22)日本人の朝食
徹が目を覚ましたのは翌日の朝だった。トントンを小気味よい包丁の音が響いている。部屋の脇で寝ていた徹は掛けられた布団をめくり上半身を起こし辺りを見渡すと、台所で可奈の後ろ姿を目にした。
「おはよう……」
徹が声を掛けると包丁の音は止まり、振り返った可奈がにこやかな笑顔を見せる。
「やっと起きたのね。昨夜はいくら揺すっても起きなかったんだから」
そう言うと、まな板の方を向き包丁の音をまた鳴らし始めた。徹はおぼろげながら、昨日剣の練習中に気を失ったこと思い出すと、急に空腹感に襲われた。そういえば味噌のいい香りがする。囲炉裏に掛けられている鍋と蓋の間から湯気が立ち上っている。匂いの原因をこの鍋だった。可奈は刻んだネギを入れ物に入れ、鍋に近寄って蓋を開けた。湯気が一気に立ち上り、一層味噌の香りが強くなった。白く立ち上った湯気の向こうから可奈の声が届く。
「お腹すいているでしょ。朝食だから、勝手口から出たところに井戸があるから顔を洗ってきて。そのついでに、みんなも呼んできてちょうだい」
徹は布団をはねのけ、下駄を履いて土間に降り勝手口から裏庭に出た。裏庭の端に井戸を見つけ、さらに裏庭の向こうにはこの世界では初めて見る田んぼが広がっていた。稲は膝くらいまで成長しており、日本でいうところの晩春か初夏あたりだった。徹が日本のことを思い出すと、また腹の虫が鳴った。
――やった、久しぶりにご飯(米)が食べられるぞ。この世界に来てからパンばかりだったからなあ。
徹は急いで顔を洗い、他のみんなを探した。表庭に回ろうとした時、彼らはすぐ見つかった。クマ夫とサスケは馬車に新たな荷物を積んでいた。その中には俵もあった。中には精米された米が入っている。
徹は声を掛けた。
「みんな、おはよう。朝食ができたって。早く行こうぜ」
クマ夫をサスケが振り向いた。ゴズは馬車の横で相変わらず寝そべっている。
クマ夫が手に持っていた四角い箱を荷台の上にいるサスケに「これで最後だ」と言いながら手渡した。
「徹、体の具合はどうだ? 急に気を失ったんで心配したぜ。それにいくら叩いても起きないんだからな」
「おい、叩いたのか。普通病人叩くか? もっと俺をいたわれよ」
「その様子だと、元気そうで良かったじゃないか。出発の準備も終わったし、腹いっぱい食うか」
徹とクマ夫とサスケは玄関に向かった。
「ゴズは?」と徹が二人に質問すると、サスケが「もう朝飯はそこら辺の草で済ませておられる。朝の柔らかい草は美味いそうだ」と答えた。
三人が家の中に入り囲炉裏を囲むと、ご飯はすでに器に盛られていた。徹には久しぶりのご飯だった。
可奈はそれぞれが席についたのを見計らって、囲炉裏に掛けられている鍋から椀に汁を盛ると、徹、クマ夫、サスケの順で手渡した。
徹は炊きたてのご飯を一嗅ぎすると、「いただきます~」と言って箸を取り、ご飯をかき込んだ。そしてご飯茶碗を汁椀に持ち替え味噌汁をすする。
「美味い―」
叫びにも似た徹の一声に残りの三人はにこやかに笑った。自家製の最高な素材が天才シェフによって調理され、さらに空腹の調味料が加えられた平凡な朝食でも、どんな高級料理より徹には美味く感じられた。
徹以外の三人は、徹の美味しそうに食べる姿に笑みを浮かべながら、各々箸を進めた。
可奈の茶碗がまだ半分辺りで、すでに徹は三杯目のおかわりをする。あまりの食べっぷりの良さにクマ夫が釘を刺す。
「おいおい、俺達の分は残してくれよ。それに朝飯終わったらすぐ出発するから、腹一杯で動けなくなるなよ」
「久しぶりのお米だからね。日本人の朝食は米と味噌汁だって言うのがよく分かったよ」
徹は口いっぱいに頬張りながら言う。
「この世界で米を作っているのはサスケだけなんだ。どうしてか解るか?」
クマ夫の問題に徹は箸を止めた。
「う~ん」
徹が箸を休めている間、他の三人はウサギと競う亀のようにゆっくりと食事を進めていく。
「う~ん」
徹は皿のたくあんを口に運んで噛み締めながら考える。糠の香りもその答えの手がかりにはならない。
クマ夫は味噌汁を飲み干し、汁椀を置いて「まいったか?」と言った。
徹は茶碗と箸を置き、両手をついて「まいりました」と頭を下げた。
クマ夫はお腹を一撫で(ひとなで)した。
「今までの街や村では畑しか見なかっただろ。小麦や大麦やその他野菜が作られているのはもう知っているだろ」
「そうだね」
「この世界に温泉が多いのに、俺達は毎日風呂に入らないのも解ってるんだよな」
「ああ、そうだったな」
「ここの住人は、飲み物や食べ物は別として、体は水を嫌うのさ。水田に入ったらぬいぐるみのこの体が水を吸収して動けなくなってしまう。動けないなら田んぼを耕すこともできないだろう」
「そうか。それで畑しかないのか」
「これから向かう隣の国の住人も見ただろう。ロボットだから。皮膚は固くても関節の隙間から水が浸入すると同じように動きづらい」
「なるほど」
徹は港の街で見たロボットの姿をした住人を思い出しながら頷いた。確かにこの世界に移ってから、雨らしい雨は降っていない。日本の季節でいえば梅雨に入っていてもいいのだが、この世界では曇りの日はあるものの、おおむね天気が良い。かといって水かないかといえば、各地に温泉が湧くように水は豊富で、川もあり、海もある。それもまたこの世界の法則であり異国である証明となった。
それでもまだ徹には疑問が残っている。
「でもなぜ、サスケだけがお米を作れるんだ?」
徹はサスケの方を向く。黒装束をまとっているが、他の住人とそう違いがないように感じられる。
「忍者だから忍術が使えるんだ。水面を歩ける水蜘蛛の術。体を濡らさなくても田植えや草抜きができるんだ」
クマ夫はそう徹に説明をした。サスケに与えられたキャラクター設定である。
「ごちそうさま」と可奈は箸を置いた。サスケもすでに食事を終えている。徹が寝起きの脳を懸命に働かせている間に、お櫃の中はもう空っぽになっていた。
可奈はみんなの食器を下げ始めた。
「もうおかわりは無いわよ。お茶碗洗うから早く食べてね」
徹の茶碗にはまだ一口ご飯が残っていた。お腹いっぱい食べたかったのに――、そう思った徹ではあったが、クマ夫の問題に苦戦したため、食べ終わるのは一番最後となった。
「休憩したら出かけるからな」
クマ夫に急かされ、徹は最後の一口を噛み締めしみじみと味わった。