第1皿 最後の晩餐は、冷めたスープ
初めまして、弥です。
なんとなく感じていた虚無を埋めるためにこれから書いていこうと思います。
拙い文章かもしれませんが、よろしくお願いします。
王宮の夜は、いつもより静かだった。
磨き上げられた大理石の床には、天井からつるされた魔法灯の光が淡く反射している。壁際には季節の花が飾られ、長い食卓には銀の燭台と、王国中から集められた最高級の食材を使った料理が並んでいた。
今夜は、隣国との友好条約を祝う晩餐会。
王族や貴族、そして遠方から招かれた使節たちが一堂に会する、王宮にとって重要な夜だった。
「前菜、問題ありません。魚料理も予定通りです」
厨房の入り口で、若い料理人が報告する。
「分かりました。肉料理の火入れは、あと三分待ってください。ソースは最後に合わせます」
リゼット・アルノーは、落ち着いた声で指示を出した。
二十四歳。
王宮専属料理人として働き始めて五年。今では料理長を補佐し、晩餐会の献立や調理工程を任されることも多くなっていた。
彼女の仕事は、料理をおいしく作ることだけではない。
食材の状態を見極め、限られた時間の中で何十皿もの料理を仕上げ、給仕の動きまで計算する。
一つの失敗が、王宮全体の面目を潰しかねない。
だからこそ、リゼットは誰よりも慎重だった。
「リゼット様、スープの最終確認をお願いします」
若い料理人から器を受け取り、彼女は匙を口に運んだ。
野菜の甘み。香草の爽やかな香り。肉から引き出された深い旨味。
問題はない。
むしろ、今夜の出来は上々だった。
「大丈夫です。温度を保って、給仕の指示を待ってください」
「はい!」
料理人が走り去る。
リゼットは小さく息を吐き、厨房の奥へ目を向けた。
壁には、亡き母から譲り受けた古いレシピ帳が置かれている。
表紙は擦り切れ、端には何度も開いた跡があった。
母は王都の片隅で、小さな食堂を営んでいた人だった。
豪華な料理を作るわけではない。珍しい魔法を使えるわけでもない。
それでも、母の食堂にはいつも人が集まっていた。
仕事帰りの職人。旅の途中で立ち寄った商人。喧嘩をして家を飛び出した近所の夫婦。
誰もが、母の作るスープを飲むと少しだけ表情を和らげた。
『リゼット。料理はね、誰かに勝つために作るものじゃないのよ』
幼い頃、母はよくそう言っていた。
『食べてくれる人が、明日も頑張ろうって思えるように作るの』
その言葉を胸に、リゼットは料理人になった。
母が亡くなった後も、彼女はずっとその教えを忘れずにいたつもりだった。
けれど、王宮で働くうちに、少しずつ変わってしまったのかもしれない。
誰よりも優れた料理を作らなければ。
誰からも認められなければ。
そう思うようになったのは、いつからだっただろう。
「リゼット様!」
突然、厨房の扉が勢いよく開いた。
現れたのは、顔を青ざめさせた給仕長だった。
「大変です。すぐに来てください!」
「何があったのですか?」
「それが……」
給仕長は一瞬、言葉を詰まらせた。
「王太子殿下が、料理に異物が入っていたと」
リゼットの手から、匙が滑り落ちた。
◇
大広間に足を踏み入れた瞬間、リゼットは異様な空気を感じ取った。
食卓を囲んでいた貴族たちは口を閉ざし、給仕たちは壁際に並んでいる。
中央の席では、王太子が一皿の料理を前にしていた。
その隣には、王宮料理長のグレゴールが立っている。
「来たか、アルノー」
グレゴールは、冷たい声で言った。
「殿下の料理に問題があったそうだな」
「はい。詳しい状況を確認させてください」
リゼットは一礼し、王太子の前に置かれた皿を見た。
肉料理だった。
皿の端には、黒い粒のようなものが付着している。
「これは何ですか?」
「料理に混入していた異物だ」
王太子が答えた。
「食材の一部ではない。毒性がある可能性も否定できないと、侍医が判断した」
「毒……?」
リゼットは息を呑んだ。
皿に近づき、異物を慎重に観察する。
黒い粒は、焦げた香辛料にも見えた。しかし、彼女が使用した香辛料とは色も形も違う。
「殿下、申し訳ございません。厨房で使用した食材と調理記録を確認させていただけますでしょうか」
「もちろんだ。だが、その前に一つ聞きたい」
王太子の声が、広間に響いた。
「この料理を担当したのは、お前だな?」
「はい。最終確認まで私が行いました」
「では、責任はお前にあるということか」
リゼットは言葉を失った。
料理を担当したのは事実だ。
しかし、料理に異物が混入した原因は分からない。
原因を調べることもなく、責任だけを問われるのはおかしい。
