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追放された外れ地脈士、滅びかけの辺境を再生したら王国の命運を握っていました  作者: Ginnaga


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6/6

壊れた水路と、鉱山から届く同じ痛み

 レインが目を覚ました時、最初に聞こえたのは人の声だった。


「……水を持ってこい」

「火は消すな。夜明けまでは交代で見張る」

「水路沿いには近づくなってミラが言ってただろ」


 村人たちの声だ。


 少し慌ただしい。

 けれど、悲鳴ではない。


 レインはゆっくり目を開けた。


 粗い木の天井が見える。

 村の家だ。


 体が重い。

 まるで泥の中に沈んでいるみたいだった。


 手を動かそうとして、指先が少し震えた。


「……ここは」


「起きたか」


 すぐ横から声がした。


 ロウだった。


 椅子に座ったまま、腕を組んでいる。

 目の下には、うっすら疲れが見えた。


「ロウさん……」


「さん付けする元気はあるんだな」


「村は……」


「無事だ」


 その一言で、レインは息を吐いた。


 胸の奥が少しだけ軽くなる。


 魔物は村に入らなかった。

 あの黒い霧も、ひとまず水路沿いから逸れた。


 完全に解決したわけではない。

 でも、今夜だけは守れた。


「よかった……」


「よくねえよ」


 ロウはすぐに言った。


「お前、倒れたんだぞ」


「すみません」


「謝るなって何回言わせる気だ」


 ロウは乱暴に頭をかいた。


「声が多すぎるとか、聞き分けられないとか言ってた。覚えてるか?」


「……少しだけ」


 レインは手首の刻印を見た。


 いつもなら、そこに触れれば土地の気配がかすかに分かる。


 泉の近くなら水の声。

 畑なら土の声。

 水路なら流れの声。


 けれど今は、遠い。


 聞こえないわけではない。


 ただ、霧の向こうにあるみたいにぼやけていた。


 胸が冷える。


「土地の声が……遠いです」


 小さく言うと、ロウの表情が変わった。


「遠い?」


「はい。聞こえてはいるんです。でも、うまくつかめません」


「それ、まずいのか」


「分かりません」


 正直に答えるしかなかった。


 自分の力について、レイン自身もほとんど知らない。


 地声聞き。


 そう刻まれた力。


 けれど、今やっていることは本当に「聞く」だけなのか。

 分からないまま、踏み込んでしまった。


「無理したからだろ」


 ロウは言った。


「今日一日は動くな」


「でも、水路が……」


「動くな」


「石組みも確認しないと」


「動くなって言ってんだろ」


 ロウの声が低くなった。


 レインは口を閉じる。


 すると扉が開き、ミラが入ってきた。


 片手に水の入った木杯を持っている。


「お、起きたか。顔色は悪いな」


「ミラさん」


「先に言っとく。今日森に行くとか言ったら、今度こそ縛って寝かせる」


「……そんなに悪いですか」


「自分で分からない時点で悪い」


 ミラは木杯を差し出した。


「飲め。少しずつ」


「ありがとうございます」


 レインは水を口に含んだ。


 冷たい。


 ただの水なのに、胸に染みた。


 ミラは椅子の背に寄りかかる。


「夜明け前に見回ってきた。魔物の足跡は谷筋の奥へ続いてる。戻った跡は今のところない」


「本当ですか?」


「ああ。ただし、安心はできない。黒い霧も完全には消えてない」


 レインはうなずいた。


「石組みは?」


「ロウが応急で押さえた。調査員どもにも石を運ばせてな」


 ロウが鼻を鳴らす。


「あいつら、びびって手が震えてた。だが、動かねえよりはましだった」


「けが人は?」


「調査員が一人、黒い霧を少し吸った。咳き込んでるが命には別状なさそうだ。村人にけが人はいない」


 その言葉に、レインはほっとした。


 けれど、すぐに眉を寄せる。


「調査員の人たちは……」


「広場の倉にいる。逃げないよう見張り付きだ」


 ミラが言った。


「勝手に封鎖場所へ入って、石組みを壊して、村を危険にさらした。はいそうですかで帰すわけにはいかない」


「マーゼルさんは?」


「まだ来てない。夜明けを待って呼びにやる」


 ロウの声には怒りがあった。


「マーゼルが命じたのか、調査員が勝手にやったのか。そこはまだ分からねえ。でも、商会の人間がやったのは事実だ」


