72話目
72話目です
誤字・脱字があったら申し訳ありません
シルバレード・ゼア・リーネス。
才能ある者だけを集めた『クラス・コルファ』に所属する彼女が、ネカスの寮の玄関で花のような静けさを纏って佇んでいた。
彼女はただずっと口を閉ざしたまま、開け放たれた扉の内と外を切り分ける敷居を、銀色の瞳で睨んでいた。
「シ、シルバレードさんです…!」
玄関の異質な空気が届いたのか、共用スペースから遅れてワッフルとクーシルが現れる。
いるとは思っていなかったシルバレードに二人共目を丸くさせ、クーシルが俺に駆け寄ってくる。
「ど、ど、どういうこと?なんで?なんで、シルバレードいるの?」
「いや、俺も…」
分からないとそう言おうとした時、佇んでいたシルバレードの足が一歩動こうとする。
彼女の瞳は玄関の敷居を睨み続けていて、それを越える事に何か憎しみさえ感じているように見える。
重く持ち上がった足をすぐに元の位置に下げてしまったシルバレードはため息のついでのように息を吸うと、また足を上げ、ようやくそこで玄関の敷居を踏み越えた。
「シルバレード…さん?」
状況に困惑し、閉められた玄関の扉の脇で動けないままだったミミコ先生が、土間に入って苦しげな表情を更に強めたシルバレードに一歩近付く。
恐る恐るで話し掛けたミミコ先生に銀色の瞳は不機嫌そうな眼差しを向けたが、開いたつややかな唇は丁寧さを保って言葉を発した。
「用事があって来ました。……部屋って空いてますか?」
「部屋…?あ、お部屋?えっと、空いてる部屋ってこと?」
「はい」
「それなら全然……すごいあるけど…」
先生の視線が、女子の部屋が並ぶ二階へと運ばれる。
「借りても良いですか?一部屋」
「か、借りる…?」
混乱しているのか、若干言葉の飲み込みが遅いミミコ先生よりも先に意味を理解して、しかし信じきれずに訊き返す。
「…泊まる気か?ネカスに?」
「えっ…!あっ、泊まるの!?シルバレードさん!?」
「…良いのでしたら」
ミミコ先生の過剰な反応が嫌なのか、単純に疲れているのか、シルバレードは力無い声でそう返す。
「な、なんでだろね…?」
ネカスに来た目的を聞いて、傍にいたクーシルが俺に肩をとんと弱く当ててくる。
「分からない…。だが、荷物もあるしな…」
「一日だけって感じじゃないよね…?」
執事が置いていった荷物は、泊まる為の服や日用品を詰めた物なのだろう。
大きいサイズが二つある事からして、クーシルが言うように一泊だけとは思えない。
何故ネカスに泊まろうとするのか理由は分からないが、泊まる事自体の問題はそう多くない。
ベットや椅子など基本的な家具については、ネカスの寮は備え付けで用意されている。
実際俺も準備に時間を掛ける事なく、ネカスでの生活は始められている。
残すところの問題はこの不可思議な状況でミミコ先生が了承するのか、それだけだった。
先生は履いていた外用の靴を脱ぐと、廊下に上がってスリッパへ履き替える。
そして、シルバレードに向き直った。
「泊まるのは、大丈夫なんだけど…」
「いいんですか!せんせー!」
嬉しそうに口を開けたワッフルにミミコ先生は「うん」と頭を縦に振るが、そこから言葉を続かせる。
「…だけど一回、どうして泊まるのかのお話は訊かせてもらってもいいかな?シルバレードさんの担任の先生にも、話さないといけなくなるかもしれないんだけど…」
「…構いません」
例え立場の強い貴族であれ、いやむしろ貴族であるからこそ、寮を抜けての外泊は慎重にならなくてはならない。
コルファの担任にも話が行くという先生からの忠告に、シルバレードはそれでもいいと浅く一度頷く。
裏を返せばそれは、今回のネカスでの外泊の件については、コルファの担任にも話さずに決めた無断の行動ということらしい。
靴を脱いだシルバレードは、先生が前に置いた予備のスリッパに足を通した。
「じゃあせんせー、もうこれ、先運んじゃっていい?」
泊まる事が決まったならと、シルバレードの執事が運び込んだ鞄を、クーシルとレグがそれぞれ一つずつ両手で持ち上げる。
