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アウロラの夜明け 2


 少女が気にせずチェックアウトをするのをグレンは苛々としながら少し離れたところから眺めていた。―――こないだ叩かれたばかりの俳優がひとりの東洋人の少女を―――いや、少女ではなく自分よりも年上だと知っていたが―――ストーカーしているなんて知られたらそれはもうパパラッチの格好の獲物だ。……いや、もしかしたらもうそんな醜聞さえ気にされないポジションに自分はいるのかもしれないけれど。

「―――って……」

 唖然とした。少女はダッフルバックを肩に担ぎそのまますたすたと歩いてホテルから出て行ってしまった。こちらに声をかけることなく。

「おい!」

 あわてて外に飛び出し追いかけて殺した声で怒鳴るという我ながら器用な真似をしてみせると、少女は僅か、面倒臭そうな顔をした。

「なに」

「置いて行くな! 声かけろよ!」

「なんでわたしがあなたを連れて行かなきゃならないんですか……」

 本気でそう思っていそうなその声音に頭を抱える。サングラスにニット帽、一応それなりに正体を隠しているつもりではあるがわかる奴にはわかる。目立つ真似はしたくないのだけれど少女のマイペースさには付いて行けなかった。

「だから言ったろ、あんたのあの『つまらない』って……それがどういう意味の言葉なのか詳しく聞きたい」

「あくまでも感想のひとつですよ。どんな作品にもどんなひとにも評価というのは大なり小なり分かれます。わたしの意見ひとつなんて気にすることないでしょう。モデル本人が近くにいたと気付いていなかったとはいえ、あなたには失礼なことを言ってしまったと思います。先ほどと重ねて謝罪致します」

 丁寧な仕草で謝罪されたが別に謝罪の言葉が欲しいわけではない。苛々と手をぐちゃっと振る。

「別に怒ってるわけじゃない。そうじゃなくて」

「怒ってるじゃないですか」

「それに対して怒ってるんじゃない! あんたが意味を説明してくれないことに怒ってんだ」

「いやだから気にしないでくださいって言ってるじゃないですか……」

 やんややんや抑えた声で言い合いながら早足に歩いて、少女は眼を細め一度そこで立ち止まる。―――街角にある大きな広告パネル。そこにある、本人であるグレンよりも大きく写されたグレンの写真。

 スポーツドリンクの広告だった。自分が今契約を結んでいる会社のそれ。

 さわやかさと突き抜ける爽快さを表現するように青く染まるその写真を見て少女はぼそりと言ったのだ。―――つまらないと。

「本人が近くにいたとは……」

 ち、と口の中で小さく少女が舌打ちした。ちょっと待て。

「お前今舌打ちした?」

「してません」

「しただろ!」

「してません、てば」

「おい! 置いてくな!」

 再びすたすたと歩いて行く少女を追いかけると、肩越しに振り返り少女は面倒臭そうな色を深めた。

「ちっ」

「やっぱり舌打ちしてんじゃねえか!」

「ちぃっ!」

「さらに気合入れてんじゃねえよ! どんな教育受けてんだ!」

「酷いな。この国の母は上品クールな煽り上手ですよ」

「酷いな!」

「うるさいなあ……」

「っ、進むな、待て!」

 ばっとその手を掴む―――掴んだ瞬間、その小さな身体が臨戦態勢に入ったように力を入れ硬くなる。痛みが走るほど強く腕を振り払われて―――その手のひらに真一文字に傷が走っていることに、気付いた。

 赤くケロイド状に残る、生々しいその大きな傷。

「あ……」

 殺すまでもなく掠れた声が自分の喉から漏れた。

「わる、い……」

「……」

 振り払った手を―――傷の走るその手を。

 少女は薄っぺらい自分の腹に当てた。

「……。……お腹減った」

「……朝飯……食えばいい、だろ」

「朝ご飯食べてから行くつもりではあったんですけどね……」

 ぼやく少女がもう一度、……嘆息した。今度は意味が籠もっていそうなそれ。

「……あなた、付けられてるんですか?」

「……え?」

「最近」

「……ちょっと前まではそうだったよ。最近は……知らない。いないかもしれない。気付いていないだけかもしれないけど」

「そう」

 仕方なさそうな色を浮べ少女が角を曲がる。クロスされた大通り。その一角にある古いがそれなりに立派で大きなアパートメント。

「……付いて来るのは勝手ですけど、ここにいる間はわたしの指示に従ってください」

 でなきゃ形振り構わずあなたの正体を晒しますと少女は平坦に言った。抑えられたようなそのトーンに少しぞっとしながら―――微かに、うなずく。

「……? お前の、家?」

「……」

 少女は答えなかった。軽く身を隠し、そのアパートメントの入り口を窺って―――それから素早く走った。入り口の階段を軽い足取りで駆け抜け、中に入って―――一階にいたエレベーターに乗り込んだ。瞬間、階数ボタンを押して閉まるボタンも押す。あわてて続いて身体を滑り込ませた。

