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水無瀬の庭師  作者: ふらう
第五部 実
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21/22

エピローグ

## エピローグ


---


十月の水無瀬は、秋になっていた。


山の稜線が、赤と橙と黄色に染まり始めていた。まだ全部ではなかった。緑の中に、色づいた部分が混じっていた。その混じり方が、毎日少しずつ変わっていた。


朝の空気は、九月より冷たかった。


川沿いを歩くと、息が白くなった。まだ完全には白くならなかったが、光の当たり方によっては、吐く息が見えた。


水無瀬川は、今月も澄んでいた。


---


### 透


市役所の窓から、水無瀬川が見えた。


四階の窓から見える川は小さかったが、今朝の光の中で、川底の石の輪郭が見えた。六月に同じ窓から見た時、川底は見えなかった。


透は書類から目を上げて、川を見た。


十月の川は、九月よりさらに澄んでいた。


環境課の水質調査プロジェクトの最新データを、先週確認していた。透明度が、六月比で三十パーセント改善していた。BOD値が、さらに下がっていた。魚の種類が増えていた。来年度の予算申請は、木村係長が上の会議に通してくれていた。承認される可能性が高い、と木村は言っていた。


透は窓から目を離して、書類に戻った。


今日の書類は、道路補修の予算申請だった。内容は六月と変わらなかった。しかし処理しながら、別のことを考える余裕があった。以前は、書類の内容が頭に入りながら、余白がなかった。今は余白があった。


その余白の中で、川のことを考えた。来年度の調査計画を考えた。木村係長に提案したいことを考えた。


「鷺沼くん」


田所さんが声をかけてきた。


「はい」と透は言った。


「今日の昼、一緒に食べない?」と田所さんは言った。「あなたと話したいことがあって」


「いいですよ」と透は言った。


昼休み、食堂で向かい合って座った。


田所さんが「最近、どう?」と聞いた。


「良いです」と透は言った。


「本当に?」田所さんが透の顔を見た。銀色の髪。金色の目。「体の調子は」


「良いです。疲れないし、よく眠れる」


「それは良かった」と田所さんは言った。「最初、髪が変わってきた時、心配したんだよ。病気かと思って」


「病気じゃないです」と透は言った。「ただ、変わっています」


「そうだね」と田所さんは言った。「でも、変わっていく方向が、良い方向に見える。それが安心できる」


透はその言葉を、少し受け取った。


変わっていく方向が、良い方向に見える。


田所さんは、透の変化を毎日見ていた。危険だとは思っていない。おかしいとも思っていない。ただ、良い方向に見える、と言った。


「ありがとうございます」と透は言った。


「川の調査、続けているんでしょ」と田所さんが言った。


「続けています」


「川、最近きれいになってきたね。夫が言ってた。昔みたいになってきた、って」


透は「そうなんですか」と言った。


「夫も昔、あの川で泳いだから。懐かしいって言ってた」


透は父のことを思った。


父も、あの川で泳いでいた。父が死んで十六年が経っていた。父が泳いでいた頃の川に、少しずつ戻っていた。


「良かった」と透は言った。


それだけ言った。しかしその言葉に、多くのことが入っていた。


---


夕方、透はエデンズフィールに寄った。


アデルがカウンターにいた。「いらっしゃいませ」と言った。


透はいつものテーブルに座った。


窓の外に、商店街が見えた。十月の光が、斜めに当たっていた。影が長かった。シャッターの並ぶ通りに、エデンズフィールの明かりが落ちていた。


お茶を飲んだ。


温かくて、涼しかった。


左手首の黒いリボンが、テーブルの上で光った。


透はリボンを見た。


第一段階のリボン。


次の段階がいつ来るかは、わからなかった。体が知る時に来る、とアデルは言っていた。今はまだ、来ていなかった。しかし来る気がした。


今は、今できることをしていた。


川を見ていた。山を見ていた。街を見ていた。水無瀬を見ていた。


水無瀬で生まれて、水無瀬にいる。


いたいと思っている。


それが今の透だった。


---


帰り道、川沿いを通った。


十月の夕方の川は、光が斜めで、川底がよく見えた。


透はいつもの場所で足を止めた。


川を見た。


今日の川は、今まで見た中で一番澄んでいた。川底の石の模様が、はっきりと見えた。丸い石、平たい石、白い石、黒い石。水が光を屈折させて、石の上に揺れる光の格子を作っていた。


