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1/4

追放された少年、死にかけた土地の声を聞く

 刻印の儀は、人生を決める。


 少なくとも、王国の貴族たちはそう信じていた。


 戦う力を得た者は騎士へ。

 癒やす力を得た者は教会や王都の薬師へ。

 鍛える力、育てる力、作る力。

 それらはすべて、家の名を高めるものだ。


 子爵家の少年レインも、その日だけは胸を高鳴らせていた。


 家の広間には、親族たちが集まっている。

 期待の目。

 値踏みする目。

 そして、わずかな焦り。


 レインの家は、決して大貴族ではない。

 近年は王都での立場も弱くなり、当主である父は、役に立つスキルを持つ子を一人でも欲しがっていた。


 だからレインも、ずっと言われてきた。


 役に立て。

 家に返せ。

 名を高めろ。


 そうすれば、ここにいていいのだと。


「レイン。前へ」


 父の低い声が響いた。


「はい」


 レインは石台の前へ進む。


 広間の中央には、古い石台が置かれていた。

 その上に手を置けば、体の奥に眠るスキルが刻まれる。


 手のひらが汗ばんでいる。


 失敗したくない。

 外したくない。

 ここで役に立つ力を得られれば、自分も家の一員として認められる。


 レインはそう信じたかった。


 右手を石台に置く。


 冷たい。


 次の瞬間、石台の紋様が淡く光った。


 広間の空気がぴんと張りつめる。

 親族たちが身を乗り出した。


「戦闘系なら騎士団に推せる」

「治癒なら縁談にも使える」

「生産系でも悪くない。家の支えになる」


 ささやきが耳に入る。


 レインは息を止めた。


 光は細く、静かに手首へ集まっていく。


 その時だった。


 石台の光とは別に、床の奥で何かが震えた気がした。


 ――くるしい。


「え?」


 思わず声が漏れる。


 誰かの声ではない。

 広間の中には、そんなことを言った者はいなかった。


 けれど確かに聞こえた。


 遠く、深く、土の下から届くような声。


 ――ながれない。

 ――かわいている。


「レイン?」


 儀を司る者が怪訝そうに呼ぶ。


 レインが答えるより先に、手首へ刻印が浮かんだ。


 葉脈にも、川にも似た細い紋様。

 その中心が、ほんの一瞬だけ脈打つ。


 儀を司る者が石板をのぞき込み、眉を寄せた。


「これは……」


「何だ。早く読め」


 父が急かす。


 儀を司る者はためらってから告げた。


「刻まれた名は……地声聞き、です」


 広間が静まり返った。


 次に起きたのは、落胆だった。


「地声聞き?」

「土地の声を聞くとかいう、古い迷信の類だろう」

「記録にはあるが、実用例など聞いたことがない」

「少なくとも、戦場では何の役にも立たんな」


 誰かが小さく笑った。


 その笑いはすぐに広がらなかった。

 父が黙っていたからだ。


 だが、その沈黙のほうがレインには痛かった。


 父は怒っていなかった。

 失望していた。


 役に立つかもしれないと値踏みしていたものが、急に価値のない石ころになった。

 そんな目だった。


「レイン」


「はい」


「残念だ」


 たった一言だった。


 胸の奥に、冷たいものが落ちる。


「地声聞きなど、家の役には立たん。今の我が家に、使えぬ者を置いておく余裕はない」


「……僕は、まだ」


「まだ、何だ」


 言葉が詰まった。


 この力で何ができるのか。

 レイン自身にも分からない。


 土地の声を聞く。

 ただそれだけ。


 剣を振れるわけでもない。

 傷を癒やせるわけでもない。

 鉱石を見分けるわけでも、作物を増やすわけでもない。


 さっき聞こえた声のことを話しても、きっと笑われる。


 父は短く息を吐いた。


「赤字続きの辺境がある。ヴァルゼアだ」


「ヴァルゼア……」


「長く不作が続き、税もまともに上がらん。水源も弱り、代官を置く費用すら惜しい土地だ。だが放置すれば、家の管理不備になる」


 父の言葉は淡々としていた。


「お前を送る。名目上は管理補佐だ」


「僕を……ですか」


「地声聞きというなら、せいぜい土地の声でも聞いてこい」


 広間の隅で、誰かが笑った。


