最終話 不純異性交遊を、君と
(由奈Side)
海から帰宅した後、家族と一緒に夕飯を食べ、シャワーで一日の汗をしっかりと洗い流した。
それから部屋のベッドでひとり仰向けになると、私は何をするでもなく天井を見上げていた。
夏用シーツのひんやりとした感触が、海の火照りが残る身体を心地良く冷ましていく。
目を閉じると、今日起こった怒涛の出来事が、波のように次々と脳裏に浮かんでいった。
それにしても、彩音と的場君が付き合うことになったのには本当にビックリしたな……。
いつも私のことを大切に想ってくれる彩音が、幸せそうに笑っていた姿は、まるで自分の事のように嬉しかった。
……そして、岩陰で学人と交わしたキス。
深くて、濃くて、熱くて――今までにないほどに濃密な時間だったと思う。
そっと自分の唇に触れると、昼間のあの感覚が蘇るかのようだった。
(学人と、もっとたくさんキスしたいな……)
そんな雑念に駆られていた時、枕元に置いていたスマホが、ピコンと短く震えた。
慌てて手を伸ばして画面を点けると、そこにはいつもの名前が表示されていた。
学人『そろそろ補給しとく?』
いつもの短いメッセージ。私は少しだけ震える指先で、返信を打ち込んだ。
由奈『お願い』
スマホを閉じると、私はベッドから起き上がった。
ドレッサーの鏡で、前髪を少しだけ整えて。それから愛用のリップを薄く塗る。一か月前に買ったそれは、間もなく使い切ってしまいそうだった。
バルコニーに出ると、ちょうど学人が窓を開けてこちらにやって来るところだった。
軽やかなジャンプで、学人がこちらに飛び移って来る。
上手く言葉が出てこない。それは学人も同じらしかった。お互いに目を逸らさず、ただ無言で見つめ合った。
それから私たちは、互いに引き合う磁石のように同時に一歩を踏み出して、唇を重ねた。
昼間の海での、貪り合うようなそれとは違う、穏やかで甘いキス。
(学人、好き……)
心の中で、学人への想いが花火のように弾けては残響した。
学人の手が、私の頬に触れた。骨ばった指先の感覚。
その手に、私は自分の手を重ねた。
(好き、大好き……)
もっと、もっと触れたい。
体温も、匂いも、唾液も、呼気も、全て私が独り占めしたい。誰もこの人に触れてほしくないと、本気で思う。
酸素を求めて学人が一瞬身体を引いた。ダメ、逃げちゃいやだ。
(キス、もっと)
気付けば私は学人の身体を抱きしめていた。まるで逃がさないとするかのように。
そしてまた再び、唇を重ねる。
甘かったキスは、お互いの唾液を交換しあう内に、次第に熱と深さを増していった。
――
――――
ようやく静かに唇が離れ、私たちは呼吸を整えながら見つめ合った。
「……じゃあ、そろそろ戻るな」
学人が恥ずかしそうに視線を逸らし、自分の部屋へ戻ろうと背を向けた。
すると頭で考えるより早く、私の口から言葉が出ていた。
「行かないで」
伸ばした指先が、学人の服の袖をぎゅっと掴む。
振り返った学人。私は彼の顔を直視出来ず、俯きがちに呟いた。
「……もうちょっとだけ、話そ?」
「あ、ああ……いいぞ」
それから、私たちはバルコニーの柵に背を預けた。夜空を見上げながら、これまでの数ヶ月をゆっくりと振り返った。
「ねえ学人。入学式の日の夜、覚えてる?」
「忘れるわけない。由奈のお母さんから『今すぐ由奈にキスして』って言われた時は、頭真っ白になったな」
「私もその日ママからいきなりサキュバスの事を打ち明けられて、生きた心地がしなかったよ」
それから始まった、命を繋ぐためのキス。
今では半ば当たり前のようになっている営みも、最初は相手の舌を噛んだりして大変だったな。
