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アウロラの夜明け 3


 朝食を食べてお茶を飲んで、それから少女は動き出した。

 上着を置いたままグリーン夫人の部屋を出て、最上階にある部屋に向かったのだ。

「……」

 最上階はオーナー階だったらしい。他の階とは違いワンフロアすべてで一部屋になっているようだった。ポケットからたくさん鍵が付いたキーホルダーを取り出し、迷うことなくひとつの鍵を鍵穴に差し込む。かちゃん、と軽い音を立て、何の問題もなく開錠された。

「……お前の部屋?」

「……」

 返事はない。素早く中に入った少女に続いて入って―――飛び込んで来たのは、広々としたダイニングだった。窓が大きいため日の光がたっぷりと入る明るい部屋。無人だったが生活感はあり、きちんと掃除が行き届いている。

 少女が躊躇いなく靴を脱ぎはじめるのでぎょとした。

「え、え? お前何やってんの?」

「この部屋は土足厳禁にしてるの」

「土足が駄目って……」

「靴脱ぎたくないならここにずっと立ってるかリタの部屋に戻って」

「……」

 靴を脱いだ。スリッパはないのかと見渡したがなく、しかたなく靴下のままぺたりと廊下に足をつける。幸いなことに床は綺麗に磨かれていたので足の裏が汚れることはなかった。

 ぐるりと見渡す。ソファーの上のクッションは二つ。ダイニングテーブルに椅子は四脚あるが、それはただあるだけのようだった。食器棚で手前にあるのは、二人分のもの。

 二人暮らしをしているのだろうなと、自然に思う部屋だった。

「……誰かと住んでるのか?」

「……」

 返事はない。しかし少女はこちらをちらりと見た。

「何も触らないで。座ってて」

 ソファーを眼で促がされ、無理を言える立場ではないとわかってはいたが素直にうなずくのは妙に癪で渋面を作った。

「お前は何するわけ」

「隣の部屋に行く」

「俺には来るなと」

「友人でも同性でもないひとにクローゼットの中身を見られたくはないんだけどね」

 ……衣類を取りに行きたかったらしかった。一瞬ぽかんとして、それからじわじわと顔が熱くなる。

「……ここにいる」

「そうして」

 何も触るな、と眼で釘を刺し少女が隣室へと―――恐らく寝室だろう―――に姿を消す。

「……」

 数拍、閉まったドアを見つめて。

 それからぱたん、と、ソファーに落ちるようにして座った。

「……だって、なあ?」

 ソファーの端にちょこんと座っていた犬のぬいぐるみに話しかける。

 真っ黒でつぶらな瞳の犬から、しかし返事はなかった。




 十分くらいで少女は部屋から出て来た。服は鞄に入れ替えたのかと思ったが籠に抱えて出て来て、そのあと洗濯機を回した。乾燥までかけるようなので今まで鞄にしまっていた衣類は完全にこの部屋に置いていくのだろう。

 その間少女はてきぱきと動き続けた。ぬいぐるみの犬をきゅうっと抱きしめてから頭を撫でてソファーに戻し、部屋にあるデスクトップのパソコンを起動させる。鞄から取り出したハードディスクと繋ぎ何やら作業をしはじめた。

 座っててと言われたのはあくまでもクローゼット云々の意味だろうと勝手に解釈することにして、後ろからディスプレイを覗き込んだ。気配を感じたのか少女が肩をゆるく揺らしたが、特に何も言われなかったのでそのままでいることにする。

 ハードディスクからデータをパソコンに移しているようだった。ここまで来ればなんとなく、少女がこの部屋に住んでいるわけではなく、たまに帰って来ては荷物を出し入れしているのであろうことはわかった。そしてここは、少女の家であると同時に今現在誰かが住んでいるのであろうことも。部屋の様子から見て取るにそれが男であることも。そして少女がその男と会うことを避けていることも。

「……」

 その男は几帳面なしっかりとした性格のようだった。部屋は綺麗できちんと整えられている。家事が追いつかなかったのかソファーの片隅に洗い終わった洗濯物が畳まれずに置かれていたがそれも一回分だろうなというような量で、基本的にきちんと丁寧に生活している印象だった。

 画像データを移している少女があとは待つだけという状態まで持って行き椅子から立ち上がる。いきなり立ち上がったので少し驚いて身を引いた。

「……なあ」

「なに」

「データ、見ていいか」

「別に構わないけど……」

 意外だったが少女は拒否しなかった。しかしきょとんとした顔で見られる。

「見てどうするの?」

「……」

 そんな理由はない。見たいから見る、ただそれだけだ。

「……見たいからだよ」

「そう。ならいいけど」

 許可をもらったのでグレンは椅子に座った。少女がソファーに腰かけ洗濯物―――全部男物の―――を畳みはじめるのを背中でぼんやり感じながら、どういう理由だったら駄目だと拒否されたのだろうと、意識の端で考えて―――その答えが自分でもわかってしまいそうな気がして怖くなって、切り離すようにして画面に眼をやった。データ移行の度合いを示すゲージが少しずつ緑色に染まって行く。それをディスプレイの下に隠し、読み込まれているSDカードを開いた。

 現れたのは夥しいアイコン。一枚一枚が濃度の違う青で敷き詰められた、青の世界。

「……」

 S・Dプログラムで特別賞を取った少女の写真もまた、濃度の違いはあれど青いものだった。……審査員に『栄光の(グローリー・ブルー)』と賞された少女の生み出す少女だけの青。……ひとの心をざわめかせ、ゆるりと捉え離さない―――視る者の眼を見開かせる、その青。