 レインは膝の上で手を握った。


 商会の責任。

 契約。

 権限。


 また、あの言葉が戻ってくる。


 怖い。


 でも、今回は逃げてはいけない。


 村の水路が壊された。

 土地が傷ついた。

 魔物が村へ向かいかけた。


 それは、きちんと話さなければならない。


「僕も、話し合いに……」


「出るなとは言わない」


 ミラが言った。


「でも、立って倒れるな。座ってろ」


「はい」


「あと、全部一人でしゃべろうとするな」


 ロウも続ける。


「石組みのことは俺が言う。森の危険はミラが言う。村の決め事は長老が言う。お前は、聞こえたことだけ言え」


 レインは二人を見た。


 胸の奥が、じわりと温かくなる。


「……はい」


 頼っていい。


 何度も言われてきたのに、まだ慣れない。

 でも、今度は素直にうなずけた。


 ◇


 朝になると、村は慌ただしく動き出した。


 水路沿いには立ち入り禁止の目印が置かれた。

 森へ続く道には、ミラが印を付け直した。

 交換会で手に入れた食料は、老人の指示で倉に分けて入れられた。


 村人たちの顔には疲れがある。


 それでも、誰もただ怯えているだけではなかった。


「こっちの石、運ぶぞ」

「水路の手前だけでも直さないと畑に水が来ない」

「子どもは広場から出すなよ」

「見張りは二人ずつ交代だ」


 声が飛ぶ。


 レインは家の戸口に腰かけ、それを見ていた。


 本当は立ち上がって手伝いたい。


 けれど、足に力が入らない。

 少し動くだけで、頭の奥が重くなる。


 土地の声は、まだ遠かった。


 聞こえるのは、ざわざわした気配だけ。


 声になりきらない声。


 それが不安だった。


「レイン殿」


 老人が近づいてきた。


「体はどうだ」


「すみません。まだ、あまり動けません」


「謝ることではない」


 老人は首を振った。


「昨夜、村は助かった。だが、それで全部終わったわけではない。だからこそ、倒れたままでは困る。休むのも仕事だ」


 レインは少し目を丸くした。


「休むのも……仕事」


「そうだ」


 老人は淡々と言った。


「昔は、鉱山で無理をして倒れる者が多かった。働ける者が少ない土地では、一人が倒れるだけで全体が止まる。だから休ませる」


 その言葉に、レインはうつむいた。


 自分が倒れたら、村が止まる。


 昨夜、ミラにも言われたばかりだ。


 守ろうとして倒れ続ければ、いつか守れなくなる。


「分かりました。今日は、無理に動きません」


「よろしい」


 老人はうなずいた。


 それから、少し声を落とした。


「ただし、見てはほしい」


「見て?」


「石組みと水路の修復だ。お前の耳が使えぬなら、目だけでもよい。ロウが迷った時、感じたことを伝えてくれ」


「はい」


 レインはうなずいた。


 土地の声が遠くても、自分にできることがまだある。


 そう思えるだけで、少し息がしやすくなった。


 ◇


 水路の修復は、簡単ではなかった。


 村人たちは、水路の手前側から順に石を運んだ。


 ロウは割れた石を選び、使えるものと使えないものに分けていく。


「これは駄目だ。割れ目が深い。水を通したら崩れる」


「こっちは?」


「端が欠けてるだけだ。押さえ石に使える」


 ロウの判断は早い。


 レインは少し離れた場所に座り、地面と水路を見る。


 声は遠い。


 でも、水が流れたがっている場所と、詰まりやすい場所の気配は少し分かった。


「ロウさん、その石……少しだけ、こちら側を低くした方がいいかもしれません」


「水を逃がすのか?」


「はい。完全に塞ぐと、また押し返される気がします」


「なら、逃がし穴を残す」


 ロウはすぐに村人へ指示した。


「こっちの小石を詰めすぎるな。指二本分、隙間を残せ」


「隙間なんかあっていいのか?」


「全部塞いで壊れるよりましだ。水も熱も、逃げ道がいる」


 その言葉に、レインは少しだけ笑った。


「畑の時みたいですね」


「お前が言ったんだろ」


 ロウはそっぽを向いた。


「使える考えなら使う」


 水路の応急修復は、昼まで続いた。


 完全には直せない。


 古い石組みの奥は、まだ危険だ。

 黒い霧も、時々細く漏れている。


 それでも、水路の手前側だけは、畑へ細い水を送れる形に戻ってきた。


 村人の一人が、そっと水を流す。


 水は少し揺れながら、石の間を進んだ。

