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《狼》が前脚を振り上げる。リオは咄嗟に腕を上げて身体を庇った。しかしそれでも血飛沫が上がる。
「リオ!」
ローズは叫び、なんとかリオと《狼》の間に割って入った。触れるだけで、《狼》も《獅子》も動作を停止する。
「あーーーーっ! やーっと見つけた。君でしょ? ええっとなんだっけ? ロ……ローリー? ロ――ロロロ、ロー……ローズ! そう、麗しのローズちゃんっ。いやもうさー、見つかんなかったらどの面下げて帝都に帰ろうかと内心バクバクもんだったんだよね!」
自動走行車の上からひどく親しげに声をかけてきたのは、見知らぬ派手な外見の男だった。
規律正しい帝国軍人とは思えない奇抜な白い髪に、アクセントとしてピンクの毛が混じっている。口調もなんだか子どもっぽいが、アランと同じくらいの年のころに見えた。
「はあ……なんだか知らないけど、わたし、あなたなんて知らないし、人の名前知ってるとか気持ち悪いんですけど」
そう言って、ローズはリオの肩を支えて立ち上がろうとした。
「ローズちゃん、こんな色男に話しかけられてるのに、そんなつれない態度でしょんべんくさいガキに抱きついちゃうわけ?」
不良軍人はわけの分からないことをのたまって、不満そうに車体に頬杖をついた。
「いけない子には、おしおき、かな? なーんて、これ、俺の上司の口癖なんだけどねっ」
無邪気な顔をして笑うと、不良軍人は右手を上げ、振り下ろした。近くにいた軍人が、すぐさまその動きに反応する。
瞬間、ローズの内側が熱を発し燃え上がった。《原石》動力を使用したなにかが起動したらしい。
無効化しようにも、動力源がどこにあるのか分からない。
(それにこの男――まるでわたしが拒絶反応を示すのを知ってたみたいな――)
ローズは腹部を抑えつけて、歯を食いしばって蹲る。
「あー、いいね、その表情。たまんないっ。うっかりどっかに連れこんで、泣き顔でやめてくださいって懇願させたくなっちゃう」
変態発言をかました変態不良軍人は、ローズに向けていた恍惚顔を引っ込めて、面倒くさそうに溜め息を吐いた。
「でもまずはお仕事をしないと生きて帰れないしなー。はあ、世知辛い世の中。まじつらい。俺ってば超憐れ。はい、チャドくん、ぱぱっとあのガキ捕まえちゃって」
この異端の軍人の発言に対してそれまで知らぬ存ぜぬを通していた周囲の軍人が、そんな投げやりな命令によって動き出した。
相変わらず《原石》動力が発動されているせいで、ローズはまともに動くことができない。
最終的にはアランたちを捕まえる必要があるとはいえ、こんなわけの分からない変態なんかにリオを捕まえさせるなんて到底受け入れられるはずがなかった。
「リ、オ、逃げて」
「化け物は捕まえた方が良いんじゃない?」
ローズを見上げたそのまっすぐな瞳に、頭をガツンと殴られたような衝撃がきた。
「なんて。無理だよ。もう、一歩も動けない」
くすりと笑って、リオはなぜかのんきに空を見上げた。ひどくいとおしげに目が細められる。
リオも、アランも、変態軍人も、なにより自分自身の心も、わけが分からない。今抱いている感情すべてを捨て去れたら、どれほど楽になれるだろう。
(もう、肝心なときにどうして魔術師が来ないのよ!?)
