【レポート6】如月駅
本作はフィクションです。登場する人物・団体・組織・事件などは架空のものであり、実在するものとは関係ありません。
……と、いうことにしておきましょう。
いつものように出勤すると、烏山さんが自分の机で書類を整理していた。
「近藤君、ちょっといいかな」
呼び止められ、俺は烏山さんの机の前で足を止めた。
「今度、部署のみんなで親睦会をやろうと思ってね。もちろん、飲み会も兼ねているんだが」
「親睦会ですか?」
「そう。せっかく同じ部署で働いているんだから、仕事以外でも交流しておいた方がいいだろう?」
烏山さんは穏やかに笑った。
「近藤君も参加してくれるね?」
「はい」
俺は特に用事もなかったので、そう返事をした。
親睦会当日。
仕事を終えた俺たち三人は、職場を出て近くの居酒屋へ向かった。
今回の親睦会は、烏山さんと天野、そして俺の三人だけだった。大勢で集まるようなものでもないので、職場から歩いて行ける小さな居酒屋で飲むことになったのだ。
店は古びた雑居ビルの一階にあり、店内にはカウンターと小さなテーブル席がいくつか並んでいた。夕方の早い時間だったこともあり、客の姿はまばらだった。
「ここは昔からある店でね。料理もなかなかうまいんだよ」
烏山さんは慣れた様子で店員に声をかけ、奥のテーブル席に腰を下ろした。俺と天野も、その向かい側に座った。
注文を済ませると、ほどなくしてビールが運ばれてきた。
「それじゃあ、仕事の疲れを忘れて、今日はゆっくり飲もうじゃないか」
烏山さんの音頭で、俺たちはグラスを合わせた。
「乾杯!」
グラスを傾けると、冷たいビールが喉を通っていった。仕事終わりの一杯は、やはりうまい。
普段、職場では仕事の話が中心で、天野ともそれほど雑談をする機会はなかった。こうして三人で酒を飲むのは初めてだった。
俺は、目の前で楽しそうに料理を取り分けている天野を見ていた。
酒も回り、気がつけば、それなりの時間になっていた。
料理もほとんど食べ終え、テーブルの上には空になった皿と、飲みかけのグラスが並んでいた。
烏山さんは相変わらず上機嫌で、天野も普段の職場では見せないような柔らかな表情を浮かべていた。
「そろそろ、お開きにしようか」
烏山さんがそう言って、伝票に手を伸ばした。
俺たちは席を立ち、会計を済ませて店を出ると、烏山さんが俺の肩を軽く叩いた。
「近藤君、天野君を家まで送ってあげてくれないか」
「えっ、俺がですか?」
突然の話に、俺は思わず聞き返した。
「ああ。もう遅い時間だからね。女性を一人で帰らせるのも心配だろう?」
烏山さんはそう言って、天野に目を向けた。
「私は大丈夫ですよ」
天野は少し困ったように笑ったが、烏山さんは首を横に振った。
「まあまあ、そう言わずに。近藤君、頼んだよ」
俺は断る理由もなかったので、天野と一緒に駅へ向かうことにした。
普段、地下鉄にはあまり乗る機会がない。案内板を確認しながらホームへ向かい、やって来た電車に乗り込んだ。
車内はそれほど混雑しておらず、俺たちは並んで座ることができた。
「天野さんの家って、ここから遠いんですか?」
俺が尋ねると、天野は首を横に振った。
「いえ、数駅先ですよ」
「そうなんですね。もっと遠いのかと思っていました」
そんな他愛のない話をしているうちに、電車は次の駅へと滑り込んでいった。
俺は路線図に目をやりながら、あと数駅ならすぐだな、などと考えていた。
数分後、電車が駅に到着すると、天野が立ち上がった。
「近藤さん、ここです」
俺は天野の後に続いて、電車を降りた。
改札口へ向かう途中、俺は駅名の表示に目を留めた。
そこには「如月駅」と書かれていた。
聞き慣れない駅名だなと思ったが、特に気にすることもなく、俺は天野の後について駅を出た。
駅から住宅街をしばらく歩くと、天野が一軒の家の前で足を止めた。
「ここです。送っていただいて、ありがとうございました」
「いえ、これくらい大丈夫ですよ」
俺は軽く手を振り、天野が家に入るのを見届けてから、来た道を引き返した。
俺は駅へ向かって歩き始めた途中、ふと違和感を覚えた。
周囲の町並みが、どこかおかしいのだ。
道沿いには古い木造の家が並び、軒先には昔ながらの街灯が立っている。建物の造りも、今の時代にはあまり見かけないものばかりだった。
まるで、昭和の時代に迷い込んでしまったかのようだった。
俺は足を止め、周囲を見回した。
「……こんな町並み、今どき珍しいな」
古い町並みが残っている場所なら、ほかにもあるだろう。そう考えれば、不思議なことではない。
しかし、何かが引っかかる。
俺はその違和感の正体をつかめないまま、再び駅へ向かって歩き出した。
駅へ向かう道には、誰も歩いていなかった。
店の明かりもなく、辺りは静まり返っている。俺は少し気味の悪さを感じながらも、そのまま駅へと向かった。
やがて改札を抜け、ホームに降りると、ちょうど電車がやって来た。
俺は電車に乗り込み、空いている席に腰を下ろした。
車内には乗客がいて、明るい照明も、聞き慣れた車内アナウンスも、いつもと変わらなかった。
さっきまで感じていた違和感が、まるで嘘だったかのように消えていた。
「……気のせいだったのかな」