 父は笑わなかった。

 ただ、決定を下しただけだった。


「成果を出せるなら報告しろ。出せぬなら、そのまま辺境で暮らせ」


 レインは拳を握る。

 爪が手のひらに食い込んだ。


 泣くな。

 ここで泣いたら、ますますみじめになる。


「承知、しました」


 声は震えた。


 それでも頭を下げた。


 その瞬間、床の奥からまた声がした。


 ――かわいている。


 レインは顔を上げる。


 誰も聞こえていない。

 父も、親族たちも、もうレインではなく次の話をしている。


 レインだけが、その声を聞いていた。


 外れだと笑われた力。


 けれど、その声だけは、確かにレインを呼んでいた。


 ◇


 ヴァルゼアへの道は長かった。


 馬車の窓から見える景色は、王都近郊の豊かな畑から、だんだんと乾いた荒野へ変わっていく。


 草はまばら。

 道はひび割れ、車輪が何度も石に引っかかった。


 同行する御者は、必要なこと以外ほとんど話さない。


「もうすぐ村です」


 そう言われて外を見ると、低い丘の向こうに小さな集落が見えた。


 レインは息をのむ。


 家々の壁は傷み、屋根には穴がある。

 畑は土色で、緑がほとんどない。

 水路らしき溝はあるが、そこに水は流れていなかった。


 そして村の中央には、枯れた井戸があった。


「ここが、ヴァルゼア……」


 馬車が止まる。


 村人たちが集まってきた。


 歓迎の声はない。

 あるのは警戒と疲れた目だけだった。


 村の代表らしい老人が前に出る。


「子爵家から来たというのは、あんたか」


「レインです。今日から、この地の管理補佐として……」


「管理ね」


 老人は笑わなかった。


「今さら何を管理する。見ての通りだ。水もない。作物もない。若い者は出て行く。残った者は、毎日を食いつなぐので精いっぱいだ」


 責める声ではなかった。


 諦めた声だった。


 それが、レインの胸に重く沈む。


 レインは村を見回した。


 痩せた畑。

 干からびた水路。

 家の軒下に置かれた空の桶。

 遠巻きにこちらを見る子どもたち。


「水源は、どこにありますか」


 レインが尋ねると、老人の眉が動いた。


「そんなもの、もうない。昔は北の泉から水を引いていた。だが数年前から細り、今では泥が残るだけだ」


「見せてもらえますか」


「見てどうする」


「……まだ、分かりません。でも見たいんです」


 村人たちの間に、冷たい空気が流れた。


「また貴族様の気まぐれか」


 誰かが言った。


 別の誰かが、力なくつぶやく。


「期待するだけ疲れる」


 それ以上の言葉はなかった。


 その短さが、かえって苦しかった。


 レインはうつむきそうになる。


 けれど、その時。


 足元から、かすかな声がした。


 ――いたい。


 胸の奥を、細い針で刺されたようだった。


 レインは乾いた地面を見る。


 白く割れた土。

 踏めば崩れそうな道。


 そこから声がする。


 ――つまっている。

 ――ながれない。

 ――くるしい。


 王都の広間で聞いた声と同じだ。


 いや、あれよりずっと弱い。

 ずっと近い。

 今にも消えそうな声だった。


「お願いします」


 レインは老人を見る。


「泉へ案内してください」


 老人はしばらくレインを見ていた。


 やがて、深いため息をつく。


「……好きにしろ。だが、村の者に余計な期待はさせるな」


「はい」


 レインはうなずいた。


 期待させられるほどの自信など、どこにもない。


 それでも、あの声を聞こえないふりはできなかった。


 ◇


 北の泉は、泉と呼ぶにはあまりにも寂しかった。


 石で囲われた丸い窪地。

 底には濁った泥が薄く残り、縁には乾いた苔がこびりついている。


 昔は水があったのだろう。

 周囲の石には、水に磨かれたなめらかな跡があった。


 レインは泉の縁に膝をつく。


「ここが……」


「昔は村の命だった」


 老人が言った。


「畑も、人も、家畜も、みんなこの水で生きていた。水が止まってから、何もかも少しずつ駄目になった」


 村人たちは少し離れて立っている。


 近づかない。

 けれど、去りもしない。


 諦めているのに、まだ見ている。


