セイリオスの逃亡 23
曇り空の下、キサラギの家はしんと静まり返っていた。
車から下りた少女はくるりと踵を返し、その庭へ行き―――続く森へと、入ってゆく。
「……」
ばたん、と車のドアを閉める音が、くっきりと耳に残った。一瞬だけ車内を振り返って―――あのシーツがいつの間にかになくなっていることに気付いた。そういえば〈ジミー・ディーズ〉に行った時には既になかったように思う。
「……ミカゲ、シーツは?」
何故だかそれが妙に気になってしまい、少女の背中に訊ねる。
「ブレンダンがあの病院に勤め出したのはいつ?」
答えられず、問われて―――記憶を探る。この街の人間ではない。そして昔からの人間でも、なかった。
「……五年前、かな。いや、もうすぐ六年になる」
「わたしが二十歳の時だね」
「……ミカゲは二十五だろう?」
「あと三ヶ月で二十六になる」
「……そうか」
オーリの享年を―――越える。
森を歩く少女に追い付き、あとに続く。……そう深いところまでは行かないらしい。キサラギの家が完全に見えなくなった辺りで、ミカゲは足を止めた。
「……ミカゲ」
「なあに?」
「……恋人は、いないのか」
酷な問いだとは、わかっていた。
だが何かに縋りたくて、そう問うた。
「お前はひとりじゃない。―――けど、お前が帰りたい場所は、あるのか」
どこでもいい。そこにいる誰かが―――たったひとりの誰かが、居るのなら。
「ミユキが望むひとは、いるのか」
―――死者は、どうしようもなく死者なのだと。
「……死者に未来はない」
少女の声が、紡ぐ。
「どれだけ生者が願っても。祈っても。……未来はない。そこから先に、時間はない。……心の中で生きているなんて、本当のことでも綺麗ごと。欲しいのはそれじゃない……一緒に歩む、未来の時間が欲しかった」
愛し、愛され共に進む時間。
満たし、満たされ共に歩む時間。
望んだ未来。
来なかった未来。
「……だからね、あなたにはあげないよ。一瞬たりとも、あなたなんかにあげない。あなたは大切にしてくれなかったんだから……わたしが喉から手が出るほど、命を削ってでも欲しかったオーリとの時間を手にして、それを粗末に扱ったあなたなんかには……何も、あげない」
ざ、という、足音。―――振り返る。
「マリア・オルティス」
仮面を被るように、少女は微笑んだ。
「あなたにはあげない。なにひとつとして、あげない」
マリア・オルティスは。
その不幸すべてを背負ったような悲しげないつもの笑みで、微笑った。