アウロラの夜明け 7
辿り着いたダニエルの家は湖のすぐ横に隣接している家だった。否、家の半分は湖の上に建っている。半分は地面と面していて、そして残りの半分は湖から何本も突き出す柱に支えられていた。ひとがひとり通れる程度の橋の先には水上飛行機がある。ダニエルの持ち物らしいそれを見て感嘆した。水上飛行機。こんなに間近で見たのははじめてだったが、とても格好いいものだった。……いつかグレンもこんな飛行機を操縦してみたいものだった。
少女は―――その飛行機を、じっと見つめていた。
じっとじっと―――染み入る冷気を気にも止めず、じっと。
何かを想うように。―――思い出すまでもなく、想うように。
あと何か、ほんの些細なきっかけがあれば零れ落ちてしまうくらい、感情を湛えた眼で―――じっと見つめていた。
「……」
そんな少女を、ダニエルはじっと見つめていた。
その眼はまた、じんわりと赤く染まりはじめていた。
「……中に、入ろう」
しばらくそうやって、無言の時間が続いて―――微笑みながらダニエルが切り出したその言葉に少女は無言でうなずいた。零れ落ちそうな眼はそのままに、ダニエルをまっすぐに見据える。
「ダニー」
「ああ」
「……ありがとう」
「―――ああ」
想いの籠もった、声だった。
オーリ・キサラギという名前を聞いたのは、家に入り少女が別室に移動したあとだった。
少し疲れた、と言ってゲストルームのベッドを借りにダイニングを出た少女を見送って―――ダニエルと、二人きりになって。
そうして聞いた、名前だった。
「……ヒイラギの恋人、ですか」
「俺のところに二人で来た時は、まだ付き合っていなかったけれどね。……けど」
あの二人に『付き合う』という言葉が必要だったのかな、とダニエルは微笑んだ。
「隣にいるのが当たり前で、手を繋いでいるのが自然で。……俺のところに来た時はもう、そんな二人だった。……交わす会話は初対面に近いのに、それなのに本質的なところではなにも言葉を交わす必要がないくらい、交わさなくても、気配で感じ取れているのだろうと見ていて俺がわかるくらい―――一緒に居るのが自然な二人だ」
―――だった、ではなく。
「俺のところに来て、二人でこれから歩いて行くことを正式に決めて。……遅いくらいだったけどね。歩み寄り方はぎこちない癖に、触れ方は自然なんだ。不思議な二人だ。……でも、自然な二人だ」
「……そのひとは、いつ?」
「……あいつとミユキがここに来た数ヵ月後だよ」
半年もなかった、と、ダニエルが小さく微笑む。
「今月でもう六年になる。……あいつの享年を、あと数日でミユキは越える」
「……」
二十五でこの世を去ったオーリ・キサラギと、
あと数日で二十六になるミユキ・ヒイラギと。
六年。―――六年。
それはどんな月日だったのだろう。
何を考えて―――何を想って、何を目指して進んだ、時間だったのだろう。
あんな、今にも心が零れ落ちそうな眼をして―――どうやって耐えて来た、年月だったのだろう。
少女の映す、青い世界。
栄光の青。
そこに辿り着くまで、―――どれだけの想いを、注いで来たのだろう?
「……グレンは、『グレン・ライガ』か?」
「……」
言葉にはせず、けれどうなずいた。
ダニエルが微笑む。
「俺がわかったように言えることではないが。……大変だっただろうね。今も、まだ」
「……」
その言葉は同情ではなく、やさしさに満ちていた。
だから―――心が解けるように、その言葉にうなずいた。
「―――『つまらない』って、言われたんです」
「ミユキに?」
「はい。―――あいつは、俺が近くで聞いていたなんて、知らなかったけど。……でもだからこそ、あれは本音だった」
自分を唯一あの華々しく冷たい世界と繋いでいたスポーツドリンクのモデル。
我武者羅に、何を目指していいのか、何が良いのか何が悪いのか、何もわからずそれでも懸命にカメラの前に立って―――そして、その写真を、グレンが見て。
何も想わなかった。
良いとも悪いとも、想えなかった。
その写真を見て少女は言ったのだ。―――つまらない、と。
「……君は今、いくつだっけ?」
「……あと数ヶ月で二十歳になります」
そう。―――少女少女と言っているが、ヒイラギの方が六歳近く歳上だ。グレンよりも早く大人になって―――そして今のグレンとほぼ同じ歳の時に、オーリ・キサラギを喪った。
「―――まだ子供だと、思いますか?」
「子供? いや」
ダニエルは首を横に振った。
「大人だ、子供だなんてこの場合は思わない。―――人間なんだと、思ったよ」
「……」
「……ミユキは本当に、その場に君がいたなんて知らなかったし気付きもしなかったんだと思うよ。あくまでも感想で、悪意ではない」
「はい、わかっています。……でも、だから俺はどうにかしたい」
『なに』を『どう』すればいいのかもわからないけれど―――どうにか、したい。
今の状況を、脱したい。
「……ヒイラギに付いて来たら、……ヒイラギと話していたら『何か』がわかる気がして」
「そうか」
ダニエルは微笑んだ。―――じわりと滲んだ熱いものを必死に堪えながら、グレンは唇を噛んだ。