選ばれなかった未来
地下空間を揺らした爆発音が、何度も壁を伝わって響いていた。
――ドンッ!
天井から細かな砂埃が落ちる。
リヴィアは反射的に頭上を見上げた。
「学院の中で、これほど大きな音が……」
「おそらく、彼らが封印を突破しようとしている」
ルシアンは剣を構えたまま、階段の上へ視線を向けていた。
その横顔には、先ほどまでの余裕がない。
王族としての冷静さは保っている。
けれど、瞳の奥には明確な警戒心が浮かんでいた。
「彼らは、どうしてこの場所を狙っているのでしょう」
「分からない」
ルシアンが答える。
「だが、ここにあるものが重要なのは間違いない」
リヴィアは魔法陣を見る。
青白い光を放つ巨大な円。
その中央には、さきほどまで少女が立っていた。
今は少女もリヴィアたちと一緒にいる。
けれど、その表情はどこか不安そうだった。
「あなた……名前は?」
リヴィアが尋ねる。
少女は少しだけ困ったように目を伏せた。
「名前……」
「はい」
「長い間、呼ばれていないから」
「……」
「覚えている名前はある。でも、それが本当の名前なのか分からない」
少女は自分の胸元に手を置いた。
「昔、誰かに『セラ』と呼ばれていた」
「セラ……」
「うん」
リヴィアはその名前を繰り返した。
「では、今はセラと呼んでも?」
「……いいよ」
少女は小さく笑った。
その笑顔は、先ほどまでの神秘的な雰囲気とは違っていた。
年相応の少女に見える。
リヴィアは少しだけ緊張を解いた。
「セラ」
「なに?」
「あなたは、この場所にどれくらいいたんですか?」
「分からない」
「年月も?」
「うん」
セラは魔法陣を見つめた。
「ここにいる間は、時間が止まっていたから」
「時間が……?」
「正確には、私の身体だけ」
リヴィアは目を見開いた。
「私は眠っていた」
「眠っていた?」
「誰かを待つために」
セラの視線がリヴィアへ向く。
「あなたを」
まただった。
自分を待っていた。
その言葉を聞くたびに、胸の奥がざわつく。
「でも、どうして私なんですか?」
「それは――」
セラが答えようとした。
その瞬間。
――パキンッ!
地下室の奥で何かが砕けた。
全員が振り返る。
魔法陣の一部に、黒い亀裂が走っていた。
「まずい」
セラの顔から血の気が引く。
「どうした?」
ルシアンが問う。
「封印が壊されている」
「この魔法陣が?」
「違う」
セラは首を振った。
「もっと下」
リヴィアの背筋が冷たくなる。
「もっと下……?」
「この学院の地下には、ここだけではない」
セラは魔法陣の端を指差した。
「この下に、さらに古い場所がある」
「学院が隠していた場所より、さらに下?」
「そう」
ルシアンは険しい表情になる。
「それを、あの組織が狙っているのか」
「たぶん」
「たぶん?」
「私は、外のことを知らないから」
セラは申し訳なさそうに俯いた。
「でも、彼らの魔力は何度も感じていた」
リヴィアは考える。
毒。
魔獣。
魔法研究施設。
学院への侵入。
そして地下にある謎の門。
すべてが一本の線で繋がろうとしている。
しかし、まだ足りない。
「……殿下」
「何だ?」
「一つ、確認したいことがあります」
「言ってみろ」
「この組織は、ヴァロリアにも存在していますか?」
ルシアンの表情が変わった。
「……ああ」
「やはり」
「ただし、正確な規模は分からない」
ルシアンは剣を下ろさずに答えた。
「数年前から、魔法研究施設への侵入や、禁制魔術に関係する事件が発生している」
「王国は把握しているんですか?」
「調査中だ」
「エルディアでも同じことが起きている」
「つまり――」
リヴィアが言葉を続ける。
「二つの王国にまたがって活動している」
セラが静かに頷いた。
「そして、彼らはこの場所を知っている」
「……」
「ここにある門を使おうとしている」
リヴィアは魔法陣を見つめた。
「門を使って、どこへ行くつもりなんですか?」
セラは答えなかった。
ただ、ゆっくりと魔法陣の中心を指差す。
「向こう側」
「向こう側……?」
「別の世界」
その言葉に、リヴィアは息を呑んだ。
別の世界。
自分が前世で生きていた世界。
スマートフォンがあり、電車が走り、ゲームが存在した世界。
もしこの門が本当に世界と世界を繋ぐのなら。
自分がこの世界へ来た理由も、そこに関係している可能性がある。
「……私の世界へ行けるんですか?」
リヴィアの声が震えた。
「理論上は」
「理論上……」
「でも、簡単ではない」
セラは首を横に振った。
「門を開くには、膨大な魔力が必要になる」
「どれくらい?」
「一つの王国を消費するほど」
「……」
リヴィアは言葉を失った。
王国一つ分。
そんな力を、一体どうやって集めるというのか。
「だから彼らは魔獣を使っている」
ルシアンが呟いた。
「魔獣を操り、魔力を集める?」
「おそらく」
「魔法研究施設への侵入も、そのため?」
「禁制魔術や魔力装置を集めている可能性がある」
リヴィアは頭の中で情報を整理する。
今まで起きた事件。
毒。
魔獣。
研究施設。
学院。
そして、この門。
もしすべてが同じ組織によるものなら。
