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セイリオスの逃亡 18


 アマンダより一足先にスコット家を出る。万が一見られた時に備えてだった。アマンダとはメインストリートで待ち合わせをしている。

 車のトランクに懐中電灯があったはずだと考えながら―――二階の窓を、見上げた。

 灯りは消えていた。……眠っているわけではないのだろうなと、思う。

 何を考えているのだろう。

 死んだ自分の恋人の幽霊。

 ……どうして。

 どうして。―――オリヴァー、たちは。

 少女に何を言ったらいいのだろう。

「……」

 その言葉を、想いを―――抱えて死んでいった旧友のことを、想った。

 今も尚、言葉を失って身動きが取れなくなってしまうほど愛されている、……旧友のことを、想った。

「……」

 どうして死んでしまったのだと、想った。




〈バタフライ・モーテル〉はこの街唯一のモーテルだった。繁盛しているかどうかは微妙だったが、完全空室となる時はあまりない。目ぼしい観光地ではないせいでここ何十年と競争相手のホテルなどが建った試しはなく、ホテルというものはこのさして大きくはないモーテル一軒で賄えてしまう。……少女がこのモーテルに泊まることにならずによかったと、今さらながらに安堵した。もし仮に泊まっていたとしたらマリアと鉢合わせだ。それだけは避けられたのだなと、微妙なところでほっとする。

「……誰もいないわね」

 渡した懐中電灯のひとつを灯し、アマンダがぽつりと言った。

「……零時を過ぎたからな」

 基本的にこの街の住人は早寝だ。それは若者が減り平均年齢が高いからというのが第一の理由で、もうひとつの理由は『起きていても遊べる場所が大してないから』だ。フェリーに乗り海を越えればそこは大都市だが、片道三時間以上になるので『ちょっと夜遊びに』には向かない。

 モーテルのちかちかと点滅するネオンの音すら聞こえる程の静けさ。生まれ育った街なので今さら怖くも何もないが―――ここに現れるのかもしれないと思うと、心が騒いだ。恐怖では、なく。

「……頭がおかしくなりそう」

 ぽつりとアマンダが零した言葉は、彼女らしくない弱気なものだった。……いや、マリアが現れてからはアマンダは感情が引っ張られ休まる時がなかったのかもしれない。

「……あたしですらこうなんだから、ミユキはもっと辛いわよね」

「……」

 オーリの幽霊の存在を聞いた時、蒼白になった少女。

 思わずよろめいて、カップを割って―――広がる薄赤色の紅茶の熱さを、まるで感じていないかのように手を浸して。

 眼を見開いていた。

 言葉を失って―――立ち尽くしていた。

「……オリヴァー」

「ああ」

「……何か現実的なことを言ってくれない?」

「……現実的?」

「気になってること。……あなた、そもそも幽霊を信じているの?」

「……」

 言葉を手繰るようにして―――少しずつ、少しずつ。オリヴァー自身思考を纏めるようにして口を開いた。

「……世の中には説明出来ないことがある。それはわかっている。だから幽霊を否定するつもりはない。何もかもを幽霊の仕業にするのはどうかと思うが、『居てもおかしくない存在』だとは思っている。否定する材料がない」

「……大抵のひとはそういうものよね」

「ただ―――もし仮に。幽霊だったとしよう。でもそれがオーリかと言われれば、違う気がする」

「それはどうして?」

「出る場所がおかしくないか? どうしてモーテルの近くなんだ」

「……」

「この街の墓地にオーリは眠っている。そこに現れたのなら、わかる。キサラギの家に現れたとしてもわかる。間際まで入院していた病院だとしてもわかる。今のスコット家に出たのならミカゲに会いに来たのだなと思う。ミカゲがいない時期のスコット家に出たのなら、君や夫妻に会いに来たのかなと思う。……モーテルの近くに出る理由がわからない」