「うん、おねがい」
「掃除もしてきますね。すごいピカピカにしておきます!」
「結構あんな…」
見た目以上の重さなのか、クーシルとレグは鞄に身体を揺さぶられながら、ワッフルの先導で階段へ歩いていく。
「クーシル、俺が持つ」
「あ、良い?えへー、ありがと」
「君は持たないで」
ふらふらと歩くクーシルから荷物を受け取ろうと駆け寄った俺の背を、シルバレードの嫌悪に満ちた声が刺してくる。
「…そうか、悪かった」
彼女の瞳に込められた俺への冷たい拒絶。
初めて見たものではない、昔からあったものだ。俺と彼女の関係を考えていなかった。
何も掴めずに終わった俺の腕だったが、伸びてきたミミコ先生の手が、代わりに焦った様子でがしっとわし掴んできた。
「ラ、ランケくんはこっち!わ、私一人だと緊張しちゃうから!お、おねがいっ!おねがいっ!ありがとっ!!」
先生の熱いとも言えるような高い体温の手が、捕まえた俺の腕を共用スペースまで、半ば道連れの勢いでずるずると引っ張っていく。
ミミコ先生と俺のその一歩後ろを付いてきていたシルバレードは、どんな音にも消されてしまいそうなぐらい、小さな足音をひっそりと立てていた。
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ばたばたと上から降ってくる、三人の足音と掃除の音。
キッチンで先生が紅茶を用意し、俺が使わなくなったプレートにポットと三つのカップを載せて運んでくる。
ベリーのような赤い色味が、カップに湯気を立ててそれぞれ均等に注がれていく。
「…はっ!」
客人用の紅茶のカップをまずはシルバレードの前に置こうとした先生だったが、俺の前にすーっと不自然な動きでスライドしてくる。
シルバレードが紅茶を飲まずに帰ったのも、思い返せばかなり前の話。
俺もここまで用意したのを見届けてから思い出した。
自分の前を立ち寄りながら他へと運ばれていった紅茶を見て、シルバレードが不思議そうに口を開けた。
「それ、僕のじゃないんですか」
「えっ!あっ…の、飲む?」
「…飲みますけど」
それならとミミコ先生がゆっくり恐る恐る運ぶと、彼女は軽く頭を下げて紅茶を受け取る。
静かな所作でカップの持ち手に指を通し、赤い表面に写る自分を少しだけ眺めた後、そっと一口、喉に進ませた。
「飲んでくれてる…!」
自分の紅茶を味わう彼女の姿に感動の吐息を漏らしながら、ミミコ先生は残り二つのカップを配る。
シルバレードが座った席の前に自分のカップを一つ置き、その隣の俺にもう一つ。
用意を済ませて席に座ったミミコ先生はぴしっと居住まいを正す。
そして、緊張を抑えるような深呼吸を一つしてから、カップを戻したシルバレードと向き合った。
「じゃ、じゃあえっと、まず、どうしてネカスに泊まるのか、教えてもらっても大丈夫かな?」
「問題があったからです」
「も、問題…?」
丁寧な受け答えではあるものの、正確な情報の無い輪郭だけの内容に、ミミコ先生がこてんと首を傾ける。
こちらに流れてくる、どういう事なんだろうという視線。
俺からも少し言葉を変えて質問をしてみる。
「個人的な事なのか?」
「話したくない」
シルバレードはきっぱりと拒否の言葉を口にして、銀色の髪と共にふいっと真横を向く。
具体的な内容に関しては端でさえも明かす気はないらしい。
譲りたくないという意思が、放たれた声の冷たさに酷く滲んでいた。
つまるところ、相応の事情はやはりあるのだろう。
しかしその部分に関してこれ以上追求するというのは、彼女の様子からして厳しい。
その意を込めた視線を送ると、先生は質問を変えた。
「どれぐらい泊まるかは決めてあるのかな?荷物、たくさん持ってきてたよね」
「決めてません」
「えっ」
「決めて…ない?」
「問題が落ち着くまで、泊まる事になると思います」
明確な解決の兆しが見えていない問題…。
貴族寮という手間も面倒もなく住める場所から出てきて、ネカスの寮にまで来たのだ。