「……なんでそんなに急いでるんだ?」

「……」

「……あんたの方が誰かから逃げてるみたいだな」

「……」

 少女は答えない。答えないまま無言で籠は上昇し―――ちん、という音と共にエレベーターが静止する。がらりと少し大きな音を立てて開いたドアをまた素早く滑り抜け、ほとんどゼロに等しい軽い足音でたったと廊下を走った。ある一室の前でベルを鳴らす。すぐに角に姿を隠した。

「なあ……なにやっ「早く来て」……」

 理解出来ないまま同じく角に身を隠す。一瞬の静寂。そして、

「……あら」

 ドアが開く音。そして、やわらかな女性の声。

「大丈夫、いないわよ。―――いらっしゃい、入って来て?」

 その言葉を聞いた少女が小さく息を吐き、角から姿を現した。

「……いつもすみません」

「いいえ。さあ、入って」

 白髪をゆるやかに纏めた年配の女性が少女を室内に招き入れた。

「あともうひとりいるんですけど」

「あら、誰かしら? どうぞ」

「……失礼します」

「ようこそ」

 女性は穏やかに笑ってグレンも招き入れた。ぱたん、とドアが閉まる。漸く安心し切ったように深く深く息を少女が吐く。

「……久しぶりですね、リタ」

「ええ、久しぶりね、ユキ。元気だった?」

「おかげさまで。……このひとは―――」

 紹介しようとして。少女が肩を竦めた。

「わたしもよくわかってないんですよね」

「おい」

「外で朝食食べながらゆっくりお話、というわけにもいかないみたいなんで。……少しお邪魔していてもいいですか?」

「もちろんよ。朝ご飯食べる?」

「ああ、食べたいです。ありがとうございます」

 女性がグレンを見て微笑んだ。

「リタ・グリーンよ。ようこそ……あなたも朝食は?」

「あ……頂きます」

「待っていてね」

 ふわりと笑って女性がキッチンへ行く。少女が手伝おうとそれに続いて、ゆるやかにグリーン夫人が首を横に振る。代わりにお茶を二杯持たされた少女が帰って来て、グレンにカップをひとつ渡した。

「……どんな関係……?」

「親愛なる隣人」

 はじめてきちんとした返事が返って来た、そんな気がした。

「……まあ確かにいいひとだな」

 キッチンで動くグリーン夫人を見て、ひとこと。懐が深いひとなのだろう。

「……お前は誰から逃げてるんだ?」

「……」

 答えはもらえず。視線がふ、と流される。―――『答えない』というのを隠しもしない、少女の態度。

 ならばよいと、質問を重ねた。

「『ユキ』ってお前の名前か? ヒイラギユキ」

「……」

「……なあユキ」

「うるさい」

「今お前うるさいって言ったか……?」

「……ユキって呼ばないで」

 少女は薄く渋面だった。ほんの僅か、首を横に振る。

「『ヒイラギ』……少なくても仕事はその名前でしてる」

「……」

 仕事以上のことで関わることはないと線を引かれ、唇を結ぶと―――食欲をそそる匂いと共にグリーン夫人が戻って来た。

「簡単なものしかなくて申し訳ないわ」

「いえ、いつも前触れなくてすみません」

 少女が微笑み皿の配膳を手伝う。それに関わりながら白い皿に眼を落とした。目玉焼きにベーコンにソーセージ。マッシュポテトにトーストにサラダ。何故だか少女の方はトマトが多かった。少女が両手を合わせて何やらひとこと言って、その多いトマトにフォークを刺す。ひょっとしてトマトが好きなのだろうか。

「それを食べ終わる頃には、いい時間だと思うわ。いつも彼はもう少ししたら出かけて行くから」

「はい、ありがとうございます」

 何の話かわからず、グレンは首を傾げながら目玉焼きにナイフを当てた。




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