セントエルモの光跡 2
辿り着いた街の入り口。
看板が立っている。小さくもないが特別大きくもない。……歓迎する言葉と街の名前が打刻された、鈍い色をしたそれ。あの時から変わらない―――それよりもずっとずっと前からきっと変わらずひとを迎えひとを送り出して来てくれたその看板が、何も言わず、そこに。
この看板に迎えられたのはもう、四度目だった。
一度目に迎えられた時、―――ここでミユキは彼に、
「……」
指先で触れた唇は、
自分では、ほんの微かなあたたかさしか伝えては来なかった。
「……行こうか」
呟いて。―――顔を上げる。
そうしてミユキは、この雨と霧の街に四度、足を踏み入れた。
幸いなことに、誰にも会わなかった。ここに来るまで―――今はもう誰も住んでいない、この家に辿り着くまで。
幸い。自分で思った言葉に自分で小さく笑った。そんな言葉にもう意味なんてないことくらい、ミユキ自身が一番よく識っているのに。
人気のない家。定期的に清められているので、綺麗な部屋。
時間が止まった家。あるじのいない、家。
「……」
そっと、ダイニングテーブルの木目を撫でて。外から差し込む僅かな色がもう、青色を通り越して闇の色になっているのを感じながら、階段に足をかける。
きし、きし、きし……小さく微かに、軋む音。
あの時と変わらず、壁に飾られたままの写真。
かつてあった幸福の形。
ゆるやかに二階へ上がり、進んで―――そして桜の彫刻の施されたドアの前で、立ち止まる。
「……」
窓から遠い、ほとんど見えないくらいの暗闇の中、その彫刻にそっと、あの時彼がそうしていたように指先をなぞらせる。―――そして、
そうしてミユキは、部屋に入った。
窓の大きな部屋。机と本棚とベッドと、それから壁に貼られたポスター。彼とミユキが好きなバンドのもの。
しんと静まり返るその部屋は、時を止めたまま、そのままだった。
「……」
……そんなわけは、ない。……わかっていた。
最期に彼に逢ったあと、彼は退院をして―――この部屋で、最期を迎えたのだから。
「……オーリ」
オーリ
今の自分と、あの時の自分と。
「……オーリ」
オーリ
あの時のミユキが、幸せそうに、心の底からうれしそうに、名前を呼ぶ。
そっと、ベッドに触れて。―――あの時のように、横たわって丸くなった。
「―――オーリ」
オーリ
―――いいな。いいな。
あの時のわたし、いいな。
あたたかい。心地良い。うれしい。幸せ。
キスも。心を通わせることも。身体を重ねることも。
全部ぜんぶ、ひとりでは出来ないことを。
好きで好きでたまらないひとと、した。
愛おしくて愛おしくてたまらないひとと、した。
何度も名前を呼んで、何度も名前を呼ばれた。
幸せだった。―――終わりがあることを識っていたけれど、幸せだった。
―――ずっとずっと、幸せでいたかった。
彼だけを一生愛し続けていたかった。
「―――彼も最期、君の名前を呼んだ」
静かな声。
部屋に入りベッドサイドに立ったそのひとが―――ゆっくりと、言った。
「そしてそれは、彼の勇気になった」
識っていることをそのまま伝えるようなその声。
静かな、けれど確かに力が満ちている、その声。
ゆっくりと、眼を開けた。
「……ブレンダン」
「こんばんは、ミユキ」
―――ああ、そうか。
あなたが、そうだったのか。