セイリオスの逃亡 21
助手席に少女を乗せ、暖房を最大威力で付けてアマンダに電話した。安堵で力が抜けそうなくらいゆがんだ声を宥めすかせ、一度電話を切る。……助手席の少女に、眼をやった。
大きなシーツに包まった少女。その小さな身体を丸め、助手席に蹲る少女。……旧友の愛する、少女。
胸が苦しく―――なった。
「……ミカゲ」
返事は、ない。だが聞いていることだけはわかっていた。
「一度病院へ行く。……ブレンダンがいるはずだ」
返事はなかった。……それでもそっと車を発進させた時、ぴくりと微かに少女は動いた。
軽い凍傷を起こしかけていたが、少女の身体に大きな問題はなかった。
「よく身体をあたためて」
と言ってブレンダンが小さく微笑む。物憂げな眼が、少女を見つめた。
「……結論は出た?」
「……出た」
少女が微かに答えた。
「……オーリには。……もっと自分を、大切にしていて欲しかった」
その言葉に―――胸が閊えた。―――そう。
だからディアムもオリヴァーも、マリアのことが嫌いだった。
「そうかもしれないね」
穏やかにブレンダンは微笑った。
「けど、最後に君という最愛の女性と出会うことが出来た」
「……」
「君ほどオーリのことを想っているひとを僕は知らないよ」
「……」
「だから君も、あまり無茶はしないように」
かくん、と少女がうなだれた。
ややあって、はい、と聞こえた声は―――はじめて聞いた、少女の掠れた声だった。
診断を終え、また暖房をがんがんに効かせながら車を走らせていると、ふいに少女が口を開いた。
「……オリヴァー」
「ああ」
「……あとでお金払うから」
「? ああ……」
「……〈ジミー・ディーズ〉に寄ってもらってもいい?」
「……ああ」
今は朝の仕込みの時間かもしれなかったが、ポーラなら無理を聞いてくれるはずだった。うなずき、角を折れてメインストリートへ向かう。
「……きっとパンプキン・スープが飲めるよ」
「……うん」
「それを飲んだら、身体があたたまる。……俺も冬は毎朝登校途中に〈ジミー・ディーズ〉に寄ってスープを飲んでから学校へ行っていたんだ。お陰でいつも遅刻ぎりぎりだった。……オーリもディアムもだよ」
「……うん」
「三人揃っていつもそんなことをしていた」
「うん」
「遅刻しようが身体をあたためて健康になる方が大事だって駄々を捏ねて」
「うん」
「『パンプキン・トリオ』なんて呼ばれて。けどハロウィンの時は三人揃って侍の格好をしてみんなの期待を裏切って」
「うん」
「―――そんな風に、三人で、居たんだよ。―――俺たちは」
「うん」
声が震える。震えて、嗚咽になる。
ぼろぼろと涙が零れて―――あとから、あとから。
泣かない少女の前で今、オリヴァーが、泣く。
「―――君を見たよ、ミユキ。あの日……あの早朝、病院から出て来る君を、俺は見た」
「―――うん」
「君は泣いていた」
そう。―――泣いていた。
あれが最期の別れだったのだろう。あの時がもう、本当に最期だったのだろう。
「あの日以来オーリは本当に幸せそうな顔をしていた。満たされて、満足した……幸福そのものの顔で」
「うん」
「君だったんだ。答えは―――オーリの出したオーリの答えは、『君』だったんだ」
「うん」
「君のお陰だと、俺はあの時から識っていたんだ」
「うん」
少女の声が震える。震えて―――必死に涙を、堪えるように。
「―――すきなの」
「ああ」
「オーリが、好きなの」
「ああ」
「オーリを愛してる」
「ああ」
「―――わたしはオーリに、それしかないんだ」
「それでいいんだ」
泣かない少女を前に、男がぼろぼろと涙を零して―――嗚咽する。
「それでいいんだ。それがいいんだ。ただオーリを……オーリを愛してくれるひとを、俺たちはずっと待っていた……君を待って、いたんだよ」
「うん」
少女が顔を覆った。―――それでも泣かない理由は、なんだろう?
最後まで押し留める何かは、何だろう?
「君でよかった」
泣きながら。泣きじゃくりながら、心の底からの言葉を、伝える。
「君が君でいてくれてありがとう。俺の親友を愛してくれて、本当にありがとう」