夢の中で見た川に、似ていた。


まだ完全には一致しなかった。しかし、近かった。確実に、近かった。


透は柵に手をかけた。


左手首の黒いリボンが、川の光を受けた。


父が泳いでいた川。透が子供の頃に来た川。透が毎日見ている川。


この川が、夢の川になる日が来る。


確信があった。


根拠は、毎日の変化だった。


透は川から目を離して、空を見た。


十月の空は高かった。雲が少なかった。山の稜線の上に、夕焼けが広がっていた。


赤と橙と、少しの紫。


その色が、川面に映っていた。


川が、空を映していた。


澄んでいるから、映せた。


透はしばらく、その景色を見た。


それから、上流に向かって歩き始めた。


---


### アデル


朝の手入れを終えて、アデルは店を開けた。


十月の朝は、空気が澄んでいた。ハーブ園のエデニア・ノクティスが、朝露を受けて光っていた。実が熟していた。黒く、艶のある実が、光の当たり方によって銀色に輝いた。


今日の収穫分を、収穫した。実をそっと摘んだ。指の中で、小さな重さがあった。


血を与えた。植物が揺れた。


店に入って、お湯を沸かした。


今日のお茶を淹れた。空色の液体が、ポットの中で広がった。


カップに注いで、窓際に立って飲んだ。


窓の外に、商店街が見えた。十月の朝の商店街は、人が少なかった。老人が一人、ゆっくりと歩いていた。宅配のバイクが、遠くから近づいてきた。


今日も、誰かが来る。


透が来るかもしれない。菜摘が来るかもしれない。来たことのない誰かが来るかもしれない。


それで良かった。


---


精神ネットワークに触れた。


世界中の庭師の声が、朝の感覚として流れてきた。


ロンドン。ラゴス。ソウル。サンパウロ。ニューヨーク。リヨン。


それぞれの街の朝が、それぞれの場所にあった。ロンドンの庭師が、テムズ川の水質がまた改善したと流した。ラゴスの庭師が、廃棄された土地に植物が戻ってきたと流した。ソウルの庭師が、新しい候補者と接触したと流した。