「殿下。原因を特定するまでは、判断をお待ちいただきたく存じます。厨房への出入りや食材の管理記録を調べれば、何が起きたのか分かるはずです」
「記録なら、すでに確認した」
グレゴールが口を挟んだ。
「調理工程の最終確認欄には、お前の署名がある。異物の混入を防げなかった以上、料理人としての責任は免れまい」
「ですが、私が確認した時点では、このようなものはありませんでした」
「つまり、自分の確認が不十分だったと言いたいのか?」
「そうではありません!」
声が、思ったよりも大きく響いた。
周囲の視線が一斉に集まる。
リゼットは唇を噛んだ。
ここで感情的になってはいけない。
そう自分に言い聞かせる。
「お願いです。もう一度、厨房を調べさせてください。私の確認不足であれば、責任は取ります。ですが、原因が分からないままでは、同じことが繰り返されるかもしれません」
王太子はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと首を横に振る。
「今回の晩餐会は、王国の信用に関わる重大な場だ。責任の所在を曖昧にするわけにはいかない」
「殿下……」
「リゼット・アルノー。お前を王宮専属料理人の職から解任する。王宮からも退去するように」
広間がざわめいた。
リゼットは、何も言えなかった。
五年間、必死に働いてきた。
早朝から夜遅くまで厨房に立ち、何度も失敗し、そのたびに勉強し直した。
いつか自分の料理で、母のように誰かを笑顔にしたい。
そう思っていた。
けれど、今、目の前にいる人々の誰一人として、彼女の言葉を信じようとはしなかった。
「……承知いたしました」
リゼットは深く頭を下げた。
声が震えないようにするだけで、精いっぱいだった。
◇
翌朝、リゼットは王宮を去った。
持ち出せた荷物は、着替えとわずかな貯金、それから母のレシピ帳だけだった。
王都の門を出る直前、彼女は一度だけ振り返った。
白い壁に朝日が差し、尖塔の先が輝いている。
あの場所で、どれほどの時間を過ごしたのだろう。
どれほど努力しても、結局、自分は何も守れなかった。
そう思うと、胸の奥がひどく痛んだ。
「……もう、料理なんて」
言いかけて、リゼットは口を閉じた。
そんなことを言ってしまったら、母の教えまで否定することになる。
彼女は荷物を抱え直し、歩き始めた。
行き先は決めていなかった。
王都には居づらい。かといって、知り合いのいる町へ帰る気にもなれない。
ただ、少し遠くへ行きたかった。
誰も自分を知らない場所へ。
誰にも料理人としての腕を期待されない場所へ。
そうして数日後、リゼットは辺境の町、リュネ村へたどり着いた。
町の入り口には、古びた木の看板が立っていた。
文字は半分ほど剥がれ、周囲の家々も傷んでいる。
市場には人影が少なく、店先に並ぶ野菜も、どこか元気がなかった。
王都とは、まるで別の世界だった。
リゼットは空腹を覚え、近くの屋台へ向かった。
「すみません。何か食べられるものはありますか?」
「硬いパンならあるよ。一個、銅貨三枚だ」
差し出されたパンは、表面がひび割れ、石のように硬かった。
それでも、空腹を満たすには十分だろう。
リゼットが財布を取り出した、その時だった。
「おじさん、それ、もう少し安くならない?」
小さな声が聞こえた。
振り向くと、十歳にも満たない子どもが、銅貨を握りしめて立っていた。
「これしか持ってないの。お母さんが、今日も何も食べてなくて……」
「悪いな。こっちも商売なんだ」
屋台の主人は困ったように首を振った。
子どもはうつむき、握りしめた銅貨を見つめる。
その姿に、リゼットは亡き母の言葉を思い出した。
『食べてくれる人が、明日も頑張ろうって思えるように作るの』
王宮では、誰も自分の料理を信じてくれなかった。
けれど、この子どもはどうだろう。
温かい食事を必要としている人が、目の前にいる。
リゼットは自分の財布を開いた。
残りの金は、決して多くない。
それでも、今は。
「……おじさん。そのパン、私が買います」
彼女は子どもに向かって、そっと微笑んだ。
「お母さんのために、温かいスープも作ってあげる」
子どもが驚いたように顔を上げる。
リゼットは、久しぶりに誰かのために料理を作りたいと思った。
たとえ、それが王宮の晩餐会とは比べものにならない、小さな一皿だったとしても。
彼女の料理人としての人生は、まだ終わっていなかった。
いかがだったでしょうか。
少しでも面白い、続きが気になると思っていただけたら幸いです。
一応第1部終了までは毎日投稿しようかなと思います。