 それが、この泉がどれほど大切だったかを物語っていた。


 レインは泉の底へ手を伸ばす。


 泥に指先が触れた。


 冷たくない。

 水気もほとんどない。


 その瞬間、頭の奥に声が流れ込んだ。


 ――ここじゃない。


「っ……」


 レインは目を閉じる。


 声は言葉のようで、言葉ではない。


 痛み。

 渇き。

 重さ。

 そして、細い流れが何かにせき止められている感覚。


 泉が、ただ枯れたわけではない。


 水そのものが消えたのでもない。


 もっと下。

 地面の奥の奥で、流れが曲がり、絡まり、固まっている。


「水がないんじゃない……」


 レインはつぶやいた。


 老人が眉をひそめる。


「何だと?」


「水が消えたんじゃなくて……どこかで止まっています。たぶん、下のほうで」


「見えるのか」


「見えません」


 レインは手首の刻印に触れた。


「聞こえるんです」


 村人たちは顔を見合わせた。


 誰も笑わなかった。


 笑う元気すらないのかもしれない。

 あるいは、目の前の少年があまりにも真剣だったからかもしれない。


 老人が低く言う。


「それで、何ができる」


「分かりません」


 レインは正直に答えた。


「でも、苦しそうなんです。だから、少しだけ試させてください」


「失敗したら?」


「何も変わりません」


 老人は黙った。


 やがて、泉の底を見てから言った。


「……それなら、もう失うものもない」


 レインはうなずき、泉の底に両手をついた。


 目を閉じる。


 まず、聞く。


 ――つまっている。

 ――かたい。

 ――まがっている。


 頭の中に、細い線のような感覚が浮かんだ。


 地面の下を通る見えない流れ。

 それが泉の下で絡まり、固く結ばれている。


 レインは深く息を吸う。


「押し出すんじゃない……」


 小さくつぶやく。


 無理やり水を引き上げるのではない。

 そんなことをしたら、たぶん壊れる。


 できることは小さい。


 聞いて。

 探って。

 結び目に、ほんの少しだけ隙間を作る。


「ここを……少しだけ、楽にする」


 手首の刻印が熱を持った。


 細い光が、指先から泥へ染み込む。


 胸の奥に痛みが走った。


「っ……!」


 腕ではない。

 体の奥を、強く引っ張られるような痛み。


 レインは歯を食いしばる。


 壊すのではなく、ほどく。


 絡まった糸を一本ずつほどくように。

 固まった結び目に、細い隙間を作るように。


 ――そこ。

 ――ちがう。

 ――もうすこし。


 声に合わせる。


 大きな力ではない。

 小さな指先で、暗い地中の結び目を探るような感覚だった。


 村人たちは息をのんで見守っている。


「今……光ったか?」


「泥の下が……」


 誰かの声が震えた。


 泉の底で、かすかな音がした。


 こぽ。


 小さな泡が浮かぶ。


 レインは目を開けた。


 泥の中央に、透明な水が一滴にじんでいた。


「水……?」


 老人の声が、かすれた。


 こぽ、こぽ。


 泡が増える。


 濁った泥の下から、細い水が染み出してきた。

 頼りない流れだった。

 けれど確かに、水だった。


 村人たちは、すぐには動かなかった。


 信じられないという顔で、ただ見つめていた。


 やがて、小さな子どもが一歩前に出る。


「水……」


 母親らしい女性が慌てて腕をつかんだ。


「待ちなさい」


 けれど、その女性の目も泉に釘づけだった。


 村人の一人が、おそるおそる泉に近づく。


 手を伸ばす。

 一度ためらい、それでも指先を水に触れさせた。


 その男の肩が震えた。


「冷たい」


 たった一言だった。


 その一言で、空気が変わった。


「本当に……水だ」


「戻ったのか?」


「いや、まだ少しだ。でも……水だ」


 誰かが口元を押さえた。

 誰かが空の桶を抱きしめたまま、声もなく泣きそうな顔をした。


 老人は膝をつき、震える手で水に触れた。


 指先を見つめる。

 まるで、失くしたものが本当に戻ってきたか確かめるように。


「……この冷たさを、まだ覚えていたとはな」


 その声は、ほとんど独り言だった。


 レインはその場に座り込んだ。


