エピローグ 薬草姫のお庭番
花の香りが漂う門の付近で、私は元気になったおじいちゃんから受け取った手紙を取り出した。
封蝋と署名はいつも通り国王──私の兄からのものだ。端を破って中身を取り出せば、そこには普段と変わらないテンションの高い文面がつづられていた。
《俺の可愛いアイスリディア、センシアへ》
(アイスリディアとはポーションに使われる薬草の一種だ。兄が私を薬草の花に例えるのはいつものことだった)
《首輪の魔力が外れたのが伝わったよ。マイルズは無事にオデットヴァイオレットを五十輪咲かせたのか。おめでとう!多分そこで引き続き暮らしていくんだろう?生活必需品は今後も変わらず二人分届けさせるように手配するよ》
(話が早すぎる。今日の返事で伝えようとしていたのに全てお見通しだなんて。あとで手紙の中身を書き換えないと)
《まあギルバートはマイルズが自由の身になったって聞いて不服そうだったけどな。そこは俺が抑えておくから平気平気》
(本当に平気なのだろうか……というかこれ。やっぱり、あの夜はわざと私にあの話を聞かせたのね)
「おい姫さん、何読んでんだ?」
背後から声が聞こえたかと思えば、肩越しにマイルズが覗き込んできた。
「マイルズ。なにって兄さんからの手紙よ。首輪が外れたこととかもう伝わってるみたいよ」
手紙を差し出せば、マイルズはしかめ面をしながら読み進める。……そんな顔をするんだったらわざわざ読まなくてもいいのに。
呆れつつ見守っていれば、「はぁ!?」と大きな声が耳元で響いて私は慌てて耳を塞いだ。
「ちょっとマイルズ!人の耳元で大声出さないでよ」
「わ、悪い。……じゃねえ!あんたこの手紙全部読んでその冷静さなのか!?」
「え。ギルバートの件?まああの人が不服そうにするのはしょうがないかなって……」
「いやそこじゃねえよ!その先だ!」
彼が指差すのに従い視線を再び手紙へ落とせば、そこには想像だにしないことが書いてあった。
《ああ。それと前からセンシアに頼まれてたエンビリオスの種だけど、ようやく取り寄せができそうだ。ただ、その交換条件にディスフィールの育成と品種改良を頼まれてさ》
記されていた吉報に歓声を上げかけた喉は、続く文面にひゅっと音を立てて固まった。
《前に見た図鑑にあっただろ?あの近づく人間を無作為に捕食しようとする植物。あれを人に対して無害にしてほしいって要望でさ。エンビリオスの種と一緒に育ててくれよ。マイルズもいるし何とかなるだろ?よろしく!》
「はぁあ!?」
思わずぐしゃりと紙を握りつぶす。なんて無茶振りをしてくるのだ、あの兄は。
思わず振り返ればマイルズも私に負けず劣らず表情を歪めきっていた。
「ほんっとあのくそ野郎……嫌がらせの天才かよ」
「否定はしないけどこれについては悪気はないと思うのよね……。多分、きっと」
人間不思議なことに、自分よりも怒りを露わにしている人を見ると怒りがおさまるものだ。私も例に漏れず、まあまあと軽くマイルズを宥める余裕すら生まれてしまった。
「あんたが世話するのが嫌だったら普通に私がやるわよ。対策なら前に図鑑でも読んだことがあるし──」
「バカ言うな。あんたに万が一でも怪我させるようなことをやらせるわけがないだろうが」
被せられた声につづけようとした言葉が止まる。
マイルズは忌々しそうに吐き捨てると、ぐしゃりと握りつぶされた手紙の上から私の手を包み込むように握りしめた。
──あたたかい。
以前のような首輪はないのに、彼のこの暖かさは変わらない。髪を整えてくれるクリームの柔らかな感触も、何かあった時に支えてくれる大きな手も。自由になった彼が、自分の意思で私に触れてくれているのだと実感して、途端に胸の奥がくすぐったくなった。
「……ディスフィールだったか。その危険な薬草の世話は、俺がやる」
「え? でもマイルズ、さっき嫌がらせだって……」
「代わりに条件だ」
まばたきをする私を、マイルズは真剣な瞳で見つめ返してくる。
「今度近くの街に行くぞ。二人でだ」
「……街に?」
「……別に街じゃなくともいいがな。前に外の景色を見て綺麗だって言ってたろ。俺が隣にいればあんたを守ってやれるんだ。物わかりのいい引きこもりのお姫様なんてやめちまえ。あんたがいきたい場所に俺が連れて行ってやるよ」
不器用に、けれどまっすぐに告げられた言葉に、私の心臓がドクンと大きく跳ね上がった。これは恐怖や不安が理由じゃない。もっと暖かいものだった。
「ふふ。……そうね、久しぶりに街で買い物を楽しむのも悪くはないかも」
「だろ?買い物をするってんなら荷物持ちくらい付き合ってやりますよ?お姫様」
わざとらしい言い回しとウインクに思わず唇を尖らせてみせる。
「その言い方はやめてよ。……でも、そうね。ついでに包帯の買い置きも増やしておきましょ。もしディスフィールに怪我させられたら、私がちゃんと治療してあげる」
「はいはい、それは心強いことで」
ニッと不敵に笑う彼の顔を見て、私も自然と笑みがこぼれた。
──四つの気候を再現し、魔力に満ちた薬草園。
かつて人々は、城に居着かずこの園に籠もる私のことを、敬意と侮蔑を込めて『薬草姫のお庭番』と呼んでいた。
けれど、今は違う。
(私の本当の『お庭番』は──)
満開のオデットヴァイオレットが甘い香りを降らせる中、私は隣で眩しそうに空を見上げる彼の手を、もう一度強く握り直した。
──この薬草園と私をずっと守り続けてくれる、あなたなのだから。