誠の声が届いた。


今日の誠は、穏やかだった。第五段階に入ってから、誠の声は変わっていた。落ち着いていた。確信に満ちていた。


*おはよう、アデル。*


*おはようございます。今日はどうですか。*


*学校で、生徒たちと川の話をした。昔の川の写真を見せたら、興味を持っていた。*


*良いですね。*


*子供たちが川に興味を持てば、川を守ろうとする。そういうことだと思う。*


アデルはその言葉を受け取った。


誠は教師だった。生徒に川の話をした。その生徒たちが、川を守ろうとするかもしれない。庭師でなくても、川に近づいていく。


楽園再造は、庭師だけがするものではないのかもしれなかった。


---


導師から、今朝も感覚が来た。


*水無瀬の根が深くなっている。*


いつもと同じ言葉だった。しかし今朝の感覚は、いつもより少し違った。


深くなっている、という言葉の深さが、また増していた。


六月に来た時から、この言葉を何度も受け取っていた。毎回、深さが増していた。


アデルは受け取った。


*はい。深くなっています。*


---


夢空間の話をするなら、今夜のことだった。


アデルは今夜の夢空間で、仮面を外したまま、共用エリアにいた。


先月から、仮面を外すようになっていた。


外すたびに、同じことを感じた。覆いがない。直接的だ。しかし同じだ。仮面があっても、なくても、アデルはアデルだった。


庭師たちが、それぞれの仮面をつけて、それぞれの場所から来ていた。


誠が来た。蛸の仮面。胸元に五本のリボン。


*今夜は、外しているんですね。*と誠が言った。


*先月から。*


*どんな感じですか。*


*同じです。でも、直接的です。*


誠の仮面が、考えるように少し傾いた。*そうか。私も、いつか外すのかな。*


*第五段階ですから、外せます。いつ外すかは、あなたが決めることです。*


*まだいい。*と誠は言った。*今は、まだここにいたい。仮面の中に。*


*それで良いです。*


導師が中央にいた。黒い猫の仮面。白いローブ。


アデルを見た。


仮面のないアデルを見た。


言葉はなかった。しかし感覚が来た。


認める、という感覚だった。


アデルは、その感覚を静かに受け取った。


---


庭の端の川を見た。


今夜の川は、澄んでいた。


向こう岸に、誰かがいた。


透ではなかった。透は今はこちら側にいた。


別の誰かが、向こう岸に立っていた。


輪郭だけが見えた。細い人物だった。こちらを見ているようだった。


まだ仮面はない。まだローブもない。


しかし、見ていた。


川の向こうから、こちらを見ていた。


アデルは手を振った。


人影が、少し動いた。


---


店の扉を開けた。


黒と空色の看板が、十月の朝の光の中に立っていた。


今日も、ここから始まる。


---


### 菜摘


朝食の支度をしながら、菜摘は窓の外を見た。


水無瀬山が、十月の光の中に立っていた。


山の稜線が、少し赤みを帯びていた。紅葉が始まっていた。まだ全部ではなかった。しかし確実に、色が変わり始めていた。


台所でお湯を沸かした。


エデンズフィールのお茶の乾燥葉を、ポットに入れた。お湯を注いだ。空色の液体が広がった。


菜摘は今日のお茶を、二人分淹れた。自分とひかりの分。


誠の分は、淹れなかった。誠は今日は来ない日だった。


しかし誠が来る日は、三人分淹れた。誠はお茶は飲んだ。食事はほとんどしなかったが、お茶は飲んだ。そのお茶を、菜摘が淹れた。


その習慣が、いつの間にかできていた。


---


ひかりを起こした。


「おはよう」とひかりが言った。眠そうな顔だったが、起きた。


「お茶、淹れてあるよ」と菜摘は言った。


ひかりがリビングに来て、お茶を飲んだ。「美味しい」と言った。毎朝言った。菜摘も毎朝「そうね」と言った。


「今日、美月ちゃんと放課後、川沿い歩く約束したんだけど」とひかりが言った。


「気をつけてね」と菜摘は言った。


「うん。最近、川にまた魚が増えてきたって、美月ちゃんが言ってた。パパから聞いたって」


誠が教えたのかもしれなかった。あるいは松本さんが。


「そうなんだね」と菜摘は言った。


「見てみたい」とひかりは言った。「魚」


「見られるといいね」


ひかりが頷いて、お茶を飲み干した。


---


スーパーのパートは、今日は午後からだった。


午前中、菜摘はマンションの部屋で、デザインの仕事をした。


大阪を離れてから、ずっと止めていた仕事を、今月から再開していた。フリーランスで、小さな案件から始めていた。友人のデザイン事務所から仕事を紹介してもらった。水無瀬にいながら、データのやり取りだけで仕事ができた。


久しぶりのデザインの仕事は、最初は戸惑った。しかし手が動き始めると、以前と同じように動いた。体が覚えていた。


今日の仕事は、小さな店のロゴデザインだった。


パソコンの画面に向かいながら、菜摘は集中していた。


水無瀬に来てから、集中できる時間が長くなっていた。


誠のことを考える時間が減ったわけではなかった。しかし考えながら、別のことも同時にできるようになっていた。以前は、誠のことが頭の大部分を占めていて、別のことに集中できなかった。


