第三話:尾張ブランド爆誕 ~第六天魔王の経済戦争~
「近衛、お前は本当に自衛官か? どこぞの悪徳商人の間違いじゃないだろうな」
清洲城の一角に新設された『織田家開発奉行所』の作業場。三宅輝は、手にした透明な円柱状の物体を光にかざしながら、心底あきれた声を漏らした。
「失礼ですね三宅班長! 戦争とは物流であり、物流とはすなわち『資金力』です! サン・ツィ(孫子)もクラウゼヴィッツも言っています、遠征戦の継続性は補給線の維持と国家の財政基盤に依存すると! 兵を肥やしたら次は軍資金! 金がなければ銃弾一発、兵糧一升買えやしません!」
近衛聡子は、白衣代わりに前掛けを締め、大鍋の中でぐつぐつと煮立つ油とアルカリ液の混合物を竹べらで激しくかき混ぜていた。
「それに、今回のプロジェクトは安藤二曹の専門分野でもありますからね!」
「はい! 現代の医療衛生の基本は『手洗い・洗顔・清潔』です!」
安藤一馬が目を輝かせながら、隣で秤を使って薬草や花弁の抽出油を精密に計測している。
「戦国時代の日本には、まだ全身を清潔に洗う『石鹸』が存在しません。あるのは米ぬかや灰汁程度。当然、皮脂や汚れは落ちにくく、皮膚病や感染症の原因になります。そして何より……人間の『綺麗になりたい』『良い匂いをさせたい』という欲求は、時代を超えた絶対の需要なんです!」
そう、自衛官三人衆が「食糧改革」の次に着手したのは、圧倒的な兵器量産と軍の維持費を叩き出すための「超高付加価値商品の開発と尾張ブランド化」であった。
◆
数日後、清洲城の大広間。
信長の前には、三人が精魂込めて作り上げた試作品が恭しく並べられていた。
一つは、滑らかな手触りと透明感を持ち、ほのかに梅と白檀の香りが漂う固形物——『尾張純白石鹸』。
もう一つは、ツバキ油にハーブとローズマリーの抽出液を配合し、肌に塗ると吸い付くように馴染む最高級の保湿美容液——『美肌の滴』。
さらに、蚌(ドブ貝)の貝殻を削った粉末と天然の鉱物を微粒子化し、肌のくすみを一瞬で消し去る超微粒子おしろい——『尾張極光粉』。
「……なんだ、この妙な塊と油は?」
信長は胡乱な目でそれらを凝視した。
「信長様、まずは論より証拠です。その手をお出しください」
聡子が水入れと桶を用意し、信長の手を取った。信長の手には、連日の馬の世話や武具の手入れでついた頑固な油汚れと泥がへばりついている。
聡子は『尾張純白石鹸』に少量の水をつけ、信長の手のひらで泡立てた。
「な……!?」
信長と、周囲で見守っていた濃姫(帰蝶)が同時に目を見張った。
手の上で、白くきめ細やかな泡がモコモコと湧き上がったのだ。立ち上る爽やかな梅と白檀の香り。聡子がその泡で信長の手を優しく洗い、水で流すと——。
「おお……! 汚れが一瞬で落ちた! それどころか、肌が白く滑らかになり、良い香りが残っておる!」
信長は自分の手のひらを何度も裏返し、鼻を近づけて香りを確かめた。
「さらに信長様、こちらを」
今度は安藤が濃姫の前に進み出た。
「濃姫様、お顔やお手に、この『美肌の滴』を数滴馴染ませてみてください。そして、その上にこの『尾張極光粉』を薄く伸ばしてください」
濃姫は興味津々といった様子で、安藤から渡されたガラス小瓶の油を手に取り、頬に薄く伸ばした。次いで、刷毛で白い粉をすっと肌に乗せる。
従来の鉛を含んだ重苦しいおしろいとはまるで違う。軽やかで、まるで素肌そのものが発光しているかのような、透明感のある艶やかな美肌が一瞬で完成した。
侍女たちが「きゃあっ!」と悲鳴のような歓声を上げた。
「これ……まあ! 鏡をご覧くださいませ、方様! まるで水仙の花のように美しく……!」
「肌にしっとりと吸い付き、全く重くありませぬ!」
濃姫自身も、手鏡を覗き込んで息を飲んだ。女性としての本能が、この商品の恐ろしいまでの魅力を即座に理解したのだ。
「上様……これは、凄まじい代物です。京の公家や大名の奥方様方に見せれば、いくら金を積んででも欲しがるでしょう。いいえ、買わずにいられる女など、この本朝(日本)におりませぬ」
濃姫の言葉に、信長の目がギラリと光った。
「近衛……! これらはどうやって作った? 原料は高いのか!?」
聡子は不敵な笑みを浮かべた。