 途中で止まりかけ、逃がし穴から余分な流れが抜ける。


 そして、畑へ向かう溝へ細く入った。


「行った……」


 誰かがつぶやいた。


「水が行ったぞ」


 大きな歓声ではなかった。

 疲れているし、不安も残っている。


 それでも、村人たちの顔にほっとした色が浮かんだ。


 レインも胸をなで下ろした。


 その瞬間、遠くから小さな声がした。


 ――すこし、らく。


 久しぶりにはっきり聞こえた。


 レインは息を止める。


 すぐに声は遠くなった。


 けれど、確かに聞こえた。


「……聞こえた」


 小さくつぶやく。


 ロウが振り向いた。


「戻ったのか?」


「少しだけです。でも、聞こえました」


 聞こえた。

 けれど、以前のように近くはない。


 声の輪郭は、まだ霧の向こうにある。


「なら、今日はそこまでだ」


「え?」


「それ以上聞こうとするな。顔に出てる」


 レインは思わず頬に触れた。


「そんなに分かりますか」


「分かる。お前、土地の声が聞こえるとすぐ無茶しそうな顔になる」


 ミラが横から笑った。


「分かるな。今にも地面に手を突っ込みそうだった」


「そんな顔ですか……」


「そんな顔だ」


 二人に同時に言われ、レインは返す言葉を失った。


 村人たちの間から、小さな笑いが起きる。


 重かった空気が、少しだけ緩んだ。


 ◇


 昼過ぎ、商会の馬車が村に戻ってきた。


 マーゼル・クロウは、昨日と同じように穏やかな顔をしていた。


 だが、広場の空気は昨日と違う。


 村人たちは黙っている。

 けれど、ただ怯えてはいない。


 老人が前に立ち、ロウがその横に立つ。

 ミラは少し離れて、調査員たちの様子を見ていた。

 レインは椅子に座ったまま、広場の端にいる。


 立ち上がろうとしたが、ロウに肩を押さえられた。


「座ってろ」


「でも」


「座ってろ」


「……はい」


 マーゼルは状況を見回した。


 調査員たちは、顔を青くして視線を落としている。


 そのうち一人は、喉に布を巻いていた。


「何があったのか、説明を求めたいのはこちらですが」


 マーゼルは静かに言った。


 老人が返す。


「こちらこそ説明を求める。村が封鎖していた水路奥へ、あなたの商会の者が無断で入り、古い石組みに手を出した」


「無断で?」


 マーゼルの視線が調査員へ向く。


 調査員の一人が、震えながら口を開いた。


「入口の記録だけでは、成果にならないと……光る石片があったので、持ち帰れば調査の証拠になると考えました」


「私が、石を外せと命じましたか」


「い、いえ……」


「村の許可を取ったのですか」


「取って、いません」


 マーゼルの表情は変わらなかった。


 だが、その沈黙には圧があった。


 レインはそれを見て、胸が重くなる。


 マーゼルが直接命じたのかは分からない。

 けれど、調査員たちが成果を焦る空気を作ったのは、商会の側かもしれない。


 断定はできない。


 でも、無関係とも思えなかった。


 ロウが一歩前に出た。


「あんたらが何を命じたかは知らねえ。だが、壊したのは商会の人間だ」


 ミラも続ける。


「そのせいで魔物が村へ向かいかけた。護衛を増やせば済む話じゃない。道そのものを壊したんだ」


 老人が静かに言った。


「水路は村の命だ。今後、村の許可なく水源、水路、森の道、鉱山道へ入ることを禁じる」


 マーゼルは黙って聞いていた。


 やがて、レインへ視線を向ける。


「レイン殿。あなたも同じ考えですか」


 広場の視線がレインに集まった。


 胸が締めつけられる。


 まただ。


 正式な権限はあるのか。

 代官でも領主でもないのに、言えるのか。


 そう問われている気がした。


 けれど、今回は一人ではない。


 老人がいる。

 ロウがいる。

 ミラがいる。

 村人たちがいる。


 レインは椅子に座ったまま、背筋を伸ばした。


「はい。同じ考えです」


 声は弱い。


 けれど、止まらなかった。


「取引は必要です。物資も必要です。でも、村の暮らしを壊す調査は受け入れられません。水路も森の道も、村の人たちが生きるためのものです」


「ですが、危険の調査は必要でしょう」


「必要です。だから、村の人と一緒に行ってください。ロウさんのように石組みを見る人、ミラさんのように道と魔物を見る人が必要です。土地の声が聞こえる僕でも、一人では分かりません」


