セイリオスの逃亡 26
お世話になりました、と頭を下げた少女をアマンダは抱きしめた。きつくきつく、抱きしめた。
「……いつでも、来て。約束よ」
「うん」
少女がアマンダを抱きしめ返す。その砂色の髪に、頬を埋めた。
「ミユキ。……ミユキ。本当に、本当にあなたのことを想っているの。……忘れないで。どこに行こうと、あなたが誰であろうと、あたしたちはいるわ」
「うん。―――うん」
それしか答えられないかのように。想いの籠もった声で少女は何度もうなずき、ぎゅっとお互いを確かめ合うように力を込め合った。……そしてそっと、身を離す。
「またね、アマンダ」
「……嘘は嫌よ? ミユキ」
「うん」
少女が微笑む。スコット夫妻にも丁寧にあいさつをした少女はオリヴァーを見て、それからうなずいた。
「よろしく、オリヴァー」
「ああ」
助手席に少女を乗せ、運転席に座りエンジンをかけた。窓越しに少女とアマンダが最後のお別れをする。
「また、またね、ミユキ。絶対、絶対よ」
「うん」
「嘘は嫌よ」
「うん、うん」
手と手が触れ合って。
「アマンダ」
そして、離れた。
「本当に、ありがとう」
それがさよならに聞こえたのはきっと自分だけじゃないだろう。
バックミラーに映ったアマンダが小さくなってゆく。……最後まで今にも泣き出しそうで、それでいて必死に堪える顔をしていることに気付いたのは、自分だけじゃないだろう。
港までの道すがらを少女と共に過ごすのは二度目だった。行きは途中で少女を下ろしたが、帰りについて少女は何も言わなかった。
「……これからどこに行くんだ?」
「……どうしようかな」
本当に何も考えていないように、少女は窓の外を見ながら呟いた。
「何も考えてない」
「……ミカゲのすごいところは、そこで『どうしたらいいと思う?』ってひとに訊かないところだな」
「……はじめて言われたな、そんなこと」
おもしろいことを言ったわけではなかったが、少女はほんの少しだけおもしろそうにそう言った。笑顔はなくとも、確かに。
「自分で考えて自分で選んで進むんだ、ミカゲは。……オーリといた時もそうしてたんじゃないか?」
「……うん。オーリが離れろって言っても絶対に離れなかった」
「だろうな」
「うん」
「そういうところもオーリは好きなんだろうな」
「そうかな」
「自分で選べる人間は誰だって好ましいよ」
「オリヴァーも?」
「そうだな」
「そっか」
そっか、と、口の中でもう一度、少女は小さく呟いた。
時間はあと僅か。延々と続いていた殺風景な路はもう、徐々に港町の賑やかさを見出してゆく。
「……これから、どうしたいんだ?」
「……」
横目でちらりと少女を見る。……少女は窓の外の景色に視線を投げたまま、何も言わない。……言わないということを選択したのか、返す言葉がなかったのか。判断し切れなかったが―――仮に言葉があったとしてもそれはオリヴァーには返って来ないものだろう。
「オーリの」
「え?」
「オーリの幽霊は在り得ない」
きっぱりと少女は言った。
「それは識ってる。……だからね、幽霊じゃなくて……ひょっとしたら生きていたんじゃないかって、そう思ったんだ」
「……」
「でも違うって、すぐにわかった。……理屈じゃないよ。お墓の前に立って―――心が自然に理解したんだ。ああ、本当にオーリは死んでいるんだなって」
「……」
「でもそれがわかる前、オーリが生きてるかもしれないって思った時……どうしてわたしのところじゃなくて、マリアの近くに現れたのかなって思って……わたしよりマリアが好きだからそうしたのかなって一瞬思って、……すごく辛かった」
「……」
「でもやっぱりきっと、オーリはわたしを選んでくれるんじゃないかってすぐに思い直した」
「……どうしてそれがわかったんだ?」
「わからないよ。わからなかったから、祈ってた」
まっすぐな答えだった。
ひとが訊いたら何故と笑ってしまうような―――美しい、答えだった。
車は進む。時間は進む。港街の活気付いたストリートを抜けて、一面の海を前にする。
車のスピードを落として―――姫君を想うかのように、そっと停車した。
「ありがとう、オリヴァー」
その言葉にはいろいろな意味が込められているとわかった。
だからオリヴァーはとても簡単にひとつ、うなずいて見せた。
「ああ。―――俺も、ありがとう」
「うん」
「また会おう」
「うん」
「それ、嘘だろう」
「わからない」
ドアを開け、車を下りて―――開け放った窓越しに、少女が小さく苦笑した。
「自分でも嘘になるのか本当になるのか、わからないんだ」
「……そうか」
笑う。不器用に。けれど、まっすぐに想いだけ込めて。
「でもさよならは言わない。―――いつかまた会いたいよ」
「ありがとう」
少女が微笑んだ。
「ありがとう、オリヴァー」
それが最後の言葉だった。
淡い微笑みを残し、踵を返した少女は、自分の脚で歩いてゆき―――乗客の波に吞まれ、そして消えた。