 酷く残酷で。そして美しいと想った、青。

「……お前―――」

 肩越しに振り返ると、少女は洗濯物を畳み終わっていた。元からそう量があるものでもなかった。

 畳み終わったそれをソファーの端に丁寧に積み上げた少女は、また犬のぬいぐるみとじゃれていた。膝の上に乗せてよしよしと頭を撫でている。そんなに好きか。それ。結構チープな作りをしているが。まあそれがいいのかもしれない。

「なに?」

「……これから、どうするんだ?」

 この部屋に住むために戻って来た―――わけでは、ないのだろう。だったらそもそもホテルなど取らない。

「洗濯が終わったらリタにあいさつしに戻る」

「それで」

「出発する」

「どこに」

「訊いてどうするの?」

「そう思うだろうけど、お前だって訊いてどうするんだ?」

「ストーカーはひとりで十分だから」

「お前ストーカーがいるのか」

「いるよ」

「どこに」

「ここに」

「……俺は違うぞ。いや、確かに今日は若干そうだけど……」

「違う」

「え?」

「あなたじゃないよ。……この話は終わり」

 一度少女が眼を閉じた。犬のぬいぐるみを撫でる手は止めないまま眼を開く。

「行き先を聞いてあなたはどうするの」

「……付いて行く」

「迷惑」

「……ばっさり言うよな、お前……」

 流石に少し絶句した。が、逆に困ったように少女は小首を傾げる。

「一応生物学上女だから。男のひとに付いて来られるとか言われたら、ああ、警察に行こうかなとか、そういう風には思う」

「……」

 確かに。

「……俺が今世間でどんな風に評価されてるか知ってるか」

「……」

 少女は答えなかった。だからディスプレイに向き合い、ネットに接続して検索する。―――グレン・ライガ。

 一瞬でヒットした。―――一番最初に出て来た言葉は、これだ。

『かつての新人、ブーム終了か?』

「……好きなバンドのライブに行って、たまたまそこに来てた関係者にスカウトされたんだよ」

 昔から顔立ちは整っていると言われていた。ハイスクールでは女が途切れたことはなかったし、それはデビューした今だってそうだ。

 モデルから俳優へ。足早に順調に仕事の幅を広げて来た、はずだった。

 しかし、そもそも本格的に演技を学んで来ていたわけではなかった。デビューしてから学びだす人間も少なくはない。グレンもその内のひとりだったが―――その道はグレンが思っていた以上に過酷なものだった。主演ヒロインの相手役に大抜擢され、しかしその映画は、派手にこけた。主演女優の演技もそこまで上手くなかったというのもあったが、グレンの演技力の低さにばかり注目され。……元から原作はとても人気がある恋愛小説だった。期待が大きかった分―――熱心な原作ファンに酷く叩かれた。……そこからだった。何の仕事をしても、どんな仕事をしても不調に終わってしまうようになったのは。

 デビューした時に結んだいくつかの契約もどんどん満期を向かえ、そして契約続行はどれもならず。唯一まだ残っているスポーツドリンクの広告の撮影に全力を投じた。それがあのパネル写真だ。―――なのに。



 つまらないの



 自分の心を代弁されて。心が、崩れた。

 もうどんな顔でカメラの前に立っていいのかわからなくなった。

「……自分に何が足りないのか。俺には全くわからない」

 じっと、少女の眼を―――深い深い色をした眼を、見つめた。

「それが何かを知りたいんだ。……あの写真をお前がつまらないと言った。その瞬間に、たまたま俺は居合わせた。……運命だと思ったんだよ。馬鹿だって笑うかもしれない。けど、本当に思ったんだ。……お前に付いて行けば、何が足りないのかがわかる気がする」

 頼む、と、紡いだ言葉は薄く掠れていた。

「絶対に何もしない。だから俺も連れて行ってくれ」

 沈黙。

 静寂。

 大通りから、車の行き交う音。

 瞬きもないまま―――少女がゆっくりと、小首を傾げた。

「笑わないよ。馬鹿だとしても、それがなに」

 荒ぶっているわけではない。平坦なわけでもない。ごくごく当たり前のことを言う、そんな声で。

 やわらかい声が、言う。

「馬鹿だとして、それがなんだって言うの」

 ―――身体から、力が抜けた。

 ずっとずっと、……パパラッチに叩かれ、多くの人間に叩かれ―――慰められ、そのやさしさすら煩わしくなって。

 誰にも注目されず、相手にされなくなっていって。

 その間ずっとずっと、崩れ落ちないよう、立ち続けていられるよう込めていた力が―――その時はじめて、抜けた。

 崩れるような安堵感だった。

 まだなにもはじまっていないのに―――漸く辿り着けたような、そんな心地だった。

「……ありがとう。感謝する」

「え、なんで」

 再びきょとんとして少女が問うた。

「付いて来ていいなんて言ってないけど」

「お前本当酷いな!」

「いやいきなり現れて『お前に付いて行く』とか言われても……わたしもやったことあるけど」

「お前本当すごいな!」

「言われる側って結構びっくりするものだね」

まあ確かにびっくりしてたけど、とのんびりと少女が言う。そんな少女を前に頭を抱えた。

「頼むよ。本当、俺の人生これからどうしていいのかわからないんだ」

「……あなた、人生の続け方が識りたいの?」

 その時の少女のその言葉が、奇妙に心に残った。―――その言葉が意味することを理解したのは、まだ先の―――今ではない、時だった。

「……そうだ」

 うなずく。―――ふうん、と少女はうなずいた。

 沈黙が走って―――それから、少女が小さく嘆息した。

「……あなたがわたしに、何かしたら」

「ああ」

「わたしはともかく―――わたしの知り合いのどうしようもないひねくれ者が、あなたのことを社会的にも殺すと思う」

「……『も』ってなんだ『も』って」

 どんな知り合いだよ、と嘆いたが、少女は笑わなかった。




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