今は、違った。


誠のことは、頭の中にあった。しかし場所を取りすぎていなかった。


---


午後のパートから戻って、商店街を通った。


エデンズフィールの前を通った。


今日は入らなかった。


週に二回来ていたが、毎日ではなかった。入る日と入らない日があった。入らない日も、前を通った。看板を見た。それだけで、少し落ち着いた。


店が、そこにある。


それだけで、十分な日があった。


---


夜、誠が来た。


今日は来ない日のはずだったが、来た。


「少し話せるか」と誠は言った。


「いいよ」と菜摘は言った。


二人でテーブルに向かい合って座った。


誠の外見は、また変わっていた。肌が、アデルの肌の色に近くなっていた。髪は完全に銀色だった。身長が、ドア枠を通る時に頭を下げるほどになっていた。眼鏡をかけた顔は、しかし誠の顔だった。


菜摘は誠の顔を見た。


誠の顔だった。


それが、今は体でわかった。


「学校で、生徒に川の話をした」と誠は言った。


「ひかりから聞いた」と菜摘は言った。「魚が増えてきたって」


「増えてきている。来月の調査でまた確認するけど」


「鷺沼さんが調べているんでしょ」と菜摘は言った。


「透くんが、よくやってくれている」


透のことは、菜摘もエデンズフィールで何度か見かけていた。名前は誠から聞いた。銀髪が増えて、目が金色になってきている若い男性。いつも窓際のテーブルで、静かにお茶を飲んでいた。