俺はそう呟き、窓の外に目を向けた。
翌日、出勤すると天野は休みだった。
昨日はそれなりに酒を飲んだから、二日酔いでもしているのだろう。俺は最初、そんなふうに考えていた。
しかし、昨日の帰り道に見た、あの不思議な町並みが気になっていた。
天野の家まで送ったときは、特に変わった様子もなかった。だが、帰り道には人影ひとつなく、まるで時代に取り残されたような町並みが広がっていた。
あれはいったい何だったのだろう。
考えていても答えは出なかった。天野の体調も気になったので、仕事が終わると、俺は様子を見に行くことにした。
俺は昨日と同じ地下鉄に乗った。
天野の家へ行くには、昨日降りた駅で降りればいい。そう思って路線図を確認した。
しかし、いくら探しても、如月駅という名前は見当たらなかった。
「……あれ?」
俺は路線図を端から端まで見直した。昨日乗った路線に間違いはない。だが、如月駅という駅はどこにもなかった。
まさか、見間違いだったのだろうか。
昨日は酒も飲んでいた。酔っていたせいで、駅名を勘違いした可能性もある。
それでも、あの古い町並みは、はっきりと覚えていた。
次の日、天野はいつも通り出勤してきた。
体調が悪そうな様子もなく、俺は少し安心した。
午前中、仕事が一段落したところで、俺は天野に声をかけた。
「天野さん、昨日は大丈夫でしたか?」
「はい。ちょっと体調が悪かっただけです。ご心配をおかけしました」
「それならよかった。ところで、昨日の帰りのことなんですけど……」
俺は、天野を家まで送ったことや、帰り道で見た古い町並みについて話した。そして、地下鉄の路線図を確認しても、如月駅が見つからなかったことも伝えた。
天野は少し考えてから、首をかしげた。
「近藤さん、もしかして急行にも乗ったんじゃないですか?」
「急行?」
「ええ。急行に乗ると、通過する駅もありますから。駅名を勘違いしたのかもしれませんよ」
確かに、酒も飲んでいたし、俺の記憶違いという可能性もある。
「そうかもしれませんね……」
俺はそう答えたものの、どうにも納得できなかった。
あの駅名は、確かに如月駅だったはずだ。
天野との話を終えても、俺は釈然としない気持ちを抱えていた。
昨日見た駅名は、確かに如月駅だった。あの古びた町並みも、はっきりと覚えている。だが、路線図にはそんな駅は存在しなかった。
俺が考え込んでいると、烏山さんが声をかけてきた。
「近藤君、どうしたんだい? 何か悩み事でもあるのかな?」
「あ、いえ……ちょっと気になることがありまして」
「ほう、気になること?」
烏山さんは、興味深そうに俺の顔を見た。
俺は少し迷ったが、昨日の出来事を話してみることにした。
俺が昨日の出来事を話し終えると、烏山さんは少し考えてから口を開いた。
「なるほどね。地下鉄には廃駅もあるからね。駅の施設自体は残っていても、今は使われていなかったり、電車が停車せずに通過したりするところもあるんだよ」
「そうなんですか?」
「ああ。そういう駅は普段、乗客が利用することもないからね。通過する際に駅名が目に入って、記憶違いを起こしたのかもしれないよ」
烏山さんは、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
「なるほど……。そういうこともあるんですね」
俺はそう答えたものの、どうにも腑に落ちなかった。
確かに、酒も飲んでいた。見間違いや記憶違いという可能性もあるだろう。
だが、俺が見たのは駅名だけではない。駅を出た先に広がっていた、今の時代には似つかわしくない町並みも、はっきりと覚えていた。
あれも、ただの見間違いだったのだろうか。
烏山さんは、俺の顔を見てニヤリと笑った。
「それとも、天野さんのプライベート駅かもしれないね」
そう言うと、いたずらっぽく笑った。
「いやいや、そんな駅があるわけないでしょう」
俺は思わず苦笑いした。
烏山さんは楽しそうに笑っていたが、俺はどうにも腑に落ちなかった。
如月駅……。あれはいったい何だったのだろう。
今回登場した「如月駅」は、インターネット上で広まった都市伝説「きさらぎ駅」をモチーフにしています。
きさらぎ駅は、2004年にインターネット掲示板「2ちゃんねる」に投稿された、不思議な体験談から広まった都市伝説です。電車に乗っていた投稿者が、見覚えのない駅にたどり着き、奇妙な出来事に遭遇するという内容で、現在も多くの人に知られています。
また、現実にも、地下に使われなくなった駅のホームが残されている例があります。
その一つが、京王線の旧初台駅です。旧初台駅は1964年に地下駅となりましたが、1978年に京王新線が開業した際、駅が現在の位置に移されました。旧駅のホームは廃止後もトンネル内に残され、現在の京王線の電車はそこに停車せず通過します。新宿駅を出てしばらくすると、車窓から旧ホームが一瞬見えることでも知られています。
もちろん、実在する旧駅と、都市伝説に登場する不思議な駅は別のものです。
しかし、普段乗っている電車の窓から、使われていないホームや見慣れない空間が一瞬見えたら……。
それが単なる廃駅だと、あなたは言い切れるでしょうか?