目的は単なる王国への攻撃ではない。
世界そのものに干渉しようとしている。
「……でも」
リヴィアが呟いた。
「どうして、私を狙うんでしょう?」
そこが最大の疑問だった。
組織は自分を知っていた。
地下へ来ることまで予測していた。
セラも自分を待っていた。
偶然とは思えない。
「私には、この門を開く力なんてありません」
「それは分からない」
セラが答える。
「え?」
「あなた自身が知らないだけかもしれない」
「私が……?」
「あなたは、この世界の人間ではない」
セラはリヴィアの瞳を見る。
「だから、この世界の魔法とは違う何かを持っている可能性がある」
リヴィアは自分の手を見る。
何も変わっていない。
普通の手。
普通の身体。
普通の少女。
少なくとも、そう思っていた。
「……私は普通です」
「本当に?」
「え?」
「あなたは死んで、別の世界で目を覚ました」
セラの言葉が、リヴィアの胸を刺す。
「それだけでも、普通ではない」
「……」
リヴィアは何も言えなかった。
確かにそうだ。
神谷紗月として死んだ。
そして、リヴィアとして生きている。
それを奇跡と呼ぶのか。
それとも――誰かが仕組んだことなのか。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
「リヴィア」
ルシアンの声が聞こえた。
振り返る。
彼は剣を構えたまま、こちらを見ていた。
「一人で考え込むな」
「……」
「君が何者なのかは、今すぐ決める必要はない」
「でも……」
「少なくとも、俺が知っているリヴィアは――」
ルシアンが一瞬言葉を止める。
「自分で未来を選ぼうとしている人間だ」
リヴィアの胸が熱くなる。
「……殿下」
「それだけで十分だろう」
その言葉に、リヴィアは小さく笑った。
「……ありがとうございます」
「礼を言われるようなことではない」
「それでもです」
二人の視線が重なる。
地下の青い光の中。
ほんの一瞬だけ、周囲の危険を忘れた。
しかし。
――ドンッ!!
再び爆発音。
今度は、すぐ近く。
階段の上から複数の足音が聞こえた。
「来る」
ルシアンが剣を握り直す。
セラも魔法陣へ手を伸ばした。
「人数は?」
「……多い」
リヴィアは息を呑む。
階段の向こうから、黒い影が一つ現れた。
黒いローブ。
顔を覆う仮面。
胸元には、あの紋章。
黒い円。
その中央を走る銀色の線。
「見つけた」
男が呟いた。
その声を聞いた瞬間。
リヴィアの身体が強張った。
「門の守護者」
男の視線がセラへ向く。
「そして――」
仮面の奥の目が、リヴィアへ向けられる。
「物語の外から来た女」
「……!」
リヴィアの顔が青ざめる。
「やっぱり、知っている……」
ルシアンが一歩前へ出た。
「リヴィアには触れさせない」
「第二王子か」
男が笑った。
「あなたがいることも計算済みだ」
ルシアンの瞳が鋭くなる。
「……俺の存在まで?」
「ええ」
男は手を上げる。
その瞬間、階段の奥からさらに複数の魔力反応が現れた。
「あなたが存在しなかった世界では、すべてがもっと簡単だった」
リヴィアの心臓が凍りつく。
存在しなかった世界。
それはつまり――。
この男たちは。
自分が知っているゲームの世界を知っている。
そして、ルシアンが本来存在しないことも知っている。
「……あなたたちは、一体何者なの?」
リヴィアが震える声で尋ねた。
男は答えた。
「物語を正しい形へ戻す者だ」
その言葉と同時に、地下室の魔法陣が激しく輝いた。
リヴィアの足元に、見覚えのある薔薇の紋章が浮かび上がる。
「……え?」
身体の奥から、何かが目を覚ますような感覚。
そして。
リヴィアの耳元で、誰かの声が囁いた。
『攻略対象を選択してください』
「――っ!」
リヴィアは目を見開いた。
前世で何度も聞いた。
ゲームの選択画面。
あの声だった。
けれど、ここは現実。
ゲームではない。
なのに――。
目の前の空間に、青白い文字が浮かび上がる。
そこに表示された選択肢は、リヴィアが知っているものとは違っていた。
『アルベルト・レインハルト』
『カイル・エヴァンス』
『セドリック・ローゼン』
『ノア・グランディス』
そして、最後に。
『ルシアン・ヴァルクレスト』
リヴィアは息を呑んだ。
「……どうして」
ルシアンが彼女を見る。
「リヴィア?」
その瞬間。
リヴィアは理解した。
この世界は、単純にゲームの世界ではない。
けれど――。
誰かが、ゲームの物語を現実へ持ち込もうとしている。
そして、その中心にいるのは。
自分だった。
リヴィアは拳を握り締めた。
「……私は」
震えを抑える。
「私は、選ばない」
表示された選択肢が、ゆっくりと揺らめいた。
「誰かに決められた未来なんて、もういらない」
青白い文字が、一つずつ崩れていく。
そして最後に残った。
『――????』
名前の分からない、もう一つの選択肢。
それを見た瞬間。
セラが震える声で呟いた。
「……それは、まだ存在してはいけない」
「え?」
セラはリヴィアを見る。
「その選択肢を選んだら――」
少女の顔が青ざめる。
「世界そのものが、変わる」