「あなたは」と菜摘は言った。「元気?」


誠は少し驚いた。菜摘が誠の体を心配する言い方で聞くのは、久しぶりだった。


「元気だ」と誠は言った。「疲れない。よく眠れる。学校の仕事も、以前より楽になった」


「そう」と菜摘は言った。「良かった」


良かった、と言えた。


以前は言えなかった言葉だった。誠が楽になったことを、素直に良かったと思えなかった。今は、言えた。


誠は菜摘を見た。「菜摘は?」


「元気よ」と菜摘は言った。「デザインの仕事、また始めた」


「聞いてた。ひかりから」


「細々とだけど」


「良かった」と誠は言った。


二人で、少しの間、黙っていた。


台所から、お茶の匂いがしていた。菜摘が昼間に淹れて、まだ少し残っていた。


「お茶、飲む?」と菜摘は言った。


「飲む」と誠は言った。


菜摘は台所に立って、お茶を温め直した。


二人分のカップに注いで、テーブルに持ってきた。


二人で向かい合って、お茶を飲んだ。


温かかった。


窓の外に、水無瀬山が見えた。


十月の夜の山は、暗く、静かだった。


誠が窓の外を見た。「山、紅葉し始めたな」


「そうね」と菜摘は言った。


「今年は、紅葉を見に行かないか。三人で」


菜摘は少し間を置いた。


「いいよ」と言った。


誠は少し笑った。


ひかりの部屋から、音楽が聞こえた。小さな音で、何かを聞いていた。


リビングに、二人でいた。


水無瀬の夜が、窓の外にあった。


それで、今夜は十分だった。


---


### 桐島


東京のアパートのデスクで、桐島は書いていた。


水無瀬から戻って、三週間が経っていた。


書いているのは、記事ではなかった。


本だった。


正確には、本になるかもしれないもの、だった。出版社に話を持ち込んでいなかった。売れるかどうかも、わからなかった。しかしとにかく、書いていた。


テーマは、人間とは何か、だった。


四ヶ月間、水無瀬で感じたことを書いていた。川のこと。山のこと。エデンズフィールのこと。庭師のこと。菜摘のこと。田中ふじ江のこと。アデルのこと。透のこと。


答えは出なかった。


しかし問いを持っていた。


その問いを書いていた。


---


デスクにLサイズのボトルがあった。


水無瀬を発つ前日に、アデルからもらったボトルだった。まだ残っていた。毎日少しずつ飲んでいた。


飲みながら、書いていた。


胃の痛みが、水無瀬にいる間から減っていた。東京に戻っても、続いていた。完全になくなったわけではなかったが、以前のように常にあるものではなくなっていた。


睡眠が、変わっていた。


眠れるようになっていた。以前は深夜まで起きていることが多かった。今は、十一時か十二時には眠れた。朝、目が覚めた時の体が、以前より軽かった。


---


スマートフォンに、通知が来た。


ウェブサイトのアクセス数の通知だった。


「水無瀬で起きていること」の記事が、また読まれていた。公開から一ヶ月以上経っても、読まれ続けていた。SNSで誰かがシェアするたびに、アクセスが増えた。


コメントが、毎日届いていた。


今日届いたコメントを読んだ。


*記事を読んで、エデンズフィールに行きました。美味しかったです。*


*川が澄んでいくという話が、印象に残っています。どこかで、そういう川を見たことがあった気がします。*


*人間は本来どういう存在なのか、考えさせられました。答えはわかりませんが、考えることをやめたくない。*


最後のコメントを、桐島はしばらく読んでいた。


答えはわかりませんが、考えることをやめたくない。


それで良かった。


答えを持っていなくても、考えていれば、見ている。見ていることは、始まりだ。


桐島はコメントを閉じて、書きかけの文章に戻った。


---


今日書いていたのは、川の章だった。


六月から九月まで、記録した川の変化を書いていた。


数字を並べた。透明度。BOD値。魚の種類。それらが、四ヶ月間でどう変わったか。


数字の後に、目で見た記録を書いた。


六月の川の色。七月の川の光の当たり方。八月の川底の石の見え方。九月の川が、夢の川に似てきた感覚。


書きながら、川沿いを歩いた時間のことを思った。


毎回、同じ場所で足を止めた。柵に手をかけた。川を見た。


見るたびに、少し変わっていた。


少しずつ変わっていくものを、毎日見ていた。それが、何かを変えた。


何を変えたのか、まだうまく言えなかった。しかし変わった。


---


夜、桐島は水無瀬に電話した。


菜摘のスマートフォンに、かけた。


「桐島さん」と菜摘が言った。「どうしたんですか」


「少し聞きたいことがあって」と桐島は言った。「川の最近の状態を、教えてもらえますか」


「川ですか」菜摘は少し間を置いた。「ひかりが言ってたんですが、魚が増えてきているらしくて。先週、川沿いを歩いた時、底の石が前より見えた気がしました」


「そうですか」と桐島は言った。「ありがとうございます」


「本を書いているんですか」


「書いています」


「川のことも書くんですか」


「書いています」と桐島は言った。「川が澄んでいくことを、書いています」


菜摘は少し間を置いてから、「良いと思います」と言った。「誰かに知ってもらえると、良いと思います」


「菜摘さんは、今どうですか」と桐島は聞いた。


「困惑しています」と菜摘は言った。「それでも、ここにいます」


「それが正確なところですね」と桐島は言った。


「そうです」と菜摘は言った。「あなたは、また来ますか。水無瀬に」


「来ます」と桐島は言った。今度は迷わなかった。「本が書き終わったら、また来ます」


「待っています」と菜摘は言った。


電話を切った。


桐島はデスクに向かった。


書いていた文章の続きを、書いた。


---


*彼らは地上を楽園に戻そうとしている。*


*私はその是非を、判断できなかった。*


*しかし、水無瀬の川が、今日も少し澄んでいることは、確かだ。*


*山に、緑が戻っていることは、確かだ。*


*そこに生きている人たちが、確かにいることは、確かだ。*


*楽園は、遠くにあるのかもしれない。*


*あるいは、もうここにあるのかもしれない。*


*あなたはどう思うか。*


---


書き終えて、桐島は椅子にもたれた。


窓の外に、東京の夜があった。


街灯が並んでいた。車が通っていた。ビルの明かりが、空を照らしていた。


水無瀬とは、全く違う夜だった。


しかし今夜の桐島には、水無瀬の川の音が、耳の中に残っていた。


水が流れる音。石の上を渡る音。


その音を、三週間経っても、覚えていた。


Lサイズのボトルを手に取った。


残りが、少なくなっていた。


飲んだ。


温かくて、涼しかった。甘くて、苦かった。


この味を、忘れないと思った。


---


水無瀬川は、今日も流れていた。


濁った川が澄んでいくのに、理由はない。


ただ、誰かが川のそばで静かに生きているだけだ。


楽園は、遠くにあるのかもしれない。


あるいは、もうここにあるのかもしれない。


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