「いいえ、信長様! 原料は極めて安価です! 石鹸の主原料は、先日の豚の飼育で大量に出る『豚の脂』と、木灰から抽出した『灰汁(アルカリ液)』、そして塩! これらを適切な温度で熱し、鹸化させるだけです! 美容液やおしろいも、尾張の野山で採れるツバキや薬草、一般的な貝殻や鉱物を、私たちの持つ『粉砕・ろ過技術』で加工しただけに過ぎません!」
「原価はタダ同然……! それを、京の公家や豪商に金貨と引き換えで売りつけるというのか!」
「それだけではありません!」
聡子は一歩前に出ると、大きな日本地図を床に広げた。
「信長様、これをただの『物売り』で終わらせては戦略的価値が半減します。私たちが狙うのは『尾張ブランディングによる経済覇権の確立』です!」
◆
聡子は地図の尾張と京都、そして堺(大阪)を指でなぞった。
「第一段階! この石鹸や化粧品は、まず『織田家限定・極上高級品』としてブランディングします! 容器には織田家の家紋『木瓜紋』を刻印した美麗な漆器を用い、数量を限定して超高額で販売します! 顧客ターゲットは京都の朝廷、公家、そして全国の大名の正室・側室です!」
「女どもの欲望を突くか……!」
「はい! 女のクチコミと虚栄心は、どんな飛脚よりも速く全国へ伝波します! 『織田様の尾張から取り寄せた化粧品を使っていなければ、一流の女ではない』という空気を作り出すのです! これにより、全国の大名家から莫大な金銀が、黙っていても尾張へ流れ込んできます!」
安藤が続いて説明を加える。
「そして第二段階! 廉価版(一般向け)の『洗顔・洗濯石鹸』を大量生産し、尾張の庶民や兵士に普及させます! これにより尾張全土の衛生環境が飛躍的に改善し、病死率が激減します。健康な領民が増えれば、税収(年貢)が増え、強力な兵が育ちます!」
「さらに第三段階です」
三宅が冷徹な声で付け加えた。
「信長様、この『尾張ブランド』の販売権を握ることで、堺や博多の豪商たちを織田家の経済圏に完全に組み込みます。『織田家に協力しなければ、この爆発的に売れるTail(尾張)製品の取り扱いを許さない』と脅す……失礼、交渉するのです。これにより、兵を動かさずに豪商たちを屈服させられます」
信長は全身の血が激しく沸き立つのを感じていた。
武力で敵を討つのではない。
欲望と、美と、衛生という『目に見えぬ力』で日本全国を経済的に包囲し、ひれ伏させる。
「素晴らしい……! 素晴らしいぞ自衛官ども!!」
信長は大広間の床をバシッと叩いて立ち上がった。
「戦をせずして敵から金を奪い、我が領土を富ませる! 経済の仕組みそのものを兵器に変えるか! 権六! 長秀!」
「ハハッ!」
「城下に巨大な『製造作業場』を作れ! 尾張中の女子供、職人を集めよ! 原料のツバキや薬草を買いあされ! 尾張を……日本一の富国に仕立て上げるのだ!」
◆
信長の号令のもと、尾張の「経済大革新」が始まった。
清洲城下に建設された巨大な作業場では、蒸気が立ち上り、何百人もの職人や町人が規則正しく石鹸や化粧品の製造に従事していた。
三宅はここでもレンジャー仕込みの「効率的動線設計(ライン生産方式)」を導入。
原料の搬入、加熱、ろ過、成形、梱包までの工程を分業化し、作業効率を従来の十倍以上に引き上げた。
「おい、そこ! 温度管理を怠るな! アルカリ液の濃度がズレたら石鹸が固まらなくなるぞ!」
「梱包班! 漆箱に木瓜紋の刻印が綺麗に入っているか確認しろ! 傷一つでもあればブランド価値が落ちる!」
三宅の厳しい怒号が飛ぶ。町人たちは「三宅様の言う通りにやると、驚くほど早く綺麗な品ができる」と、感心しながら作業に励んだ。
安藤は製品の品質管理(Q.C.)と安全性のテストを徹底した。
「肌に直接触れるものですから、刺激が強すぎてはダメです。パッチテスト(皮膚アレルギー試験)を繰り返し、敏感肌の方でも安心して使える処方にします!」
そして聡子は、現代のマーケティング手法を惜しみなく投入した。
「良いですか信長様! 今一番必要なのは『インフルエンサー・マーケティング』です!」
「いんふれんさあ……?」
「現代でいう『影響力のある有名人』に試供品を配り、SNS……じゃなくて、口コミで宣伝してもらうのです! ターゲットは……朝廷の頂点、公家トップの奥方様、そして京で一番人気の芸妓たちです!」
◆
数週間後、京都。
聡子の戦略は、京の都に前代未聞の狂乱を巻き起こしていた。
「見てご覧なされ、あの公家様のお顔を! お肌がまるでミカン(蜜柑)の皮から玉子のようにツルツルになっておられるぞ!」