「美乃梨ちゃんにバレちゃった時は、心臓が止まるかと思ったよね……」
「あの時は冷や汗かいたな。まあ美乃梨も応援する側に立ってくれたのは嬉しかったけど」
楽しそうに語り合いながらも胸の奥では、ふと苦い記憶がかすめる。
「……一時期、私すごく落ち込んで、学人に迷惑かけちゃったよね。サキュバスの体質のせいで自分が嫌になって……学人を巻き込んでるのが申し訳なくて、自分勝手に距離を置こうとして」
自分が化け物のように思えて、激しい自己嫌悪を募らせていた日々。
けれど学人はそんな私の醜い部分も、弱さも、逃げずに全て受け止めてくれた。
「あの時、学人が優しい言葉を掛けてくれたこと、嬉しかったよ」
「気にするな、っていうのもなんか違うよな。まあ、えっと、これからも俺を沢山頼ってくれ」
「うん……、ありがとう、学人」
そこで、プツリと会話が途切れた。
夏の夜風が私の髪を揺らす。
静寂の中で、学人の顔をじっと見つめた。
「私、学人のことが好き。」
無意識の内に、そんな言葉が出てしまった。
精気を必要とするサキュバスとしてではなく、一人の幼馴染として。
私は、ずっと募らせていた想いを学人に伝えた。
息を呑む学人の喉の音まで聞こえる程、辺りは静寂に包まれた。
目線が下がる。学人の顔が見れない。どんな風に私の言葉を受け取ったか気になる。やっぱり言わなきゃよかったかな……少しだけ後悔する。
どれだけの時間が経ったか見当もつかない。すると、学人が私の手を握って、こう言った。
「俺も、由奈が好きだ」
私は咄嗟に顔を上げた。目の前では、学人が今までにないほど真剣な目をしていた。
「……え」
我ながら、間抜けな声が漏れてしまった。
私が上手く言葉を継げずにいると、学人が続けた。
「サキュバスの体質の事とか、そういうの抜きにして。男として、由奈のことが大好きだ」
真っ直ぐで、誤魔化しのない瞳。
ずっと片想いだと思っていた。けれど、学人もまた私のことを想ってくれていた。
けれど学人は気まずそうに目線を落とす。
「……でも、ごめん。今すぐ付き合うとかは、できない」
「……え?」
「聞いてくれ。付き合いたくないとか、そういうのじゃない。ただ俺……高校生の間は男女交際しないって決めてるんだ」
「……そう、なの?」
「ああ。勉強とか将来のこともちゃんとしたい。……何より、勢いで付き合うような中途半端な真似は、由奈には絶対にしたくないんだ」
どこまでも真面目な、学人らしい理由。
でも、私のことを本気で考えてくれているからこその言葉なのだという事は、十分に伝わった。
「……そっか。学人らしいね」
「申し訳ない……。勝手な主義に巻き込んで」
「ううん、謝らないで。学人がそれだけ真剣に考えてくれてるってことだもん」
微笑みながらそう言うと、学人は私の手を少し強く握り直した。
「……高校を卒業したら、今度は俺から由奈に告白する。だからその時は、結婚前提に俺と真剣に交際してくれ」
真剣な目で差し出された、未来の約束。
今すぐ恋人になれない寂しさも多少はあるけれど、そんなの私たちにとって些細な問題だろう。
「……それまで、誰の物にもならないでくれ、由奈」
「なる訳ないよ。学人こそ他の女の子に目移りしちゃダメだからね?」
「ああ、もちろんだ」
「……ふふっ。これから先もずっと、私は学人だけが大好きだよ」
――私たちの複雑な関係は、この先もまだ続く。
けれど私たちの心は、既に未来の約束でしっかりと結ばれていた。
「ねえ。もう一回だけ、キスして?」
学人は困ったように笑って、それから私の手を引いた。
今度は補給のためじゃない、不純異性交遊を。
おわり