どんな問題なのだろうかと頭を巡らすが、具体的な情報が無ければ予想など立てられない。
先生も呆気に取られていたが、意識を戻して質問を続ける。
「えっと、でも、コルファをやめた…とかではないんだよね?これからネカスに入るとか…」
「所属はコルファです。…ネカスに入るなんて」
嘘を感じさせない、素直とも言えてしまうような本音を、シルバレードが部屋の片隅に小さくこぼす。
「授業はどうするの?ここから通う事になるよね?」
「…しばらく出るつもりはありません」
「えっ」
シルバレードの返事はどれも予想外ばかり。
先生も度々口を呆けさせて固まり、眉を困らせた顔で俺を見てくる。
コルファの授業を休んでネカスの寮に泊まる…。
そして泊まる期間は、話してくれない『問題』というのが落ち着くまで。
「…どういう事だ」
話が全く見えてこない。
シルバレードの意図に先生と悩まされていると、共用スペースの扉がガラガラと横に開けられた。
「せんせー、掃除終わりましたよ。荷物もとりあえず、部屋のど真ん中置いときました」
伝達役を任されたのか、レグが一人で共用スペースに入ってくる。
「あっ、ありがとね、レグ。…じゃあまぁ、とりあえず、お部屋案内しよっか?もう話すこと、ないもんね?」
具体的な事情は何も分からないままだったが、シルバレードの宿泊という結論を特に考え直すつもりはないようで、席を立った先生は俺に確認の顔を向けてくる。
「実地訓練はどうする?」
「あ、そうだったね!」
実地訓練で俺達が出掛けている間、シルバレードはどうするのか。
それを思い出した先生はクリーム色の髪の毛をふわっと跳ねさせて、傍に来た彼女に視線を運ぶ。
「私たちね、実地訓練で明後日にはもう王都出ないとなの。終わるまでシルバレードさん一人になっちゃうし…どうしよっか?」
「…暇つぶしぐらいにはなるかな」
人差し指を唇の下に添えて一瞬の思案をしたシルバレードが、そう短く呟く。
そして内で巡らせたその思案を、唇で外に明かした。
「僕も行きます、ネカスの実地訓練」
「えっ」
「もう訳が分からん…」
あまりにも自由なその振る舞いに、心からの言葉が口からこぼれ出る。
「そ、それじゃああれだね…。学院に話しておかないとだね…」
「お願いします」
立て続けの出来事に取り乱してしまっているのか、シルバレードの実地訓練への参加をミミコ先生はほとんど二つ返事で了承し、レグが入ってきた扉へと二人は歩いていく。
「コルファの先生に相談する…。こ、こうなっちゃったら、学院長先生にも話しておかないとかな…。電行車のチケット、今からもう一枚用意出来るのかなぁ…」
急遽現れたしなくてはいけない相談や手続きを指折り数えて、シルバレードを連れたミミコ先生は心ここにあらずの足取りで共用スペースを出ていく。
そんな二人に道を譲ったレグが、閉まった扉を見ながら俺の元まで近寄ってきた。
「シルバレード、実地訓練も来んのか…。あ、理由なんだって?」
「…分からない」
「分かんない?話したのに?」
レグから向けられる怪訝な眼差し。そうなるのも尤もだった。
「…それでも分からなかった。教えてくれなかったんだ。泊まる期間も決まってないらしい」
シルバレードがさっきまで座っていた、今は誰もいなくなった椅子を見る。
彼女が話の隙間に少しずつ口にしていた紅茶は、カップに半分ばかりを残してテーブルに置いてかれていた。
「まじ?じゃあ、一ヶ月泊まるとかもありえるわけ?」
「かもしれんな」
問題というのが落ち着かない限り、もしかすれば一ヶ月をも超えてしまうかもしれない。
俺と先生が浴びた驚きをレグも追って体験し、受け止めきれなかったのか、もう誰もいない扉を見て、はーと戸惑いを吐く。
話を聞いたというのに不鮮明な物だらけだ。
しかしだからこそ、数少ない事実というのは却って際立って鮮明に目立つ。
はっきりとしている、疑わしくも鮮明な事実。
シルバレードは今日これから、このネカスの寮で生活を始める事になったのだ。