「尾張の織田様が売り出した『純白石鹸』と『美肌の滴』というものらしい!」
「京の芸妓たちが皆、こぞって使っているそうだ! あの化粧品を使わねば、宴の席に呼ばれぬとまで言われておる!」
噂は瞬く間に宮中へ広がり、公家や裕福な公家、豪商の妻たちが清洲城に殺到した。
「織田様! どうか……どうか我が家にも『尾張極光粉』を分けてくだされ! 金ならいくらでも払いまする!」
「一箱で金貨十枚!? 構わぬ、買おう! 妻に買って帰らねば家にいられぬのだ!」
尾張ブランドの製品は、信じられない高値で飛ぶように売れた。
原価数文の石鹸が、金貨(小判)数枚に化ける。まさに「泥を金に変える」錬金術であった。
◆
それから半年後。
清洲城の勘定方(財務部門)の部屋で、重臣の丹羽長秀が震える手で大福帳(決算書)をめくっていた。
「……う、嘘だろ……。こんな金額、見たことがない……」
「長秀、どうした?」
信長が部屋に入ってきた。長秀は青ざめた顔で信長を見上げた。
「上様……! 尾張ブランドの売上により、我が織田家の財政収入が……従来の『八倍』に跳ね上がっております! わずか半年で、他国の大名が一生かかっても集められぬほどの金銀財宝が、清洲城の金蔵に積み上がっております!」
「八倍……だと……!?」
さすがの信長も絶句した。
銭がある。膨大な銭があるのだ。
これだけの資金があれば、南蛮から高価な種子島(鉄砲)を千本単位で爆買いできる。硝石も、鉛も、良質な馬も、輸入し放題だ。
さらに、金を払って「常備軍(専業の兵士)」を大量に雇うことができる。農繁期(田植えや稲刈り)に関係なく、年中いつでも動かせる最強のプロ兵士集団を結成できるのだ。
「ハ……ハハハ! ハハハハハハハハッ!!」
信長の大笑いが金蔵に響き渡った。
「すごい……凄すぎるぞ近衛! 安藤! 三宅! 貴様らは本当に、余に『打ち出の小槌』を与えてくれた!」
信長は興奮冷めやらぬ様子で、三人に向き直った。
「金はある! 飯もある! 兵も太った!……近衛、次は何だ!? 貴様が言っていた『近代化機械化歩兵』とやらの構築に、この金をすべてぶち込むぞ!」
◆
聡子はゆっくりと口元を歪め、サバイバルナイフの柄を弄んだ。
「待っていました、信長様。資金調達は完了しました。ならば……いよいよ我が軍の『火力改革』に着手します」
「火力改革か! 鉄砲を買い集めるのだな!?」
「いいえ、ただ買い集めるだけではありません」
聡子はニヤリと笑った。
「当時の火縄銃は、雨が降れば使えず、再装填に一分以上かかり、射程も短い……欠陥だらけの兵器です。私たちが作るのは、雨でも撃てる『火打石式』、あるいは『雷管式』の改良型小銃。そして……兵士全員に配備する『近代的な大規模陣地・野戦築城戦術』です!」
三宅が小銃の弾倉を叩きながら言った。
「信長様。金に物を言わせて、織田軍の全兵士に『防弾プレート付きの軽量アーマー』と『工兵シャベル』を配備します。穴を掘り、陣地を築き、アウトレンジ(敵の射程外)から一方的に鉄砲を叩き込む。……武田の騎兵隊だろうが、上杉の精鋭だろうが、近づくことすらできずに全滅させます」
安藤も微笑みながら恐ろしいことを言った。
「衛生隊の編制も同時に行います。戦場で負傷した兵士を即座に回収し、野外手術と抗生剤(赤味噌やアオカビから抽出した簡易ペニシリン)で生存率を90%以上に引き上げます。死なない兵士、倒れない軍隊の完成です」
信長はぞくぞくと全身に鳥肌が立つのを感じた。
「飯で胃袋を掴み、化粧品で金を奪い、近代兵器と衛生で戦場を支配する……。これが……これが『未来の戦争』か……!」
信長は天守の窓から、広大な尾張の平野を見下ろした。
すでに清洲城の周囲には、豊富な資金で雇われた数千の常備兵が、三宅のスパルタ指導のもとで「近代歩兵の基本教練(集団行動と高速連続射撃)」の訓練を行っている。
規則正しい足音、揃った掛け声、そして凄まじい熱気。
「聞こえるか、近衛」
「ハッ」
「美濃の斎藤が、今川義元が、武田信玄が……古くさい戦に固執している間に、我が軍は神の領域へ足を踏み入れた。……行くぞ。まずは美濃を呑み込み、そのまま京へ上る!」
「了解! 織田家近代化電撃作戦、発動です!」
金が戦を動かし、科学が歴史を塗り替える。
自衛官三人衆の手によって完全に変貌を遂げた織田軍が、ついに「天下布武」への本格的な侵攻を開始しようとしていた。