ローズは心の中でアランに罵声を浴びせながら、無理やり立ち上がった。
「あーあー、がんばるねーローズちゃん。そういう転んでも転んでも立ち上がる子ってますます俺の好みっ。ってか、君、帝国臣民であることにこだわってたって聞いたけど、どういう心変わり?」
「べっつに――心、変わり……なんて、してないわよ!」
「じゃあなんで、そんなガキ助けるわけ?」
「し……らないわよ!! あんたが変態じゃなくて――ちゃ、んと規律正しい帝国軍人の鑑だったら、わたし、だって大人しくしてたって……いう、のに!!」
矛盾だらけの心のうちの罪を、突如現れた変態不良軍人にすべてなすりつけて、ローズは吠えた。
ファイティングポーズを取るローズに目もくれず、“チャドくん”はリオの首根っこに手を掛けた。
ローズは思いきりチャドを殴り飛ばそうとするが、さすがに軍人だけあって、いとも簡単に攻撃を受け止められてしまう。というか、ローズの攻撃自体、へろへろで意味を成していない。
リオの貧弱な身体は、まるで脱いだ外套を放るみたいな仕草で自動走行車の荷台に積まれた。すぐに別の軍人がリオを拘束にかかる。
「ちょっと! その子に指一本触らないで!」
ローズの訴えは聞き届けられず、チャドはローズを抱きかかえようとする。今度は丁寧な仕草だ。やはり、名が知れているくらいだから、ローズが帝国臣民であることを知っているのかもしれない。
「〈一の王杖ホスキンズの血の盟約をもって命ずる 火竜の吐息よ 夏に囲われし者どもを焼き尽くせ〉」
その声は、まるで夜空を穿つ神鳴りのようだ。
ローズの胸を、安堵が満たす。
アランが現出させた火炎は、まるで竜のようにうねり、帝国軍に牙を剥いた。
チャドの背中を炎が舐め、慌てて彼はローズから手を離して地面に転がり火消しを始めた。
火の竜はチャドを捨て置き、狙いを自動走行車に定める。熱風と火の粉が、ローズの髪の先を焦がしてひと息に自動走行車を炎上させようとする。
しかし、一足早く自動走行車は急転換すると、アクセルを踏み抜かれて走り出した。
アランが手を上げると、火炎の竜はたちまち自動走行車を取り囲む障壁となる。しかし、変態不良軍人は顔色を変えずにこちらを振り向いて微笑んだ。
「あーあ! 王杖相手とかやりづらいっつーのっ。こんな装備じゃ心許ないしさ、もっと陸軍にもカネ回せって話だよねー。ってことで、ローズちゃん、またね?」
変態軍人が勝手なことを抜かすと、車両が光の膜に包まれた。どこか儚い、夢うつつの光彩にわけもなく胸を締めつけられる。三日月の暈――そんなたとえがしっくりくる。
遅れて、臓腑が燃える感覚がした。おそらくあの光には、《原石》動力が関与している。
自動走行車は、舌舐めずりする火の竜を歯牙にもかけず、炎の中を突っ込んでいった。やけくそな行動かと思ったが、そうではない。何故か、車両は引火することなく、炎の壁を抜けた。
後ろで、アランが舌打ちをした。
(まさか、《原石》動力で魔術を無効化できるの? それかそれに近い効力があるとか?)
「ちょ、ど、どうするのよ!? リオが連れて行かれちゃうわ!」
「向こうの持っている《原石》動力が尽きるまでに逃げ切られるのがオチだ。それより、態勢を立て直してリオを奪還する」
そう言って、アランは後ろで呻いているチャドの手を踏みつぶした。骨の砕ける嫌な音に、ローズは思わず自分の手を握りしめた。
チャドの懐からはみ出た拳銃を認めて、アランの意図を知る。
「ここはもう、敵の巣窟だ。さて、お嬢さん、とりあえずはあんたを帝都まで送り届けてやるが、その後はどうする?」
問われ、ローズはぎゅっと唇を噛んだ。
ローズは、メティオラ軍に反抗し、魔術師を庇おうとした。そこにどんな感情があろうと、事実はそんな素っ気のない一文でまとめられてしまう。
「わたしは――」
思いつめた顔で俯いたローズの様子を見てとって、アランは少しだけ笑った。
こんなときに笑えるなんて、と以前のローズなら思っただろう。
だが、今は違う。きっと彼は、こんなときでも笑える人間なんじゃないだろうか。
「今夜もう一度聞こう。……おいで、お嬢さん」
視界の片隅に、鍬や鋤を持った村人たちの姿が見える。中には、頬を打たれ、綺麗に整えていた髪をぐしゃぐしゃにしたチェルシーの姿もあった。おそらく、魔術師を匿っていた咎で、同じ村の人々に報復を受けたのだ。
(この村に来ようって、わたしが言わなかったら?)
不意に、そんな考えが浮かんで、ローズは激しく首を振った。
今、なにかを考えるのは危険だ。きっと、心の淵に潜んでいる黒い魔物に絡めとられて、一歩も動けなくなる。
ローズは、アランにかじりつくように身を預けた。目を閉じても、やけにうるさい心臓の音はおさまらない。
汗の匂いと、独特の男臭さに、今はなぜか安心感を覚えた。
アランは、危なげなくローズを抱き上げる。そのまま、振り返ることなく獣じみた俊敏さで駆け出した。




