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セイリオスの逃亡 12


「……ねえ、ミユキを少し連れ出してくれない?」

 アマンダがそっとそう言ったのはそれからしばらく経った時だった。

「……え?」

「ミユキを。……ここにいても気分転換はきっと出来ない」

「……でも、何で俺が……」

 うめく。うめいて、そっと二階の気配を窺うように意識を向ける。……しんとしていて音はない。………少し休むと少女が二階へ上がったのは、会話が途切れて少し経った時のことだ。

「気分転換って、何させるって言うんだ」

「ちょっとお酒を飲みに行くとか」

「酒って、アマンダ……ミカゲに?」

「いや、あの子とっくに成人してるわよ」

「あ……」

 そう。そうだ。つい見かけに意識が誤魔化されてしまうがあの少女は本来『女性』として扱うべき年齢のひとで―――バーに連れて行き堂々と酒を飲ませても何の問題もない。

「……声をかけてみるだけだ。断られたら粘らないからな」

「お願い」

 しぶしぶ引き受けて、緩慢な動作で……何も浮ばない言葉を考えながらゆっくりと階段を上る。上って、歩いて……辿り着いた廊下の先の客間。ドアを前にしても―――なんの言葉も浮ばなかった。仕方なしに、覚悟もまだしっかりと決まらないまま小さくノックをする。

 ややあって、返事があった。

「あー……ミカゲ。俺だ」

 数拍の間。

 それから、きい、と内側からドアが開いた。

「……どうしたの?」

 小柄な体躯。自然、下から見上げて来る形になる。

 旧友は果たしてどんな気持ちで少女を見下ろしていたのだろうと思うと、冷たく濡れた手で撫でられたように皮膚の下がざわりとした。

「……」

「……カーター?」

「……あ」

 は、と我に返り咳払いをした。その深い色をした眼を見下ろす。

「……飲みに行かないか。せっかくこの街にいるんだし」

 まあ大した店はないが、と付け足した。断られることはわかっていたので言葉がきちんと出た今となっては気が抜けてさえいたのだが―――少女はややあってうなずいた。

「うん、行く」

「え?」

「え?」

 こきり、と少女が小首を傾げた。

「……社交辞令だった?」

「え? あ、いや。違う」

「そう。じゃあ、お願いします」

 ―――想定外だ。ぺこりと小さな頭を下げた少女を見て、内心でうめいた。




 本当に大したことはない、街にあるバー。雰囲気は嫌いではないが街の住民が集まる時点でやいのやいの声をかけられるのは必須なので、静かな空気で飲める……というわけではない。

 やって来たバーの重たい木の扉を押し開き薄暗い店内に少女を招き入れると、案の定、ひゅう! と歓声が上がった。

「オリヴァーがついに女を連れて来たぞ!」

「違う」

 渋面を作って首を横に振り、カウンターの中の店主に眼を向ける―――からかいたいような色をその眼は含んでいたが、少女の姿を見て小さく肩をすくめ、カウンターの隅を空けてくれた。……オーリとディアムともたまに来たことがある店だ。オーリの彼女が東洋人の少女だという話をどこかで聞いたのかもしれない。

「久しぶりだね。何を飲む?」

「スコッチを。……ミカゲは?」

 どのくらい飲めるものなのかと思い訊ねると、少女は思案気に顔を上げて掲げられたメニューを見た。店主がそっと、口を開く。

「オーリがキープしていたボトルがあるよ」

「……それ、わたしが飲んでいいと思います?」

「ああ。あいつも惚れた女に酒の一杯ぐらい奢りたいと思うだろう」

 くすりと少女が微笑った。……楽しそうな、うれしそうな笑顔だった。

「じゃあ、それをください」

「ああ。飲めるなら、全部飲んでっちまってくれ」

 運ばれて来たのは―――ああ、懐かしいなと眼を細めた。

 ウィスキーだ。……旧友の好きな銘柄の、それ。

 とくとくとく、と琥珀色のそれが少女のグラスに注がれて……ゆったりと、揺れた。

「―――オーリに」

 そっと、その細い指がグラスを包んで、言って―――その言葉に、グラスと言葉を重ねた。

「オーリに」

 かちん、と鳴る、涼やかな音。

 く、と煽ったスコッチは、喉元を熱く熱く焼いて行った。

「……」

 少女も一口、ウィスキーを口にして―――それからじっと、グラスの水面を見つめた。……深い深い色をした眼が、酒が照り返す微かなきらめきさえを受け取って―――音もなく、静かに輝きを増しその眼の光を強くする。

 綺麗な少女だと、思った。

 あの時からずっと思っている―――けばけばしい華はなくても、つい眼が行ってしまう、凛とした魅力を持つ、心が惹かれる少女だと。

「……ありがとう」

「え?」

「アマンダに気を遣ってくれて」

「……」

 ……ばれていたかと、嘆息した。小さく首を横に振る。

「いや。……悪い、こういう時に気の効いた言葉を言えるほど慣れていないんだ」

「気持ちだけで十分。ありがとう」

「……ショックじゃないのか?」

「なにが?」

「……オーリに」

「オーリに彼女がいたこと?」

 先手を打たれて思わず黙った。く、と少女がウィスキーを飲み干してグラスを空にする。ボトルから注ごうとしたがやんわりと断られ、少女は自身の手で酒を注いだ。

「知ってた」

「……そうなのか」

「うん」

「……そうか」

「大人、なんだし。……十代の頃とか入れたら、きっともう少し……もっと、いるでしょ。いちいちショック受けてても、仕方ない」

そうか、この少女はもう、旧友の享年と同い歳なのかと―――そう思うと喉の奥が絞められるような心地になった。

「……たくさんはいなかったよ。あいつは慎重なタイプだったから……」

「ふうん」

 それでもやはり少し思うところがあるのか少女は唇を微かに尖らせた。

「別に、いい。それは、いい。いいの。それに対して怒ってるわけじゃ……ない」

「そうか」

「歳上、だし」

「そうか」

「……」

 ぽすっと二の腕に軽く拳をもらって少し驚いた。こちらを見ず少女が言う。

「にやにや、しないで」

「……悪い」

 にやにや、していたのか。自分。……咳払いして誤魔化すように間を取った。

「……ディアムも俺も、マリアのことをあまりよく思っていなかった」

「……」

「ディアムもアマンダも。ひとの好き嫌いがはっきりしている。……そんな姉弟が、君のことは大好きだ。大好きで、君が幸せでいてくれるよう祈って、気持ちだけでなく行動している。……オーリの最後の彼女が君でよかったと、心からそう思っているからだ」

「カーターは?」

「え?」

「カーターはどう思ってるの?」

 まっすぐに見つめられ―――息を、止めた。

 白い霧の中。

 涙を拭うこともせず前を見据えて歩き続けていた、あの時の少女。

「……俺も、そうだよ」

 意識せず。けれど万感の想いがあふれて―――言葉になった。

「君で、よかった。……これが、よかった」

「……」

 かくん、と、少女がグラスに視線を落とした。

「……馬鹿みたいって、思うかもしれないけど」

「ああ」

「オーリのこと、ああ、このひとなんだなって、思ったんだ」

「……ああ」

「このひとが、わたしのひとなんだなって」

「ああ。……それが正しいよ」

「……うん」

 旧友の少女。少女の旧友。

 そっと、息を吐く。

「―――会わせたいひとがいるんだ」





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