 全身から力が抜ける。


 大きなことをしたわけではない。

 泉が完全に蘇ったわけでもない。


 水はまだ、ほんの少し。

 村を救うには足りない。


 けれど、枯れたはずの泉から水が出た。


 その事実だけで、村人たちの顔に消えかけていた何かが戻りかけていた。


 希望。


 たぶん、そう呼ぶものだ。


 レインは震える手で、自分の手首を見る。


 外れスキル。


 そう言われた力。


 けれど今、この力はただの外れではないのかもしれない。


「僕にも……できることがあるのか」


 口に出した声は小さかった。


 誰かに聞かせるためではない。

 自分に確かめるための言葉だった。


 老人がゆっくりと近づいてくる。


「……レイン、だったな」


 初めて、老人が名前を呼んだ。


 レインは顔を上げる。


 老人の目には、まだ完全な信頼はない。

 警戒も疑いも残っている。


 けれど、さっきまでとは違った。


「今のは……何をした」


「分かりません。ただ、土地が苦しそうで」


「土地が?」


「はい。水が消えたんじゃなくて、どこかで止まっているように聞こえました。だから、少しだけ……楽にしたかったんです」


 老人は泉の底を見る。


「そんな話、聞いたことがない」


「僕も、初めてです」


 正直に答えると、老人は困ったように眉を下げた。


 その顔はまだ硬い。

 だが、もうレインをただの邪魔者としては見ていなかった。


 村人たちも同じだ。


「本物なのか?」

「偶然じゃないのか」

「でも、水は出たぞ」


 信じられてはいない。

 けれど、無視もされていない。


 それだけで、レインの胸は少しだけ軽くなった。


 その時、泉の底から別の感触が伝わってきた。


 水の下。

 泥のさらに奥。


 何かがある。


 石ではない。

 自然の岩とも違う。


 人工的で、冷たいもの。


「……まだ、何かあります」


 レインは泥に手を入れた。


「おい、無理をするな」


 老人の声が聞こえたが、レインは手を止めなかった。


 指先が固いものに触れる。


 泥を払うと、平たい石板のようなものが姿を見せた。


 その表面には、細い模様が刻まれている。


「何だ、これは」


 老人が身を乗り出した。


 村人の誰かが松明を近づける。


 模様は文字のようにも見えた。

 けれど、レインには読めない。

 老人も首を振った。


「こんなものが泉の底に……?」


「昔からあったのか?」


「いや、少なくとも俺は知らん」


 その時だった。


 石板の古い文字が、一瞬だけ淡く光った。


 青白い光。

 水面に映る月のような、静かな光だった。


 村人たちが一斉に息をのむ。


 レインの耳に、再び声が届いた。


 今度は泉の声だけではない。


 もっと深い。

 もっと遠い。


 地面の奥の奥から、かすれるように響いてくる。


 ――まだ。


 レインの背筋が震えた。


 ――まだ、詰まっている。


 水は戻った。


 けれど、これは始まりにすぎない。


 泉の下には、誰も知らなかった石板がある。

 その奥には、まだ苦しんでいる声がある。


 レインは泥に濡れた手を握りしめた。


 追放された自分がたどり着いた、死にかけの土地。

 誰にも期待されず、見捨てられかけた場所。


 そこが今、確かにレインを呼んでいる。


 怖い。


 自分に何ができるのか、まだ分からない。

 村を救えるなど、とても言えない。


 それでも。


「……確かめます」


 レインは小さくつぶやいた。


 老人がこちらを見る。


「何をだ」


「この声の先を」


 レインは泉の底を見つめた。


「僕に聞こえたなら、聞こえないふりはできません」


 石板の光は、もう消えている。


 けれど、地面の奥の声はまだ消えていなかった。


 ――まだ、詰まっている。


 レインはもう一度、手首の刻印に触れる。


 外れだと笑われた力。

 けれど、この土地はその力を必要としているのかもしれない。


 なら、逃げない。


 少なくとも、この声の先に何があるのか。

 それだけは、自分の目で確かめる。

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