 そこまで言って、レインは息を整えた。


「分からないものに、勝手に触らないでください」


 広場が静まった。


 マーゼルはしばらくレインを見ていた。


 その目に、昨日とは違う色が浮かぶ。


 値踏みだけではない。

 少しだけ、考えている目だった。


「なるほど」


 マーゼルは言った。


「昨夜の件については、商会として調査員の越権を確認します。応急修復に必要な資材と食料は、こちらで用意しましょう」


 村人たちがざわつく。


 ロウはすぐに言った。


「それで終わりじゃねえぞ」


「もちろんです」


 マーゼルは穏やかにうなずく。


「村が失われれば、取引先も失われます。損失は避けるべきですから」


 その言葉に、レインの背筋が冷えた。


 やはり、この人は優しさで動いているわけではない。


 村が生き残ることと、商会の利益が今は同じ方向を向いているだけだ。


「ただし、こちらにも確認すべきことがあります。あの古い石組み、そして光る壁面。あれは、ただの水路ではありませんね?」


 ロウが黙った。


 ミラも目を細める。


 レインは手を握った。


「分かりません」


 それは本当だった。


「でも、危険なものです。少なくとも、勝手に壊していいものではありません」


「同感です」


 マーゼルの返事は意外だった。


「利益になるかどうか以前に、下手に触れれば取引先ごと失う。昨夜の件で、それは理解しました」


 彼は調査員たちを見た。


「あなた方は、しばらく村に残りなさい。修復の手伝いと証言をしてもらいます」


「そ、それは……」


「成果は得ましたね。無断調査が何を招くかという、非常に高い授業料つきの成果です」


 穏やかな声だった。


 だが、調査員たちは青ざめた。


 レインはマーゼルを見た。


 やはり、この人は単純な悪人ではない。


 けれど、優しい人でもない。


 利益と損失で物事を測る。

 村が失われれば損だから、危険を認める。


 その冷たさが、怖い。


 でも今は、その理屈を利用するしかない。


「資材と食料は受け取ります」


 老人が言った。


「ただし、村の条件でだ。水と薬草の権利は渡さない」


「承知しました。契約書は改めて」


「その前に、壊した場所を直す」


 ロウが言った。


 マーゼルは小さく笑う。


「職人らしい」


「笑うな。笑う暇があるなら石を寄こせ」


 ロウの返しに、村人たちの間からかすかな笑いが漏れた。


 レインも少しだけ息を吐いた。


 ◇


 その日の午後、村は修復に集中した。


 商会の荷から、縄、板、布、干し肉、豆が降ろされた。


 村人たちは警戒しながらも、それを受け取った。


 調査員たちは、見張り付きで石運びに加わった。


 ロウは容赦しなかった。


「違う。そこじゃねえ。石は積むんじゃなくて噛ませるんだ」


「噛ませる?」


「揺れても逃げねえようにするんだよ。見て覚えろ」


 調査員は汗だくでうなずく。


 ミラは水路沿いの危険区域に目印を増やした。


「ここから先は二人以上。夜は立ち入り禁止。音がしたら見に行くな。まず知らせろ」


 村人たちは真剣に聞いていた。


 レインは椅子に座ったまま、修復作業を見ていた。


 何度か立とうとして、ミラににらまれた。


「座ってろ」


「……はい」


 何度目かの返事だった。


 けれど、ただ座っているだけではない。


 ロウが迷った時だけ、レインは短く答える。


「そこは、少し熱が残っています」

「その石を詰めすぎると、また押し返されるかもしれません」

