王都に広がる噂
翌朝。
エルディア王都には、いつもとは少し違う空気が流れていた。
市場には人が戻り、店も普段通りに開いている。
けれど、街のあちこちでは小さな声が飛び交っていた。
「アーデント公爵令嬢が戻ってきたらしい」
「しかも、ヴァロリアの第二王子と一緒だったとか」
「二人で行方不明になっていたんだろう?」
「婚約の話まで出ているって聞いたぞ」
そんな噂を知らないまま、リヴィアは王城の廊下を歩いていた。
「……なんだか、昨日より視線を感じる気がします」
隣を歩くエヴリンが苦笑する。
「気のせいじゃないと思います」
「やっぱり……」
リヴィアはため息をついた。
王都へ戻っただけなのに、なぜか以前より注目されている。
しかも、その原因は明らかだった。
「ルシアン殿下と一緒に戻ってきたからですよね」
「……そうでしょうね」
エヴリンがちらりとリヴィアを見る。
「それに、リヴィアさん自身も以前とは少し変わりました」
「私が?」
「はい」
「どこがですか?」
エヴリンは少し考えた。
「前より、自分の気持ちを隠さなくなった気がします」
リヴィアは足を止めた。
「……そんなことありません」
「本当ですか?」
「本当です」
「では、ルシアン殿下のことをどう思っていますか?」
「それは――」
リヴィアの顔が赤くなる。
「……普通の知人です」
「知人……」
エヴリンが笑いを堪える。
「な、なんですか?」
「いえ。リヴィアさんらしいなと思って」
「もう……」
二人が廊下を進んでいると、前方から数人の令嬢たちが歩いてきた。
リヴィアを見ると、彼女たちは一瞬だけ会話を止める。
「……ごきげんよう」
リヴィアが丁寧に頭を下げる。
令嬢たちも慌てて礼を返した。
しかし、通り過ぎた直後。
「本当にルシアン殿下と一緒だったのね」
「ヴァロリアとの関係も変わるのかしら」
「でも、どうしてあの方が……」
背後から声が聞こえる。
リヴィアは何も言わなかった。
以前なら、もっと気にしていただろう。
悪役令嬢として見られること。
嫌われること。
噂されること。
それが破滅へ繋がると思っていた。
でも今は違う。
自分が何をしたのか。
誰を傷つけたのか。
何を選んだのか。
それを自分自身が知っている。
だから、他人の噂だけで自分を決める必要はない。
「リヴィアさん?」
「……大丈夫です」
エヴリンに微笑む。
「少し、考え事をしていただけです」
その時。
「お二人とも」
背後から声がした。
振り返る。
ルシアンだった。
濃紺の王族用の衣装。
黒青色の髪が朝の光を受け、深い青の瞳が二人を捉えている。
「おはようございます」
「おはようございます、殿下」
エヴリンが礼をする。
リヴィアも続いて頭を下げる。
「おはようございます」
「昨日はよく眠れましたか?」
「はい」
リヴィアは答える。
「殿下は?」
「私も」
ルシアンは微笑む。
そして自然な動作でリヴィアの隣に立った。
「では、行きましょうか」
「どこへですか?」
「国王陛下がお呼びです」
「……え?」
リヴィアの表情が固まる。
「私もですか?」
「はい」
「何か問題でも?」
「それは私にも分かりません」
ルシアンが楽しそうに答える。
「ただ、かなり重要な話だとは聞いています」
リヴィアは不安になった。
王が直接呼び出す。
しかもルシアンと一緒に。
嫌な予感しかしない。
謁見の間へ向かう途中、アルベルトとも合流した。
「来たか」
「アルベルト殿下」
「父上がお待ちだ」
四人で謁見の間へ入る。
国王が玉座に座っている。
その左右には重臣たち。
そして、王妃の姿もあった。
リヴィアは緊張しながら頭を下げる。
「お呼びいただき、ありがとうございます」
「顔を上げなさい、リヴィア・アーデント」
国王の声が響く。
「まず、お前たちが無事に帰還したことを喜ばしく思う」
「ありがとうございます」
「アルカディアで起きたことについては、アルベルトから大まかに報告を受けている」
リヴィアは黙って聞く。
「だが、問題はその後だ」
国王が一枚の書類を手に取る。
「ヴァロリア王国から正式な書簡が届いた」
ルシアンの表情が少し変わった。
「父上から?」
「そうだ」
国王は書簡を開く。
「ヴァロリア王国は、今回の一件についてエルディアとの共同調査を希望している」
リヴィアは少し安心した。
あの組織の謎を追うなら、エルディアだけでなくヴァロリアとも協力した方がいい。
しかし。
国王は続けた。
「そしてもう一つ」
室内が静かになる。
「両国の関係をより強固なものにするため、王族同士の婚姻についても協議したいとのことだ」
「……婚姻?」
リヴィアの声が小さく漏れた。
ルシアンが隣を見る。
彼の視線とぶつかった瞬間。
リヴィアの心臓が跳ねる。
「その候補の一人として――」
国王の視線がリヴィアへ向く。
「リヴィア・アーデントの名が挙がっている」
「……!」
謁見の間に沈黙が落ちた。
リヴィアの頭の中が真っ白になる。
婚姻。
ルシアン。
自分。
その三つの言葉が頭の中をぐるぐる回る。
「お父様……」
リヴィアの顔が赤くなる。
しかし国王は落ち着いた口調で続けた。
「これは決定ではない。あくまで両国の関係を考えた上での候補だ」
「……そうですか」
リヴィアは胸を撫で下ろす。
ところが。
「私は賛成です」
ルシアンが口を開いた。
「え?」
リヴィアが勢いよく振り向く。
ルシアンは平然としている。
「ヴァロリアとエルディアの関係にとっても有益でしょう」
「そ、そういう意味ですか……」
「他に何か意味がありますか?」
「……ありません!」
リヴィアは慌てて前を向く。
耳まで赤くなっている。
アルベルトが小さくため息をついた。
「父上。本人たちの意思を確認するべきでしょう」
「もちろんだ」
国王が頷く。
「この話は強制するものではない」
リヴィアは少しだけ安心した。
自分の人生を、誰かに決められる。
それだけはもう嫌だった。
国王は書簡を閉じる。
「返答には時間を置く。リヴィア、お前もよく考えなさい」
「はい」
謁見が終わる。
廊下へ出た瞬間、リヴィアは大きく息を吐いた。
「……疲れました」
「そうですか?」
ルシアンが隣に立つ。
「はい。突然、婚姻なんて言われたら誰でも驚きます」
「では、あなたは嫌ですか?」
「……それは」
リヴィアは答えに詰まる。
ルシアンは急かさない。
ただ、静かに待っている。
「まだ……分かりません」
リヴィアは正直に答えた。
「そうですか」
「殿下は?」
「私は先ほど答えました」
「……賛成、ですか?」
「はい」
ルシアンが微笑む。
「少なくとも、あなたと一緒に考える時間は増えそうですから」
「……!」
また顔が熱くなる。
「それは……ずるいです」
「何がですか?」
「そういう言い方です」
「私は正直に言っただけですよ」
ルシアンは歩き出す。
リヴィアはその背中を見つめる。
そして小さく呟いた。
「……本当に、困った人です」
けれど。
その声には、以前のような拒絶はなかった。
むしろ。
自分でも気づかないほど小さな笑みが浮かんでいた。




