第7皿 開店前夜、母のレシピ
「日替わりの煮込み料理に、野菜のスープ。それからパン……」
リゼットは紙に書きだしたメニューを見つめていた。
食堂を開くまであと二日。
仕入れた食材で作れる料理を考え、値段を決め、必要な道具をそれえなければならない。
料理の腕には自信がある。けれど、客がどれくらい来るのかもわからない状況で、食材を使いすぎるわけにはいかなかった。
「最初は、品数を絞ったほうがよさそうね」
ベルンが隣から紙を覗き込んだ。
「その通りだ。あれもこれも作ろうとすれば、食材が足りなくなる。売れ残りも増える」
「はい。まずは三品くらいから始めようと思います」
「値段はどうする?」
リゼットは答えに詰まった。
王宮では、食材の値段を自分で考える必要はなかった。予算が決められ、必要なものを注文すれば、厨房の管理係が処理してくれたからだ。
今は違う。
安くしすぎれば、店を続けられない。高すぎれば、村の人が来られない。
「……材料費だけでなく、薪や水、それに家賃のことも考えないといけませんね」
「ようやく分かってきたじゃないか」
ベルンは、リゼットが書いた金額をいくつか修正した。
「利益を出すのは大事だ。だが、この村で暮らす人間が毎日食べられる値段にしなければ、常連はつかん」
「分かりました」
「それから、無理に王宮の料理を再現しようとするな」
その言葉に、リゼットの手が止まった。
ベルンは続けた。
「ここは王宮じゃない。客が求めているものも違う。お前の腕を見せつけるための店じゃないんだ」
「……はい」
正論だった。
リゼットは王宮で料理人として認められてきた。盛り付けの美しさ、繊細な味、珍しい食材を使った料理。それらが評価につながっていた。
しかし、この村で求められているのは、毎日の食事だ。
疲れて帰ってきた人が安心して食べられるもの。
明日も仕事に行こうと思えるもの。
リゼットは母の料理帳を開いた。
そこには何度も作ったことのある豆と野菜の煮込みのレシピがあった。
母は特別は料理人ではなかった。
小さな家の台所で、手に入る食材を使い、いつも同じように料理をしていた。
それでも、リゼットが落ち込んだ日には温かいスープを作り、失敗した日には焼きたてのパンを用意してくれた。
「おいしいものを食べるとね、もう少しだけ頑張ってみようって思えるでしょう?」
幼い頃、母はそう言っていた。
リゼットは、料理帳のページをそっと閉じた。
「……お母さんが作ってくれた料理を、ここで出したいです」
「どんな料理だ?」
「特別なものではありません。でも、食べると少し安心できるような料理です」
ベルンはしばらくリゼットを見ていたが、やがて短く頷いた。
「ならそれを創ればいい」
翌日、リゼットは試作を繰り返した。
野菜を大きく切ったもの、小さく刻んだもの。豆を柔らかく煮たもの、少し歯ごたえを残したもの。
「私は、こっちが好きです!」
ミナが選んだのは、野菜を小さめに切り、豆を柔らかく煮こんだものだった。
「食べやすいし、スープの味がよくしみています!」
ベルンも匙を置き、頷いた。
「これなら、パンにも合うな」
リゼットは笑顔になった。
ようやく、最初に出す料理が決まった。
野菜と豆の煮込み、季節の野菜スープ、焼きたてのパン。
どれも派手さはない。けれど、今のリゼットが自身をもって出せる料理だった。
その夜、リゼットは看板に店の名前を書いた。
『ひだまり亭』
名前を考えるのに、ずいぶん時間がかかった。
王宮で働いていた頃は、店の名前を考えることになるなんて想像もしなかった。
それでも、母の料理帳に書かれた言葉を思い出しながら、リゼットはこの名前を選んだ。
寒い時にも、疲れた日にも。
ここに来れば、少しだけ心が温める。
そんな食堂にしたかった。
看板を立てかけ、リゼットは一歩下がって眺めた。
「明日、開店だね」
ミナが嬉しそうに言った。
「うん」
リゼットは頷いた。
「……お客さん、来てくれるかな」
口にして肩、自分が不安を抱えていたことに気づいた。
どれだけ準備をしても、店を開いてみなければわからない。
王宮を追われたときのように、努力が報われないことだってある。
それでも、もう逃げたくなかった。
「来てもらえるように、頑張ろう」
リゼットは看板をそっと撫でた。
翌朝、この扉を開けた先に、どんな出会いが待っているのだろう。