「水はこっちへ行きたがっています。でも、まだ弱いです」


 以前のようには聞こえない。


 声は遠い。

 輪郭がぼやけている。


 けれど、村人たちはその言葉を信じて動いてくれた。


 それが嬉しくて、少し怖かった。


 間違えたらどうしよう。


 聞き違えたらどうしよう。


 そう思うたび、ロウが横から言う。


「決めるのは俺だ。お前は感じたことだけ言え」


 その言葉に、何度も救われた。


 夕方近く。


 応急の水路と避難用の旧道が、どうにか形になった。


 水路は細くしか流れない。

 旧道も荷車は通れない。


 それでも、村から森とは別方向へ逃げる道が一つできた。


 老人がその道を見つめる。


「これで、もしまた魔物が来ても、逃げ場がある」


「完璧じゃねえけどな」


 ロウが言った。


「完璧じゃなくていい」


 ミラが肩をすくめる。


「逃げ道は、あるだけで命が違う」


 レインは旧道を見た。


 土は荒れている。

 石も多い。


 でも、人が歩ける。


 村を守るというのは、魔物を倒すことだけではない。


 水を通す。

 道を作る。

 逃げ場を残す。


 そういう一つ一つが、命につながっている。


 その時だった。


 地面の奥から、かすかな声がした。


 ――……あつい。


 レインは身を固くした。


 また黒い霧か。


 水路か。


 そう思って耳を澄ませる。


 だが、声の方向が違った。


 水路ではない。

 谷筋でもない。


 もっと遠い。


 森の奥。

 閉じた鉱山道の向こう。


 昔、老人が言っていた場所。


 妙な熱がこもると噂される、古い鉱山の方角。


 ――おなじ。

 ――そこも、つまる。

 ――あつい。


 レインの顔から血の気が引いた。


「レイン?」


 ミラが気づく。


「どうした」


「……同じです」


「同じ?」


「昨夜の黒い霧と、似た声が……鉱山の方から」


 ロウが振り向いた。


「鉱山って、閉じた道の先か」


「はい」


 老人の顔も険しくなる。


「やはり、あそこか」


 レインは立ち上がろうとして、膝が揺れた。


 ロウがすぐに支える。


「だから立つな!」


「す、すみません」


「謝るなって言ってんだろ」


 ミラは森の奥を見た。


 夕暮れの山影が、黒く沈んでいる。


「今から行くのは無理だな」


「はい。僕も、今は……」


 声がまた遠のく。


 けれど、最後に一つだけ聞こえた。


 ――つながっている。


 レインは手首を押さえた。


「水路だけじゃありません。泉も、畑も、谷筋も……たぶん鉱山も。どこかで、つながっています」


 老人が重く息を吐く。


「ヴァルゼアが衰えた理由は、水が枯れただけではなかったのかもしれんな」


 誰も答えなかった。


 夕暮れの風が、修復したばかりの水路を通り抜ける。


 細い水が、かすかに音を立てた。


 レインはその音を聞きながら、鉱山の方角を見つめた。


 まだ行けない。


 今の自分では、立っていることも難しい。


 けれど、いつか確かめなければならない。


 あの奥にも、土地の痛みがある。


 そして、それはきっと村だけの問題ではない。


 レインは震える手を握った。


 遠い地面の奥から、もう一度だけ声が届く。


 ――まっている。


 それは助けを求める声なのか。


 それとも、まだレインの知らない何かが、奥で動いているだけなのか。


 まだ、レインには分からなかった。

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