行車の陰から、《獅子》と《狼》が飛び出した。警察や軍がご用達の、殺傷能力に優れた軍用機械獣だ。

 ローズは考えることを放棄した。ごちゃごちゃ悩んでいること以上に、強烈な声が胸のなかで叫んでいる。

(動け、動け、足――もっと速く!!)

 今、リオのところに行かなければ、きっとローズは一生後悔する。そんな確信に導かれるまま、ローズは泥を跳ね上げて走った。

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