 モーテルは墓地に近くはない。全く反対方向と言ってもいい。

「幽霊の定義なんてわからないから、『何かのエネルギー問題で出れる場所が決まっている。それがたまたまモーテル近くだった』という場合もあるかもしれないから何とも言えないが。……でももし場所を任意で選べるとしたら、ここは選ばないだろう」

「……よかった」

「え?」

「『マリアがいるからあり得る』なんて言われたら、流石に我慢出来なくてオリヴァーに殴りかかっていたかもしれないから」

「……言わないよ。そんなこと」

「ねえ、お願い。はっきり言って。誰にも、言わないから。……オリヴァーから見て、ミユキとマリア……どちらがオーリに相応しかったと思う?」

「ミカゲだよ」

 きっぱりと即答した。アマンダの緑の眼が、ぽつりと立つ街灯の明かりを受け、潤んでいるのがよくわかった。

「だから言わない。オーリはマリアには会いに行かない。会いに行くとしたら、ミカゲだ。……だからおかしい。ここに出るのはおかしい。……でもステファニーやビートの婆さんがマリアのために嘘を吐く理由なんてない」

「ええ、そうね」

「だから見間違いじゃなければ、ここに誰かが居たのは確かなんだ……」

「問題はそれが誰なのか」

「……生きているのか、いないのか」

「それに尽きるわね」

 どこか遠くで、虫の鳴く声。

 ジャケットの下でぶるりと震える。モーテルの隣が森ということもあり、空気はひんやりと湿り肺にまでその冷たさを伝えていた。深いポケットからタンブラーを取り出し、アマンダに渡す。

「流石保安官。張り込みに慣れているわね。中身はなあに?」

「コーヒーだよ。それに張り込みなんてこの街じゃあしたことすらない」

「あら残念。……コーヒーも残念。お酒じゃないのね」

「飲みたい気分か?」

「自棄になりたい気分ではあるわ」

「全部終わったら、飲もう」

『なに』が、『どこ』に行き着いたら『終わり』なのか―――言ったオリヴァー自身わからないままそう言って、視線をストリートに投げて―――言葉を、失った。

「―――」

 ひゅ、と、喉の中で息が鳴って、

「……? オリヴァー……」

 名前を呼んだアマンダも―――隣で眼を見開いたのが、わかった。

 ここから遠い、街灯の下。

 ひとりの男が立っていた。

 見覚えのある背格好。懐かしい長身痩躯。

 夜の中、街灯の下にいるその男の髪の色はわかり難い―――けれど黒か茶の色であることはわかる。

 その人影が―――こちらを見たのが、わかった。

 世界が止まったような感覚。

 ―――その人影が身を翻した。ストリートを逸れ、森の中に入ってゆく。

「っ、待ってッ!」

「ここにいろ!」

 アマンダにそう残しオリヴァーはその人影が消えた方へ全力で駆け出した。心臓が壊れそうなほど肋を打っているのがわかる。―――そんな。

 そんな、まさか。

「待てッ! ……ッ、待てッ、オーリッ!」

 長身痩躯。そう。軍役してはいたが、訓練を受けたものの戦闘員ではなかったオーリは身体はそこまでがっちりとしているわけではなかった。細身で筋肉質な、着痩せする身体。本人も自覚していてよく苦笑していた。見るからに強そうな男には、自分はなれないなと冗談交じりに。

「待て! 待ってくれッ! ミカゲに……ミユキに、会ってくれ……!」

 あの子は。あの子が。

 霧に包まれたあの朝から、一歩も動けずにいるあの子に。

 涙を流しながら、それでも睨むように前を見据えて、世界から一瞬たりとも眼を逸らさなかったあの子に。

 傷も痛みも痕も後生大事にすべて抱え、もうどうにも動けなくなってしまったあの子を。

「愛してるんだろ……! 会ってくれ、オーリ! オーリ……!」

 ―――その姿をもう一度見ることすら、敵わなかった。

 黒い森の中にその姿は消え、もうどこを探しても、見付けることは出来なかった。





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